雀の手箱

折々の記録と墨彩画

夏を描く

2018年06月29日 | すずめの百踊り












 大雨の夜となりました。警報も出ていますが、やはり気になってテレビの前です。
ワールドカップの期間は睡眠不足気味の日々で、なんとなく気もそぞろです。前評判を裏切って、W杯出場32チーム中の下から3番目が決勝リーグ進出を決めました。はらはらしましたが意表を突く西野ジャパンに乾杯。

地震列島に暮らす

2018年06月20日 | できごと
 週明けの朝、今度は大阪北部を中心とする震度6を超える地震が発生しました。
 通勤途上で動かなくなった交通機関をはじめ都市型の様々な機能の停止で混乱する報道に、先年の大雨の折の自分の体験を重ねていました。
 関西の皆様に障りが少ないことを心より願って、お見舞い申し上げます。
 このブログに折に触れコメントしてくださる方は、関西の方が多いので、災害のほどを案じています。
 このところ九州でも、霧島連山や桜島が不気味な活動を続けていますし、先の熊本地震の災害復旧も半ばで、依然仮設住宅に暮らす方々もおられます。

 阪神淡路大震災から23年目です。その後も記憶に新しい大きなものだけでも、福岡県沖地震2005年、能登半島と、新潟中越の地震が2007年、宮城がその次の年、そしてあの東日本大震災が2011年です。一昨年は熊本でした。
 呑気な私でも気になって、国立天文台編の「理科年表」であたってみると、M6.1以上の地震は5年に一度の割合で発生していますし、地図に示されるその地域も北から南まで例外の地域はありません。いつどこで発生するかわからないのが実情です。
 日本書紀に記載された地震の遠い記録以来、方丈記の京を襲った地震の記事などを思い返し、古来数多くの経験を重ねていても、自然の脅威には抗することは不可能で、せめて、自らの命を守る備えをするくらいしかないのでしょう。



六月の習作

2018年06月13日 | すずめの百踊り
 雨の日はなんとなく意識が体の傷みの方に行き、絵も気乗りのしないものとなってしまいます。何度も描き直しをして見ても、意図していたものとはどこか違うので、ため息交じりに筆をおくことが多いのです。

 模索の跡を自分の学習のためにとどめて何枚かを選びました。



















柳川へ

2018年06月04日 | 雀の足跡


 まだ柳川に行ったことがないという娘のために、日帰りのバスハイクを申込みしました。
 希望の日は申し込みが少なくて中止で、土曜日に変更となり、ほぼ満席状態のバスハイクでした。

 朝8時半、タクシーで着いた集合場所の引野口はすでに多数の人で驚いていると、ほかのツアーの人々も混じっていて、いろいろな目的地を表示したバスが次々にやってくるのを物珍しく眺めていました。
 博多からみやまインターを経て1時間半、田園風景の広がる初夏の筑後平野にはシラサギが舞う姿も見られました。
 柳川藩主立花邸「お花」の庭園をゆっくり鑑賞し、邸内の立花家資料館で開催中の刀剣を中心にした展示を拝見しました。昔、雛祭りのころ訪れた時と違って、小さいながらも整備された展示場には小さな賀茂人形や、大名家の雛飾りの精細さと豪華さに見とれました。
 私は何度も行っているので、白秋生家は省略して、かつての日、池にかけて設定された能舞台で演じられた薪能を拝見した日を反芻していました。
 川下りの船中で、名物のウナギの「せいろ蒸し」の弁当をいただきましたが、紐を引っ張ると蒸気が噴出してアツアツのせいろ蒸しになる仕掛けに興じましたが、何分にも狭い船上で、窮屈でした。
 途中には3万本と言われている様々な花菖蒲の植えられた菖蒲園もありましたが船上からの鑑賞でした。
 白秋の歌碑も設置されていて、両岸は人々の生活の場であり、縦横にめぐる水路が観光用の小規模のものを想像していた娘には予想外だったようです。船頭さんの唄う白秋の歌もいい声で、修学旅行中の高校生の舟とも手を振りながらすれ違いました。1時間の川下りは時間が早く過ぎました。
 午後は、船小屋温泉の黄土色で硫黄の香のする天然温泉の露天風呂で、2時間を愉しみ、一路北九州へ。五時過ぎに到着しました。
 ゆっくりとしたコースを選択したつもりでしたが、日帰りのバスハイクは初めてという娘は乗り物酔いで、下車後しばらくは休息を取らねば帰宅できませんでした。