雀の手箱

折々の記録と墨彩画

隣町の試み

2012年01月30日 | 雀の足跡

 車で家から5分足らずの隣町、水巻町で文化連盟二十五周年記念に能楽鑑賞の会がありました。呼び物は野村萬斎さんの狂言「附子」でした。

 二部構成で実施され、一部は無料の、町民対象の能楽教室風のもので、我が国の伝統芸能に親しんでほしいという強い意気込みを感じました。

 プログラム一部は、初めにこの町に残る立屋敷の砧姫伝説に基づく「砧の響き」と題した創作劇で、能楽師による本格的な面をつけた形で能の「砧」が取り入れられ、背景に朗読の会の方による語りが流れ、伝説の八釼神社の樹齢1800年という大銀杏の幻想的な映像が映し出されていました。
 砧打つ音を表現する子供たちの太鼓が最後を盛り上げていました。
「いざ!謡わん 能楽謡隊―うたいタイ―」と記された二番目は、二曲あって、子供の部は「鶴亀」大人の部は「土蜘」一部が謡われました。
 子供たちは3歳から中学生までが参加した大合唱で、昨年7月から稽古を積んだ「鶴亀」が無本で全曲謡われました。揃いの着物に袴をつけて背筋を伸ばして舞台に緊張して正座した姿は立派なものでした。
 最後は能楽師シテ方の佐野 登氏による「わかりやすい能楽」で、第二部で上演される「土蜘」の解説と、ここで用いられるツレの装束の着付けを、希望者を募って舞台に上げ、鬘、鬘帯をつけ、赤襟、唐織の着流しの着付けをし、面をつけるところまでを実演されました。                                                                                                                                     こうした試みで日本の古典芸能を体験をすることは、情感の滋味となって今は意味も分からず謡っていたとしても、いつか何かの折に花開くことでしょう。関係者各位の努力を尊いものに思いました。

 会の趣旨から選定された曲目は入門の手ほどきにふさわしく派手で、わかりやすい有名なものでした。

 二部のプログラム  舞囃子  「砧」   武田孝史

           狂言   「附子」  太郎冠者 野村萬斎  次郎冠者 深田博治
                      主 高野和憲

           能    「土蜘」  シテ前・後 佐野 登  頼光 和久荘太郎 ほか
                      早打 野村萬斎













今年の金柑

2012年01月25日 | 日々好日
 春節のころを目安に毎年収穫する金柑です。格別の甘さと、上品なほんのりかすかな酸味が好きで食べ始めると止まりません。最近の甘さばかりが際立つ蜜柑よりも好んで口にします。
 自宅で消毒は一切なしの、生ゴミ発酵の肥料による有機栽培は、安心して小さな種だけを出して丸ごといただきます。キッチンの花瓶には枝ごと切ったものが夫の手で挿してありました。今年2回目の収穫です。
 

 垂仁天皇の命により、常世の国に遣わされた田道間守が「非時香菓(ときじく のかぐのこのみ)と呼ばれる不老不死の力を持った 霊薬を持ち帰ったという話が古事記に登場しますが、これは橘のことで、似ていても金柑ではないと承知の上で、我が家では「田道間守」とよんでいます。

 蝋梅の次の楽しみの寒あやめも雪の中で三輪目の花を開きました。



七回忌法要

2012年01月21日 | できごと
 旅立ちはつい先ごろのような気がしますが、母の七回忌でした。
 四人兄妹の末っ子に生まれた母は、百三歳の長寿だったので、兄二人姉一人もとっくに亡くなって、代替りした従弟たちもこの七年の間に相次いで他界したり、自分では行動の自由が利かなくなったりしているので、夫の兄弟だけのさびしい法要となりました。
 それも、一番下の妹が78歳で、連れ合いは入退院を繰り返していて、一人での参加です。
 この席で、すぐ下の弟から、今年5月に完成する高齢者向けマンションへの引越しをする旨が告げられました。
 七十代の終わりに大手術を受けた病院の敷地内に建設中の高層マンションで、病院と市が共同運営するので抽選に当たるといいのだがと前から希望していました。
 すでに今暮らしている住宅の売却も決まったそうで、毎日荷物の処分に追われていると言っていました。
 何れも老いを嘆く話題ばかりで、かつてのような賑わいや酒量が夢の中の話のようでした。
 車の運転をしているのも、もう私だけになっています。
 自宅でのこうした形の法要は、私にとっても今回が最後になると思うので、とりわけ心を籠めて準備したつもりですが、それでも手抜かりがありました。ご住職の法話も、迷った末に選んで床の間に掛けた「念仏衆生摂取不捨」の掛軸を話題にして法然の念仏について語られました。
 母は殊に花を好み、自分でも動ける間は最後まで次々に栽培していましたので、できるかぎりの花を活けました。玄関には今盛りの蝋梅を大きな甕にいっぱいに挿したので、香りが部屋中に漂っていました。
 肩の荷を下ろした気分で心地よい疲労を感じています。


 

庭の清掃

2012年01月15日 | できごと
 もう簡単な剪定も、草取りも難しくなったので、隔月に入ってくれる年間契約に変更した庭師が、年末の剪定のときに1月には法要があると聞いていたのでと、庭掃除に来てくれました。
 私のいい加減な掃除とはひと味違う手際と機具を駆使して気持ち良く少々荒っぽく片づけられました。草も枯れている時期なので、保存しておかねばならなかったものも刈り取られたかと思いますが、それも致し方ない断捨離の一つと覚悟を決めると、さっぱりした風景がすがすがしく見えてきました。
 掃除の肝心な違いは、見えない石の陰や、植込みの木の根元の隠れて見えないところを丁寧に掃除することのようでした。
 なるほどと感心しきりの一日でした。今は花の盛りなので剪定されることを免れた蠟梅がひときわ冬空に誇らしげです。












稽古始め

2012年01月11日 | すずめの百踊り

 歩きにくいし、みんなに見てもらえる提出作品も少ないので、欠席を考えましたが、お正月の稽古始めから「何せうぞくすんで一期は夢よ」と気をとり直して出かけていきました。
みなさんからの刺激を期待しての思いもありました。
 
 今年の迷走はどちらへ狂うことやら・・・杖を突いてのあてどない琳派の迷い道です。
 (提出は3枚のみ。2,3番目はそれぞれ2枚目に描いたものを提出しました。)











突然の変調

2012年01月06日 | できごと


 歳末に少し張り切って日ごろ怠けている片付けをし、今年は紅葉が遅れて、庭師が入った後まで散り残っていて、うずたかく散り積もっていた楓の落ち葉の始末などをしたせいでしょうか、足裏に少し違和感がありました。
 3日の午後、箱根駅伝のドラマの展開を見定めたあと、ご馳走とお酒ばかり口にしているからと散歩に誘われ、500メーター位の距離でしょうか近くの家電量販店まで歩いて出かけました。
 帰り道で右足の踵のあたりに痛みが走り、次第に激しくなっていくので、連れ合いの杖を借りてやっと家まで辿りつきました。
 そのあとは、椅子に腰かけてじっとしている限りは何の痛みもないのですが、立ち上がると、針を突き刺すような痛みで、足を床につけることができません。
 残り物で夕食の支度だけは何とかやれたものの、病院はお正月休みで開いていません。
 膝の痛みが激しい時にもらっていた鎮痛剤と胃薬が残っていたのを思い出し、飲んでみました。3時間ぐらいするとかなり楽になったので、もし骨折やひびなどが入っているようなら救急のお世話にならねばならないかと思いながら、前の骨折の時を思い出してそっと足首をひねったり押したりしましたがなんともありません。傷も腫れもないのです。そこで、「踵の激痛」でネットで検索してみました。
 ありました。そっくりな状態の人が結構たくさんいらっしゃいました。
足底の親指から踵に至る腱の故障らしいと素人判断して、昨日かかりつけの病院に予約を入れました。
 今日、撮っていただいたレントゲンを見ると、1センチ余りのとげ状の突起が明らかに映し出されていました。
 先生の診断では関節が弱いようですから、矯正のための足底板を専門の業者に測定してもらって作りましょうということになりました。
 ありがたいことに注射と飲み薬でまだ痛みはあるものの、今はほとんど問題なく歩けます。






近うて遠きもの

2012年01月01日 | 塵界茫々
 枕草紙の「近うて遠きもの」という章段には「はらから、親族の中。鞍馬のつづら折りといふ道。十二月のつごもりの日 正月のついたちの日のほど」と書かれています。
 やはり大晦日から元日への時間の流れは、「近うて遠き」格別のもののようです。
 連続した切れ目のない時間の流れに、人は気持ちの上では画然と区切れを置いて、自分を縛り生活を組み立てています。
 お屠蘇を祝い、晴の日の器が登場するとやはりいつもとは違う改まった気分となり、「明けましておめでとうございます」と挨拶を交わすと、あらためて新しい年が始まる思いがします。
 初昔などという(元日に旧年をさす言い方)古語が、数時間前をも昔とは大げさなと思っても、今も生きて俳句の季語で使われていますし、日ごろは迷惑がられて不吉な鳥とされる鴉も、正月には「初鴉」と、めでたがられます。いつもの空も「初空」とよべば、何か新鮮な気がするというものです。
 今年の「行く年来る年」は世界遺産に登録された平泉の中尊寺からの中継でした。除夜の鐘が響き、番組半ばに「明けましておめでとうございます」の声を聞き、やがて初詣につめかける各地の参詣の賑わいが映し出されると、ああ、また齢を重ねたという感懐がわいてきます。
 「年の初めのためしとて」、謹んでお年賀をネットで申しあげます。