雀の手箱

折々の記録と墨彩画

梅仕事

2010年06月27日 | 日々好日
 今年は甘夏柑の生りが悪く、マーマレードを作る量が例年よりも少なめだったうえに、美味しいといわれると調子づいて差し上げていたので、気がつくと冷凍庫には二パックだけになっていました。
 一年中のヨーグルトソースの一つです。そこで、弟にあの荒れていた梅林の梅がまだあるなら欲しいのだけどと電話すると、採ってきてやるからというので収穫されたのを貰ってきました。
 完熟、消毒なしの極上の梅です。スーパーのビニール袋一杯だったのですが計量して見ると3キロもありました。
 他にも小梅があまりに美しかったので、お弁当やおにぎり用に喜ばれるだろうと1キロほど、梅干にするつもりで貰って帰りました。13%の塩で下漬けにしました。塩の少ない分を焼酎で補います。

 思いがけない梅仕事は、梅味噌1キロ、梅ジャム2キロ、梅干1キロの台所仕事となりました。
 自分でも情けないほどの手のろで、昔の手早さをいつの間にか失くしての段取りの悪さになっています。呆けるとはこういうことなのでしょう。これからは一歩も二歩も退いたところで物事の判断をして、すべからく引き算で対処しないといけないようです。2日がかりで、やっと全部の梅の始末がつきました。
 梅雨の最中、鬱陶しさを吹き飛ばすワールドカップの放映が単調な作業を手助けしてくれましたが、寝不足は当分取れそうもありません。




車検

2010年06月24日 | すずめの百踊り
 車が7年目の車検を迎えました。
 いままでたいした事故もなく無事に過ごしてきた歳月を思うと車があったからこそ可能だったと思う出来事も数多くあります。
 ところで、7年を過ぎて買い替えをせずに車検を受けるのは初めてです。これを機に車をやめるかどうかで何度か話し合いました。
 ためしに車を全く使わずに生活する場合を考えて、2日を過ごしてみました。
 岡の上にあるわが家からは、何処へ出るにもかなりの距離を歩くことになります。買い物も一番近い駅前のスーパーまで、かつては8分か9分もあれば到着したのに、15分かかっていることが分かり、荷物を下げての帰りは途中、姑がしていたように神社の石段で一休みが必要でした。
 夫も窯出ししたからという弟からの知らせに、西鉄バスの時刻を調べて歩いて10分ほどのバス停から1時間に1本のバスに乗って出かけましたが、帰りは弟に送ってもらっての帰宅でした。
 車をやめるにはそれなりの覚悟で、準備と対策が必要でした。
 かくて、今回までは、車検に出して、しばらくはこの働き者の老車の世話になることで落着です。
 車を受け取りにきた何時もの自動車屋さんに、「悩んだけれど、まだこの車に乗ります。今回が最後と思いますが。」といって渡しました。代車はいらないとお断りしましたが、今日で3日、不自由で待ち遠しいことです。
 車を手放して後、家にこもりきりにならないようタクシーを使うことができますかどうか。財布と相談しながらの頭の切り替えが大変だと広くなった車庫の空間で考え込んでいます。





  山の際では紫陽花が今を盛りに華やいでいます

からす

2010年06月19日 | 日々好日
 不気味なほどの黒一色と鳴き声からでしょうか、嫌われ者で一般には不吉な鳥とされていました。なかなかの知恵者で、人間に知恵比べを挑み、ゴミ集積場ではよく騒動を引き起しています。
 家の裏山の大きな樹をねぐらにしている一家は、格別の賑やか好きのようです。庭の生り物を失敬してゆくのも彼らが先導です。

 いまワールドカップで活躍する日本選手たちの胸のワッペンにも神武東征神話に登場する三本足の八咫烏がデザインされています。古代から熊野神社の神鳥として誓紙に記されています。

 先般の京都で見て以来、柴田是真の漆で、二段重の菓子器一面に、金地に漆黒の烏が隙間なく埋め尽くされていたのが頭を離れません。目玉を抜いて下地の金を見せていましたが、サントリー美術館の烏図屏風を真似てあえて目も黒にしました。

もう1枚は最近姿を見かけない平太郎です。この「平太郎」という名前が正しいかどうかは知りませんが、この地方ではそう呼んでいました。小さな干物をさっと焼くと脂がじわっと出て、おつまみに好んだものでした。懐かしの姿を思い出しての1枚です。








焼き鮎

2010年06月16日 | すずめの百踊り
 一昨日の朝日新聞の天声人語氏が亡き獅子文六さんが鮎好きだった話を記して、塩焼きで26匹を平らげた話を紹介されていました。私は50代の頃の3匹が記録です。やはり、器の大きい人は違うと妙なところで感心していました。
 話はその後、江戸の儒学者貝原益軒も養生訓の「珍美の食に対すとも八九分にてやむべし。十分に飽き満るは後の禍あり。」を引いて、これが正しい食道楽である。と結んでおられました。
 十二分にわかっている教えながら、「空腹の記憶」の刷り込みを強く残す戦中派は、目の前に並ぶ食べ物を残すこと、更にはそれらを捨ててしまうことには罪悪感が伴います。まして「珍美の食」ともなれば飽くことなく摂取する仕儀となります。
 これからの鮎は旬を迎えて格別美味しいものです。私も塩焼を第一としています。蓼酢があればいうことなしです。
 獅子文六さんの長良川もですが、この季節、豊後の国は、日田川の鮎がしきりに思われます。

 さてこの塩焼きに食指が動きますかどうか。鮎より山女に見えると陰の声がありました。



 14日の深夜から15日未明にかけてのワールドカップ、対カメルーン戦に時を忘れ、日ごろの節制も何処へやら、ゴ―ル!の歓声とともに祝杯が重なり、加えて睡眠不足が崇り、「後の禍」に苦しんでいます。

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今日の一枚

2010年06月11日 | すずめの百踊り
 一足飛びの真夏の到来で翻弄され、老体は順応しきれません。32度とかいっています。
 体操教室から帰ると何もする気力もなくぼんやりしていましたが、気を取り直して机に向いました。
 庭に今盛りの白蝶草(ガウラ)です。白とピンクがありますが、気を引き立てて華やかな方にしました。
 あとは十薬、どくだみです。毎年の画題ですが今年は横並びです。
 いよいよワールどカップの開幕です。また寝不足の日が続くことになります。








妹を送る

2010年06月07日 | 塵界茫々
 三つ違いの妹が他界しました。40代の終わりから難病患者となり、入退院を反復して30年近くの闘病生活でした。
 この8年間は週3回の透析を受けていましたが、この間に脳梗塞も発症していたので、いづれ別れのときが近いことは、覚悟していました。
 6月2日、透析の途中で意識がうすれ、救急搬送で厚生年金病院に入院しましたが、その夜あっけなく旅立ってゆきました。
 呼吸も脈も安定してきたので、家族に任せて私は自宅に帰っていました。
 次に会った時は、私の体重の半分しかない痩せきった妹は、美しく化粧されて気に入りだった晴れ着を着せられて穏やかな顔で横たわっていました。

 通夜から葬儀と、業者の手によって慇懃な中にも流れ作業でことが運ばれる斎場にあって、次第に喪失感がこみ上げてきました。幼い日の他愛ない思い出の一齣や、最近の病院での老いを嘆くやり取りを思い出しました。そうでなくても口数の少ない妹だけに、口にする言葉は重いものがありました。読書家でもありましたが、病がちになってからは、本も読めなくなったとこぼしていました。私の洋裁の先生でもありましたが、最近は針を持つことも全くありませんでした。辛かったはずの病からも解放された今は、ただ冥福を祈るのみです。








風薫る

2010年06月01日 | 日々好日
 もう六月に月が変わりました。体に痛みを持つ身には辛い季節に入ります。今年は 梅の生りが悪いので梅仕事の煩雑からは解放されます。、

 風薫る五月と呼び習わされていた五月とは程遠い今年の五月でした。
 「空青し山青し日はかがやかに南国の五月晴れこそゆたかなれ」と詠ったのは佐藤春夫ですが、かがやかな日ざしを感じる日は少なく、雨の多い、初夏とは思えない寒暖定めない日が続きました。
 それでもここ二三日、晴れた日は、この季節独特の爽やかさを運んで、風が吹きぬけてゆきます。

 今日は一人居の気楽さで、花菖蒲シリーズに熱中です。二枚目は滲みの激しい紙で遊びが過ぎましたので落款はなしです。