現役で仕事を抱える若い人たちは、遅れて合流し、ご隠居組を残して一足先に帰りました。大学時代にスキーでたびたび訪れたという裏磐梯の景観を案内したいという誘いに乗ってレンタカーの仲間になりました。磐梯吾妻スカイラインの道のところどころに残る雪渓、荒涼とした砂礫の原、標高2000m級の山々に囲まれる殺伐とした浄土ヶ原は冥府を思わせました。
五色沼の磐梯高原まで下ると、風景は一変して、夏木立の繁みでは、工事現場かと疑わせるほどのエゾハルゼミの大合唱でした。歩けるといいのだけどと残念がる湖畔の遊歩道も、ターコイズブルーの一色だけを眺めて、造化の妙に満足していました。山間を走る有料道路はレークラインもすべて解放されていました。
磐梯吾妻スカイライン
帰りの仙台空港出発は4時過ぎなので、時間があるからと、海岸近くまで走ってみました。予想はしていたのですが、潮をかぶった農地の土を入れ替える工事の車が行き交うだけ。一面に広がる荒涼の寒々しい風景は、海岸に近づくにつれ、かつての暮らしを示す基礎のコンクリートだけが不気味にむきだしになっていました。
何にもない中で、そこここに、真新しの黒御影の墓石が林立する塊が目立ち、悲劇の現実をつきつけていました。荒浜海岸は堤防工事がおこなわれていましたが、広々とした平野では、逃げようにも遥かの高台までの手段はなかったと思われます。
誰も無口で、身じろぎもせず、いまさらながら価値観が変わるという呟きが聞こえました。今回の旅の最後が一番強烈な印象で今も頭の中を占拠しています。
何も残さず
明日回線変更の工事がはいります。インターネットも設定をやり直さねばならないので4,5日はお休みになるかと思いますので、慌ててのUPです。