雀の手箱

折々の記録と墨彩画

その後

2013年10月29日 | できごと






思い返せば7年前にも、この季節に同じ厚生年金病院に、連日見舞いに通っていました。この気に入りの銀杏並木のコースを選んで車をはしらせたものでした。
 40日に及んだ入院中、萌木色から日を追って「金色の小さき鳥の形して」散り敷くまでを見届けながら、不安な想いを紛らせていました。

 今年は黄色の発色が鮮やかさを欠いていて黄緑色を残したままで、落ち葉となっているものも見受けます。
 相次いだ災害をもたらした台風の訪れも、さすがに一段落のようで、”行楽の秋”を楽しめる快晴の日が続いていますが、今年は私には無縁です。
 先月に続いて帰ってきてくれた娘と「これから」の相談を、結論の出ないまま繰り返しています。
 幸い、神経系統に障害はなさそうなので、これからは時間が薬のリハビリが待っています。転院の受け入れ先も決まり、個室の空くのを待っています。

 お見舞いのメッセージありがとうございます。



今日の習作

2013年10月23日 | すずめの百踊り
 毎日の病院通いも、1週間が過ぎて慣れてきました。
 コルセットも出来上がってきたので、動くときの痛みもだいぶ軽減しているようです。昨日は外の風景が見たいから、少し歩いてみたいというので、15メートルほどの距離を支えてベランダまで往復しました。テレビと本だけでは退屈するのでしょう。
 明日からは、リハビリのための療法士がついて病室でのリハビリから始まるようで、事前計画のための訪問がありました。寝返りの仕方、起き上がり方の動きをチエックされて、注意がありました。


 少し早目の帰宅で、一人の夕食までには時間があったので、久しぶりに道具を拡げました。
 港町門司港は九州の北端、本州との接点です。今は大正時代の税関や日本郵船の建築物が保存される地域はレトロな街並みとして観光客が多くみられます。現在は海底トンネルと関門橋でむすばれていますが、私の幼い日には、九州の国鉄はここで乗り換えで、下関まで海峡を連絡船で渡って山陽線に乗り換えていました。夏休みを過ごして、満州へ帰る従兄を送りに行った日の港の夕焼けを思い出しながら、前回に続いて今の門司港の風景を構成してみました。












アクシデント

2013年10月16日 | できごと
 我が家では、災いは決って休日に突然やってくるようです。
 体育の日の3連休、母の法事で歓を尽くした後、13日の未明に再々の転倒を繰り返していた夫が、今度はしたたかに尻餅をついて、腰を痛め、手足の麻痺は見られませんが、立ち上がるのが難しくなってしまいました。
 手首の骨折でもお世話になったお医者様とは連絡がつかず、私に処方されていた痛み止めを服用して休日明け一番に看てもらうと凌いでいましたが、14日夕刻になり、遂にたえきれず、体を動かすと痛みが走るので、市の休日テレフォンセンターに電話し対応をお尋ねすると、救急車を手配するようにと言われました。
 この期に及んでなお、救急車のお世話になるのは嫌だなどと言っていましたが、動くと激痛が走るので観念したらしく、お願いするというので、119に電話しました。
 状況を話すうちに、もうあのピーポー、ピーポーの音が受話器から聞こえていて、受話器を置くと間もなくの到着です。

 鎖骨の骨折や、胃の手術でお世話になっているので九州厚生年金病院をと本人が希望し、受け入れてもらえました。
 レントゲン検査の結果は、脊髄の11番と12番の圧迫骨折といわれ、症状が軽減するまで、コルセットの型どりもあるので、外科に1つだけ4人部屋のベッドに空きがあったので入院ということになりました。
手続きを終え、病室に落ち着いて、帰宅したら9時を回っていました。私も、椅子に腰かけながらの居眠りから解放されて、自分のベッドで安眠することができました。

 今年は台風の当たり年と見えて、次々の襲来ですが、26号が惨事をもたらしました。天の齎す災いはいかんともしがたく、被災された方々のことを思うと切ないものがあります。


 ホトトギスが花盛りです。(紀伊上臈ホトトギス)



25回忌法要

2013年10月13日 | 塵界茫々
12日は私の母の25回目の祥月命日でした。奈良の妹夫婦はじめ、6月に結婚した姪夫婦も三連休なのでと、仙台から来てくれました。兄弟の家族だけの集まりながら、21名という賑やかな一族の会合になりました。

 弟の家での法要の後は、迎えの車で、弟が設定した若松海岸の料亭「千畳敷」に向かいました。幸い台風の余波も過ぎた好天にも恵まれ、見晴らしのよい座敷から海を眺め、潮の香を楽しみながらの賑やかな会食でした。
 食欲が落ちている夫も、珍しく箸が動いて、豪華な懐石に、好物の伊勢海老が出て、海の幸を中心の食事を楽しんでいました。松茸の話をしていたら、土瓶蒸しに二片浮かんでいました。

 次の法要の33回忌は、もう自分たちが法要を受ける立場でしょうから、母の法要は今回が最終となる集いと思うと一抹の寂しさも加わって、岩屋海岸の渚に寄せる波を眺めながら名残が尽きませんでした。
 向いの岬の上には、白亜のシルバーケアー玄海の建物を望遠して、お世話になっていた母のもとに毎週通った日々も思い出していました。

母の法要の後の宴

秋を遊ぶ

2013年10月09日 | すずめの百踊り
 海外に暮す知人が、2年前に来日した折に見た京都の秋を懐かしがって、再々メールを送ってきます。
 紅葉にはまだ間があるので、旧年の紅葉の写真に添えて、日本の秋を画いた私の絵を送リました。外国人向けにいつもとは少し調子が違う迎合です。

そのほかに、口直しに画いた季節の絵を一緒にUPしました。















誕生日のお祝い

2013年10月06日 | 日々好日
 リハビリが終わった後、夫の通う施設でも誕生日のお祝いをしていただき、家には娘からお祝いに、好物の「たねや」の菓子の詰め合わせが届きました。山形からもピオーネや巨峰など、大粒の葡萄三種のの詰め合わせが送られてきました。


 
 私からのプレゼントは、和食の懐石料理でした。








 山あいの静かなレストラン「公孫樹の木」を予約して、二人だけでお祝いをしました。89歳になりました。
 広々とした空間は自然の気があふれ、皿倉山からの風もすがすがしく、頃合いを見て供される手のかかった料理を堪能しました。
 今日はカメラを持参しなかったので、小さなパンフレットの写真を転用しました。




  山の中腹のため、たわわに稔る柿の梢の部分が窓いっぱいに広がり、遠景の黒崎の街の建物が、片方の作庭の整然とした庭とは対照的です。デザートの甘味も種類が豊富なのが目新しく、水車のかかる急な谷あいの流れをしばし眺めていました。もうしばらくすると黄色の絨緞となる公孫樹はまだすこし色が定まっていませんでした。


慌ただしくはじまった10月

2013年10月01日 | できごと
 6月に決定された要介護1の更新で再審査が行われるので、夫に同伴して意見書を書いていただく主治医のところへ伺いました。ケアマネージャー、ヘルパーの方と更新には来訪者が次々です。

 診察では体力の低下がさらに進んでいるようでしたが、89歳という年齢を考えれば致し方のない事かもしれません。精々いたわりながら辛抱強く付き合っていくつもりです。自分の体が思うように動かない分、じれったいとみえて、怒りっぽくなっています。
 両親の介護のときとは少し勝手が違いますが、大分慣れてきました。

 気分の転換には、私には絵があります。幸い好きな絵を描いていれば、集中することができるので、気分も変わります。前のように長い時間机に向かっていることはできませんが、小さなサイズの葉書絵は構想が決まれば一気の仕上げですから格好の素材です。


 今日の一枚は、葛にしました。