50年以上、自分が入院することは一度もなくて過ごしてきた身には、病室で過ごす心細さは、丘の上のあばら家で独りで過ごす時間とは違って格別のものがありました。おまけに急患のための最上階9階の4人部屋には一人きりで、隻眼で黒崎の街の夜景と工場群の夜の灯りの風景を眺めていました。
7日朝からの手術は医師が二人、お一人は部長と呼ばれておいででしたから、眼科の責任者の方だろうと思います。執刀の中心は急患で受信した40歳くらいの気鋭で、応対の穏やかな先生でした。局部麻酔ですから手術中の会話も、「早く」とか、「もっと削って」とかいうのもすべて聞こえています。
しかも強制的に開かれている眼には、奇妙な四角形の像が映るだけです。「おでこの方を見て」とか、「下を見てください」と言われて、自覚のないままに眼球を動かしていました。
最初に説明があった通りに、手術は1時間余りで終了し、「無事終わりました。1か月もすればだいぶ見えるようになりますよ。対応が早くてよかったですね。」といわれ、お二人に感謝の言葉を述べ、病室へ車椅子で戻りました。
弟夫婦が説明を受けていて、「よかったね。もう大丈夫だから。」と言ってくれました。
病名は「水晶体融解緑内障」と記してありました。
1週間の入院中、何が辛いと言っても、活字から隔離されて、テレビも音だけ。もっぱらラジオを聞いていました。
幸い手術後も処方された痛み止めも全く必要なく、4時間おきの点眼だけが仕事の毎日でした。目が悪いだけなので娘が差し入れしてくれる珍しいお菓子や、内緒の病院食以外の食事が何よりの楽しみでした。
予約をキャンセルしたので手術を知った絵の仲間が次々にお見舞いに来てくれました。おかげで退屈する暇もなく、毎日朝夕、「順調です。眼圧も10をキープしています。」と明るい声でおっしゃる先生と冗談がいえるほどでした。
「雀の手箱」を訪問してくださる方は、親族も含めて中高年の方が多いようですから、齢を重ねるとはどんなものなのか、あえて病気の様子をご参考までにと記しました。
1日1時間ならパソコンも新聞も大丈夫と許可が出ましたので小間切れで目をいたわりながらの投稿です。
削られた黒目の傷は回復しているそうですが、まだ右目は視力0,2で、どこに行くにもタクシーの世話になっています。
年賀のご挨拶以来のお休みでご心配をおかけしました。
7日朝からの手術は医師が二人、お一人は部長と呼ばれておいででしたから、眼科の責任者の方だろうと思います。執刀の中心は急患で受信した40歳くらいの気鋭で、応対の穏やかな先生でした。局部麻酔ですから手術中の会話も、「早く」とか、「もっと削って」とかいうのもすべて聞こえています。
しかも強制的に開かれている眼には、奇妙な四角形の像が映るだけです。「おでこの方を見て」とか、「下を見てください」と言われて、自覚のないままに眼球を動かしていました。
最初に説明があった通りに、手術は1時間余りで終了し、「無事終わりました。1か月もすればだいぶ見えるようになりますよ。対応が早くてよかったですね。」といわれ、お二人に感謝の言葉を述べ、病室へ車椅子で戻りました。
弟夫婦が説明を受けていて、「よかったね。もう大丈夫だから。」と言ってくれました。
病名は「水晶体融解緑内障」と記してありました。
1週間の入院中、何が辛いと言っても、活字から隔離されて、テレビも音だけ。もっぱらラジオを聞いていました。
幸い手術後も処方された痛み止めも全く必要なく、4時間おきの点眼だけが仕事の毎日でした。目が悪いだけなので娘が差し入れしてくれる珍しいお菓子や、内緒の病院食以外の食事が何よりの楽しみでした。
予約をキャンセルしたので手術を知った絵の仲間が次々にお見舞いに来てくれました。おかげで退屈する暇もなく、毎日朝夕、「順調です。眼圧も10をキープしています。」と明るい声でおっしゃる先生と冗談がいえるほどでした。
「雀の手箱」を訪問してくださる方は、親族も含めて中高年の方が多いようですから、齢を重ねるとはどんなものなのか、あえて病気の様子をご参考までにと記しました。
1日1時間ならパソコンも新聞も大丈夫と許可が出ましたので小間切れで目をいたわりながらの投稿です。
削られた黒目の傷は回復しているそうですが、まだ右目は視力0,2で、どこに行くにもタクシーの世話になっています。
年賀のご挨拶以来のお休みでご心配をおかけしました。