雀の手箱

折々の記録と墨彩画

霜月の会

2009年11月29日 | すずめの百踊り
 カレンダーが平ぺったく壁に張り付くようになり、九州場所が千秋楽を迎えると、何とはなしに気ぜわしさを感じるこのごろ、朝夕の気温差で、庭の楓の色も急に濃くなってきました。
 剪定の終わった庭に散る錦のいろどりは、人の手では生み出せない華麗さです。

 昨日は作品の持ち寄りの日。あまりに色鮮やかなのを惜しんで、剪定で落とされた大きな枝を抱えられるだけ抱えて参加しました。思いがけない紅葉狩りをみなさん喜んでくださって、必要な方たちで分けて持ち帰りとなりました。

 追加の2枚を散々迷った挙句次の2枚にしました。
 折りしも、例年のように送ってくださった山形からのラ・フランサを、写生からはじめて納めた形です。色が描くたびごとに淡く綺麗に、送り主の気持ちを反映して昇華してゆきました。
 干し柿の方は、古い作品の焼き直しで描き改めたものです。







ささやかに紅葉狩り

2009年11月24日 | 日々好日
 堪えず紅葉青苔の地 
 この季節は木の葉の色づきに誘われて、そぞろ心で出歩いていましたが、今年は体の不具合で遠出はできないので、テレビが映し出す紅葉スポットの各地を居ながらの鑑賞です。
 例年なら、小石原を越えて筑後平野を目指すのですが、田主丸の櫨紅葉も秋月城址の紅葉もお預けけになりました。

 それでも、久しぶりの小春日和に、近くの公園を歩いてみたら、気分も軽くなると声がかかって、午後、瀬板の森に出かけました。車で5分の距離です。
 庭の楓の紅葉はまだ色が浅いので期待していなかったのですが、紅葉谷の多種の紅葉はすでに末枯れのものもあり、錦の色合いは段階を分けてとりどりでした。
 どんぐりを拾い、大池に浮かぶ鴨や、対岸のゴルフ場を眺めてしばしの気分転換です。

    瀬板の森公園 紅葉谷の紅葉 画像3枚です

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 帰りに、思い立って、同じ区内の外れにある笹田の喜三郎窯に釉薬を買いにゆくと言い出し、回り道をすることになりました。
 山深く入った場所なので、毎年紅葉が美しいところです。今年も、貸しきり状態で広い庭の紅葉を堪能しました。

   喜三郎窯の庭の紅葉  画像は5枚です

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冬をいただく

2009年11月18日 | すずめの百踊り
 大津絵を何とか仕上げたくて模索しています。本来の軽妙な洒脱さが表現できず、絵に描いた詞どおりの「ひょうたんに似たる思案の猿智慧で、いつ本心のなまず押さえむ」の有様です。

 「思考の整理学」で最近人気が復活中の外山滋比古先生も二十数年前にインプットしたものが突如蘇り花開くこともあるといわれていました。
 凡夫にも可能かどうかは計りがたいのですが、いつの日か鯰を抑えることができる日もくるかと諦めて、今は差し迫っては締め切りに間に合わせてねばなりません。
 寒さの到来とともに、味を増した冬の野菜を“いただく”ことにして、白菜、蕪に下仁田葱と手当たり次第です。
 あと1週間あまり、何を提出するか迷うことにします。まだ落款を押せない道の途中で模索中の野菜たちです。おいしいうちにいただかねばと焦っています。










雨の日の習作

2009年11月14日 | すずめの百踊り
 手をかばいつつ、雨の続く日に描き溜めた中から、今月の合評会に提出する4枚のうち2点を選びました。

 カルスト台地の、秋の平尾台では点在する羊の群れを思わせる白い石を縫って、さわやかな風が流れています。

 今年最後の柿は墨で仕上げることにしました。すこし問題があるかとは思いますが、今の気持ちで仕上げました。物議をかもすことと思います。








時雨

2009年11月12日 | 日々好日


 「しぐれ」とは、語感が好きな言葉です。昨日から時にやみながら降りそそぐ雨は、季節からも正に「時雨」なのですが、風も加わって「しぐれ」のイメージにしては少々荒すぎるようでした。
 俳句の季語では初冬なのでしょうが、まだ庭の樹木は時雨の雨に濡れたりないのか紅葉の色が冴えません。

 しぐれも“蝉しぐれ”ともなれば激しいものだし、“木の葉時雨”に通うような静かな雨に限定して「時雨」と呼びたいのも勝手な好みといわれるかもしれません。ですが、私の語感としての時雨は、やはり、時折さっと通り過ぎてゆく細い通り雨でなくてはならないのです。
 新聞を取りに出た門の前は衣ごと落ちた椎の実が地を埋め尽くす狼藉でした。

 今日は弟に「練習してみたら」といわれて、もらってきた素焼きに藁釉のかかった皿に鉄釉で絵付けを試みて見るつもりです。

 “時雨”といえば、昨年の冬、大琳派展を見に行った帰りに、三井記念美術館で見た「森川如春庵の世界」展で、赤樂の“乙御前”とともに展示されていた樂の名碗、光悦作の”時雨“があったのを思い出し図録を広げてみました。

 古人も「時雨」に寄せる思いを数々のこしています。
 万葉集 巻十 作者未詳
    夕されば雁の越え行く龍田山四具礼に競ひ色はまされり

 古今集 凡河内躬恒
    神な月しぐれにぬるるもみぢ葉はただわび人のたもとなりけり

 謡曲 雨月には
    「時雨せぬ夜も時雨する木の葉の雨の音づれに、老いの涙もいと深き・・・」と謡われて、袖を濡らす時雨は涙に通うものでもあるようです。



写真では黒樂の茶碗、”時雨”の銘の風合いが分かりかねるかもしれませんが、いかにも相応しい命名と感心しました。

櫻紅葉

2009年11月06日 | 日々好日
 生り年だった今年の柿の収穫も木守柿を三つずつ残してやっと終わりました。
 後の月が、葉もまばらの柿の古木の影を庭に線描で描くシュールな形も楽しみました。季節の進み具合もこのところ足早です。

 里の紅葉は、公孫樹の黄金の舞や、雲なす楓の紅にはまだ時間がかかりそうですが、櫻紅葉はもう今が盛りの鮮やかさで散っています。
 櫻は花が風情のある美しさを見せて鮮やかに潔いだけに、紅葉も他の樹木の紅葉とは異なる鮮烈な色合いを見せるように感じます。深い紅は櫨ともいろは紅葉のそれとも異なります。

 春にもまして、この季節は出かけることが多かった習慣も、このところの病院通いでお預けです。
 膝の痛みを軽減するための注射を両膝に、理学療法士の指導で、骨折以来、左右で異なる筋力を均一にするための体操指導を受けると、半日が潰れてしまいます。 手の固定装具も取れませんが、不自由にも慣れてきて、車の運転もできるようになりました。


 折りしも、待ち続けて捉えた櫻紅葉の枝に止まるカワセミを撮影した写真を送っていただきました。
 余りにも美しいカワセミの翡翠の色との対比ですので、お福分けで掲載します。








アクシデント

2009年11月01日 | できごと
 暖かな陽射の午後のことでした。あまりに見苦しいので、五葉の松の茶色くなった古葉を箒で払い落としていました。固定装具をつけていても箒ぐらい太い柄は握ることができます。
 ところがものの10分もしないうち、バランスを崩し足もとが滑ったものか、訳のわからないうちに転倒して、したたかに敷石で頭を打ちました。意識はあったので大丈夫とは思ったものの、大きな瘤が痛くて、冷やし続けました。

 頭髪の毛根のあたりに一面に出血していると、主人が気にして病院に行くように勧めましたが、設備の整った病院の受付は午前中だけです。それに、たかが瘤くらいで大騒ぎしてもと、別段変わったこともないので様子を見ていました。痛みも治まり、腫れも幾分引いてきました。それでも、総合病院のS会病院に行ってみる気になったのは、手の拇指に力が入らなかったのが、もしや脳にも原因があったらと考えてのことでした。

 CTスキャンの検査結果は異常なしで、指のほうはやはり変形性関節症に原因があるようでした。K先生のお墨付きを貰って一安心です。
 「まだ脳神経科に関してはお若い。萎縮もみられません。」と冷やかされて、「運動機能のほうで年相応の年貢を納めています。」と、加齢に拠る膝や手の故障を嘆いて帰りました。

 自宅謹慎を申し渡した人は、自分ひとりさっさと出かけたので、雨の一日、ひとりでぼんやりと図録など広げて過ごしています。