サッカーの試合を観戦するとき必ず思い出すのが、夫の仕事先ブラジルに渡った年の出来事です。
1982年のことですから、今思えば、12回のワールドカップの年で、マラドーナの出現とともにサッカーが今日の白熱したスポーツとなるきっかけになった年です。
当時の日本サッカーは、メジャーなスポーツではなく、日本のプロサッカーリーグが始まったのが1993年ですから、私には何の知識もありませんでした。
渡伯4ケ月目、やっと同じマンションに住む小松製作所から出向していた人たちの家族と言葉を交わし、往来が始まったばかりでした。
ある日、耳をつんざく爆竹の音や、大歓声と共に鳴り渡るラッパの音に驚いて、カーテンの隙間から覗くと、商店はすべてシャッターを下ろした大通りを、ブラジル国旗を振りかざし、ひっきりなしにクラクションを鳴らしながら、トラックの荷台から零れ落ちそうなほどの男たちが熱狂して走り回っていました。
私は目の前の公園で、失業中と思しき人々がたむろして、一日中ぼんやり座り込んでいる姿を目にしていたので、てっきり、暴動が起こったと思いこみました。夫は出張中で、安全を確保するにはどうすべきかを相談するために急いで小松の知人の部屋に行きました。
騒ぎは、ワールドカップでブラジルが勝利し、決勝トーナメントに進出が決まったためと知り、安堵して笑い合ったことでした。
今朝の対コロンビア戦に勝利し、準決勝へと駒をすすめたブラジルでは、きっとあの日と同じ大変な騒ぎになっていることでしょう。ただ骨折でエースのネイマールとイエローカード2枚でキャプテンが出場できない対ドイツ戦が気がかりではありますが。
先ほどお祝いメールの返しでは、カーニバル以上の騒ぎと報せていました。
(以前のブログ、「もののあはれ」の物語 2007年8月の「VIVAブラジル」にも記しました。)