雀の手箱

折々の記録と墨彩画

老木の剪定

2019年11月30日 | できごと
 伐られた老木
 台風の被害に懲りて、すでに幹が空洞化している背の高い老木を剪定してもらうことにしました。少々見苦しくとも、また風で飛ばされた枝などで屋根に被害を生じたり、他所様にご迷惑をかけることがないように、先端を切り詰め、低くし、大きな枝も整理してもらいすっきりしました。来春には若い葉が茂ってくれることでしょう。樫はもう枯れが進んでいて、再生は難しそうなので、根元から切り倒し2t車3台分の産業廃棄物としての処理となりました。






 今年の紅葉狩
やっと一段落の昨日、弟夫婦から、紅葉を見にゆこうと誘いがありました。疲れも残ってはいましたが、この二、三年は紅葉狩りなど無縁に過ごしていましたので、便乗してのお出かけでした。
 東区の河内貯水池まで畑からの山越えで、位毎日仰ぎ見ている帆柱山を越えて、河内へ下りました。帰途は権現山の山越えコースでした。山の紅葉も造化の妙を見せていましたが、目的地の河内藤園の30年を経たものや更には80年の高齢のものもあり、700本余の紅葉は圧巻で、すでに盛りを過ぎているとはいえ、見ごたえのあるものでした。山への勾配に躊躇いましたが、貸し出しの杖を頼りに散り敷いたっ紅葉の絨毯の散策を楽しみました。











過ぎゆく秋

2019年11月26日 | できごと
 リハビリに通う途上、週を追うごとに銀杏の並木が葉を落としてまばらな梢になってゆくのを寂しく眺めています。
 我が家のいろはもみじの紅葉はひどく遅れています。色もくすんで、冴えない姿です。今年は季節の秋をしみじみと感じる期間があまりに短かかったような気がしています。公私ともに事が多かったせいだけではないようです。
 もはや異常気象といえないほどに変貌し、日常となってしまった台風に翻弄され、19号の置き土産に振り回されていましたが、やっと玄関の天井の張替えが始まりました。見苦しいシミがなくなると少しは陋屋もマシになることでしょう。
 工事の邪魔になるものを移動させてすっきり片付いた板敷は、広々として見違える風情です。ものを捨ててしまうことの必要を今更ながら再認識しています。ただ、もう体のほうが気持ちに対応してくれないのが困ったものです。
 カレンダーも心細げに薄い姿を震わせて急き立てるかのようです。









この頃

2019年11月15日 | 塵界茫々
 皇位継承に伴う皇室の一連の慶事も滞りなく進行し、大嘗祭の秘儀も今朝で-終了しました。
 大相撲は、九州場所中ですが、もう出かけることもなくテレビでの観戦です。力をつけてきた若い力士たちの活躍に、ときの移りゆくさまを見ます。
 このところの朝夕の気温が、15度を超す落差で、適応しかねる体は、血圧の激しい上下を示し戸惑っています。これが体の示す正直な現象と、あるがままに受け止めています。ただ意欲まで低下するのがなんとも情けなく、投げやりになる自分を持て余します。

 書き溜めた墨彩画を選択、整理しながら、自分なりの歩みを振り返っています。新旧取り混ぜて季節ごとの思い出の草花などです。今日は亡き妹がこよなく愛したツワブキです。
















秋の彩り

2019年11月06日 | すずめの百踊り

 久しぶりの作品です。台風17号、19号と、振り回された後始末もどうにか目途が立ち、少し落ち着いた時間ができました。
 朝夕の冷え込みに、空調を必要とするような日々ですが、日中は秋晴れのさわやかな陽射しで、家事もいくらか捗ります。
 柿は鳥たちの御馳走に少しずつ消えていきますが、それでもまだ40個くらいは形を留めています。

 沖縄の首里城で、正殿はじめ多くの遺産が灰燼に帰したのは10月31日の夜明け前でした。30年余の歳月をかけてやっと復元に一区切りがついたばかりなのに本当に残念です。夫と訪れた日、日本の城郭建築とは全く趣を異にする赤い独特の、琉球文化のシンボルとしての佇まいだったのを懐かしんで貧者の一灯を投じました。一日も早い復元の日が訪れますよう願ってやみません。











老木無惨

2019年11月01日 | できごと



 先の颱風17号で幹が断裂し、無惨な裂け目をさらしていた椎の老木が半分伐採されました。200年近い年月を生きてきた老木は、折れた太い枝を二股に分かれた上の方に絡ませた状態で宙に留めていましたので、いつまた落下して、崖下の家の屋根を破るようなことがあってはと、撤去が決まっていました。
 昨日はクレーン車が2台、切断された枝を宙吊りにしてトラックに運ぶ大型と、チェンソーで切断すための人が乗る小型クレーン車です。朝8時半からお酒と塩でお清めが行われ、総勢4名のフル活動で1日がかりの作業で出たものは、2トン車4台分が産業廃棄物として運ばれてゆきました。
 当初の説明では3段階に分けて、時間をおいて少しずつ切り詰めてゆくということだったのですが、緊急を要する部分を切断してみると、中の空洞化が進んでいて、やむなく二股の分かれ目のところから一気に切断ということになりました。
 朝夕見慣れた風景が一気に変わり、門の上の覆いかぶさっていた枝もすっかり姿を消しました。なんだか半裸状態になったみたいで、門の周りが殺風景ですが、安全のためにはこれも致し方ないことでしょう。
 それでも、ここに暮らし始めて70年近い年月、坂を上がる目印となり、木陰に憩い、帰ってきたと実感してきた老木との別れはつらく、寂しいものがあります。切株から10年もすればひこばえが生えてまた違った姿になるのでしょうが、それを見ることはもう叶いません。