雀の手箱

折々の記録と墨彩画

如月の日々

2020年02月16日 | 塵界茫々


 雨の週と暖かな日差しに恵まれる日が交互に繰り返される日々です。先月末からのすべての検査が終了し、思わしくない結果がでました。
 やはりブログも、このあたりで幕を降ろした方がよいと考えます。
 好奇心から初めてマウスに触れた70代後半、偶然受講したパソコン教室で、全員で作成したブログでしたが、十数人の受講者中、今まで、とぎれとぎれでもブログを継続しているのは最高齢だった私ひとりとなりました。私も「もののあはれ」の物語を、80歳で一旦閉じましたが、遠く離れて暮らす近親者への安否確認の近況報告を兼ねて「雀の手箱」で再開しました。
 お目にかかったこともない方たちから励まされ、旧知の友にもまさる慰めのお言葉を頂いては、人の心の暖かさにも触れることができました。よる年波の自然は逆らえず、自らの老耄に唖然とすることもありましたが、夫に先立たれて以来緊張の糸が切れたようで、病院通いが増えました。何度もブログを閉じようとしたのですが、絵の仲間たちからの誘いもあって今までどうにか続けてきましたが、中心だった指導者が亡くなり,会も活気を失いました。健康状態もあり、卒寿を期にブログを単位不足のままですが卒業とさせていただきます。
 本当に長い間ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。

          馥郁たる梅の香漂う日    ふくら雀



      好きな中唐の詩人薛濤の春望の詩を最後にお贈りします。

     
風花日將老 佳期猶渺渺
      
不結同心人 空結同心草

風花日にまさに老いんとす 佳期なほ渺渺たり
同心の人を結ばず 空しく同心の草を結ぶ

  

この頃

2019年11月15日 | 塵界茫々
 皇位継承に伴う皇室の一連の慶事も滞りなく進行し、大嘗祭の秘儀も今朝で-終了しました。
 大相撲は、九州場所中ですが、もう出かけることもなくテレビでの観戦です。力をつけてきた若い力士たちの活躍に、ときの移りゆくさまを見ます。
 このところの朝夕の気温が、15度を超す落差で、適応しかねる体は、血圧の激しい上下を示し戸惑っています。これが体の示す正直な現象と、あるがままに受け止めています。ただ意欲まで低下するのがなんとも情けなく、投げやりになる自分を持て余します。

 書き溜めた墨彩画を選択、整理しながら、自分なりの歩みを振り返っています。新旧取り混ぜて季節ごとの思い出の草花などです。今日は亡き妹がこよなく愛したツワブキです。
















秋たつ気配

2019年09月12日 | 塵界茫々
 早いものでもう暦は長月も2週目、昼間は30度に達しても、朝夕は冷房も不要の日もあります。今年の夏はすっきり晴れた夏空を目にすることも少なく、南国のスコールを思い出させるような雨に見舞われる日が続いて、蝉たちの大合唱もあっけなく過ぎたようです。
 大型台風がもたらす気圧の大きな変動は痛みを持つ身を攻めて、体調管理ができかね苦しんでいます。更に「やる気」がなかなか起こらず、片付けねばならない本箱も、一旦手にした本を開くともう駄目で、そこで片付けは中止になってしまう始末。一種の発達障害かもと自分から思ってしまいます。物忘れの状態から推して、もし認知症を発症したらとか、更には、夫のように突然の旅立ちが生じたらなどと、自分が遭遇して困ったことを子供たちに味わわせることのないようにと、最低限の記録を作成中です。
 ささやかな貯えの在りどころや、遺言、写真、カードの所在と暗証番号、各種料金の引き落としの口座と書き出すこともたくさんです。役所関係は決まった手続きで、すでに経験済みだからこちらは省いてもどうにかなるとして、私的なこまごましたID,パスワードといったものが結構面倒です。
 遠慮がちな虫たちのコンサートを夜長月に楽しむためにも、早く片付けたいものです。明日は中秋の名月。どうやら晴れの予報です。庭では早くもお彼岸の到来を告げる彼岸花が咲き続けています。




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作品の整理

2019年08月27日 | 塵界茫々
 お盆の賑やかな日々から、一気に一人暮らしに戻り、また日常のペースでの日々が始まりました。ご隠居暮らしになった妹夫婦が少し遅れたけれどと、奈良からお参りに来てくれました。聞けば交代での運転で、途中1泊して鞆の浦や広島周辺を観光しての九州入りだったようです。

 長年の画友たちの他界がこのところ毎年のように続いています。そこで、私も遅まきながら30冊を超えるファイルブックの大量の絵を整理し始めることにしました。
 テーマごとにファイルしなおすことから始めると、初心のころのたどたどしい心細げな線や色遣いで一生懸命に描いているそのころを彷彿して捨てる手が止まってしまいます。年賀状のための何枚もの下絵や構図、合評会での好評だったもの、自分では自信があったのに不評だった絵。その折々に寄せられた言葉までも蘇ります。
 今日はその中から、季節の花のうち朝顔の数枚を選んでみました。



















遺された作品

2019年08月04日 | 塵界茫々
 2003年、7年間過ごしたブラジルに、仕事のある夫を残して義父の介護のために帰国したころ、市内の展覧会で偶然目にした墨彩画の強烈な線と、洒脱な表現にひかれてグループに参加させていただき、以来十数年が経過しました。
 メンバーは個性的な人が多く、それぞれが自分の領域を持っていて、合評会では一歩も引かない主張が楽しくて愉快でした。私が最年長です。
 このグループの中心的な存在で、いわば指導者的立場だった70代のNさんが先月末に旅立ちました。2月ぐらいから食欲不振を口にされていましたが、余命2年の肺癌の宣告が出てから僅か四ヶ月のことでした。
 折に触れての幅広い教養に教えられることも多く、画題も多岐にわたり多彩でした。提出される絵に共感すると、惜しげもなく「気に入ったならどうぞ。」と労作をいただいたものでした。
 このところ同級生の友人の他界も今年になって3人です。齢90歳の卒寿ですから当たり前なのでしょうが、やはり痛切なものがあります。葬儀の会場を後にするときの寂寥は何日も後を引きます。


 今日は頂いた作品のなかから、今の季節のものを何点か選んでの遺作展です。














春の訪れ

2019年03月15日 | 塵界茫々






このところ、古い友人の訃報が続いて気持ちも沈みがちで絵筆を執る気にもなりません。それでも、季節は確実な歩みを辿っていて、梅が散ってしまった庭で、櫻の蕾がそれとわかる気配を見せています。
 毎年の事ですが我が家では3月3日の雛祭りを月遅れで行います。内裏様もあえて関西風に右に男雛、左が女雛で飾ります。このころになってやっと春らしい花が咲きそろうのも楽しみです。
 今年は、早々と2月に薄紅の馬酔木が咲き、今は白の馬酔木が花盛りです。
 好きな貝母百合も咲き揃い、土佐水木は特色のある姿で揺れています。気の早い射干もちらほらと咲きはじめていますし、櫻の開花も早くなると予報されています。すべてのことが急ぎ足のようで落ち着けません。自分の老いの自覚を突きつけられるようなしくじりがかなり増えてきました。
 春秋左氏伝の諺に、老将知而耄及之 「老いて将(まさ)に知ならんとして耄これに及ぶ。」というのがあります。齢を重ねれば、経験がその人を知恵者にしかける。ところがちょうどそのころ、耄碌もまたその人に追いつくという意味の諺です。大した経験も智慧も乏しいままに、老耄が追い越してゆきます。せめて庭を彩る花々をめで、愁いを掃うとします。





トラブル

2019年02月08日 | 塵界茫々
 windows7を購入して8年が経過しました。セキュリティーのサポートもなくなるそうなので、買い替えかとも思案しますが、さてこの後何年パソコンに付き合ってもらえるか、そろそろブログも幕引きの時が来ているのかと心もとない限りのこのごろです。
 ユーザーの老耄に歩調を合わせて、この相棒も相当くたびれてきて、この頃は頻繁にサボタージュです。今日も、メールの最中に文字入力がおかしくなって、奇天烈な日本語らしき意味不明なものが並び、さては認知症発症かと仰天しました。触った覚えもないのに、kana入力になっていました。
 徒然のよき友を手放すのは侘しい限りだし、日用品の買い物の注文も早速に不便になるので何とか宥めすかして動いてもらわねばなりません。スマートホンに切り替えるのがいいのでしょうが、新しいパソコン同様、慣れるまでにどれほどの時間がかかるかと思うと踏み切れないでいます。何かいい対処法はないものでしょうか。
 複合機のプリンターへの送信も色の具合がおかしいのですが、何とか用は足せているので、我慢して付き合ってもらっています。雨の日のすさびを何点か選びました。
 節分の日の、ヒイラギ鰯は、私の地域ではまず見かけませんが、奈良の妹のところでは普通に、家々の門口に魔よけで掛けられていました。毎年の鬼さんに替わっての登場です。
 おせちの栗きんとんの出番も無くなった梔子の実ですが、形と、色が鮮やかなので写してみました。蝋梅はもう香りが薄らいでいますが、まだ咲き続けています。


















またしても

2019年01月30日 | 塵界茫々
 朝刊を開いて、またしてもの訃報に驚きました。橋本治さんが享年70才での旅立ちです。
 平成の時代と共に他界されるとは・・・

 おもえば、あの驚きの東大在学中の駒場祭のポスター「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへゆく」に惹きつけられて以来、次々に世に出る作品に目のくもりを吹き飛ばされ、驚くるばかりで、自分の古臭い固定観念に喝を入れられる著作を喜んでいました。「草薙の剣」に戦後の思いを反芻し、「桃尻語訳枕草子」の斬新な現代語訳に、これぞと強く共感したものです。
 時代を見つめる独特の視点は貴重な存在と尊敬していました。まだまだ多彩な発言を期待していましたが残念な早逝です。合掌









去りゆく方たち

2019年01月25日 | 塵界茫々
 このところ、好ましく思って敬愛していた方たちが相次いで亡くなります。昨年の秋、独特の死生観を貫いて凛として生き抜いた樹木希林さんに始まり、平成最後の今年になって、14日には「隠された十字架」「水底の歌」の梅原 猛さん、市原 悦子さん。少し前には、「世界の旅」で、旅への憧れを誘ってくださった兼高かおるさんも永遠の旅立ちでした。

 ひるがえって、いたずらに齢を重ね、今年はもう90歳を迎える恥多い自分の生き様を省みる機会が多すぎます。遠くないその時を思い煩っても致し方ないとばかり、今日も外出せずに枯れ芙蓉に向かいました。
 枯れようも各様、一つとして同じ姿はない実芙蓉ですが、中にはうっすらと紅をさすものもあり、綿毛に包んだ種に未来を託して、風と共に飛翔する日を待っているようです。
 庭の片隅ではクリスマスローズが花を開き始めました。どこかまがまがしさを持つ葉の広がりと、花の妖艶さの不思議な姿です。










月日は百代の過客にして

2018年12月28日 | 塵界茫々
 災害の多発と経済の波乱に明け暮れた一年でしたが、喪中に在った私にとっては、この一年は仏事と後始末で慌ただしい時間が猛スピードで過ぎてゆきました。
まだ、片付かない雑事もあり、多趣味だった故人の道具類や荷物は、早々と処分する気にもならず手つかずのままです。一周忌の法要を区切りにしようと娘とも話し合ってはいますが・・・

 今年最後だからと誘われて参加した絵の仲間の例会で、来年からは復帰をと強く勧められ、体力的にどこまで続けられるかはわかりませんが、またその気になっている自分に半ば呆れてます。

 今年最後の二枚です。ゆきかふ年もまた旅人と、しみじみ感じながら、今年の納めといたします。
 皆様には佳い年をお迎えくださいますように。年頭のご挨拶はご遠慮申し上げます。