雀の手箱

折々の記録と墨彩画

行く年

2014年12月30日 | 塵界茫々




 今月初めの朝日新聞の文芸時評の欄で、評論家の中山杜秀氏が、瀬戸内寂聴さんの「死に支度」を取り上げ、「痛快きわまりない。劇的な体験、人生の年輪、そして老い。何がきっかけでもあれ、生まれ変わることはよいことだ。その回数が多ければ多いほど人生は豊かだ。」と結ばれていました。
 平凡な人生の年輪を刻んで老いを迎えた私ですが、それでも八十五年という時の経過はそれなりにさまざまな人間模様が刻まれて身に染まっています。
 寂聴さんのような生き方は、憧れであっても、踏み切れないまま、生まれ変わりそこねて中途半端な生き方をしてきました。
 仕事の上では時に筋を通して意地を張り、角を立てて窮屈な生き方をした時もあります。逆に情に流され、妥協に屈したりと、山ほどの後悔や、慙愧の束が心の底にオリとなって沈んでいます。
 これは、多感な十代を戦時中に過ごし、多くの不条理の死も目にし、戦後には価値観が逆転する様を身を以て味わう混乱の中で、すべてが欠乏し、殊に実家を離れての学生生活では空腹の苦しみを十分に味わいました。どうやらこの辺が原体験のような気もします。来る年は終戦から70周年の節目の年です。

 師走は一年の締めくくり。今年は私には特別な年でした。一月早々からの思いもかけなかった眼の手術で二回の入院。それを皮切りに、肩が上がらなくなり、手指も不調をきたし、切迫する「老い」に、自覚と覚悟を迫られた一年でした。
 風邪くらいしか病院には縁がなかった身が、毎週の病院通いに明け暮れていました。昨日で今年最後のリハビリが終わりました。

 毎年師走に入ると喪中ハガキで知る友人知己の他界の報せも寂しい限りです。今年は12枚のハガキが届きました。
 すぐ近くの出身で、妹と東筑高校で同級だった俳優の高倉 健さんも、早くも旅立れました。立っているだけで絵になる存在感のある方でした。

 今は終末への道のりが、できるだけ平穏に軟着陸できることを神仏に祈るのみです。

 こうした中にも慶びはあるもので、四月に曾孫の誕生を迎えることができました。元気な姿に接して、生きる幸せを実感したことです。

 みなさまにとって来る年が明るく、健康で心豊かに過ごせる年でありますようお祈りします。励ましをいただいたこの一年のご訪問を感謝して今年の納めといたします。ありがとうございました。







クリスマス・イブの日

2014年12月24日 | 日々好日


 かつてキリスト教徒が圧倒的に多いブラジルに暮らしたので、クリスマスの季節になるとやはりそれを意識します。
 教会があると、そっと小さく十字をきる習慣は、もうすっかり忘れ去り、消滅していますが。クリスマスのミサに誘われて教会で過ごした時間を懐かしみます。

 ささやかにイブの日のしつらえをして、二人だけの、いつもとは違った「ハレ」の食卓を用意します。我が家には珍しいケーキも今日ばかりは登場します。ただし今では二人分を買ってきたものです。

 クリスマスが過ぎると待ったなしでお正月の準備です。この緊張感が一つの節目を構成しているようで、「年の名残り」を告げてくれます。
 ケーキを焼かず、ツリーも組まなくなって久しいのですが、今宵ばかりは蝋燭が登場します。友人たちもクリスチャンが多いので、Mary Xmasのカードが今年も届いています。

 昨日は造園業者が年末の手入れに来てくれて、紅葉を始め、大量の落ち葉を片づけてくれたので庭も見違えるようにきれいになりました。

 夕刻から雨になりましたが、山の方ではホワイトクリスマスの雪でしょう。


  

何事もなきように

2014年12月20日 | 日々好日
 師走の空風がこの季節を象徴してせわしなく吹きすぎています。遅々としてはかどらなかった師走恒例のご挨拶もどうやら済ませ、新しい年を迎える準備だけとなりました。
 といっても、世捨て人同様の暮しではたいしたこともなく、おせちも、昨年から博多の老舗料理店のもののお取りるようになりました。一抹の寂しさもあります。
 掃除は、ヘルパーさんの手を借りた掃除でずいぶん助かっています。こうして人様の手をお借りして、どうにかやりくりがついている次第です。

 昨年の年末は、転倒、骨折とあわただしい日が続きました。今年は何とか無事に年越しができるような気がしていますが、まだ油断はできません。

 二人とも該当する年齢で、市の通知をいただいていたので、肺炎球菌の予防接種を受けましたが、これも無事に済んだようです。
 22日は冬至。御世話になる柚子を心を籠めて写生してみました。












寒い一日

2014年12月15日 | すずめの百踊り
衆議院選挙も、かねて予測されたとおりの結果で終了しました。余りにも偏ったこの結果が果たしてこの国のこれからにとって吉なのかどうか、少しの不安を感じています。

 巷では年賀状の用意も進んでいるようですが、寒さにくすんで、なんとなく気乗りがしないままです。松、竹、梅。と繰り返してきた賀状は来る年は梅になるはず、もうこの先いつまで出せるかと思うと、来年の梅を琳派風で仕上げようかと思案しています。

 整形外科での注射とリハビリから帰宅して、今日は思い立って若冲をイメージして蕪を描いてみました。今一枚は好きな河豚です。










 北側の裏木戸の周りの紅葉が、今が最後の見ごろとなっています。斜面では蕗が大きくなってきました。蕗の薹もそう遠くはないでしょう。









今朝の庭

2014年12月09日 | 日々好日
 門まで新聞を取りに出たおり、足元の吹き溜まりにたくさんの「冬の便り」が届いているのに足を停めて、しばらく見つめていました。

 水仙もぽつぽつと灯りを点しはじめています。花八つ手はこれからが出番です。谷では藪椿も気配をみせていますし、乙女椿の蕾はうっすらとうす紅に染まっています。その隣では造化の妙をみせて、令法(りょうぶ)の葉は千変の彩りを作って、見事です。散りゆくものとこれから芽ぐみ花開くものと、引き継がれる季節の行き合いを見ました。

















時雨の日のつれづれに

2014年12月03日 | 雀の足跡


 師走に入って以来、時雨の日が続いていますが、今日は霰交じりの氷雨も降っていよいよ冬将軍のお出ましです。 
 手指の具合がだいぶ良くなってきたので、またやりたかったことを始めています。
 必要に迫られてのミシン仕事や、繊細な表現の絵などなどです。

 今日は山帰来に赤い実がついていたので切りとってきて、備前の鶴首に入れて写生しました。昔から毒消しとして知られていますが、試した人はいるのでしょうか。俳句では山帰来の花が春の季語のようです。淡い黄緑色の花をつけます。

 カレンダーも最後の一枚となり、空調の風に揺れる姿に過ぎゆく年の哀愁を見ています。
 今年は1月早々から、眼の2回の手術で入院を体験し、身に迫った「老い」を突き付けられた年でした。










山帰来はサルトリイバラのことで当地では5月の節句のころ、ガメギノ葉と呼んで、柏餅の柏の葉の代わりに使用します。