雀の手箱

折々の記録と墨彩画

早春賦

2012年02月26日 | 日々好日
 遅い春の訪れを探して、陽射しの戻った日には庭に出てみます。待ち遠しい梅の開花も半月以上も遅れています。
 踏みしだかれた蕗の群落の中で、蕗の薹は、次第に茎を伸ばして花が開こうとしています。
 椿は地に落ちて赤く燃え、山際の藪椿は今が盛りです。何種類かある椿の中でやはり藪椿を好みます。

 猫柳と、クリスマスローズが遠慮がちに開き始めています。もうすぐそこまで春は忍び足で近づいていました。




春浅く

2012年02月21日 | すずめの百踊り
 思いがけず雪の朝となり、木々も雪をかぶって白い世界が広がった日、関東から九州にも雪が積もることがあるの。とメールが届きました。年に23回あること、記憶ではこの数年では13センチの積雪が最高だったこと、今年も初雪ではないこと、雪国の方のようなご苦労とは無縁で、大方は日ならず消えてしまうことなどを返信しました。
 それでも、寒さは痛みを持つ身には覿面で堪えます。可能な限り温めていたわりながら絵を描いて遊んでいます。
 今年から、庭の手入れを隔月の年間契約にしたため、1月に、柿の枝や木の下の茂り放題の斜面が刈り掃われ、さっぱり片付いたのはいいのですが、蕗も刈られ、踏みつけられた後に、例年よりも数は少ないながら、健気に哀れなフキノトウが顔を覗かせています。
 梅の開花が半月も遅れています。庭の老木もまだつぼみも固く、備後梅だけが、枝に一二輪数えるほどの、「梅一輪一輪ほどの」春を告げています。
 寒あやめはけなげに凛と顔を上げ、土佐水木は、つぼみを膨らませて春の到来を歌っていました。











二月の例会

2012年02月15日 | すずめの百踊り

 春は名のみの寒さに作品も少なく、ちょっとさびしい例会でした。


 昨年秋からの依頼の作品を模索していましたが、今の自分に描けるのはここまでと開き直って、やっと発送することができて肩の荷がおりました。のどかな気持ちでくつろいでいます。
 友達のブログも更新が少なくなり、格調高い記事を楽しみにしていた雪月花さんのブログも休止で、寒さが一段と身にしむことです。、








 








モリカズ展

2012年02月10日 | 雀の足跡



 隔月に帰省して、足の不具合を案じて何かと手伝ってくれる娘が、到着した北九州空港のロビーに置いてあったからと、熊谷守一展のチラシを持って帰ってきました。
 昨年秋から期待して待ち続けていた憧れのモリカズですが、開催に合わせるかのように踵骨棘の激痛で、気になりながらも寒さの中を出かけるのを躊躇っていました。
 9日が九州歯科大の定期診断の日だったので、娘を保護者に、同伴での小倉行きとなりました。
 会場の北九州美術館分館は複合施設のリバーウォーク北九州の5階にあります。(6階には先日狂言の会があった芸術小劇場もあります)

 今回の展示作品170点は、制作年代順に90代の最晩年に至るまでの代表作や、個人に愛蔵されている作品が網羅されていて見応えのあるものでした。
 東京芸術大学を首席で卒業した時の自画像から、モリカズ様式が確立してゆく道程もつぶさに目にすることができました。
 仲間内では私のモリカズへの憧憬はよく知られていますが、それは「画壇の仙人」と呼ばれた守一の、私とはおよそ対極にある超俗の生き方に、強く惹かれるからです。
 そして、守一の引く線は、見ることに徹しきった末の思いっきりであり、意図した単純化などとは異質の潔さで、内に籠る力は、身震いするほどの強さを秘めて揺るぎがありません。

 ブログ上の心友、蛙さんにいただいた没後30年の図録で、繰り返し眺めては何度か真似てみたりしていた数々の作品群が、いま目の前に、艶やかな潤いをもって存在している事に興奮しながら時の経つのを忘れて佇んでいました。
 晩年の作品と、書や日本画、水墨などは4階の展示場で、階段での移動に苦しみながらも、「へたも絵のうち」の言葉と、生き物の命に寄せる温かで熱い眼差しにやわらかく包まれて、心豊かな充足した鑑賞の時間でした。
 娘は、初めて見るドクダミの白い花ビラの芯がターコイズブルーで塗られた絵の前で長く足が止まっていました。私はやはり自分がリトでもっている桜とウソの鳥を描いた油彩に目がいきました。春近い日、唯一持っている軸「山依水遠」の守一の書を床にかけ替えるるとします。
 
 詳細はこちらからお入りください。





冬の特別展

2012年02月06日 | 雀の足跡




 「いのちのたび博物館」で開催中の「大内文化と北九州」に病院の帰りに重い足を引きずって行ってきました。自宅から車で10分あまりなのですが、めったに出かけることのない博物館です。

 湯本温泉へ出かけるときは必ず立ち寄る大寧寺が大内氏終焉の地であることぐらいは知っていましたので気になっていました。あらためて失われた大内文化への認識を新たにさせられたことでした。

 室町時代、広大な領国を支配した大内氏は、9世の弘世(1325~1380)が、山口を拠点に、京の街並みを模倣した街づくりをして「西の京」と呼ばれて以来、16代義隆(1507~1551)が大寧寺の変で自刃して滅亡するまで、北山文化、東山文化と大陸文化を融合した独自の文化をはぐくんできました。今にのこる国宝の瑠璃光寺五重塔や、常栄寺雪舟の庭がそのシンボル的存在です。町の通りは、今も“大殿大路、竪小路、築山小路”などと呼称されています。
 山口には、応仁の乱で荒廃した京を離れた公家や文化人の多くが大内を頼って来訪していて、一時は京をもしのぐほどの繁栄だったようです。そのは繁栄ぶりは山口に滞在したフランシスコ・ザビエルも書き残しています。

 この反映の基盤は、、大内氏が商業地博多、港町門司を支配し、その貿易や、銀山開発の運上益を背景に、貿易で大きな富を蓄積していたことがあるのでしょう。成化の勘合、正徳の勘合を手に入れ、後期には「日本国王之印」の通信符を用いた対外貿易を独占しています。
 歴代の当主は文化の伝承、保護にもつとめ、今に大内塗、赤間硯の技が生きています。


 特別公開の「倭寇図巻」と「抗倭図巻」、ほか、芦屋釜3点、国宝の雪舟の牧牛図や「日本国王之印」と見事な印箱、精巧な細工の螺鈿の文台や経箱、硯箱。朝鮮国通信符など。その他、県や市指定の文化財が80点余展示されていました。

小さな博物館の冬の特別展は、12日までです。詳しくお知りになりたい方は次のサイトから入ってご覧ください。
http://www.kmnh.jp/



墨の遊び

2012年02月02日 | すずめの百踊り
 雪の予報で用心して食糧も十分に買い込んだので、小止みつつ時に降りくる雪の日を、墨の香の中で過ごしました。
 紙によって変わる墨色を面白がって次々に引いては、思い浮かぶ情景を絵に作っていく遊びです。中には思いがけず霧の桂林を彷彿したり、冬空になったり、冬の海にしたり、抒情的な空想の風景を楽しみました。一連の遊びです。
 ときどき真面目に描いてみたり・・・・・