雀の手箱

折々の記録と墨彩画

はつ夏のころ

2015年04月28日 | すずめの百踊り


 暮れてゆく春の名残りを惜しむ間もなく、季節はすでにはつ夏へと急ぎ足です。今年は例年より少し藤の開花が早かったようです。もう、急な階段を上る吉祥寺はもちろんのこと、浄光寺の藤も無理なので、以前の写真で藤の甘い香りを懐かしみ、揺れる花房を眺めています。

 牡丹の妖艶もいささか圧倒される思いがしていますが、何とか形にと試行錯誤しています。蕪村の句を抱いて、まだイメージしている姿とは違っていますので、落款も押せずにいます。








 曾孫の初節句で、愛らしい姿に元気をもらっています。何枚か描いた中からどれを送ろうかと迷っています。賛も何としたものかと。






  金の色ははじくようで、地塗りした臙脂との重なりも、さなきだに迷いの筆が見苦しくなっています。ご寛容のほどを。





久しぶりの例会

2015年04月18日 | すずめの百踊り
 グループのTさんから誘いのメールをいただいていました。、夫がデイサービスに出かける日と重なった今月、久しぶりに皆さんの顔を見て、その作品も拝見したくてて出かけてゆきました。
 メンバーも新しい人が二人加わっていて、会話が弾みました。それぞれに自分の世界が出来ていて、落款なしで誰のものかわかります。

 私も遠慮していたのですが、最近庭の草花を描いたシャガと、都忘れ、まだ物足りないのですが牡丹を提出しました。牡丹はまだこれから枚数を重ねていくつもりです。
 皆さんの作品を拝見して、刺激をもらい元気も出ました。




















春の拾遺

2015年04月12日 | 日々好日




 庭ではシャガが盛りを過ぎ、都忘れや、十二単が咲き、ツツジも次々に咲きはじめました。季節は次なるステージへと静かに幕を開け始めているようです。

 花に浮かれ、疲労も重なり、画像ホルダに入れたまま更新もせずに放置していた画像や絵の中から今年の春の名残りを何枚か拾い集めました。




















>








櫻によせて

2015年04月05日 | 雀の足跡
 古人も「絶えて櫻のなかりせば 春の心はのどけからまし」と屈折した桜への思いを述懐していました。花の命は短くて「花に嵐」のたとえ通り、今日は激しい雨模様となり、開花予報以来、何かと気をもませていた満開の花は地にたたかれています。皆既月蝕も見ることはできませんでした。

 二日の木曜日、主人の体調がよく、天気ものどかに晴れていましたので、成田山にお花見に出かけました。
 まさに花盛りのこの日、三里松原から玄界灘を望むお寺も賑わっていました。










 下の三枚は、所用で中間市役所まで出かけたついでに、春雨にけぶる埴生公園でほとんど人気もなく満開の桜を独占してきました。桜の好きなブラジルの友人のための恰好のスナップが撮れました。

 満開の桜がもたらす神秘的なまでの美しさは、一種の不穏な幻想を呼びおこします。謡曲の「西行桜」の老桜の精の翁も出て来そうで、ふと、梶井基次郎のように「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と思いたくなりそうなひと時でした。