早春賦 2015年01月23日 | 日々好日 春の先駆けを香りとともに知らせてくれるのは、我が家では、やはり蕗の薹です。今年は例年より少し遅れているような気がします。 この季節の味わいを探す時に思い出すのは今は亡き時実新子さんの「さがしあぐねし蕗の薹かも己かも」の句です。 山頭火よろしく「蕗のとうことしもここに蕗のとう」と探し当てた今年最初の蕗の薹はです。親指の頭ほどの大きさでした。 ほろ苦い味わいは、香と色合いとを愛でて、私は天ぷらが一番と調理しますが、夫は荒微塵に刻んで、赤味噌で練り上げた蕗味噌が好みです。
20年前の1月17日 2015年01月17日 | 塵界茫々 阪神淡路を中心に関西に甚大な災害をもたらした1月17日、私は東京にいました。1月半ばから10日ほど、ドイツのフランクフルトに仕事のために出かける娘のところに、子供たちの世話をするための留守番でした。 ドイツでも大きく報道されたようで、心配して電話がかかってきました。上の子が小学校6年生で、帰宅しての報告では、校長先生が朝礼で、神戸の方で大きな地震があったこと、幸い亡くなった人は少なかったと、言われたそうです。 当初は状況も十分には判明しておらず、これほどの規模とは思いかけない突然の災害でした。 この日、繰り返される消えることのない悲しみは、戦争被害を経験してきた身には、被災地でなくても切実なものとして伝わります。この悲しみは再び東北で繰り返されることになりました。 いくさとは異なる自然災害の前では、如何ともしがたい人間の営みは、いかにもろくはかないものであるかを突きつけられます。 鎮魂の一日を過ごされる方々に、明るい日が戻ることを願うのみです。 太宰府では飛梅が1輪咲いたと報じられました。まだ蕾の我が家の梅を切って手向けとしましょう。
春を待つ 2015年01月10日 | 日々好日 七草も過ぎ、松飾も取れたというのに、暮に喪中のお知らせをいただいていた友人や知人への寒中見舞いも出せずにぐずぐずしています。 年々物事の処理が遅くなる自分のもどかしさに苛立ってしまいます。 快晴続きの休日、庭では蝋梅が盛りを過ぎようとしています。水仙は今が盛りの時。馬酔木は赤紫の蕾への筋目を見せて、春の訪れを待っていました。 谷の南側では藪椿が花をぽつぽつと開いています。蕗の薹は今年は遅れていてまだ親指の爪ほどの大きさで覗いています。 記事をUPしたつもりが、下書きに入ったままになっていました。
謹賀新年 2015年01月02日 | 日々好日 あけましておめでとうございます。 新しい年はうっすらと雪化粧して明けました。古来、元日の雪は豊年の瑞祥と言われてきました。皆様にはよい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。 今年は、昨年のような自然災害のない、穏やかな年でありますようにと祈念します。 昼ごろにはすっかり雪化粧も落ちて、寒い一日でした。 年賀状も、夫は昨年卒寿を期に辞退の挨拶をしたので、今年は数が少なくなっています。少し寂しそうでした。 私の賀状は、丹念な仕事をしていたころのを使って作るつもりでしたが、やはり今の状態で描けるものの方がよいと考え直して、単純なものにしました。ネットでご訪問くださる方へのご挨拶といたします。