雀の手箱

折々の記録と墨彩画

武蔵野の竜胆

2009年10月30日 | 日々好日
Mさんの庭に自生する竜胆


 以前のブログでコメントをお寄せくださっていた紫草さんは、武蔵野の面影を残す2000坪の広い庭をお持ちです。茶室に活けられた花の写真を見て、めづらしがった私に、庭に自生する竜胆の種をこの2年続けて送ってくださいます。

 最初の年は私の思い込みで、秋草だからと春の彼岸前に種を撒きましたが、時期が遅かったようでまばらに発芽したものの4センチくらいまで伸びて消えてゆきました。
 今年の種はご指示のとおりまだ寒い折に種を撒きました。5月ごろ、明らかに雑草とは違った草が生えてきているのを見つけ、大喜びで三箇所に分散して鉢植えや露地に定植しました。

 ところがやはり茎もひょろひょろと頼りなげで、一向に生育しません。園芸店の指導員の方に伺うと、関東と九州では気候風土が異なるので地味の条件を同一にしない限り、まず園芸種以外は難しいというお話でした。
 折角のご好意なのに仕方がないかと半ば諦めていました。
 ところが、台風が連れてきた時雨れも晴れた暖かなこのごろ、空っぽと思った植木鉢の縁にゆかしい色を見せて武蔵野の竜胆が一輪、花を付けていました。早速写真に撮って送り主にご報告したことでした。

 よく見ると、他の二つの鉢にも、義理堅く一輪ずつ蕾をつけた花が上がっています。今宵の十三夜の月の雫に色も深まり、種ができてくれればいいのですが。楽しみに見守るとします。

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筑紫の地に咲いた儚げな竜胆の画像は2枚です。


花を食す

2009年10月27日 | 日々好日


 今年も菊の花が送られてきました。食用菊は山形県が日本一の生産量だとかで、秋の香りとともに黄色の鮮やかな満開の花が詰まっています。

 花びらをむしって、酢と塩を少し加えた熱湯の中でさっとかき混ぜて氷水にとり、水切りしておひたしでいただきます。
 白ゴマを出し汁で割ったものや、マヨネーズに醤油を足したものなどをつけて秋をいただきます。土地の人にはもっと違った食べ方もあるのでしょうが、余り手を掛けないのがいいようです。色の楽しみで、短冊切りの山芋を付け合せるのも好みです。お酒が少し余計にすすみました。
 茹でたものをお正月のお節の彩り用に、小袋に少しだけ冷凍しました。

柿三題

2009年10月24日 | すずめの百踊り
 従兄の法要のため先月は欠席した合評会でした。久しぶりに出席した私の手には固定装具が掌の半分を占めています。

 指導をしてくださるN先生の言「ホー。これで期待がもてるかな?一番の欠点の、小器用な仕事ができなくなると絵がどう変わるか。マチスも手が利かなくなって絵がよくなったから。」といわれてしまいました。

 まさか、マチスはないにしても、確かに手の自由が利きにくい分、省略せざるをえないし、仕方がないかと思い切らざるを得ない勢いも出るようです。

 転じた福がやってくることをせめて願って、諦めずに無理せずに画き続けるつもりです。

 今月の提出作品の中から柿三題をUPします。落款はまだ押せないのもありますが、同情票も入って好評でした。














神田古書店街

2009年10月22日 | 日々好日
 何年ぶりでしょう。秋晴れの一日を神田神保町の古本屋街を歩きました。
 あるじには目的の探し物の本があって、明倫館の前で別れて別行動です。

 約200軒の書店の並ぶ町で古書店が半分以上をしめる世界でも珍しい規模です。しかも、殆ど専門分野別に本が集められています。
 明倫館は自然科学も理工系が専門。私は高山書店の能、狂言、美術関係の書店が目当てで、本を探すには便利な街です。戦後間もなくのころとはすっかり景観が変貌していますが、それでも本を積み上げた店のたたずまいと、独特の匂いは昔のままでした。ここには鋭角を描いて流れる大東京の時間とは別の、古書が紡ぎだす穏やかなゆったりとした時間が流れています。
 お昼の手打ち蕎麦、そして、休憩で入った喫茶店”さぼうる”は、昔懐かしのタイムスリップの世界でした。それぞれに目当ての本を見つけて重いのも苦にせずに帰ってきました。
 小田急を下北沢で降り、駅の三人乗りの小さなエレベーターに乗った時、小沢昭一さんと乗り合わせるおまけ付きでした。さすがに少し猫背ながら、私と同年とは思えないしゃっきりとしたイナセな雰囲気をまとっておいででした。


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画像はwクリックで3枚です。

今年の柿

2009年10月20日 | 日々好日
 今年は昨年とは様変わりで柿が鈴なりです。まだ早いのでは。というのを振りきって、体調のいいときしか採れないからと、猿かに合戦よろしく下に私を立たせての梯子のぼりです。



 柿を届ける都度、弟も危ないから止めるようにというのですが夫は聞き入れません。友人達に送るのが楽しみのようです。
 どこを取ったかと思うくらいまだまだ残りが数え切れないほどです。三本の木も年老いて一年おきに実を付けます。明日ぐらいが丁度いい頃合いという時分に、目ざとい鳥たちが嘴を入れて味見してゆきます。

 カボスも木が撓みそうなほど実をつけていますが、こちらは隣近所の方たちにお福分けを喜ばれています。ただ零余子はなかなか大きくならず、今年は実の付きも少ないように見受けます。


世田谷美術館

2009年10月15日 | 雀の足跡
 体調がいまひとつすぐれない夫に合わせて、乗り物を乗り継いでの遠出はやめて、午後から、小田急線1本で行ける近いところというので、娘が選んだのが世田谷美術館の「オルセー美術館展」パリのアール・ヌーヴオー(19世紀末の華麗な技と工芸)でした。


 初めての世田谷美術館は、タクシーを降りたところから既に木立の雰囲気もしっとりと落ちついて、都会の喧騒とは別世界です。

 アール・ヌーヴオー様式の家具調度を並べたダイニングルームや書斎、貴婦人の部屋からはじまって、そこに飾られていた装飾品が、ギマールたちのブロンズ彫金にガラスを加えた照明具、ラリックの工芸品、七宝細工や装身具と、まさに豪華絢爛。
 さらには、ガレ制作の寄木象嵌の洗練された家具が、デザイン下図などとともに展示されていました。
 グラッセやミュシャのサラのためのポスターにいたるまで、19世紀のパリの香りを華やかにに漂わせていました。
異質の文化の持つ迫力と蛇行する曲線の氾濫に圧倒され酔っ多様な感覚を味わいました。上記の「オルセー美術館展」のリンクから、惜しげもない大判の美しい写真でその豪華な貴族文化を想像ください。

 チラシに使われているエクトル・ギマールの天井灯はブロンズに彫金を施したものとガラスの組み合わせです。(高さ41センチ)下のシャンデリアも同一作家のもの。
 モーリス・ブヴァルのインク壺は睡蓮の大きな葉が台になっていて、目を閉じたオフェリアが水中から現れてインク壺の睡蓮の花を抱いています。インク壺の蓋のつまみは大きな蝿になっていました。


”さくらんぼ”のボンボン入れ。金に透かし彫り、彫金、七宝を施したもの(高さ2,2径4,8㎝)繊細なデザインは精巧そのもの。日本の香合がヒントのようです。





 2階で開催中の「和のいろ・かたち」のポスターに興味を持って、休んでいるからという夫を置いて上がってみました。

 この美術館は北大路魯山人の蒐集で知られていますが、おなじみの作品が並ぶ中で、季節のものとしての展示でしょう、紅葉の色絵”雲錦大鉢(22,5x46,8x33,6)が目を惹きました。引き返して展示内容を伝えると、重い腰をあげて二階へ上がった人は、学芸員の人と話が弾んだようでなかなか戻ってきませんでした。

 お茶にしようというので、砧公園を見渡す雰囲気のよいレストランでゆっくり優雅の余韻を楽しんで夕暮れが近づいた美術館を後にしました。

 
美術館入り口の前に広がる庭
 
レストランへのエントランス


皇室の名宝 その2

2009年10月13日 | 雀の足跡
 ミュージアムショップで図録などの買い物をして頭を冷やし、次の近代作家の作品の並ぶ2室へと進みました。
 各時代を代表し、各分野をリードした方たちの会心の力作38点が圧倒します。
 明治以来の美術史に名前の挙がる画家、工芸家の代表作がずらりと展示されています。
 横山大観や平福百穂などの6曲1双屏風、川端玉章、橋本雅邦、下村観山、川合玉堂や富岡鉄斎といった人たちの日本画、海野勝、高村光雲らの置物、そのほか七宝、陶磁器と多彩な分野にわたっています。


海野勝の「蘭陵王」解説に拠ると面は取り外せるのだそうで、下には演者の素顔が彫り上げられているのだそうです。制作に3年を要したと伝えられる装束など、毛彫りや高肉象嵌とさまざまの技法が駆使され、彫金技術の粋をつくした作品。

 最終コーナーを飾る「雪月花」は、上村松園が貞明皇后のご下命から二十年の歳月をかけた代表作らしく、平安朝を代表する文学作品の持つイメージを、戦慄をおぼえるほどに昇華させて、描ききっていました。




おまけの、2期の案内ちらしです。この項、下書きに入ったままで投稿を忘れていました。


皇室の名宝

2009年10月09日 | 雀の足跡

「皇室の名宝」展初日の開門10分前


 3日出発、8日帰着の予定で、上京しましたが、台風18号の接近のニュースで、急遽予定を変更して繰り上げ、7日に帰ってきました。
 用件を済まし、娘の家族と一緒にあるじの85歳の誕生日もお祝いできたので十分でした。
 私は6日展覧会の初日に、心ひそかに第一目標にして出かけてきた若冲の「動植綵絵」を堪能できたことで満足しました。
 御即位20年記念特別展「皇室の名宝」展の一期の目玉が、この伊藤若冲の動植綵絵三十幅の全展示です。

 今回の特別展は、何処にも巡回することなく、東京国立博物館だけで開催されます。1期と2期に分けられた展示は総てが入れ替えられるようす。
     1期:永徳、若冲から大観、松園まで。
     2期:正倉院宝物と書・絵巻の名品  となっています。
 皇居、三の丸尚蔵館に所蔵される作品の特別展です。いくら若冲好きでも、雲井の奥、滅多にお目にかかる機会に恵まれることのない三十幅すべてに会えることに、胸を膨らませていました。
 初日は混むからと止められるのを押し切って、朝一番で入場するからと独り上野をめざしました。9時10分到着、すでに30人ほどの行列ができていましたが、雨だからと、25分には入門させてくれました。

 東京国立博物館、平成館の二階に上がるや、人だかりのしている狩野永徳の四季草花図屏風、源氏物語図屏風や、かの唐獅子図屏風の前にも足を止めることなく、目当ての若冲の部屋へと進みました。広々とした会場の壁面一杯にコの字型に若冲畢生の作品「動植綵絵」の大幅が並んでいます。監視員のほかは誰もいない会場に一番のりです。部屋の中央に立って、一人占めの若冲。その感動のほどは涙が出そうなほどで、ゆっくり目に焼き付けてきました。
 興奮も静まって一点ずつ丹念に存問を交してゆきました。意外だったのは図録で見るのと違って、絵の具が総て薄塗りだったことです。絵絹の布目がわかるほどです。小だこのしがみ付いたユーモラスな絵や、雀の大群、余白のない群鶏や、花鳥、刺繍を思わせる鳥の羽の表現と、変化と意外性は尽きない興味でひきつけます。パネルの説明で、赤の絵の具が裏挿し(裏彩色)されていることや、舶載の高価なプルシアンブルーの絵の具も使われていることなどを知りました。
 予定した3時間のうち、この部屋に1時間、あとはおまけのつもりでしたが、流石に、天皇家の所蔵品。総てが桁違いです。狩野永徳は勿論のこと、丸山応挙、岩佐又兵衛、長澤芦雪、谷文晁、そして酒井抱一の花鳥十二ヶ月図もこれは初めて観る格調の高い十二ヶ月図でした。永徳の唐獅子図屏風は九国博開館の記念展でも見ていますが、左隻と揃ってゆったりと広い壁面に納まるとさすがに堂々としていました。葛飾北斎の西瓜もここに所蔵されていたのを知りました。

 ミュージアム・ショップを挟んで次の会場は近代を代表する絵画、工芸の名立たる方々の作品が展示されていました。

   東京国立博物館の特別展のリンクから多くの作品画像をご覧になれます。

 
  若冲 動植綵絵より、群鶏図と、蓮池遊魚図

今日の習作

2009年10月02日 | すずめの百踊り
 固定具を装着しているので、家事も、水仕事は特に不具合です。それで、明日から上京する夫が一緒に行こうと勧めるので、私も急遽、上京することにしました。

 4泊5日のあるじの留守中、ゆっくり作品つくりをするつもりで、手にも痛みがあるし、このところ筆をとらずに怠けていました。 帰宅予定の次の日が10月の合評会なので作品を作っておかなくてはと、机に向いました。

 突然の留守をするとなると、片付けておかねばならない家事が次々で、途中で思い出しては中断するので、集中が途切れます。1時間の仕事で、何とか本日は2枚を取り留めました。到底批評に耐えるものではありません。しばらくは提出作品なしの、口だけの参加になりそうです。

 切りつめられて哀れな姿のホトトギス一輪を、同じくへたれかけた籠にいれて。わが身につまされる姿です。
 露草ももう残り少ない日々を健気に彩っています。装具をつけての、「できるだけ手を使うな」という夫の目を盗んでの作画です。いつもは不足する”思い切り“と省略が、不自由のせいで少しだけ可能にしてくれたようです。
 お相撲さんが、テーピングをして取り組みに向うのがよく解りました。

 来週は帰宅まで1週間のお休みになります。