雀の手箱

折々の記録と墨彩画

アクシデント

2011年08月28日 | できごと

 先月の市政だよりに高齢者対象の水中歩行教室への誘いが掲載されていました。
 対象のプールは40人の募集でしたから、多分抽選漏れということで外れるだろうと軽い気持ちで応募していましたら、案内が届き、6年ぶりのプール通いです。

 その前の24日のことです。開校式で体力測定なるものがあり、血圧測定は当然ながら、体力テストで、筋力や全身持久力、柔軟性といった多様な測定が課せられました。
 たかが水中歩行になんでこんなことまでと思う、後期高齢者には過酷なもので、つい言われるままに測定に参加するうちに、最終のテストは、壁面に背中を付けて直立し、一足半前に出て膝を直角に曲げて静止20秒以上というものでした。10秒としないうち、これは今の私には無理と思った時には尻餅をついていました。
 帰りの道中までは何の異常もなかったのですが、翌日からは腰が痛くて前に屈んでものをとることができず、家事の途中、思わず「イタタ・・・」と口から出てしまう始末です。太腿の凝りも山登りの後を思い出させます。
 定石通り、齢をとると、遅れてくるという痛みを、知識としてでなく、いやというほど思い知らされています。
 それでも、20回実施の教室を、初回の説明から休むわけにもいかず、車ででかけたプールは新しく、設備も整って快適でした。
 プールは初めてという方が半数近い中では、さすがに20年のキャリアは、水に慣れているので、動きも指示される飲み込みも早く、正味1時間、若いハンサムのインストラクターに褒められていい気分で初日を終了しました。今日は逆療法の荒療治が効いたか、痛み止め服用のせいか、だいぶ痛みも和らいでいます。





 この写真を撮ったころより黄色味が増し、蔓や葉も次第に枯色を漂わせはじめました。

秋の気配

2011年08月23日 | すずめの百踊り
 お盆の往来で疲れが出たのか、夏バテなのか何も手がつかないまま、歯科に通う連れ合いを送迎し、ついでに食料の買い物をするだけの毎日、やっと道具を広げて、提出のための絵を描きました。
 気乗りがしないときはこんなものです。毎日のように午後になると南の国で暮らした折のスコールを思い出す荒々しい雨がやってきます。
 朝の水やりをしなくてよいので助かりますが、何か気候が変化しつつあるような不気味なものを感じます。昨日は福岡でも竜巻が発生、鹿児島本線も止まり、怪我人も出ています。それでも、ぶら下がる瓢箪の間から仰ぐ空の雲は、入道雲から細い棚引く秋の雲に変わっています。



















不忘

2011年08月15日 | 塵界茫々
 66回目の終戦記念日がめぐってきました。あの日は、学徒動員先から重大放送があるから自宅待機するようにと命じられて、自宅にいました。正午過ぎ、「玉音放送」が、聞き取りにくい途切れがちなラジオの放送で始まりました。
 初めて耳にする天皇の肉声「玉音(ぎょくおん)」は、やや甲高く、全文が漢文調の難解な語句で、17歳の女学生には十分な理解はできませんでした。それでも、断片的な語句をつなぎ合わせて、降伏という言葉こそないものの、、「米英支蘇四国に対し、その共同宣言を受諾する」や、「今後の苦難は尋常にあらず…堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び…」などの言葉から戦争の終結と、それが敗戦として終わることが告げられたのだということをおぼろげながら理解しました。
 失ったものの大きさを涙とともに次々に思い浮かべていたような気がします。戦後は、すべての価値観が逆転する茫然自失の混乱と、飢えは現代を生きる人に話しても想像することは難しいと思います。

 今日もあの日と同じ照りつける日差しのなか、蝉しぐれの声を聴いています。追悼の一日、本日は画像なしです。

白い蓮の咲く池

2011年08月10日 | 塵界茫々

 自宅から歩いて8分ほどの散歩コースに、「くちなし池公園」があります。裏の山を越えると急な坂道ですが5分程の距離です。
 一時は草が生い茂って池の周りも歩けなくなっていましたので、しばらくご無沙汰していましたが、蓮の花の時季だからと、病院の予約時間に余裕があったので、寄り道して車を回してみました。
 地元でもあまり知られていませんが、池は睡蓮と蓮で埋めつくされていて、池の周辺の土手は秋には筑紫萩が一面に花をつけます。
 池を一周するぬかるみがちだった遊歩道はいつの間にか舗装されていて、池へ降りる階段にも手すりが設置され、見違えるほど整備が行き届いていました。
 池の上の丘は住宅地ですが、午前9時、散歩の人影もなく、蓮は盛りを過ぎて、白い大輪の花が開ききっていました。

 長崎に原子爆弾が落とされたのは八月九日、その前日、八幡は大空襲を受け焼夷弾の雨が降り、中心部の繁華街は見渡す限りの焦土と化してしまいました。
 聞くところによると、この空襲の後の煙と雲で、隣接する第一目標地の小倉に原子爆弾の投下ができなくて、何回か試みたのち、第二目標地だった長崎へ向かったとか。
 何も知らずに、この日は、父と二人、焼けてしまった叔父の家の跡を確認し、その消息を求めて、くすぶりの残る炎熱の中を歩いていました。その4年前には、強制疎開で立ち退いた家族と別れて、私は小学校卒業までの残りの八か月を叔父の家から電車通学していました。家の前のコンクリートの防火水槽に女の人が頭を水につけて凭れたまま亡くなっていた姿を今も忘れません。叔父の一家は幸い避難していて無事でしたが、500メートルくらい離れた小伊藤山の防空壕では300人を超える人が逃げ場を失って亡くなっています。
 この、白い蓮を目にすると決まって思い出す光景です。八月は、私にとって、広島にはじまる鎮魂の祈りの月です。散りぢりになってしまって、戦後の混乱した生活で、私には交流する小学校の同窓生がありません。

 今年は東日本で、戦災ではなく、自然災害の地震と津波に襲われて1万5000人を超える人々が亡くなりました。間もなく新盆を迎えます。

 今年の白い蓮は格別に大きく感じました。


      




    

八月例会

2011年08月09日 | すずめの百踊り
 連日の30度を超す暑さの中、精力的に取り組んでおられる仲間を、頼もしくも羨ましく眺めていました。
 刺激されて、鶏頭のイメージを膨らませて、暑さに負けない逞しさから入りました。どうやらの3点です。











 風に乗って手元を離れた団扇の中からも3点UPします。










 ご指導の講評をいただくN先生からのいただきものの1点も。これは実用に使って消耗するわけにはいかないので、今はリビングの壁で泳いでいます。鯉の後ろの砂子まで見えますかどうか。




引越し完了

2011年08月04日 | できごと

 サポートを受けながら、8月1日にやっとXPからの引越しが完了しました。
 購入前のメーカーの宣伝では、無料で移行はサポートをするはずだったのに、いざ電話をすると、フリーダイアルとはいえ、長々と待たされ、「そのご質問はMicrosoft社の方へ」Microsoftでも、「ドキュメントやワードに関してはメーカーの方へ」と、たらいまわしされることもあり、応対の言葉遣いが馬鹿丁寧であるだけに、かえって腹がたってしまいました。ナビの動画を見ても、肝心の知りたいことは探しだせなくて、解っていることしか出てこないといったストレスで血圧まで上昇しました。
 マイドキュメントの荷造り途中では大量の廃棄処分をして、フォルダごとに括った大きな荷物も、フラッシュメモリーからドキュメントやピクチャーに取り込んでどうにか前よりも見やすく配置できて、少し「いい感じ」になりました。(7ではマイは省かれていて、ピクチャーはドキュメントの中ではなく、独立した存在になっているようです。)
 用語まで変わってしまっているので、順応速度が落ちている高齢者で、おまけにメカ音痴の私には便利な機能が不便な機能でしかなく、これはXPのマイ・・・だった分野と、いちいち頭の中で翻訳を繰り返しています。元来がアナログタイプですから、やはり解説書に頼るのが一番でした。
 買い物があって出かけたY電気店で、偶然目にしたパソコン教室の、お試し3時間1000円のサポートは、実用的で、知りたいところをビデオを見ながら、質問し、教わるので役に立ちました。

 このところ連日30度を超す暑さで外出も億劫となり、遠いところへは「夏のご挨拶」もネットからカタログで済ませる始末です。車に乗れなくなったら、食料品の仕込みもこの手があると少し安心しています。