雀の手箱

折々の記録と墨彩画

迷走の春

2011年02月28日 | 雀の足跡

露天風呂への通い道

 ゆっくり入湯を堪能して、さて、帰りはどのコースにしようかとなったとき、由布岳を見て、日田で“いた屋本家”のうなぎのせいろ蒸が食べたいというので、やまなみハイウエーを通って、日田へ抜ける道をとることにしました。

 鶴見岳のロープウエーもゆっくりと動いています。由布岳登山口の駐車場に車を入れ、これから登山の人たちが装備を整えるのを横目に、ここからだと豊後富士と呼ばれるに相応しい山容をしばし眺めていました。


由布岳1583mの活火山


 水分峠あたりから、路肩に僅かな雪が残っているのに気がついて、出発時の気温は16度だったのにと驚いていました。
 水分峠から日田の市街には1時間足らずで入ります。今は雛祭りの時期でしかも土曜日なので人出が多く、豆田町一帯の駐車場も一杯で、老舗の菓子屋さんに1時間だけと断って車を止めさせてもらい、目当ての「うなぎ」の昼食です。いた屋は天領だったころの創業で、157年伝統の味をうたい文句の老舗です。大きな梁が見える吹き抜けの高い天井の落ち着いた店です。


今年の雛祭りのちらし


 天気もいいし、時間も早いから高速に乗らずに小石原を越えて帰ろうということになり、今日はカーナビの指示どおりに知らない道を通ってみようと決めました。カーナビ初心者の、このハイテクへの信頼が間違いの元でした。
 曲がりくねった細い山道に誘導されましたが、何時もと方向は大体同じなので安心して走行していると、「斫峠チェーン規制」の標識に赤ランプが点滅しています。釈迦岳です。驚いて思案していると、助手席からは、「大げさな、もう雪なんかあるものか。撤去が遅れているのだろう。」の声がかかりましたが、不安になって「水の駅いわや」の幟がはためくあたりに人影が見えたので立ち寄りました。煙草を吸って休憩中の若い人に尋ねると「路肩はまだ雪がかなりあり、車は1台がやっとですよ」と教えてくれました。
 無人駅の広場で売られていたどんこ椎茸の新鮮なのや、よもぎ団子を買って、引き返すことにしました。約5キロ戻って、通いなれた宝珠山越えの道に出ました。
 後はナビを切って小石原に出て、道の駅で一休みして帰宅しました。小石原で、三椏の苗木と、クリスマスローズの原種というタグには黄色の花の写真が付いたのを買って帰りました。迷走のよい記念になるといいのですが、無事に育ちますかどうか。

安心院散策

2011年02月27日 | 雀の足跡
 このところ4月上旬並といわれる気温に誘われてか、突然どこか近くの静かな温泉に出かけようと言い出して、久しぶりに別府に宿を取りました。平日のせいか、今日の明日でもOKでした。
 観海寺温泉の両築別邸です。眺望のよい杉乃井ホテルの裏側の山中のこじんまりした宿が海に向って建っています。初めての宿です。
 途中、安心院に寄り道していきたいというので、高速なら二時間とかからない距離ですが、4時前後にチエック・インと目算して、10時に出発しました。安心院(アジム)町は鏝絵や石造の文化遺産、石橋などで知られ、食べ物ではスッポンと、九州一のワイン用葡萄の産地でもあります。運転するほうには罪作りな土地柄です。
 耶馬溪から回ったこともあり、滝100選に選ばれた「東椎屋の滝」も夏のころには寄り道していました。

 いつもパスする安心院の京石を見たいと思っていた私は二つ返事での寄り道です。例のように観光協会に立ち寄り情報収集です。昼食時だったので今週はスッポンウイークで格安ですから是非と強く勧められました。私はどうしても姿を想像してしまい、味も淡白すぎだし、今夜の夕食を考えて敬遠しましたが、「道の駅でスッポン入りのうどんもありますよ」といわれて、それくらいならと付き合うことにしました。
 道の駅「小の岩の庄」は、ここにしかないという焼き栗を入り口で焼いており、焼き栗好きの連れ合いは早速購入、店内は溢れるほどの野菜が安価で引き止めるのをふりきってブロッコリーなどを仕入れました。
 私の注文のスッポン雑炊はさっぱりして、山里らしい山菜の漬物、笊豆腐が添えられ、スッポンは細切れが三切れであとは皮の部分がたっぷりでコラーゲン補給が出来ました。
 スッポン入りうどんのほうは、もう少しスッポンが余計に入っているようでした。

  食事の後、「佐田の京石」を目指しました。それは県道658号沿いに、未だに謎は解明されることなくあっけらかんと佇んでいました。米神山(475m)の登山道入り口を挟んで、右手には平成になって道路工事中発掘された同質の石を杉林の中に復元配置してあります。
 高さは2mから3mほどで、助石が見えているものもあり、人の手が加わっているのは確かです。
 「日本ミステリーゾーン・ガイド」学習研究社などにも紹介のある謎のストーンサークルです。石の林の中に立つと霊感とは縁の薄い私にも何かエネルギー様のパワーを感じるのは不思議な体験でした。
 出土品の中には弥生土器も含まれているとかで、何のための石柱群なのかいまだわからないようです。山頂に到るまで巨石が点在しているようですが、ロープを伝っての登山は、途中まででも、もう今の私には無理です。
謎の京石」に多数の写真があります。 


 安心院ICから別府ICまでは23キロぐらいで、時間があるので、鏝絵を見物していくことにして、町を散策しました。鏝絵は、左官が鏝を使って漆喰の上に創ったレリーフです。伊豆の長八に弟子入りした左官がその技法を持ち帰ってこの地で広めたものだそうで、いたって素朴な表現の中に、長寿、福寿、子孫繁栄、商売繁盛を願い、災厄を除く、庶民のいつの時代にも変わらぬ願いがこめられています。こちらの鏝絵は、後で上に彩色する伊豆の技法ではなく、漆喰の中に岩絵の具を直接練りこんで作っているので、外壁に施されています。
(安心院には約100箇所に点在、密集度では日本一 重松家別邸は、戸袋のほか開花の外壁にも大きな富士山が施されています)

 別府ICの手前の別府湾SAで、久しぶりだから別府湾のパノラマを眺めて行こうというので楽しみに立ち寄りましたが、僅かに国東半島と大分の工場群の煙突が霞の中に見えただけで、佐賀関は見えず、天気はよいのに残念でした。






京石も鏝絵も多数の画像をUPしたかったのですが、明日まででgooのバージョンが切り替えになりますので、割愛しました。

例会

2011年02月24日 | 日々好日
 先日のつづきで、季節限定の蕗の薹に挑戦です。
 遅れを取り戻すかのようにもう蕗は花が開き始めて、食べることの出来るのは僅かになりました。
 季節までがあわただしいことです。

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画像は2枚です。


 合評の時、私の「寒牡丹」が不評で、「描きたかったのは藁帽子?それとも牡丹?」と痛いところを指摘されました。その通りなので反論の余地はありません。
 もともと、寒牡丹のような、それ自体が完成された雅びの美しいものは私には不似合いで苦手ですから、1枚しか提出できませんでした。
 それではと、「これならどうかしら」とその場で描きなおしたのが2枚目ですが、これは自分で納得できず、説明が過ぎるといわれながらの3枚目です。参考までに失敗作3枚をクリックとwクリックでどうぞ。


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寒あやめ

2011年02月21日 | 日々好日
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 例年寒アヤメが咲くのはもっと早く、蝋梅と同じころで、1月中だったと思うのですが、枯れ草の陰にひっそりと寒アヤメが花をつけていました。(2枚)

 5月のアヤメよりも色が淡く、草丈も30センチ足らずと低いのですが、寒中に健気に花を咲かせています。花は4日ともたずにしおれていきますが、次々と開いて喜ばせてくれます。

 クリスマスローズも遅いお目見えで、土にへばりつく花芽が花の形を見せています。このところ気温もようやく二桁の日が続いていて、一気に春めいた装いを見せています。
 濃い紫は菫で、青邨の「菫より濃きものはなし草の宿」の句さながらです。








2月のミニギャラリー

2011年02月17日 | 雀の足跡



 家人とのコラボをひそかに楽しんで、毎月初めと半ばに入れ替えをする小さな小さなギャラリーです。
 今月は私の色紙サイズ大の作品、蕪の水墨画をあるじが表装してくれたものと、あるじの作陶の茶碗の中で、私が「淡雪」と銘をつけた樂茶碗を選びました。

 入れ替えをする時期になって、ブログの下書きの中に入れていて、そのままになっているのに気がつきました。
 薄暗いコーナーで、写真が不味くて茶碗の釉薬の微妙な流れも、高台周りの火色もいまひとつ実物の雰囲気が出ていませんが、あるじの樂の作品の中では私のお気に入りの一点です。

春のさきぶれ

2011年02月13日 | 日々好日


 春の訪れを何によって感じるかは人によって様々でしょうが、私は例年柿の木の下に群生する蕗の薹が顔を覗かせる姿に春のさきぶれを見つけます。

 今年は寒にいためつけられて何時もより遅く顔を出しました。やっと例年並みのふくらみが戻ってきました。
雪が降り止んだ今日、北九州美術館に,もう一度「琳派・若冲と雅の世界」後期展の、若冲、雪佳に会いに行き、豊かな気分で帰宅しました。
 今年3度目の蕗の薹をゆっくり探しました。
 今宵は頂き物の釜茹でシラスの掻揚げをするついでに、蕗の薹も天婦羅にして春を味わうことにします。ほろ苦い味を春の味わいとします。

 スケッチから始まって3枚目で自分なりの納得の蕗の薹になりました。



芙蓉のかたち

2011年02月09日 | すずめの百踊り
 枯れた芙蓉が、種子を綿毛に包んでそそけた枝先に揺れる姿が面白くて、冬の季語として俳句に詠まれるのも尤もだと思い、先月の例会の折、剪定を終えたものを抱えて出かけました。


 皆さんに、次回までの宿題の課題として渡しました。
 約束どおり、今日の例会に各人各様の絵が構成されて提出されました。


 花のときの艶やかな姿が変じて種子を飛ばす枯れ芙蓉の最後の姿に人生を重ねてみた人、「卒塔婆小町」を連想した私同様に、「花の色は移りにけりな」の小野小町の百人一首が浮かんだという人、若い人はシュールな形から想いが拡がったようです。


 「何を表現したいかが先ずあって、形と色が選択される」と主張する同好との交流はありがたくも嬉しいひとときです。

 今日はどなたも提出の枚数が多かったので、落款を消して一部をUPします。

















火山灰

2011年02月05日 | すずめの百踊り
 宮崎県と鹿児島県にまたがる霧島連山の新燃岳の噴火は一向に収まる気配をみせません。 専門家によれば、江戸時代の噴火の折は1716年から2年続いているし、ここ1,2週間はこうした爆発的な噴火は続くだろうと予測されています。さらには雨が降れば土石流の怖れもあると案じられています。

 宮崎県は都城に、弟達が茶道の手ほどきを受けた先生が住んでおられます。宮崎から車を駆って教えに見えていました。大胆でユニークな発想をなさる方で、花を活けても、茶席の花の常道とは異なる大きくみえる花で、仲秋の月見の茶会の折、納屋の前に据えた戸外の古い大八車の上に席をしつらえ、竹を切った篝火の灯りでお点前なさるような豪快な方です。

 お見舞の電話を入れた弟の話では、車の運転も、フロントガラスに降り積もる火山灰を払うことが出来ず、ライトを点けてののろのろ運転で困っておられるとのことでした。
 火山灰は硬いシリカやアルミナの成分が中心なので、ワイパーを作動させるとガラスに傷が入ってしまうようです。

 報道される2000メートルを超えて吹き上がる噴石を交えた黒々とした火山灰の禍々しい姿には恐れを感じます。夜もガラス戸が揺れ、不気味な音で落ち着けない暮しのようです。庭の山野草や多種の茶花も灰をかぶっていることでしょう。

 火山列島の上で暮らす日本人にとって、地震や噴火はいつ何処に突発するかわからない自然災害ながら、どう折り合いをつけていけばいいのか、宇宙開発がどんなに進んでも、まだまだ人智の及びもつかない現象、自然の脅威に振り回されることです。

 立春を迎えて、記録的な北国の豪雪も一息ついているようですが、庭で探した今年の蕗の薹は例年よりずっと小さく、寒にいためつけられて、しなびています。



今日は琳派で

2011年02月03日 | 日々好日
 月末は大雪の予報は外れましたが、外は-1度で水槽は氷が張っていました。

 早いもので年が明けてもうひと月が経ってしまい、今日は節分です。2月の声を聞いてやっとは35日ぶりに気温が10度に上昇しました。

 先月末、郵便局の駐車場でドアーミラーを当て逃げされて、プラスチック部分がばらばらになってしまいました。ミラーをセロテープで固定してどうにか帰宅しましたが、しばらく車に乗るのをやめていました。ミラーを倒す一手間を怠ったばかりにとんだ災難です。節分ですし、これで厄年だった昨年来の最後の禍としたいものです。

 長年の付き合いで、車検の都度お世話になる自動車屋さんが、解体屋で同じタイプを捜してくれましたが、なかなか電気系統が合致しなくて、ネットで検索して、北海道にあったのを取り寄せてくれることになり、五日ぶりに元通りになりました。
 もう7年乗り続けていて、この車で運転は終わりにしようと思っていることを知っている彼も、今年から高齢者講習を受講しています。
 ディーラーに手配すれば直ぐ在庫はあると思ったのですが、多額の支出の後だから好意に甘えて待つていました。
 やがて来る“車を持たない暮し”の練習にもなると思っていたのですが、食品を中心に買い物の不便がこの上なく、寒さも加わって家に引き篭もってしまいます。

 今日はわが家のあるじも出かけていて留守なので、ゆっくり先日見てきた琳派をなぞってみました。
 芳中の梅と若冲の鶏です。最後の1枚はまだスケッチの段階です。たらしこみは持っている画仙紙では吸い込みがよすぎてうまく行きませんが、気分は琳派です。
 今日の練習5枚すべてです。まだ額には入れられませんので裸のままで。