雀の手箱

折々の記録と墨彩画

納めの会

2009年12月28日 | 日々好日
 今年最後の会に私が提出したのは水仙でした。
 一年間の進歩のあとが際立つ人や、新しい境地をつかんだ人たちの中で、少しさびしい自分の作画の変化のなさです。

 手を悪くして、こぎれいに纏めようとしなくなった思いっきりが出て、「おじょうず」から脱却できたと慰められても、進歩のなさは自分が一番よく判っています。並べれば、作品の結果は目に如実に突きつけられます。それでも、楽しい時間が過ごせればそれでいいかと割り切って今しばらく続けることとします。

 持参の八重椿の獅子頭を、描いてみました。いままで使ったこともない高級な越前手漉きの和紙は、娘がクリスマスに顔彩と一緒に贈ってくれたものです。滲みが強いのですが、今の私の作画傾向には丁度いい紙です。ただ慣れるまで少し苦しいと思います。


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           水仙3枚はWクリックでどうぞ



              ただいま挑戦中の越前和紙です


 年内はこの記事で納めさせていただきます。諦めた掃除はともかく、すっかりノロマになってしまった仕事で”おせち”を間に合わせるのに精一杯の時間です。
 たわいない繰り言にお付き合いくださった皆様に、来る年が健康と平穏を運んできますよう祈って止みません。

雪のある風景

2009年12月25日 | すずめの百踊り
 この国の南の端の九州に生まれ育った身には、多くて年に3回の積雪を見るくらいです。雪が降れば興趣深い眺めとして興奮しています。今年は12月に早い初雪でしたが積もることもなく、間もなく消えてしまいました。

 送っていただいたリンゴのお礼の電話を入れた山形は、今年はことのほか深い雪の中と仰っていました。軒までの雪の中で春の訪れを待つという雪に閉ざされる暮しは、雪の少ない地方に住む者には想像も及びません。

 足をかばううち、妙なひねりをして、室内を歩くのにも杖を突いています。故障をもつ身は、クリスマスイブの日もひっそりと自宅で過ごすことになりました。

 帰国後はクリスマスといっても、格別の往き来もなく、今年は鳥を焼くことすらせず、弟夫妻が届けてくれた刺身と、活きものの子鯛を塩焼きにして、純日本風のクリスマスイブです。あるじが買ってきたデザートのケーキだけが僅かにイブの夜らしさを演出してくれました。

 下の写真はホワイトクリスマスとは縁のない所に送られてきたArlington National Cemetery のクリスマス風景です。






冬の長府散策

2009年12月19日 | 雀の足跡
 一ノ俣温泉の帰途、雨になりそうだから、帰りの道筋で寄り道をして歩いてみようということになり、久しぶりに長府の武家屋敷の面影をとどめる町筋を歩いて見ました。

 明治天皇に殉死した乃木将軍夫妻を祀った乃木神社に車を停め、明治を生きた硬骨の武将ゆかりの品々や、ロシヤとの講和の地ゆかりの棗の木などを見て、小学生だったころ遠足でこの神社に連れてこられた日を懐かしみました。
 下級武士の質素な家と、庭の片隅の井戸は、訪れる人もなくひっそりと山茶花が散っていました。

 功山寺に回る途中、横枕小路の土塀の間を抜けていましたら、長屋門が見えたのではいってみると、公園らしき整備された屋敷跡がありました。門の傍らに、まだ紅葉のさかりの1本が崩れた白壁を明るく照らしていました。

 功山寺は、春の季節ならば、櫻の古木が左右から荘厳する本堂も、明治維新回天の挙兵をここ功山寺であげた高杉晋作の銅像も、今は隙間の多い空間に寒々しく見えました。思えば、このクーデターが長州藩を再び討幕へみちびき、維新が大きく動きだすことになったと、感慨にふけったことでした。


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<最古の禅寺様式を残す鎌倉期の仏殿(国宝)>


画像は5枚です。






河豚の宿

2009年12月15日 | 雀の足跡
 本場といわれる下関はじめ、北部九州では“ふぐ”とはいわず、福の語呂に掛けて“ふく”と濁らずに呼びます。
 わが家のあるじの最大の好物です。毎年、この季節は必ずふくを食べることを目的にどこかに出かけます。
 胃の手術の前も希望して、10月初めというのに山口まで食べ納めかもしれないからと出かけました。今年は、以前訪れたことのある蛍の里で有名な下関は豊田の、一ノ俣温泉に出かけました。

 私はふぐよりも、あわびや海老、クエの方が好みですが、この季節はふくのコースに付き合います。さっぱり味でも平目やオコゼ、クエのほうが美味しいと思うのですが、吾があるじは玄海灘に面した海辺の町に生まれ、幼い日からのご馳走だった河豚のイメージが郷愁とともに強くインプットされているようです。

 久しぶりに雨もあがり、陽射もやわらかく、11時に出発、やっと運転に支障がなくなったので、装具は着いたままながら気分よく車を走らせました。関門トンネルは修理中で通行止めになっているので、九州自動車道利用です。関門橋のたもとの展望所に立ち寄り、早鞆の急流を行き交う船を眺めながら小休止。そのまま中国自動車道を次の小月まで走りました。
 道の駅西市で昼食を取り、地元の物産品を物色。ここから少しだけカーブの多い山道を走り、2時過ぎに到着です。小月インターから約40分の行程です。

 じゃらんの、立ち寄り温泉の泉質部門で、温泉の多い山口県で1位に入った名湯です。少しぬるっとする温泉をゆっくり楽しんで、予約した6時にふく料理が部屋に運ばれました。
 ともあれ、私たち庶民の口にできる今年のふくのコースです。二人分とは思えない大量のふく刺しに満足し、自分の分とあるじの分までいただきの鰭酒でした。
 河豚ちり鍋は楽しみの雑炊のために半分残してしまいました。こうふくを感じるひとときです。
 カメラを取りに立った間に箸が付いてしまい、皿に咲く菊の花びらが崩れてしまいました。

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部屋から眺める温泉棟です。クリックで3枚です。


木の葉時雨

2009年12月12日 | 日々好日
 風を伴って二日続いた時雨で公孫樹も楓も鮮やかな秋の衣を脱ぎ捨ててしまい、うずたかい錦は今は地上にあります。

 ルミ・ド。グールモンの「落葉」の詩をしきりに思います。リフレーンの“シモーンお前は好きか 落ち葉ふむ足音を”の繰り返しが頭の中に静かに反響しています。
詩人はうたいます。(月下の一群より)

  シモーンお前は好きか 落ち葉ふむ足音を
  落葉の色はやさしく 姿はさびしい 落葉は儚く捨てられて 土の上にゐる
  シモーンお前は好きか 落ち葉ふむ足音を
  夕べ 落葉の姿はさびしい 風に吹き散らされると 落ち葉はやさしく叫ぶ
  シモーンお前は好きか 落ち葉ふむ足音を
  椅りそへ われ等も何時かは 哀れな落葉であろう 椅りそえ もう夜が来た
  さうして 風が身にしみる

 このうず高い木の葉の山。乾いたら足裏に楽しんでみましょう。この上もなく贅沢な色あいの音がすることでしょう。

 雨の日のつれづれの中、赤い実に誘われて筆をとりました。この時期は赤い花、赤い実に目がいきます。










師走の日々

2009年12月09日 | 塵界茫々
 年毎に増える喪中はがきが、今月に入ると毎日のように二人のうちのどちらかに届いていました。「歳々年々人同じからず」の思いをかみしめています。
 森繁久弥氏が旅立ち、平山郁夫氏も遥かなる西方浄土への旅に発たれました。昨年の加藤周一氏も師走に入っての旅立ちでした。何かせかされるように急ぎ足で去ってゆかれる方が増えてくる季節のようです。

 かつて同じ職場で、その理想と情熱を尊敬していた先輩の旅立ちは遺族の方からの喪中はがきで知りました。もう、お会いする機会もなく賀状の交換のみになっていました。

 冬の詩の多い北原白秋の詩集を読んでいて、「時は逝く」と題した短い詩に目が留まっていました。

      時は逝く、赤き蒸気の船腹の過ぎゆくごとく、
      穀倉の夕陽のほめき、
      黒猫の美しき耳鳴りのごと、
      時は逝く、何時しらず、柔らかに陰影してぞゆく。
      時は逝く、赤き蒸気の船腹の過ぎゆくごとく。

 たまたま、五日の天声人語でも、「船のやうに年逝く人をこぼしつつ」という矢島渚男さんの句をひいて、”過ぎていく年を大きな船の航海にたとえ、そこから一人、二人とこぼれていく。「逝く」のは時であり、人でもある”と解説してありました。
 功なり、名を遂げた人とは別に、身の回りからも義弟や、従兄の急な下船もありました。
 やがて船を下りる日を迎えるまでは、決して豪華客船とは言い難い船の揺れるがままに、しばらくの航海を続けることとなります。

 そこで、人生の船旅の中の、ささやかなお楽しみ恒例行事で、"河豚を食べに行く"は今年は下関の奥座敷、一ノ俣温泉になりました。週明けに1泊で出かけて楽しんできます。


掌のメッセージ

2009年12月02日 | すずめの百踊り
 “たなごころ” 私の手のひらには、相変わらずシリコンの硬い固定装具が着いています。
 手のひらは、拇指の側と、小指の側ではっきり温度差があり、違和感の取れないままに見つめるうち、ふと口をついて出てきたのが”たなごころ”でした。
 80年のこし方、善き事も悪しき事もどれだけの仕業で酷使してきたことでしょう。その積み重ねが今のこの痛みと悟ると愛しくて、耐えることができます。

 た=手、な=の(上代の連体格助詞 水源みなもと)つまり「手の心」が「たなごころ」です。(和名抄にも「手之心」とあります。)
 確かに、緊張した時は手に汗を握ることになるし、感情を抑えて握りしめた掌が震えることもあります。
 中心的な心を持つからこそ、人との関わりでも、縁を断つのを「手を切る」と表現し、親愛の情を伝達して、あるいは妥協や協調して「手を握る」ことになるのでしょう。
 開いたたなごころにどのような心を読み取ればいいのでしょう。
 「掌のうち」は思いのままになることのたとえに用いられますが、「たなごころを返す」は態度の急変を意味することもあり、定めなき世情に流されることなくじっと見定めてゆく必要がありそうです。