雀の手箱

折々の記録と墨彩画

行き逢いの空

2010年09月29日 | 日々好日
 何時もの年ならお中日のころは満開のはずの彼岸花が、やっと大きく翼を広げて華やいでいます。赤に白、黄色と華やいでも曼珠沙華はどこか哀しく滅びの美しさを持っています。

 エアコンのお世話になり、ノースリーブの日々から、いきなりの長袖です。季節の移ろう微妙な推移をを楽しむ間合いもなく慌しい限りです。
 後期高齢者には順応するのがむつかしい急激な変化に体調を崩している友人が多いようです。9月は私もいわゆる夏ばてぎみで、篭り勝ちでした。
 暑さに耐えた水引草や月草といった野の花は健気に秋を告げていますが、藤袴や虎の尾をはじめ花を見せることなく立ち枯れていったものや、花数もまばらなものが多く、何時もの年よりも開花も遅いようで寂しい秋です
 今年は生り年ではないので、柿は、実をつけていない老木はもうまだら模様の照り葉を落し始めています。今日も午後からは雨の予報で、「つきぬけて天上の紺」に映える曼珠沙華とはいきませんようです。

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1クリックとWクリックで3枚です。





夜更けての月見

2010年09月24日 | 日々好日
 22日の十五夜は午後からの雨が夜に入っても断続的に降り続いていました。遂に前日の澄んだ空高くに眺めた月を慰めに、「月は隈なきをのみ見るものかは」「雨に向かひて月を恋う」のも一興と諦めて寝てしまいました。

 昨日も時雨のような雨が降り続いていて、月齢では「望」である十六夜の月も今年は無月か、雨月で拝めないと思っていました。
 夜更け、外があまりに明るいようなので、カーテンを開けてみると、満月が大きなオレンジ色のグラテーションの傘を差して、雲をバックに中天にかかっていました。
 雲の流れも速く、月を隠すことなくより高くさまざまに形を変えながら通り過ぎていきました。1時半から2時過ぎまで一人で夜更けのショウを眺めていました。
 お中日で、ご先祖の仏様にお参りした功徳でしょうか、見事な顔にお目にかかれました。




 お彼岸にはなぜか大津絵の「鬼の念仏」を思い出します。わが心の内なる仏と鬼に思いを馳せるからでしょうか。1枚目は古い大津絵から。2枚目はふくら雀流の「鬼の念仏」です。

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慈悲もなく情もなふて念仏をとなふる人の姿とやせん

誠なき姿ばかりは墨染の心の鬼があらはれにけり

パスポートの更新

2010年09月21日 | 雀の足跡
 今月で有効期限切れを迎えるので、当面旅の計画はないものの、パスポートの更新に出かけました。
 5年用にするか10年用にするかで少し迷いましたが、とりあえず最後のパスポートになるのは間違いなさそうなので、10年を選択しました。次回期限切れになる時は90歳です。
 パスポートに印刷されている写真も並べてみれば、あきらかに一昔の履歴を刻んで時の推移を突きつけてきます。

 失効する10年間のパスポートを繰ってみるうちに、さまざまな旅の情景がよみがえり、しばし暑さを忘れて追憶を楽しみました。

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 ブラジルへは2回、途中で乗り継ぎしたアメリカへの入国スタンプが捺印してあります。
アルゼンチン1回、2006年の夫の手術以後は、近隣のアジア限定で、中国、韓国が2回ずつ、台湾が1回と、ブラジル滞在中のパスポートに比べると日本への往復や、長い休暇中の旅がない分出入国が少ないのですが、それなりに鮮明な記憶が再生されます。



 特に忘れられないのは、2001年の9月。パーマネントビザの更新のために、テロ事件からひと月しか経っていない10月15日出発のブラジル行きです。ロスの通関の時、化粧ポーチの中身は勿論、髪の中にまで指を突っ込んでの徹底したボディ・チェックでした。小銃を構えた軍人が並ぶ中で、腰につけていたピカチューの万歩計に不審を持たれ没収となり、説明しても返却してくれませんでした。

 ロスアンゼルスとマイアミでの2回の乗り継ぎは、言葉が十分ではない一人旅だけに、荷物のトラブルやさまざまな経験がありました。夜更けのトランジッター用の待合室で話し相手もなくひとりポツンと座っていたのを忘れません。

 新しいパスポートは果たして何度使用する機会があることやら。夫の体調次第ということです。
 
 以下は印象に残る場面の再生です。ただ、自分が写されているものを外したので、いささか意図したものとは違っています。

思い出の旅の風景
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■カーニバル リオ(ブラジル)■
■カーニバル風景 リオ(ブラジル)■
■ドイツ移民の街ブルメナウのビール祭■
■ビール祭り オクトーバフェスタのソーセージ売り■
■霧に包まれた九份 (台湾)■
■仏国寺の軒先装飾 (韓国)■
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今朝の秋

2010年09月16日 | 日々好日


 夜も冷房を点けたままやすむ日が続いていましたが、台風9号が持ってきた雨と涼しさで、いきなり薄い肌掛け布団の出番となりました。
 暑さが和らいだので今日は庭の草刈です。水引草が赤い粒を風にそよがせ、風船蔓はもう薄い茶色の風船玉に変わっています。蕾をつけたまま立ち枯れてしまった草花を夫は思い切りよく刈ってしまいます。桔梗の紫が目に鮮やかです。この優れものは四ヶ月を咲きついで、よく暑さに耐えてくれました。
 瑠璃まつりも今年はお祭り状ではなく、まばらでした。大火鉢の水槽で布袋草がやたら背伸びして薄紫の花を誇示するくらいで、芙蓉と木槿の競演もそろそろ終わりです。
 斜面では萩が今は慎ましやかに秋を告げています。彼岸花もあと数日の出番を待っていることでしょう。気がかりは千両の実が全く見えなくなってしまったことです。

 写真は私のお気に入りの一枚を夫が表装してくれたものです。廊下の突き当たりの極小のプライベートギャラリーに掛けて楽しんでいます。



飛鳥幻想

2010年09月11日 | すずめの百踊り
 斉明天皇陵墓とほぼ確定される発掘が明日香村教育委員会から発表になりました。その名は牽牛子塚古墳ケンゴシヅカコフンです。

 第35代皇極天皇。重祚して、第37代斉明天皇(594~661)ですが、この女帝は、ここ福岡県は朝倉宮において67歳で卒然と崩御されました。皇太子中大兄皇子は荒削りのままの「木の丸殿」で母帝の喪に服し、長津宮で百済救援の指揮をとっています。

 希代の土木工事マニアの女帝は、毎年、大規模工事を企画し、何万人もの民に動員を掛け、「狂心の渠」タワブレゴコロノミゾと日本書紀にも記されています。
 酒船石はじめ奇妙な石造りの建造物が遺されていて、古代史の謎とロマンを数多く提供されつづける興味深い方です。今日においても、作家達の創作意欲そそっています。

 宮内庁は依然、越智崗上陵を斉明天皇陵としているようですが、前から学者達に指摘されていたように、今回の発掘で、陵墓の規模と形(八角形墳)から、牽牛子塚古墳が、かの女帝のおくつきであることが多数の学者によって支持されました。

 9日の新聞各紙はかなり大きくとりあげているようでした。今日も、先ほどお昼のニュースで昨日から一般公開されている牽牛子塚古墳の、今は定かに窺える古墳の八角形の周辺を、大勢の見学者が歩いている画像が流れていました。
 明日香村教育委員会の発表に拠ると、高さは4,5m.縦横22m。3段構成の正八角形になるよう基石は削られ、周囲に1mの敷石を敷き詰めた溝がめぐらされているということです。墳丘周辺の切石の形状から飛鳥時代後期の天皇陵に特有の八角形墳であることが判明したということです。二室に区切られて埋葬されている方も、DNA鑑定で間人皇女と告げられています。

 朝倉の地の斉明天皇を祭る恵蘇八幡宮の、裏山の小さな円墳も一時仮に埋葬された址と伝承され、御陵山とよばれています。
 3年前、蜘蛛が糸を張って、注連縄も朽ちかけた御陵跡を訪れた夏の日を思い返しています。


写真は07年7月27日の「もののあはれ」の物語に掲載した恵蘇八幡宮です。

木の丸殿跡 恵蘇八幡宮に関しては、多数の写真入でこのサイトで解説されています。 



古い絵

2010年09月07日 | すずめの百踊り
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 八月は初盆と葬儀で慌しく過ぎていき、気持ちも乗らず、絵筆も手にしないで怠けていました。

 暑さに強くない私は、千年の記録破りとも言われる暑さに打ちのめされて、意欲も湧かず、古い画帖を繰っているうち、以前描いていた手法が懐かしくなって、美しい絵にして画いてみました。(マウスオンで2枚)
 やはり、いま一つ気持ちにしっくり来ずに、弱いと思えて、また、赤とんぼを画いてみて落ち着きました。

 台風9号を心配していましたが、風はたいしたこともなく、恵みの雨を降らしてどうやら無事に通過していくようです。


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「馬-アジアを駆けた二千年」

2010年09月02日 | 雀の足跡



 九州国立博物館の会館5周年記念の特別展にやっと出かけることができました。
 七月末、予定していた日に親戚の訃報がはいり、次々と葬儀が重なりました。お盆をはさんで、異常と報じられる暑さ続きに延び延びになっていました。

 かつては自馬を持ち、国体選手として出場している夫は、中学生時代以来の馬との関わりは海外暮らしの間も続いていたので、この企画には並々でない期待を寄せていました。
 9月に入って5日までの間になんとしても出かけると意気込んでいましたので、今日2日遂に念願を果たすことができ、期待以上の展示に大満足していました。
 昨日から始まった太宰府と筑紫野ICの間の向佐野橋の工事のため、車線規制の渋滞予告がテレビにも出ていたので心配しましたが、往復とも支障なく高速道が通行できました。

 展覧会は日本最古の馬の全身骨格(大阪府蔀屋北遺跡出土 5世紀)が窺える馬骨や中国最古の騎乗用馬具(4世紀)から始まって、アジアを駆けた馬は、朝鮮半島を経て日本に渡来して2千年の時を経て今、出土品として眼前にありました。
 特に王や豪族達が、威信の象徴として黄金で飾った馬具の数々には圧倒されました。初めて目にする馬冑(バチュウ)や、藤ノ木古墳出土の繊細な細工が施されたすぐれた文様にみる匠たちの美意識とその技は驚くばかりでした。
「国宝23件、重要文化財24件、日本初公開を含む中国・韓国の文化財23件」の百点を超える重量感は、いつもは私が待たせるばかりの展覧会ですが、今回は逆で、杏葉(ギョウヨウ)や、鐙(アブミ)、轡(クツワ)の前では時間がかかっていました。
 馬装の馬具位置に関してはこちらから。
 
 私のほうは、賀茂競馬図屏風や、厩図屏風の躍動感溢れる馬に見とれて、これに文学とのかかわりで、人と馬が捉えられていたら、もっと奥行きのあるものになったのではと、万葉集に詠われた多くの赤駒、黒駒、青馬。平家物語の宇治川の先陣争いの「生月」「磨墨」の名馬はじめ、鵯越のことなど思っていました。

 夏休みの子供たちのための企画も、「馬に親しむ」のテーマに沿ったものでしたが、馬に纏わる諺も、紹介されていてもよかったのではないでしょうか。「人間万事塞翁が馬」や、「馬の耳に念仏」、「馬耳東風」などなど。

 ともあれ、2千年を駆け抜けた出土品を中心とした展示は、網羅されていて、地方に住む私達にはありがたい企画でした。
 帰途には、先年訪れた韓国は慶州の天馬塚古墳でみた障泥(アオリ)に描かれた躍動する馬の姿や、馬具。耳飾に見る杏葉との共通する装飾など、話題は尽きることがありませんでした。

2千年の歴史を語る馬具
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馬冑 大谷古墳出土 重文
杏葉 藤ノ木古墳出土 国宝
鞍前輪 藤ノ木古墳出土 国宝
アブミと轡クツワ
鐙アブミ 宮地嶽古墳出土 国宝
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画像は九州国立博物館よりの提供です。マウスオンで画像は止まります。