雀の手箱

折々の記録と墨彩画

蝉の声

2014年08月27日 | 日々好日

 八月も最後の週となり、子供たちは宿題で大忙しのころでしょう。ヒグラシにまじってツクツクボウシの鳴き声が雨の晴れ間を縫って午後から夕暮れまで、寂しげに聞こえてきます。今年は数が少ないようです。
 夏休みに入るころ元気な輪唱を聞かせてくれたグループも指揮者も今はどこかに消え、森に糸を引くような鳴き終わりの哀愁が漂います。

 蝉の亡骸が、そこここでひと夏の命の終わりを見せて動かず、アブラゼミが蟻たちに曳かれていくものや、虚しく空を攫んで腹を見せているのもありましたが、大雨の後は見かけなくなりました。落葉に覆われ土に還ったのでしょう。

夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも 万葉集 巻10

        かなかなや文字の小さき置手紙  凡茶


 柳井の金魚も夏中を泳ぎ疲れて来年まで箱入りです。ひらひらと慰めを送ってくれた感謝を留めておきました。



今月の作品から

2014年08月21日 | すずめの百踊り
 まだ例会は欠席中です。それでも描きためたものは何枚かあります。正直元気がない、弱いものばかりですから、提出したらどんな批評が返ってくるか、大凡は想像がつきます。。

 ただ序でに身体の不自由から気負いも抜けて、少し変わってきたような気がしています。手根管症候群で、指先が早朝はしびれていて、思うように動かないので、逆手に取った思いっきりのものを自分一人で勝手に面白がっています。

 今年の蟹は穏やかにお皿の中に納まっています。











 大雨による土石流が発生し、広島では多くの被災者が出ています。北九州も今月に入って以来すっきり晴れた夏空はわずかしか顔を見せていません。雨の多い毎日です。突然の天災でかけがえのない人をなくされた方はじめ、被災地に縁のある方々のご心痛いかばかりかとお見舞い申し上げます。

祈りの日

2014年08月15日 | 塵界茫々

 終戦の日の今日、69年前の炎熱の「あの日」とは様変わりの大雨の一日でした。

 いくさを身をもって体験した90歳の夫と、学徒動員の女学生だった私、二人で、静かに正午には黙祷を捧げ、戦禍に倒れた亡き人々を偲び合掌しました。

 戦で死線を越えて生き残った一兵士と、学生時代という青春を工場で過ごした[欲しがりません勝つまでは]の飢餓の世代のふたりです。復員の日に見た八幡の焼け野が原は今も忘れられないと語っていました。


   逸りきてけやき大樹にこもるかぜ非命の魂の万の鈴音   山田あき


 欅の大樹に吹き寄せた風が立てる葉ずれのざわめきに、戦火に空しく散った非命の魂の鳴らす鈴音を聞いている。老いてなお、矍鑠とした激しい歌が多い歌人でした、今年はこの「山河無限」の一首が身に沁みました。

 不戦の誓いが、空念仏にならないよう見守ってゆくのは,生き残った者の使命でしょう。

 雨が多く日照不足で、今年のホオズキは鬼灯の役を果たしてくれませんでしたので、せめて絵だけでも赤々となき人々の道灯りにと。



緩んだタガ

2014年08月11日 | できごと



 八〇歳を期に、老い衰えた姿を曝すのはやめにし、「公の会合には出席をするのを遠慮する」という、自らに課していたはずの禁を破ってしまいました。

 やはり、臍を咬む思いでタガが緩んだのを反省することしきりでした。同窓会への誘いを受け、総会と違って同期だけの集まりで、しかも思い出多い期の人々。卒業以来初めての企画というので、つい懐かしさに、体調が良ければお会いして、人生を刻んだお顔を拝見したいものと、返事したのが間違いの元でした。

 お盆休みを控えて、病院が休みになるので予約がいっぱいの中をやりくりしての出席でした.食事がとれず体調も最悪でしたが、私も出るというので、遠く横浜や鹿児島から参会するという方たちに、不義理はできないとばかり強いての出席でした。
 自己紹介で語られる山坂の歩みもそれぞれで、どなたもいい顔に仕上がっていて、涙が出そうになりました。
 わたしの見苦しい挨拶のしどろも、いただいたカサブランカが、今は満開となって、その高い香りに吸収されて「あるがまま」の姿の老耄をさらしたのも、それはそれでよかったのかもしれないと思っています。


やきものの金魚

2014年08月04日 | 日々好日

 今月もお盆前に1週間だけでもと、東京から娘が帰省してくれました。いつもの珍しい食品や、ワインに混じって、今回は、金鳥の蚊取り線香を愛用するアナログ人間の夫のためのお土産がありました。





 思わず顔がほころぶ愛らしさです。幼い日、ブリキの金魚をぺこぺこ言わせて、お風呂でいつまでも遊んだ記憶がよみがえりました。

 山が近い我が家は緑陰を渡る風はさわやかでも、当然やぶ蚊の名所で、出入の度に団扇ではたいても、どうしても蚊を連れてきてしまいます。蚊にも好みの味があると見えて、私にはあまり寄ってこないのですが、夫と娘にはしつこく近寄るようです。

 祈りの月、八月に、豚に変わってこれからは煙の出具合も適当な愛らしい金魚のお目見えとなりました。