雀の手箱

折々の記録と墨彩画

大山鳴動して鼠一匹

2016年07月29日 | できごと
 梅雨も明け、当地の夏祭り、博多祇園山笠も、小倉、黒崎、戸畑と連続した祇園祭りも全部終了しました。夏本番の33℃を超える猛暑の日々が続いています。
 夏に弱い持ち主の不調に付き合ったものか、しばしば固まるパソコンの不具合で困っていました。
 デスクトップまでは起動するのですが、そのあとポインターが動いてくれず、スリーブ画面に替わってしまいます。リモートサービスに相談しても、私が試みた右クリックや、再起動のやり方以外に良い知恵も浮かばないようで、いろいろ指示に従って試行錯誤を重ねて、最後は「機械ですから不具合も生じます。購入したところか、メーカーに問い合わせてください」ということでした。
 やれやれこの物入りの時に、6年目で保証も切れたところだし、新しく購入か。アップデートを押し付けてくるwindows10にはもう私は適応できないだろうから、いよいよタブレットなど他のものに乗り換えかな、と覚悟して、一応メーカーに電話しました。
 再起動を繰り返し、色々な点検が指示され、パソコン本体の異常は見られないので、マウスに問題があると思われます。もしほかにマウスがあるならそれで試してみましょう。となり、購入時に付属していた小さいマウスに付け替えてみました。今まで使っていた場所ではない他の箇所のUSBに挿してみてください。ということで、「お試し」の結果は、見事問題解決。
 そろそろ買い替え時になっていたマウスを新しくしようと思います。この小さい鼠のおかげで、暗い一週間を過ごしました。先ずは「めでたし。めでたし」で終わった騒動でした。
ただ、めでたくないのは溜まりにたまったダイレクトメールの処理でうんざりしています。



夏祭りの季節

2016年07月17日 | 塵界茫々
 毎年恒例のテレビで見物の博多祇園の追い山も盛況のうちに終了し、「太鼓の祇園」と呼ばれる小倉祇園も今日の据え打ちの競演会で終わりとなります。後は昔から喧嘩祇園といわれた黒崎の祇園の山と、勇壮な中にも幻想的な戸畑の提灯山が控えています。
総じて、夏祭りはやはり男衆が肩に担ぐ山車がわたしには好みです。掛け声も勢いのよいのが好きです。上品な京都の祇園山も、歴史絵巻と観賞しました。
 地元の子供たちが曳く小さな飾り山がお囃子の音を響かせて遠く聞こえています。

「もののあはれ」の物語以来、夏祭りの記事は、限りもなく、お祭り好きの跳ねっ返りぶりが記されていますが、今はもう出かけることもかなわず、またその気にもなれない自分の変貌に驚いています。

 3連休でもヘルパーさんたちには休みもなく、きちんと訪問して仕事をこなして行かれます。汗びっしょりのお仕事に、せめてものお礼に、辞退されるのを無理強いして,赤紫蘇の手作りジュースを差し上げると皆さん大喜びされます。

 処理能力全般が著しく低下してしまっていている私は、雨漏りの後片付けもまだで、梅雨が明けていないからと、自分に言い訳をしています。


  この記事は、パソコンの不調が原因不明のため、「下書き」に入ったまま、投稿できないでいました。



  今年の一番山大黒流れの「祝いめでた」の奉納が終わったところ TVの画像よりお借りしました。 

茗荷の収穫

2016年07月13日 | 日々好日


 貴重な雨の晴れ間に、洗濯物を干しに裏庭に出ました。伸びた草を取らねばと嘆いていると、腰丈よりも高くなった茗荷の繁みの下に白い花が覗いているのが目につきました。
 初収穫の茗荷です。今年は全くかまわなかったせいか、痩せているみたいです。早速刻んでお昼の素麺の薬味を増やせました。
 さっと茹で、即、甘酢に漬けて鮮やかなピンクに発色するのを愉しんで、サラダに合わせるのも夏の定番です。
 山椒の実も、収穫しないままで、黄色くなりかかっています。二人の暮らしで、歯を悪くして、漬物を味わうのが難しくなった夫にかこつけて、床付けもやめてしまいました。

 九州各地は今日も大雨です。区内にも避難準備勧告が出ているところもあります。1時間に80ミリの予報が出ています。雷も轟き、大雨警報は今日も解除されていません。
 天帝のご機嫌を損ねたのか、狙い撃ちの九州です。築80年の古家の我が家は限界と見えて、雨漏りも始まっていますが、地震に見舞われた南九州方面に比べれば、何でもないことです。

瓢箪哀歌

2016年07月07日 | 塵界茫々




 今年も私にとっての夏の風物詩、瓢箪を団扇に描こうとして、今は庭には存在しない瓢箪の葉を、写真で確認するためにアルバムを開いてみました。
写真は4年前の夫の瓢箪棚です。
 そのころの転倒、骨折をきっかけに、気持ちの焦りとは裏腹に、外での作業が出来なくなり、急速に体力が落ちてきていることに今更ながら驚いています。部屋に籠りがちになると、気力も衰えるようです。

 瓢箪の房掛けも、左手が利かない今は結ぶことはもう無理のようです。酒で根気よく拭いて艶出しをしては飽きずにながめていましたが、今はリハビリになるからと勧めるのですが、しばらくすると手は動いてなくて、じっと眺めています。

 私は高田 保の「ぶらりひょうたん」が好みぐらいの瓢箪への関心で、もっぱら夏の画題にするくらいなのですが、おかしなもので、娘も瓢箪が好きで、象牙の端材が手に入ったときには羽織の紐かざりや、帯どめに仕上げています。今宵は七夕。星のロマンにあやかり、せめて団扇の風でも送って昔語りのきっかけにでもしましょう。