雀の手箱

折々の記録と墨彩画

催花雨

2020年01月25日 | 日々好日


 大寒の入りを過ぎたばかりというのに、春節の今日、旧歴の元日は、うららの春日和です。
このところ、まるで菜種梅雨かと思わせる連日の催花雨です。今日も夕刻からは雨の予報です。
 太宰府の天満宮でも20日、早咲きの飛梅は開花が報じられていました。我が家の老木も蕾は膨らみきっていて、暖冬の今年はここ二三日中には開花と思われます。
 気忙しく季節が過ぎてゆくようです。花の兄と呼ばれる梅ですが、開花の遅れた蝋梅と一緒になって芳しい香を漂わせる日も近いようです。

 日差しに誘われて、蕗の薹を探しました。さすがにまだ人差し指ほどの大きさですが、今宵の一品に天ぷらにでも添えて、春の訪れを味わうとしましょう。



久しぶりの作画

2020年01月20日 | 日々好日
 三回忌法要が終わって、気分的にも一区切りがついたような感じです。久しぶりに墨の香りを懐かしんで、机の前に座りました。庭で画題の水仙を切ってきての模索です。どうしたことか、今年は蝋梅の花のつきがまばらです。

 昨日は最後のセンター試験とあって、新聞掲載の国語に挑戦してみましたが、解答はともかく小さな文字の続く長文に辛抱が続かず途中で放棄でした。バラエティに飛んだ面白い出題だったと思いました。漢文は少し難しかったかなと感じました。









賀正

2020年01月04日 | 日々好日
新年のお慶びを申し上げます。

 新しい元号で迎える今年は、干支もはじまりの子年。何か期待が持てそうな心弾みを覚えておいでのことと存じます。
どうか穏やかな年でありますようにと祈ります。

 一方、齢を重ね私は卒寿で春を迎えました。日々老いの自覚を切実にする暮らしです。
 米寿の折、勝手ながら、これ以上の老耄をさらすのも如何かと思案し、お年賀を収めとするご挨拶をお送りしましたが、老体を気遣って下さるご丁寧な年賀状をいただくので、ブログ上でのご挨拶とさせて頂いていました。今はブログの継続も難しくなり途絶え勝ちになっています。卒寿に免じてお許しいただきたいと思います。
 ブログも月に2,3回の更新をボケ防止のためと思っていますが、こちらも卒業が近く、いつまで続けられるか心許ない限りです。




秋の彩り

2019年10月04日 | 日々好日

台風17号の騒動がやっと片付いたとおもっていると、続いて18号の襲来で案じていましたが、幸い事なく通り過ぎてくれました。
 白に始まった彼岸花の競演も今は黄色の変種が咲き始めています。一時は困るほどだった水引草はまばらになって、探すほどです。一方選定を怠った瑠璃茉莉が伸び放題の枝先でまだ咲き続いて、穏やかな水浅黄が目を愉しませてくれています。
 柿は日増しに色づいてきました。今年はほどほどの着果で粒も大きいようです。
 新聞を取りに出て、懐かしい香りに見上げると、早くも金木犀の訪れで、ちらほらと花をつけ始めていました。この様子だと今年はいろはもみじの紅葉も早いかもしれません。









あまつつみ

2019年07月14日 | 日々好日

 降り続く梅雨の雨に、篭り居の慰みです。いかにも梅雨の雨らしく、まるで水蒸気の箱の中に暮らしているような湿潤を楽しんでいるのは私くらいのものかと思っています。
 雨障み(あまつつみ)と名付けた万葉の歌人たちの語感を好みます。

 幸いなことに、激しい雨量の予報は外れて、どうやら明日の博多祇園の追い山は晴れそうな気配です。

 あまつつみ常する君はきその夜の雨に懲りにけむかも 坂上郎女  巻四519

 笠無みと人には言ひて雨つつみ留まりし君が姿し思ほゆ 作者不詳 巻十一2684

 よべより雨降れば、雨つつみの用意すとて人々たちさわぐ・・
壬戌紀行
そういえば、文月7月は七夕月、愛逢月(めであいづき)とも。そして「遣らずの雨」という粋な言の葉もありましたね。












このごろ

2019年07月09日 | 日々好日


 まだ梅雨明け宣言は出ませんが、穏やかな過ごしやすい日が続いています。南九州も雨の日々からどうやら抜け出せたようです。
 今日は午後2時間、リハビリで送迎していただく「和みの丘」に、早く到着したので、リハビリが始まる前に時間ができました。
 それで、いつも気になっていた施設の上の農園を覘いてきました。
 季節ごとに収穫されたジャガイモやスイカ、サツマイモの御馳走が振る舞われるので、興味がありました。今年は5月の強風と大雨で,駄目になった作物を再度植え替えたと聞いています。
 職員の方が中心で栽培されたものを、収穫時には少し元気のある終日利用の方も参加して楽しみにして収穫していらっしゃるようでした。ここでは折々の元気な花がいつも夫々の卓上に飾られています。










歳歳年年人不同

2019年04月06日 | 日々好日
 金毘羅山の桜

 櫻という櫻が満開の時を謳歌しています。寒の戻りで、花冷えの日々を耐えてまだ散らずにいる櫻を眺めると、毎年、小倉城の櫻を見に行かねば気がすまなかった亡き人を切に思い出します。思えば市内の桜の名所を定期観光コースと称して、車で回ったものでした。この時期のブログも櫻尽くしでした。
 昨年は奈良で妹の心づくしの桜めぐりを堪能しましたが、今年は花見としての外出はせず、「年年歳歳花相似 歳歳年々人不同」と、唐の詩人劉 希夷の詩句を口ずさみながら、家に篭っています。






元号と万葉集筑紫歌壇

2019年04月02日 | 日々好日
 新しい元号は、国民の大きな期待と関心の中で「令和」が選定されました。
 出典は元号では初めての我が国の国書の中からで、それも意外にも万葉集からでした。政府見解の発言から、今回は多分国書からとは思っていましたが。
 しかも、それは「万葉集筑紫歌壇」と呼ばれる一群の中でも有名な「梅花宴」三十二首の序文から採られたと報じられました。
 九州国立博物館に自分で運転して訪れる折には、大宰府インターで下りて、都府楼址は道順なのでよく立ち寄りしていました。このブログでも何度か取り上げた太宰府ゆかりの「梅花の宴」です。
 奈良時代の神亀から天平にかけての数年間には、遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれた太宰府には、帥 大伴旅人を筆頭に、太宰少弐 小野 老、筑前国守 山上憶良、造観世音寺別当 沙弥満誓、大伴坂上郎女といった万葉集中屈指の歌人たちが在住していました。帥旅人の邸宅で催された梅花の宴ではこうした人々の歌が採録されています。序文はあの王羲之の「蘭亭の詩会」を思わせる格調高いものです。この元号採択という出来事が、国民歌集といわれ、昭和の大戦に出征した学徒たちの戦陣にも携行を許された万葉集でした。
これを機に万葉集への関心が高まることに期待しています。
 筑紫の国の一隅に、昭和一桁に生まれ、平成、令和と三代の年号で生きることになり、最後が「令和」という筑紫ゆかりの年号となるめぐり合わせを喜んでいます。




註 令和の典拠 出典 万葉集巻五 梅花の歌三十二首併せて序

   初春月 気淑風 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
   (初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き,蘭は珮後の香を薫らす)

   三十二首の中から
    春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さん    筑前守 山上大夫(山上憶良)

    わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも   主人(大伴旅人)

春の庭で

2019年03月29日 | 日々好日
ゆすらうめ

いろはもみじ

つるききょう

 気付かずにいましたら、突然gooのブログがリニューアルになって、編集画面が開けず、コメントの入力をしてもどこから開くのかもわからないので、お休みにしていました。やっと再開できましたが、戸惑うばかりです。
 遠くに暮らす近親者や友人たちへの生存証明のつもりもあり、細々と続けてきましたが、そろそろ幕引きの頃合いかもしれません。
 荒れている最近の我が庭にも、春は世間並みに訪れ、素朴な花たちが存問してくれています。枯れたと思っていた山桜桃梅(ゆすらうめ)が今年は花をつけました。亡きあるじがこよなく愛していた花です。近頃ほとんど見かけることのない連翹も垣根で黄色の星をちりばめて健在です。桜はまだ四分咲きですが、その名もボケの花が多用な色使いで愉しませてくれます。いろはもみじの小さな花が咲く今ごろから、赤い小さなプロペラに乗って種を飛ばすころ、そして若楓(夏の季語)の季節までの変化を、紅葉の季節以上に私は愛でています。
 絵筆はこのところ友人の他界以来気が進まなくてお休みにしています。


連翹

花蘇芳

金柑

シャガの花

ボケの花


尺八コンサート

2019年03月04日 | 日々好日
 家に引きこもりがちの私に、切符があるからと弟から誘いの電話が入っていました。
 前にも聞いたことがある橋本邦洸さんと、山城 徹さんのピアノ伴奏によるコラボレーションが絶妙のコンサートです。曲目もポピュラーな若い日に口ずさんだ歌曲が中心の肩の凝らないものばかりで、楽しめました。
 柔らかな篠笛の演奏と津軽三味線の太い音色といった変化も楽しいものでした。
 送迎してもらった上に、雛祭りだからと夕食の接待まで付いた好日でした。

 今週は例年の戸畑文化ホールでの「文楽」鑑賞も控えています。少しずつ気持ちも復調するかとひそかに期待しています。夜の部の演目は「義経千本桜 初音の旅」と「新版歌祭文」です。



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