雀の手箱

折々の記録と墨彩画

今年の紅葉

2017年11月29日 | 日々好日


 海外の友人から、庭の紅葉が懐かしいとメールが入っていました。毎年この季節には訪日の日を思い出してくれるようです。
 今年のいろはもみじは色がくすみを持って今一つで、おまけに大きな枝が葉をちじらせ、枯れていたのを、先月の剪定の折に庭師が鋸で切っていました。庭木も年老いたようで、混みすぎて見苦しくなっています。遠出はままならぬので、せめての季節の移ろいと、秋の名残りを庭で惜しむ日々です。
 桜紅葉、錦木、満天星、令法と目を楽しませてくれています。ただ、落ち葉の始末は今では、負担になる作業になっています。グールモンの落葉の詩や、白楽天の漢詩の風流を愉しんだ日は、今は昔です。




運転免許返上を思案

2017年11月20日 | 塵界茫々
 このところ長年の愛車が不具合で、同乗した娘が変な音がしていると言うし、ハンドルをいっぱいに切るとがくがくして重いので、お世話になっている自動車屋さんに来てもらいました。
 エンジンオイルも正常で、ベルトの弛みもないのだけど、部品の交換が望ましいと言われました。しばらく走るとハンドルの重さは解消されます。車も持ち主に合わせた老化現象のようです。
 娘は、帰省すると必ず、高齢者の引き起こす事故を聞くたび、心配になるし、以前と比べると運転にも不安に感じるときがある。と繰り返しています。

 車を前にもう止め時かと思案する私に「しばらく考えてみてください。決まりましたら部品を手配します」と言って帰られました。
 年を越せば16年となる経年劣化なら、一か所が故障し始めると次々の不具合でしょうから、長年の間、バッテリーとタイヤの交換以外は必要がなかった健康優良児の愛車にもお別れの時が来ているのは確かです。

 娘に、これを期に免許返上をしたほうがいいと強く言われ、自分でも88歳の年齢を考えると、かなり高額の部品交換は止めたとして、新しい車を購入しても、もう慣れる時間は残されていないのだしと、運転が好きでも、不便でも、やはり潮時が来ていると思案します。

 丘の上での暮らしで、最寄りの公共の交通機関を利用するには一番近いバス停まで歩いて10分、JRの駅までも昔は8分で歩けたものものが今は13分かかります。病院通いと買い物をどうするか、タクシーの契約、手配などのシュミレーションなど、やっておかねばならないことが山積です。




移ろう季節

2017年11月19日 | すずめの百踊り
 彩りを愉しんでいた木々も急ぎ足で葉を落としはじめました。サルスベリはそそけだった枝を寒空に震わせています。
 暦はすでに立冬を過ぎているので、暖房を入れるこの朝夕の冷え込みも季節の自然でしょう。北国では雪の便りも届いているこのごろです。
 描きためた葉書絵の中から季節をお届けします


















 つわぶき にしきぎ しゅうかいどう 

銀杏並木

2017年11月12日 | 塵界茫々
 朝夕の冷え込みで木々の紅葉も進んでいるようです。
 晴天が続くこの頃洗濯物を干したあと、庭を歩いてみるとサルスベリやニシキギ、ドウダンツツジが次第に色を変え、鮮やかに色づく姿に慰められます。
 病院の帰りに気に入りのコースを通ると、銀杏並木の黄葉が二十日でもう散り始めていました。
 連れ合いが手術で入院中、毎日通っていた道です。ある日には夕日を浴びて、晶子の歌さながらに「金色の小さき鳥の形して」舞う姿を、通りが少ないのをいいことにして車を停めて見とれていた日を思い出します。もう11年を経過しています。

 つい先日、この通りのすぐ傍のマンションで、自宅の部屋で飼い犬を猟銃で撃って自分も自殺した人がいました。
ストレスの多い現代、心を病む人も増えるようで、悲惨な恐ろしい事件が増えていくようです。







気がすむまでの摸索

2017年11月04日 | 雀の足跡

 霜月に入り、カレンダーも薄くなってしまった日々をいとおしみながら過ごしています。

 今年は88歳、米寿の誕生月なので思いがけなく行政やその他の公的機関からもお祝金が届けられて驚いています。私の本音は「おめでとうございます」と記されていても、世にはばかって生きているようで、「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしています。」と心のうちで呟いています。「90歳何がめでたい」と開き直れる気力も持ち合わせず、多くの人手を借りて成り立っている今の暮しで、どこか居心地悪く、中途半端のめでたさです。

 一日の十三夜は、やっと晴天が戻ってきた日々で、先月の十五夜よりも美しいお月様を拝めて、今年は形見月にならずに済みました。文化の日や古典の日とやらも挟む教育文化週間のようですから、十三夜について調べてみました。
 中国伝来の十五夜と違って十三夜をめでる習慣は我が国独自のもののようです。お供えのススキも穂がまさに稲穂状ですし、(所によっては本物の稲穂をお供えするところもあるとか)団子の数も13個でいいようです。

 ところで琳派おたくの私は、今年も月を扇面に捉えようと四苦八苦しました。頭に去来していたのは漱石の句「張り交ぜの屏風に鳴くやきりぎりす」と蓼太の句「わが影の壁にしむ夜やきりぎりす」です。その摸索した足跡の楽屋裏を落款も押せないものも含めて何枚か選んで足跡を留めます。