雀の手箱

折々の記録と墨彩画

年の瀬

2012年12月28日 | 塵界茫々

  クリスマスも過ぎ、数え日となりました。年越しの準備に追い立てられてPCに向かうゆとりもない日々です。
 毎年のことながら、日ごろの怠惰を後悔することしきりですが、思うほどには仕事もはかどらず、予定表の項目は後へ後へとずれこんでいきます。

 いつまでも冬至の記事でもないのですが、連れ合いがことのほか喜ぶので、柚子はお正月用を取り置いて使い果しました。金柑は今年もたわわですから代用するつもりです。

 画きためた中のはがき絵を選んで、年末のご挨拶とします。すてきれぬ煩悩の荷を負って旅を続けるのは自画像です。
 皆様に訪れる新しい年が、この蕪のように、平穏で心豊かな幸せにつつまれた年でありますように。

 

 



冬至冬中冬初め

2012年12月21日 | 塵界茫々

 母がよく口にしていた諺ですが、今は冬至の声を聞くといよいよ正月の準備に取り掛かる節気の到来と、気持ちまで日足の短さにせかされてきます。太陽が最も南による日、昼のもっとも短い日です。暦の上では冬の最中でも、本格的な寒さの冬はこの辺りからはじまるわけで、言葉のノリもよく、うまく言い得ていると感心します。
 世間では南瓜を食し、冬至湯に浸かって健康を願うのがしきたりになっているようですが、柚子湯の快適な温もりとその香は愛好しても、南瓜のほうは避けがちです。戦中戦後の食糧難の時代を生き抜いた世代にとっては、南瓜が連日の食卓で主役だった記憶は容易には抜けず、せいぜいスープでいただくぐらいです。見るのも嫌だったころとは違ってきてはいますが。

  今日の手すさびは次の2枚だけです。怠慢な手抜きで過ごしてきていますので、これから大晦日までは体の痛みは棚上げして、大忙しの時間が続きます。のんびり絵筆を弄ぶなどもってのはかで、道具は洗い上げて片づけることにしました。





落葉の錦

2012年12月17日 | 日々好日

 

 夜来の風雨に、一夜にして散り積もった紅葉の錦です。一斉の落葉は珍しくもあり、掃き片付ける前に記念にスナップしました。裏木戸のあたりも、一度に冬木立の姿に変身です。
 紅葉の錦を踏んで、落葉の感触を「渡らば錦なかや絶えなん」の風情を心行ゆくまで愉しみました

 


師走の日々

2012年12月10日 | できごと

 12月の声を聞くと、格別のこともないのになんとなく慌ただしい思いがつのります。

 毎年どなたか著名な方が慌ただしく彼岸に旅立たれるのですが、今年は,円熟の度合いを増して期待されていた歌舞伎界の勘三郎さんが急逝されました。夏祭難波鑑のいなせな舞台を彷彿して冥福を祈ったことです。

  ところで、手の痛みの位置が、寒さと共に次第に上にあがってきて、肩の関節が我慢の限界なので、レントゲン写真その他の検査を受けました。

 骨密度は若年者並みで、私の年齢では100%を越し、特に大腿骨の数値は139%と記載されていましたが、手が痛む原因は、頸椎の軟骨の減少とわかりました。まさしく加齢によるものです。今までこの状態でよく無事できましたね。といわれて、リハビリが指示されました。処方されている痛み止めを飲めば、痛みは軽減するのですが、血圧の数値が薬の飲み合わせでびっくりするほど上がるので、飲まずに我慢していました。

 同じ姿勢を長時間とらないように、PCも1日2時間と制限されました。

 今年も山形からラ・フランス、リンゴ、干し柿と、心づくしの果物が届いています。その中から今朝は、干し柿を、描いてみました。寒い風にさらされて、うまみが増すのは、人の生きる姿も同じようです。教訓じみた賛はいやなのでまだ思案中です。提出の作品にするつもりです。

 


 


興国寺参詣

2012年12月05日 | 雀の足跡

 遠州七窯の一つで、やきものの里として知られる上野(あがの)に在る興国寺に参詣しました。

 久しぶりに訪問した弟のところで、話が弾んで、南北朝の歴史や、足利尊氏と九州との関わりに興味のある夫が、確か上野には、尊氏ゆかりの寺があったはずと言い出して、それではと、弟が運転する車で出かけました。直方までバイパスができているので,30分足らずです。寺号も何もわからないままでしたが、上野で聞けばわかるだろうと出かけました。

 英彦山や田川美術館、仲愛トンネル越えで大分方面に向かう時にはいつも通過しているのですが、もう数十年上野には立ち寄っていないのに気づきました。

 数多い窯元から煙の上っている処もなく、平日のせいもあって、ひっそりと人通りも殆どありません。

 「ふれあい市」と書かれた道の駅らしき看板を見て、展示の花に水やりをしていた女性に、尊氏ゆかりの寺と尋ねると、「ああ、興国寺ですね。ここから3分くらいですが、分りにくい所ですから案内します。私に着いてきてください。」と先導してくださいました。

 福地山麓の、山深くにひっそりと、だが堂々とした佇まいでその伽藍は建っていました。

 市教育委員会の案内板で概要は盡されています。(興味がおありの方は拡大でどうぞ)開扉の時、案内状をくださるとのことでした。足利直義や尊氏の寄進状。大友氏や、大内氏の書状、細川幽斎の和歌など、文書関係の資料も失われたとはいえ多数現存しているようです。

 本堂の前の静心池は、かつては戦に備えての内堀の役割を果たしたもののようでした。

 敗走で九州に逃れた尊氏が潜んでいたという洞穴?という伝承の場所をちょっと探してみたのですが見つからず、散りつくした銀杏の落ち葉が、冷たい風に吹かれて舞うのみでした。

 ご住職は他出しておられ、詳細を伺えず、仏殿(享保4年完成)の観音堂は閉じられていて、拝見できませんでした。春の桜のころにまた訪れてみるつもりです。

豊前 上野 興国寺

 


秋の名残

2012年12月01日 | 日々好日

  整形外科の帰り道で、私の思い描く「日本の里山の秋」にぴったりの風景に出くわし、車を停めました。四季の変化に乏しい海外の友人たちへ配信するスナップに用にちょうどいいので数枚を撮影しました。

 まさに「車を停めて坐ろに愛す楓林の晩 霜葉は二月の 花よりも紅なり」と、杜甫の詩の一節が浮かびました。

 今年は紅葉の見ごろを、遠出ができなくて、半径5キロ圏内での紅葉散歩です。夫が歯の治療中のため流動食様のものしか食べられなくて、調理の時間と、通院の送迎に追われていました。

 遅れていた庭のいろはもみじもこのところの冷え込みで彩りを増し、紅葉のときを迎えています。

 この推移し、変貌の様々の美を堪能させてくれた後は、私には山なす落ち葉の片付けが待っています。軽いからいいようなものの、「林間に酒をあたためて紅葉を焚く」という風流は許されなくなっていますので、椿谷の肥料にと循環させます。