雀の手箱

折々の記録と墨彩画

平成が終る日

2019年04月30日 | できごと
 本日で、ご譲位により年号が改まります。202年ぶりの出来事と報じられています。
 ご高齢による退位のご意思を表明された時以来この日が来ることはわかっていましたが、私は高齢という点では85歳の陛下よりさらに上なので、「令和」という次の年号を生きることになるとは予測していませんでした。
 民間から皇后さまを迎えられ、慣習と伝統の歴史の重圧の中で、文字どおり手を携えて、穏やかな中にも静かに凛とした自らの生き方を貫かれ、国民との間に、新しい皇室の象徴としての天皇の在り方を築かれていかれたことを尊いことに思います。厳粛な一連の儀式の報道に釘付けになっていました。

 ただ、政府方針での十連休には戸惑っています。偶然重なった、私のパソコンの代替わりの諸手続きが、そうでなくても暗中模索状態なのに、何かと手続きや作業にも滞りが出ます。庭の新緑に目を休めながらこの記事でWindows7からの投稿を終わります。新しい年号の次回からはWindows10からの投稿と思っていますが、さて、どうなりますか。




賢所大前の儀に向われる黄櫨染御袍の天皇 時事通信の画像より

 
岡湊神社のヒトツバタゴの樹

門司港界隈

2019年04月21日 | 雀の足跡
 かねて一度関門海峡を見晴らすホテルに宿泊してみたいと言っていた娘が、プレミアホテル門司港の海峡側の部屋を取ってくれました。
 折しも今年3月6年間の長期の修復を終えた門司港駅がお披露目になっているのでその見物を兼ねて、出光美術館での長谷川等伯展にも興味が有ったので、一泊二日の超近場のお出かけです。
 本当は武雄温泉の御船山竹林亭が、躑躅の見ごろのはずだから出かけたかったのですが、先週13日、眼科検診で、先生に告げられた検査結果の不気味な数値と、再手術になる場合の説明などを伺い、気落ちしていて、帰り道で歩道の点字ブロックの低い突起に足を取られて展倒、したたかに額を打ち、唇が少し切れました。幸い足の骨折などもなく、タクシーを拾って帰宅できました。十分に冷やしたつもりでしたが翌々日になって、眉の上からこめかみ近くの瘤が薄紫色になり唇も腫れてきましたので、帰省してきた娘に言われ、大事を取って、北九州市内の西のはずれの自宅から東のはずれの門司港に決めました。、九州鉄道の起点「0哩標」のある我が国最初の国重要文化財指定の駅舎で、現在も使用されている駅まで出かけました。
地元駅から快速で、直通だと50分足らずで到着です。日ごろは日帰りで出かけている門司港に宿泊するのを少し躊躇いましたが、レトロ地区として、北九州市が力を入れているだけ、観光設備が整っていて、全く退屈することなく、ゆっくりした時間を広い角部屋からの景観と食事で愉しみました。
 おまけに、20日土曜日は、330点が店開きするアンチーク雑貨市のイベントが開催されていて思いがけない見物もできたことです。


老朽化を機に2012年から創建当時の姿に戻す復元工事が行われていました、1891年明治24年開業


切符売り場


プレミアホテル門司港


ミニクルージング船


跳ね橋の上がった下を行く遊覧船


ホテルの部屋から望む関門橋と跳ね橋(朝もやの中)


旧三井倶楽部 重要文化財


旧門司税関の裏側


夜の跳ね橋


38㎡の室内


西側の船溜まりと対岸の下関



雑貨マーケット







春の日のできごと

2019年04月15日 | できごと
 「げにや年を経て 花の鏡となる水は散りかかるをや 曇ると言ふらん まこと散りぬれば 後は芥となる花と 思ひ知る身もさていかに われも夢なるを花とのみ見るぞはかなき。」桜川より

 毎年、この季節には、謡を愉しみます。桜を詠った曲目は、西行桜、熊野(ゆや)桜川など数多いのですが、私は桜川を好んで謡います。若い日と違ってしみじみと今の自分に引き重ねています。
 今はもう、誰に気兼ねもいらないので気のすむまで、引きこもりの日々、今が花盛りの庭の八重桜を見ながら謡っています。
 このように、暢気に過ごしていた先週末のことです。パソコンを立ち上げてみると画面はブルー一色で、一向に反応してくれないのです。サポートに電話しましたが強制終了してしばらく待ってみてくださいとの返事で、恐る恐る指示通りにやると、今度は今まで見たこともないオレンジ色一色に変わり驚きました。メーカーにお尋ねくださいとのことでサポートは終了です。
 メーカーは私の混乱とは違って、落ち着いたもので、再び強制終了して、裏面に返し、電話での指示通りに作業をして、しばらく放電し、「立ち上がるといいですね」とやさしく協力してくださいました。祈るような気持ちで操作してみると、何とか無事再開できました。

 2010年からの経年を思えば、もう寿命とわかっていながら、未練たらしく酷使してきたWindows7にも、お別れの決心がつきました。
 いっそガラケイをスマホに変えて対応とも考えましたが、パソコンを離れることは諸般の事情から出来かねるので、甥の友人でパソコンに詳しい人に家まで来ていただき相談に乗ってもらい早速発注しました。また慣れるまでが大変と頭の痛いことが続きます。


 苧環も咲き初めました




都忘れ





歳歳年年人不同

2019年04月06日 | 日々好日
 金毘羅山の桜

 櫻という櫻が満開の時を謳歌しています。寒の戻りで、花冷えの日々を耐えてまだ散らずにいる櫻を眺めると、毎年、小倉城の櫻を見に行かねば気がすまなかった亡き人を切に思い出します。思えば市内の桜の名所を定期観光コースと称して、車で回ったものでした。この時期のブログも櫻尽くしでした。
 昨年は奈良で妹の心づくしの桜めぐりを堪能しましたが、今年は花見としての外出はせず、「年年歳歳花相似 歳歳年々人不同」と、唐の詩人劉 希夷の詩句を口ずさみながら、家に篭っています。






元号と万葉集筑紫歌壇

2019年04月02日 | 日々好日
 新しい元号は、国民の大きな期待と関心の中で「令和」が選定されました。
 出典は元号では初めての我が国の国書の中からで、それも意外にも万葉集からでした。政府見解の発言から、今回は多分国書からとは思っていましたが。
 しかも、それは「万葉集筑紫歌壇」と呼ばれる一群の中でも有名な「梅花宴」三十二首の序文から採られたと報じられました。
 九州国立博物館に自分で運転して訪れる折には、大宰府インターで下りて、都府楼址は道順なのでよく立ち寄りしていました。このブログでも何度か取り上げた太宰府ゆかりの「梅花の宴」です。
 奈良時代の神亀から天平にかけての数年間には、遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれた太宰府には、帥 大伴旅人を筆頭に、太宰少弐 小野 老、筑前国守 山上憶良、造観世音寺別当 沙弥満誓、大伴坂上郎女といった万葉集中屈指の歌人たちが在住していました。帥旅人の邸宅で催された梅花の宴ではこうした人々の歌が採録されています。序文はあの王羲之の「蘭亭の詩会」を思わせる格調高いものです。この元号採択という出来事が、国民歌集といわれ、昭和の大戦に出征した学徒たちの戦陣にも携行を許された万葉集でした。
これを機に万葉集への関心が高まることに期待しています。
 筑紫の国の一隅に、昭和一桁に生まれ、平成、令和と三代の年号で生きることになり、最後が「令和」という筑紫ゆかりの年号となるめぐり合わせを喜んでいます。




註 令和の典拠 出典 万葉集巻五 梅花の歌三十二首併せて序

   初春月 気淑風 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
   (初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き,蘭は珮後の香を薫らす)

   三十二首の中から
    春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さん    筑前守 山上大夫(山上憶良)

    わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも   主人(大伴旅人)