雀の手箱

折々の記録と墨彩画

模索の跡

2012年10月30日 | すずめの百踊り

 いつもは例会へ提出する作品を記録していますが、提出しなかったものも含めて、同じ題材を違った形で描いた複数の作品を公開します。

 お互いに講評するうち、自分では気づかなかった点が好評でポイントを稼いだり、ひそかに自負があったものが不評だったりで、それが面白いところです。

 今回は庭の周辺の秋色を取り集めてみました。前回の「お絵かき」の続きです。

 緊張感が欠けると思われる所に画き加えたり、色を重ねたり、油絵のようにして楽しみました。画材も水彩用の紙を使ってみて、思いがけない効果が出たものもありました。一方、素人のことで、何でもありとはいえ、やはり、自分ではいささか遊びが過ぎたと思うのものもありますが、それを面白がってくれるのも、同好のよしみでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今朝の習作

2012年10月26日 | すずめの百踊り

 少し低調になっている「お絵かき」です。気を取り直して、こういう時は昔に帰ってと、写生風にあれこれと並べて描いてみました。

 むせるほどだった金木犀の香も今朝はもう薄れてきたようで。

 なこか切ない郷愁に似た思いで、詩集でも開いてみようかという気分です。

 

 

 


ホトトギス

2012年10月21日 | 日々好日

ホトトギス

 

 毎年の秋の花ですが、今年は抜き取るのもなおざりになったので、茂るに任せて賑やかです。園芸種の小花のものは花として活けるには向いていますが絵にするには在来種の大型の花の方が適しているようです。黄色の紀伊上臈は少し遅れて今蕾が大きく膨らんでいます。シュウメイギクもいまが盛りです。

 白板症の経過検査が九州歯科大学で予約されているので今週は予定が詰まっています。

 むせるほどの金木犀の香が、何か思いをそそのかすように、切なく迫り、通るたびに足を停めさせられます。「袖のボタン」の、丸谷才一さんが亡くなりました。

              杜鵑草思い出多き人今はなき

                                      写真は右下の四角いボタンで拡大します。


気晴らしの旅

2012年10月19日 | 雀の足跡

 気まぐれに「伊勢海老丸ごと1本」に惹かれて、夫が申し込んだ、バスツアーに参加。遥々、長崎まで日帰りで出かけてきました。

 早朝の高速バスのバス停は方々に向かうツアーバスで賑わっていました。鳥栖で長崎自動車道に入り、最初が金立のサービスエリアで、隣接する公園のコスモスをゆっくり鑑賞し、一路高速道を長崎まで走りました。目当ての伊勢海老は長崎の丘の上の旅館「弥太郎」で供されました。約束通りの250g以上のエビはしっかり食べごたえがありました。舟盛りの鯛には箸が出ない人もいて、余っていました。私はグラタンも茶碗蒸しも、鍋物の長崎ちゃんぽんも。デザートのムースまで完食しました。

 帰途は、有田の酒蔵での試飲と、伊万里の果樹園で、新高梨の食べ放題がついていました。さすがに三きれだけ口にして、あとは皿に山と盛られた梨を眺めていました。

 夜八時半、出発したバス停に到着、タクシーで帰宅しましたが、いささか疲れました。

バスツアー


折尾駅 駅舎改築

2012年10月14日 | できごと

  さまざまな経緯はあったものの、新駅舎が建設されることになり、、木造立体交差では日本最古とされる、珍しい2階建の駅舎が今月6日で96年の歴史を閉じました。すでに仮駅舎での営業がはじまって、正面の扉が全部閉じられた姿を初めて見ました。夫の誕生日の食事を予約していたので、お酒がはいることだしと、車は置いて名残を惜しんで駅を利用して出かけました。

 既に人影もまばらな待合室には、木の支柱が、裾が広がった円形スカートのような腰かけを持って静かに最後の時を見守っていました。数えきれない人の別離を見てきた腰かけです。

 出征する兵士を送り、生き延びて故国へ辿り着いた復員兵士をむかえ、進駐軍の兵隊を、また炭鉱の閉山で生活支援の募金を訴える列をと、その時々を時代の証人として見てきた駅舎です。通勤に通学にと、この駅を通過していった多数の人々の折々の悲喜交々の想いが漂っていました。

 12日が前夜祭、13,14日と盛り沢山のイベントが企画されていました。カメラを構えて記念撮影をする人も多く、夕食後の散歩を兼ねて名残を惜しんできました。

 

最終日の迫った早朝の折尾駅とイベント


彼岸への旅立ち

2012年10月11日 | 塵界茫々

 また一人彼岸への旅立ちを送りました。

 幼い日、夏休みは、決まって母の実家でなん日かを過ごしていました。不安を抱えながら行き先表示を確かめ、電車を乗り継いで半日がかりで辿りつく「田舎」は、街中で暮らす子にとっては不思議の国でした。

 そこで待ち構えていて、私たち姉妹の世話をやいてくれたのが一つ年上の従弟でした。小川で魚を追い、お堂や鎮守の森でやぶ蚊に刺されながら蝉取りに夢中になって、日を送ったものでした。こうした遊びの師匠だった従弟が亡くなりました。転移した癌はもはや手の施しようもなく、手術もできないまま退院し、自宅で痛みとの戦いでした。

 中学の校長だった息子も同じ病で在職中に先立ち、寂しさも一入だったようです。仲の良かった夫人に我が儘をいいながら、最後を看取ってもらって旅立ったのがせめてもの幸せだったと思います。土筆を摘んだからと届けてくれたり、たまに病院で出会うと晴れやかな笑顔で声をかけてきました。まだ大丈夫と思っていましたが容体が急変したようです。

80を過ぎているのですから誰が先に旅立ってもおかしくはないのですが、みまき会のメンバーも毎年欠けてゆくようになりました。解散したメンバーが顔を合わせるミニいとこ会になり、思い出話が次々でした。合掌。

今が盛りのシュウメイギクです。 


嗜好の変化

2012年10月05日 | 日々好日

 左利きの私は、惣菜も酒の肴を中心にしたものです。なき舅が、酒豪と言っていいほどの酒好きで、当時は車の運転をする者は誰もいなかったので、一族が集まる法要などの折は、1升瓶が林立したものです。酒を商う家に育っただけに叔父たちも揃っていける口でした。みんな鬼籍に入り、今は昔の遠い物語となりましたが。

 かつてのような脂っこいものは、手術以来口にしなくなった夫の食事に合わせるうち、こちらも大根や、煮びたしの茄子、里芋の含め煮などを心底おいしいと感じるようになってきました。酒量もめっきり落ちています。ウイスキーやワインから、今では量より質で、好みの銘柄のお酒や焼酎を少しだけでよくなりました。

 変わって以前は見向きもしなかった甘いものに手が出るようになっています。洋菓子よりも和菓子を好んでいただきます。この変化は明らかに老化のもたらす自然現象なのだそうです。嗜好の変遷のおかげで、人生の楽しみの幅が広がった思いがしています。