雀の手箱

折々の記録と墨彩画

著莪の花

2017年03月31日 | すずめの百踊り

 今年は貝母と同様に、著莪の開花も少し早いような気がします。冬の寒さの中でも健気につやつやとして立ち続ける常緑の剣の葉には、励ましをもらっています。このあやめ科の草花は、古く中国からもたらされたものだそうです。
 気取りのない素朴さを私は好んでいます。

 毎年さまざまに描いてみるのですが、まだ写し得たと納得できていませんが、今年の著莪の花です。

 貝母(ばいも)も、射干・著莪(しゃが)も、胡蝶花の呼び名は別にして、いづれも難読漢字をあてられている花の名前です。

紫の斑の仏めく著莪の花   高浜虚子

   著莪叢のとどく木漏れ日濡れてをり  稲畑汀子

   譲ることのみ多き日々著莪の花   塙 義子












貝母


彼岸明け

2017年03月24日 | 塵界茫々
 東京では早くも桜の開花が告げられています。暑さ寒さも彼岸までとはいえ、春の気配は行きつ戻りつで、お彼岸は明けても九州ではまだ開花宣言は出ていません。
 お彼岸詣りに訪問くださった菩提寺の若い僧侶に、お彼岸について学びました。お彼岸という行事は、ほかの仏教国にはみられない日本独自の習慣であること。起源は平安時代にさかのぼり、、伝教大師最澄と弘法大使空海という日本仏教の祖師が中国から帰朝したころからだそうです。
 中日には太陽が真西に沈むことから、西方浄土への極楽往生を願う日としての意味を持つようになり、江戸時代には一般庶民にも浸透して国民的行事になったと伺いました。
 お彼岸といえば先祖供養とばかり思っていましたが、実は「悟りの世界(彼岸)へ近づくための修業期間」という、もう一つの意味があるということでした。その修行を代表するのが六波羅蜜。布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧の六つなのだそうで、いづれも困難な課題のようです。道理で中日を挟んで前後3日間と1週間もの期間が設けられているのがわかります。どれか一つでもと言われても、無縁の俗人の煩悩は断ちがたく、せめて救いを求めて弥陀の名号を唱えることとしました。









 リハビリに通う病院の窓の外。先週が満開でしたが、カメラを持参した今日はもう散りはじめていたコブシの白い花です。

春のささやき

2017年03月17日 | 日々好日
 春のよろこびを告げる草花を摘み取ってきての遊びです。気晴らしには、墨彩で愉しめるのを幸せに思います。リビングの壁面に、2週ごとに入れ替える小さな額を目に留めて、「春ですね。絵が変わるのが楽しみです」と喜んでくれるヘルパーさんもいて、弾みになっています。













 今庭では土佐水木が満開の花を揺らしています。今日は彼岸の入りで、お供えの支度のついで枝を切って大きな壺に投げ入れると春色に華やぎが出ました。




2017年 リオのカーニバル

2017年03月13日 | できごと


今年のカーニバル・パレ-ドは雨の中の影響もあって連日事故続きだったようですが、中止にはならず事故処理が終わるとそのまま熱狂のサンバのリズムは継続されたそうです。

例年通り友人たちから多数のの画像がリアルタイムで送られてきていましたが、このところ体調がすぐれず、呆れられていた私の食欲も落ちて、無理に食べると吐いてしまうので体重も減少。何もやる気が起きず、やたらと眠くて困っていました。やっとスープぐらいに食指が動き始めています。
蓄積疲労かと思いますが、原因は不明です。娘が帰省してくれたので気の緩みか拍車をかけたみたいです。

春に逝く

2017年03月06日 | できごと
 博多に住んでいる夫の一番下の妹の連れ合いが他界しました。この数年体調がすぐれず入退院をくりかえしていましたが、最後は入院して2日目での旅立ちだったそうです。
 夫の兄弟は義弟も含めて男性は一人もいなくなりました。博多まで出かけての葬儀の参列は無理なので、私が一人で出かけることにしました。
 私より三つ年下の85歳でした。若くして高校の校長職にあったのですが晩年は好きな書に親しんで家に篭りがちの暮らしだったようです。長男はチリに単身赴任中で、葬儀には間に合いませんでした。
 兼ねて家族葬でと言い置いていたようで、義弟は一人っ子だったため、妹の血縁関係ばかりで、世話をしてくれていたのはこちらの従弟たちで、久しぶりの再会のきっかけとなったようです。昔の思い出話や、もらった思いやりにあふれた達筆の手紙を大事に持っていて、持参した子もいて、飲みっぷりや文字の豪快さとは違った一面が思い出されて、しみじみとした温かみのある送る会になりました。近親者だけの葬儀も悪くないと思ったことでした。





 斎場は昔通っていた乗馬クラブの近くで地理は見当がついていたのですが、半世紀を経て、すっかり様変わりしていて、遠乗りで馬を駆けさせていた田んぼの中の道は幅広く拡張されて、高層建築が立ち並び、まるで違ってしまい、昔懐かしの山並みの佇まいを目安にかすかに面影を辿ったことでした。
 ブラジルからのカーニバルの写真が今年も多数送られてきていますが、日を改めて整理します。パレードは事故続きだったようですが、熱狂は相も変わらずのようです