雀の手箱

折々の記録と墨彩画

思いがけない収穫

2014年10月31日 | 日々好日
 芙蓉の大木の陰で目につかなかった山芋の蔓に大量の零余子ができていました。葉が大方落ちてきて、やっと目に留まったものです。
今年最後のむかご飯が2回分は炊けそうです。
 でっかい粒は塩茹でにして酒の肴です。「秋の夜の酒は静かに飲むベかりけり」と思っていましたが、ホークスの優勝で有終の美となった秋山監督へのささやかな祝杯となりました。


 柔らかな吊し柿の食べ飽きた分は、そのまま寒曝しにして,粉がふくのを待ってと思っていますが、無事に完成するかどうか怪しいものです。






木守り柿

2014年10月26日 | 日々好日

 柿の木はすっかり葉を落として裸木となりました。そのそそけだつ枝を伸ばした梢近く、蒼空を背景に大きな色鮮やかな赤い実を一つ残す木守り柿の風習を奥ゆかしいものに思います。

 自然の恵みに感謝して、来年も沢山の実りをいただけますようにと祈りを籠め、また、鳥たちへの思いやりでもあるでしょう。俳句の世界では冬の季語となっているようです。

 まず呼び方なのですが、当地では「きもりがき」が圧倒的だと思いますが、地方や、人によっては「きまもりがき」「こもりがき」とも呼ばれているみたいです。
 収穫するとき、1個か2個の大きな実を木に残しておく習わしは、蜜柑やほかの果物にもあるようですが、やはりその鮮やかさ、季節からも柿が主力でしょう。

 三好達治の[残果]という詩に、木守り柿が謳われていますが、そこでは、「鴉のとりも鵯も 尊みてついばまずけり」といっていますが、仁義を解しない今どきのカラスは,不届きにも、ものの三日も口をつけずにいても、1週間とせぬうちに,そっくり攫っていきます。

 吊るし柿も甘味が濃く出て、やわらかく今が食べ時となりました。今日は奈良から妹たちが車で来ているので少しばかり持参しました。初めてにしては上出来と満足しています。柿膾を酒の肴にと思っています。









2014年10月23日 | 日々好日
 珍しい柿をいただきました。「筆柿」というのだそです。三河の幸田の特産とか。
初めて目にした甘柿です。

 出入りの造園業者からは、大量の渋柿が届き、吊るし柿を毎年愉しんでいる友人に半分を届けました。大喜びで、その作り方を伝授してくれました。
 手の不自由な私のために、ピーラーを使うことを勧め、リハビリのつもりで少しずつ皮をむくようにとアドバイスしてくれました。三日がかりで70個ほどが吊るされています。

 我が家の柿は切り詰められて以来、老木はすっかり実をつけるのが減ってしまいました。わずかに残った1本の次郎柿も、なす術もなく鳥たちのご馳走になっていましたが、渋柿を持ってきてくれたついでに、身軽に梯子をかけて、残っていた次郎柿を30個余り採ってくれました。




筆柿



渋柿


次郎柿

地域の秋祭り

2014年10月19日 | 雀の足跡
 あまりの好天に、居眠りばかりの夫を誘って、金山川のコスモスを見に出かけました。
 今日は日曜日で思いがけずコスモス祭りが開催されていました。午後も3時近くで人出も減ってはいましたが、それでもいつもとは違って賑わいを見せていました。
 桜の季節と、コスモスの季節にボランティアの方たちが丹精された花が見られます。川には屋形船が浮かび、カヌーの講習も行われていました。
テントの屋台はそろそろ片付けの時間で棚は空になっているものばかりでした。















 先週は、ぜひ見たいというブラジルからの来訪者と一緒に、一駅隣りの長崎街道の宿場としてかつて賑わった黒崎まで、秋の宿場祭りにも出かけました。その折のスナップです。
 大河ドラマ「官兵衛」の放映中とあって、例年の呼び物の黒田二十四騎も今年は元気があったようです。




会場の曲里の松並木 わずかに宿場の名残りをとどめています。



ステージに勢ぞろいした黒田二十四騎






見物の犬も侍のコスチュームです。


補注
長崎街道は小倉から長崎まで57里(約223.8km)あり、25の宿場が置かれていました。
江戸時代、日本で唯一、海外と交易を行っていた長崎から異国の文化や技術を伝える街道として重視されていました。
諸大名の参勤交代、長崎奉行やオランダ人の江戸往来に利用されただけでなく、多くの偉人や象などの動物も通ったと言われています。
祭りのテントで日ごろの姿が判然としないので、トップの写真と共にNHK北九州「ふるさと探訪」よりお借りしました。

茗荷

2014年10月15日 | すずめの百踊り

 盛りの茗荷を摘んでお世話になるご近所にお福分けしました。雨の多かった今年は大量の収穫でした。

 茗荷は、俗に、食べると物忘れするなどといわれていますが、名前を忘れるのは、そうでなくてもいつものこと。忘れたいことだってあるのに、それはどんなに茗荷を食しても一向に忘れることはできず、好物の茗荷をなじりたくなります。

 戦国武将たちも、戦闘で生き残る「冥加」に掛けて好んで茗荷をその紋所としています。「影茗荷」「鍋島茗荷」「抱茗荷」などが有名です。

 ともあれ、好きなものは好きで、甘酢漬けは勿論、天ぷら。吸い物、あえ物、煮ものの薬味。中華スープにと大活躍です。
感謝をこめて、冥加にあやかりたくてのスケッチです。











有田やきもの紀行 その2

2014年10月12日 | 雀の足跡







 次の日9日も、汗ばむほどの好天にめぐまれ、有田を目指しました。ここでは陶器市などの時は大変な人出となるのですが、イベントの無い時は町じゅうひっそりと静まっています。

 一目瞭然で「有田」を効率よく理解できるという弟の推薦で、九州陶磁文化館に行きました。
 特別企画展「白き黄金」―有田・伊万里・武雄。嬉野の陶器の美と技―が開催されていて、海外からの見学者のグループも来館されていました。
ここには私の好きな柴田夫妻コレクションが展示されています。寄贈された江戸時代の有田磁器の変遷の歴史も学べます。(およそ1000点)
ここ九州陶磁文化館は、今もすべてが無料でした。

 帰途は伊万里を経由して、唐津から虹の松原を通って博多を経て帰りました。2時間半の行程です。




古い窯跡から発掘された陶片



輸出用に焼かれた装飾用の焼き物



技法の解説板の一部



からくり時計1時間ごとに開いてオルゴールが鳴り人形が現れる



開いた時計

有田やきもの紀行

2014年10月11日 | 雀の足跡
 ブラジルからの賑やかな来訪者と一緒に嬉野温泉に1泊で出かけました。「有田」を見たいというので近くの温泉をと選択したものです。
弟が運転する車で5人の賑やかな旅でした。


 





 まずは波佐見焼を見学。窯の歴史を知るには最適の、野外博物館「世界の窯広場」を推薦し、古代から近世に至る12基を山上の野焼き窯はじめ、東洋、オリエント、ヨーロッパと時代と共に下がって配置されているので、ここ波佐見での見所です。何度か見学しているので私たち二人は、公園内の陶芸の館「くらわん館」で資料を見たり、作家の作品や、展示即売の品定めをしていました。

 慌ただしく過ごしていて、私はこの日8日が皆既月食というのを気づいていませんでした。最上階の特別室は角部屋で、中にリビングを挟んで二部屋ありました。起居に問題がある私たちがベッドの部屋で、弟たちが畳敷きの部屋となりました。
 180度の展望の中で、刻々に変貌する月の姿を楽しむことができました。雲一つない晴天の天体ショーのおまけつきで、赤黒い月を初めて見たことです。





はじめての露天風呂の小さな滝に大喜びでした。



有田焼のランプスタンド。




轟の滝 国道沿いのこの滝は高さ11メートルの三段式。滝壺面積2500平方センチメートル。奈良時代から存在が知られる。(案内板)









今年の富有柿

2014年10月02日 | できごと




 今年の富有柿は、驚くほどはやくから色づき、九月の間に熟してしまい、小鳥たちの格好のご馳走となりました。
 早朝から、誘い合わせる賑やかな声がしていて、覗いても小さな鳥たちは、人間を怖れる気配もなく、平気な朝食です。手がかろうじて届くところのを3個収穫しただけで今年は終わりです。病気でも入ったのかもしれません。相当な老木ですから。

 十日ほどで、今はもう柿の葉も数えられるくらいに散ってしまいました。美しい紅葉は天然の模様で地上を染めています。

 他の種類の柿はまだ健在ですが、こちらもかなり色づいて目立ち始めています。富有柿は、下に茂るホトトギスの上に、ぼとりと落ちて、花や葉を汚すことももうおしまいです。現金なもので、小鳥たちの囀りの賑やかさも遠のいています。