2019年9月末で系統廃止された、秋田市外旭川地区の旧道を通る神田線の続き。今回は前回の補足として、主に古い写真を。
廃止区間のうち、神田と水口のそれぞれ上り側には、市営バス時代に設置された初代バス接近表示対応だった電照式ポールが残っていた。前回は大写しは水口だけにしてしまっていたので、
2019年9月の神田。右下は10月以降も残る笹岡線(予約式)の“タク停”
水口では2面が異様に黒くすすけたように汚れていたが、神田はそうなっていない。ただ、白いプラスチック板が割れて欠けたり、バス停名の黄緑の地色がくすんだり(さえぎるものがないためか、水口のきれいな面よりは劣化が激しい)してしまっている。
「市営バス」を隠すために貼られた「秋田中央交通」のシールの文字さえも薄れており、時の流れを見せつけられる。1981年頃(※)設置とすれば37年以上経ち、2005年春の移管からも14年半。
【15日補足】※初代バスロケが1981年設置というのは、12月末の試験運用を指しているようだ。試験はたしか新屋線で行われたので、神田線はそれよりは多少後の設置だと思われる。でも35年は経っているだろう。
ちなみに、2004年2月の同じ面。
緑が濃い!【15日補足・それでも設置当初よりはだいぶくすんでぼやけて見える】
市営バスと中央交通が併記されているのは、ノースアジア大学行き(今秋廃止時点では東口行き)が、神田線本体より先に移管されていたため。「市営(市章)バス」の表示は、設置時点からのオリジナル。
下の枠部分には、初代バスロケーションシステムのメーカー(ポール全体でなく接近表示部分という意味か?)である「新潟通信機株式会社」の銘板が付いているのだが、この時点でかなり薄れている。なお、2代目バスロケはNEC移動通信。
廃止時の周辺。上屋も電話ボックスもなくなり、バスロケも今は撤去、ポストとタク停が残るのみ
再び水口。
廃止時
初代バスロケの上りバス停の向かい側に立派な蔵がある。
2002年5月。市営バス単独だった頃
蔵の隣が酒店だった。
それは覚えていたが、写真を見たら蔵の真ん前に下りバス停のポールが置かれている。そばの立て看板は標語。
かつては上下向き合って設置されていたのが、2000年代以降に下りが秋田駅寄りに数軒分移動していたのだった。そしてその頃、酒屋さんがやめたことになる。
行ったり来たりしますが、笹岡入口。
2002年5月。左が上り側。右の電柱の奥に下り
廃止時と配置は同じ。下り側は表示板も社名以外は同じ。
前回の通り、上り側すぐに小屋があって、これは待合所ではなくゴミ置き場。そしてそのポール。
支柱は新しいが、表示板は手書き
向かい側は自転車屋さんがあった。そういえばそうだ。
1971年の地形図によれば、この辺りに交番(当時は派出所)もしくは駐在所があることになっている(1985年の地形図では卸売市場近くの現在の外旭川交番の位置)。【15日補足・コメントによればここにあった当時は駐在所だったとのこと。】
上の写真の先を右へ曲がると、外旭川中学校、旧・神田笹岡線のルートへ。少し進んだ所には、
「降車専用」
移管と前後して廃止されたがこんなバス停もあった。さらに、左奥・白い軽トラが走っている付近にもポールが立っている。それは曲がる前とは別の「笹岡入口」だったと思われる。
元々の笹岡線は、秋田駅ではなく笹岡入口発着だった。推測だが、その頃は曲がる前の神田線用の笹岡入口は使わず、こちら側のバス停を待機~始発/終点=降車専用としていたのかもしれない。秋田駅方面と神田線を乗り継ぐ人がいたとすれば、分かりにくいし歩かされるけど…
1988年に笹岡線が秋田駅まで延長されて神田笹岡線になった後も、以前の名残りと利便性のため、しばらく廃止されなかったということではないだろうか。
写真では判断できないし記憶もないのでこれも推測だが、その左奥の笹岡線用笹岡入口は、英字入りナールの表示板だった→笹岡線用笹岡入口廃止時に、手書きだった神田線本体上り笹岡入口の置き換えとして移設、今回の廃止まで使われたのではないだろうか。
さて、旧道区間と分かれて、吉学寺入口からバイパスへ出て進もう。
地理院地図に加筆
バス停は、八柳二丁目-卸売市場入口-八柳三丁目-外旭川病院前と一直線(赤い線)。
現在の路線は、病院前を右折して、系統名の由来である旭野団地、そして外旭川市営住宅、秋田厚生医療センター。
9月で廃止された神田土崎線は、病院前を左折・すぐに右折して奥羽本線と草生津川を渡って進んでいく。(地図下側の緑色の線)
昭和末の地形図とおぼろげな記憶によれば、当時は卸売市場入口・外旭川交番の交差点から先は、道自体が存在しなかった。
当時は、今でいうと卸売市場入口の交差点を左折(左前方)して狭い道へ入ると、奥羽本線の踏切まで一直線(地形図の黒い線)。今は外旭川アンパスの県道により分断されてしまったが、当時はなかったので支障なし。そのルートを通るしかなかった。
全バス停名が掲載されている1988年春改正のポケット時刻表を見ると、現在の八柳二丁目~外旭川病院前に対応する区間は、八柳一区-卸売市場入口-八柳二区。【15日「鳥谷場」バス停を見落としていたので訂正します】八柳二丁目~旭野団地に対応する区間は、八柳一区-卸売市場入口-八柳二区-鳥谷場-旭野団地。
八柳の改称は、住居表示実施(1997年)による対応。八柳二区は以前とは位置が違ったと考えられる。旭野団地系統設定前には、八柳二区止まりの系統が存在したこともあった。
旭野団地系統は1988年で既に運行されており、今よりも少し遠回りしていたはず。
外旭川病院は1983年【14日訂正】1988年10月の開業なので、同年春の時刻表にバス停があるわけがないが、開院後に、既存バス停の改称でなく新たに増設されたことになる。【14日補足・道路開通と病院開院の前後が不明だが、もしかしたら外旭川病院前も、当初は今と位置が違った可能性もある。】
【15日見落とし分の追記】鳥谷場は神田土崎線のバス停として、今年9月まで存在した(詳細は後日)。コメントでも教えていただいたように、現在とは位置が少し違っている。
外旭川病院前から先、将軍野を経て土崎駅まで行く、今回廃止された神田土崎線については、いずれまた。
廃止区間のうち、神田と水口のそれぞれ上り側には、市営バス時代に設置された初代バス接近表示対応だった電照式ポールが残っていた。前回は大写しは水口だけにしてしまっていたので、
2019年9月の神田。右下は10月以降も残る笹岡線(予約式)の“タク停”
水口では2面が異様に黒くすすけたように汚れていたが、神田はそうなっていない。ただ、白いプラスチック板が割れて欠けたり、バス停名の黄緑の地色がくすんだり(さえぎるものがないためか、水口のきれいな面よりは劣化が激しい)してしまっている。
「市営バス」を隠すために貼られた「秋田中央交通」のシールの文字さえも薄れており、時の流れを見せつけられる。1981年頃(※)設置とすれば37年以上経ち、2005年春の移管からも14年半。
【15日補足】※初代バスロケが1981年設置というのは、12月末の試験運用を指しているようだ。試験はたしか新屋線で行われたので、神田線はそれよりは多少後の設置だと思われる。でも35年は経っているだろう。
ちなみに、2004年2月の同じ面。
緑が濃い!【15日補足・それでも設置当初よりはだいぶくすんでぼやけて見える】
市営バスと中央交通が併記されているのは、ノースアジア大学行き(今秋廃止時点では東口行き)が、神田線本体より先に移管されていたため。「市営(市章)バス」の表示は、設置時点からのオリジナル。
下の枠部分には、初代バスロケーションシステムのメーカー(ポール全体でなく接近表示部分という意味か?)である「新潟通信機株式会社」の銘板が付いているのだが、この時点でかなり薄れている。なお、2代目バスロケはNEC移動通信。
廃止時の周辺。上屋も電話ボックスもなくなり、バスロケも今は撤去、ポストとタク停が残るのみ
再び水口。
廃止時
初代バスロケの上りバス停の向かい側に立派な蔵がある。
2002年5月。市営バス単独だった頃
蔵の隣が酒店だった。
それは覚えていたが、写真を見たら蔵の真ん前に下りバス停のポールが置かれている。そばの立て看板は標語。
かつては上下向き合って設置されていたのが、2000年代以降に下りが秋田駅寄りに数軒分移動していたのだった。そしてその頃、酒屋さんがやめたことになる。
行ったり来たりしますが、笹岡入口。
2002年5月。左が上り側。右の電柱の奥に下り
廃止時と配置は同じ。下り側は表示板も社名以外は同じ。
前回の通り、上り側すぐに小屋があって、これは待合所ではなくゴミ置き場。そしてそのポール。
支柱は新しいが、表示板は手書き
向かい側は自転車屋さんがあった。そういえばそうだ。
1971年の地形図によれば、この辺りに交番(当時は派出所)もしくは駐在所があることになっている(1985年の地形図では卸売市場近くの現在の外旭川交番の位置)。【15日補足・コメントによればここにあった当時は駐在所だったとのこと。】
上の写真の先を右へ曲がると、外旭川中学校、旧・神田笹岡線のルートへ。少し進んだ所には、
「降車専用」
移管と前後して廃止されたがこんなバス停もあった。さらに、左奥・白い軽トラが走っている付近にもポールが立っている。それは曲がる前とは別の「笹岡入口」だったと思われる。
元々の笹岡線は、秋田駅ではなく笹岡入口発着だった。推測だが、その頃は曲がる前の神田線用の笹岡入口は使わず、こちら側のバス停を待機~始発/終点=降車専用としていたのかもしれない。秋田駅方面と神田線を乗り継ぐ人がいたとすれば、分かりにくいし歩かされるけど…
1988年に笹岡線が秋田駅まで延長されて神田笹岡線になった後も、以前の名残りと利便性のため、しばらく廃止されなかったということではないだろうか。
写真では判断できないし記憶もないのでこれも推測だが、その左奥の笹岡線用笹岡入口は、英字入りナールの表示板だった→笹岡線用笹岡入口廃止時に、手書きだった神田線本体上り笹岡入口の置き換えとして移設、今回の廃止まで使われたのではないだろうか。
さて、旧道区間と分かれて、吉学寺入口からバイパスへ出て進もう。
地理院地図に加筆
バス停は、八柳二丁目-卸売市場入口-八柳三丁目-外旭川病院前と一直線(赤い線)。
現在の路線は、病院前を右折して、系統名の由来である旭野団地、そして外旭川市営住宅、秋田厚生医療センター。
9月で廃止された神田土崎線は、病院前を左折・すぐに右折して奥羽本線と草生津川を渡って進んでいく。(地図下側の緑色の線)
昭和末の地形図とおぼろげな記憶によれば、当時は卸売市場入口・外旭川交番の交差点から先は、道自体が存在しなかった。
当時は、今でいうと卸売市場入口の交差点を左折(左前方)して狭い道へ入ると、奥羽本線の踏切まで一直線(地形図の黒い線)。今は外旭川アンパスの県道により分断されてしまったが、当時はなかったので支障なし。そのルートを通るしかなかった。
全バス停名が掲載されている1988年春改正のポケット時刻表を見ると、現在の
八柳の改称は、住居表示実施(1997年)による対応。八柳二区は以前とは位置が違ったと考えられる。旭野団地系統設定前には、八柳二区止まりの系統が存在したこともあった。
旭野団地系統は1988年で既に運行されており、今よりも少し遠回りしていたはず。
外旭川病院は
【15日見落とし分の追記】鳥谷場は神田土崎線のバス停として、今年9月まで存在した(詳細は後日)。コメントでも教えていただいたように、現在とは位置が少し違っている。
外旭川病院前から先、将軍野を経て土崎駅まで行く、今回廃止された神田土崎線については、いずれまた。