広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

駅名変更から10年

2018-08-30 00:47:43 | 津軽のいろいろ
今は住んでいない土地の10年前の話を蒸し返して恐縮ですが…
10年前・2008年8月下旬。当時、定期的にチェックしていた、とあるネット掲示板(個人管理)を見て、目を疑った。

弘前市内にある弘南鉄道大鰐線の2つの駅「西弘前」と「城南」の名前が、同年9月1日から変わるという。
ガセネタかと疑ったが、駅に掲出された告知の写真も見ることができ、どうやら真実。
西弘前駅に掲出された18日付掲示
でも信じられない。マスコミなど他の媒体での報道・掲載は見当たらない。
当時はすでに公式ホームページを開設していない企業や組織のほうが珍しくなっていたが、弘南鉄道はその1つだった(この後、2008年中に開設されたはず)ので、公式情報は分からない。(今にして思えば、市販の大型の(JTBや交通新聞社の)冊子時刻表でどうなっているか確認しておけばよかった。)
そもそも駅名変更が唐突で、しかもその経緯や理由が見えてこないし推測もできない。
何よりも、告知から変更まで2週間というのが、短かすぎる。
西弘前駅ホームの駅名標
個人的に両駅は大鰐線の中でも身近な駅だから、特別な感慨になるのは当然だけど、それを別にしても、この時の駅名変更について引っかかるものを禁じ得なかった。何かこっそりと済ませようとしているようで。あと、このままで本当に駅名が変わってしまうのか、混乱が生じないのか。不信と不安のようなものを覚えた。

駅名を変えるのなら、国土交通省に対して手続きがされるのではないかと思いついた。
国土交通省東北運輸局のサイトにも未掲載。余計なことかと思いつつ、東北運輸局へ問い合わせてみた。「間もなく弘南鉄道の駅名が変わるようですが、公式発表はされないのでしょうか。もっと周知しないと、混乱が生じるのでは?」と。
丁寧な回答を頂いた(国の出先機関って、一国民の問い合わせに、わりとしっかりと対処してくれる)。
驚いたことに、運輸局側でも、その時点ではこの件を知らなかったらしく、メールでの問い合わせを受けて、駅名変更が事実であることを弘南鉄道に確認してくれた。
ただ、この時点で運輸局が駅名変更を知らなかったことは、法令上は間違いではなく、鉄道事業法並びに鉄道事業法施行規則において、事後に届け出をすれば良いことになっているとのこと。
しかしながら、事前に充分に周知することは当然必要であるとして、運輸局から弘南鉄道に対して、その旨を伝えたとのこと。

駅名変更が、事前の認可・申請などでなく、事後報告で済むとは知らなかった。路線バスのバス停名の変更と同じレベル。
極端な話、東京駅を「新宿駅」、新宿駅を「桂根駅(秋田のきわめて停車本数が少ない駅)」に変えたり、米子駅を「ねずみ男駅」にしてしまっても(水木先生の故郷なので、本当に妖怪の愛称が付けられているが、あくまで愛称)、変更後に届け出れば法令上は構わないということになるのだろう。(それで混乱が起きれば、指導されるだろうけど)


この時の運輸局とのやり取りがきっかけになったのかは分からないが、駅名変更まで1週間を切った8月27日頃、やっと報道で取り上げられ、現地で動きが出始めた。
その後、弘南鉄道が西弘前の商店街など地元に対して説明会(9月4日らしい)を行なって、そこで地元から批判の声が上がった。

ほら言わんこっちゃないと思った。
駅に告知は出ていたものの、弘南鉄道の利用状況からして、告知を見る機会がない地元の人が多かったはず。乗らないけれど、駅名変更は知らせてほしかった/反対するというのは、ムシがいい話のような気もするけれど、鉄道というものは事業者と乗客だけで成り立つものではない。線路が通り、駅がある地元の協力があって、地域と共存してこその鉄道。鉄道や駅は地域の共有財産である。
地域の合意なしに、簡単に告知するだけで充分だと弘南鉄道が考えていたのなら、とんだ思い違いである。

特に地方の私鉄や第3セクター鉄道では、最寄りの学校を駅名に変えることはあるが、利用者や地域に受け入れられた上での変更が普通。
例えば、長崎県の松浦鉄道「清峰高校前」駅は、県立清峰高校が甲子園で好成績を収めたのを機に、地元から駅名にしてほしいとの声が上がり、所在地の町長名で鉄道会社に要望書が出されて、2007年に改称。
福岡県の筑豊電気鉄道「希望が丘高校前」駅は、2008年に私立高校の名前に変わった。その経緯は不明だが、改称記念式典が開催され、記念乗車券も発売されたという。
弘南鉄道では、こうしたことは一切なく、乗客や地域住民としては、一方的に唐突に押し付けられるようにして名前が変わった。
これまで、鉄道の駅名が変わった事例はいくつもあるけれど、このようなことはほかにあっただろうか。



もう1つ引っかかることがあった。変更後の駅名。
西弘前が「弘前学院大前」、城南が「聖愛中高前」。
それ以前から弘南鉄道には、大鰐線に「弘高下」「義塾高校前」、黒石方面・弘南線にも高校の名前を使った駅が3つある。だから、沿線にあるのに、それまで駅名になっていなかった学校を新たに駅名にしたとも考えられる。
しかし、西弘前は弘前学院大学も近いけれど、弘前大学も近い。城南に至っては、聖愛中学高校よりも近い場所に、県立弘前実業高校がある。弘大や弘前実業でなく、なぜこの2校の名前にしたのか。

新駅名になった2校は、どちらも同じ学校法人が経営する。
となると、学校法人と弘南鉄道の間で、何らかの“取引”があったのではないかと勘ぐりたくなる。
取引といっても、悪いことではなく、駅名変更の費用もしくはプラスアルファの広告費的なものが、学校法人から弘南鉄道へ支払われたのではないかということ。
当時すでにちらほら始まっていた、公共施設の命名権の売却(ネーミングライツ)と同じこと。富山ライトレールでは行なっていたはずだし、公共施設では学校が命名権を購入した事例もあり、この2駅がそうであったとしても、別にやましいことでも隠すことでもない。鉄道の収益になって、それが路線の維持につながるのであれば、乗客としては(親しんだ駅名が変わることへの寂しさはともかく)ありがたい。
だが、この点も、弘南鉄道はあいまいに済ませたかった雰囲気。

当時のマスコミの報道によれば、弘南鉄道側は変更した理由を、通学に利用してもらいやすくして、利用者を増やすために変えたとしていたはず。
後に改めて調べると、朝日新聞青森版ではさらに踏みこんで、
説明会の時に「弘南鉄道によると、旧西弘前駅に隣接する弘前学院大から、「学生の自覚を促す効果があるので駅名を変更してほしい」と要望があり、同社も学生の利用者増を期待して踏み切ったという。」
と伝えていた。多少は分かったが、金銭が支払われたのかは不明。
しかし、駅名変更にはそれなりに費用がかかるはずで、変更によって増収があったとしても相殺されてしまうかもしれない。また、学校側から変更を働きかけるだけで、後は鉄道にお任せというのも、ムシが良すぎる。
あくまで推測だが、少なくとも駅名変更諸費用相当額は、学校法人側が負担したのではないだろうか。
また、このことから、学校法人と弘南鉄道の2者だけで変更を決めてしまい、乗客や地域を置き去りにしていたことになる。

あと、学校名を略した駅名なのが、若干もやもやした。
どうせなら「弘前学院大“学”前」「聖愛中“学”高“校”前」などと、略さない駅名にしたほうが良かったかも。(既存の他の駅名も、「弘高」「柏農高校」など略しかたはまちまち)


当時、使い残しの青春18きっぷがあったので、それで駅名が変わる直前の両駅へ行った。今回アップしている写真は、その時の撮影。ここで城南駅の写真をまとめて紹介。
城南駅ホームと駅名標

城南駅の告知は手書き

当時は平日の朝夕は駅員がいたようだ
城南駅はホーム(駅舎もホーム上)のすぐ南側に道路があって踏切がある。その東側には、駅の所在を知らせる、門型の看板があった。
西側から。向こう側左が駅
弘南鉄道の他の駅で見られるような、オレンジ色地の看板と同じものだと記憶していたが、写真で見るとかなり色が薄い。色あせたのか。たしか夜間は黄色っぽく内側から光っていた。駅そのものよりも立派だったかも。
東側から。両面に表示があった
駅名変更後は、このゲート自体が撤去された。代わりの看板類は設置されていないようで、特に道路の東側からは、駅の存在を見落としてしまいそう。

結果として弘南鉄道が押し切って駅名を変えてから、10年。
その途中、変更5年後の2013年には、弘南鉄道の社長が大鰐線を2017年3月で廃止する方針を突然(ここでも唐突)示し、地元に衝撃が走った。
その後、弘前市と大鰐町が間に入るなどして、1月ほどで廃止の方針は撤回された。
協議会が立ち上げられ、運賃優遇など乗車促進策や民間も関わったイベントが開かれるなどするようになった。厳しい現実を地域へ突きつけることで、ある種の“ショック療法”にはなった。中央弘前駅周辺の整備計画も出ている。
それでも、1時間に1本になってしまった列車は、昼間はガラガラ。冷房がない車齢50年を越えた車両も、先は長くはないだろう。

当の西弘前改め弘前学院大前駅は、2009年には完全無人化・自動券売機撤去。【30日補足】2008年の駅名変更の時点で、休日終日と平日昼間は無人扱いになっていて、平日の朝夕しか駅員はいなかったようだ。
今年春には駅舎が建て替えられ、生協のカート置き場と一体化してしまった。


10年前、駅名変更を働きかけた学校側の「学生の自覚を促す効果」があったのか、あったとしても10年経っても続いているのかは知らない。
それを受け入れた弘南鉄道側の「学生の利用者増を期待」した目論見は、上記の状況では、少なくとも大幅増には至っていないのは確実で、外れてしまったと言うべきかもしれない。
駅名を変えなくても同じ結果になっている気はするが、駅名を変えた効果も意味も、とても小さかったと言わざるを得ない。


一方、旧駅名の「西弘前」とその略「西弘(にしひろ)」は、10年経っても健在。
西弘前は地名ではない駅名だけの呼称だったから、駅名が変わった以上、徐々に消滅するのかと思われたが、商店街も、みちのく銀行【30日追記・建物が新しくなった生協も】を始めとする店舗名も、弘南バスのバス停も、今なお「西弘(前)」。衰える気配すらない。
※「弘南鉄道」と「弘南バス」はルーツは同じだが、現在は資本関係はなく、直接の関連はなくなっている。
弘前大学には、10年前に在学していた学生・大学院生は、規則上、留年者さえもういないはず【30日訂正・学部から在籍している大学院生がどこかで休学・留年しているか、学部を卒業した数年後に大学院や別学部に入り直した人は、今も在籍している可能性はあるが、かなり少ないだろう。】なのに、今も「西弘」が通用するらしい。
【9月4日追記】「西弘前」の由来である駅名だけが変わって、それ以外は変わらないままとも言える、本末転倒の状態。また、新駅名に追随する店舗や施設は今のところ、ないのではないだろうか。

駅名変更時に、地元が怒って心配したような事態は、さほど起きていないと言えるだろう。
この点でも駅名を変えた意味がなく、弘南鉄道としては文句を言われた意味もなかったような結果か。
10年経って過去の話になって、そんなこともあったな…程度に落ち着いているのかもしれない。


でもやっぱり、弘南鉄道の失敗だったと思う。
僕はこの一件により、弘南鉄道を見る目が、悪い方向に変わってしまった。
それまでは、弘前に行けば極力乗ることにしていたのだが、この件の後は本数も減ったし、運賃も高くなったしと理由を付け加えて、弘南バスのほうを好むようになった。
その後の廃止宣言&撤回でも、唐突で強引なやり方には疑問を覚えたが、そんなに厳しいのなら微力ながら力になってやろうかと、また少しは乗るようにしている。(でも昔より乗らなくなった)
中心市街地の川沿いを走り、住宅地・学生街からリンゴ畑へ駆け抜ける雪国の直流電車【30日・言い回しを書き換え】という、全国的にも珍しい環境の弘南鉄道大鰐線。いつまでも走り続けてほしいというのは、感傷に過ぎない。遠くない将来に、何らかの変化は避けられないだろう。

【9月3日追記】弘南鉄道は2017年9月で、開業90周年なのだった。これは現在の弘南線の一部区間の開業が基準で、大鰐線は前身から数えても65年ほどの歴史(1952年開業、1970年弘南鉄道に吸収)。
それと、どうせ駅名を変えるなら、「大鰐」を同じ場所にあるJR奥羽本線の「大鰐温泉」に揃えようというつもりはないのだろうか。JRの列車内で、遠方から来た旅行客が、スマホの乗換案内で「大鰐温泉」と「大鰐」が表示されて、その違いに困惑(駅が違う場所なのか、乗り換えないといけないのか等)していたのに遭遇した。
コメント (2)
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