たまにふと思い出す、昔のテレビCM(の歌)が2つある。
どちらも、県域よりは広範囲で放映されたが、全国放送ではなかったようで、誰でも知っているわけでもなさそう。「ヤンヤンヤヤ(八木山ベニーランド)」や「だいじょうぶ~(三八五引越センター)」みたいなもので。
見ていた当時は知らなかった(おそらくネットで調べられるようになった2000年代以降に知った)が、今回の2社とも青森県と関係が強い企業だった。
1つ目は、秋田では昭和末~平成初期頃、夕方のアニメ枠でよく流れていたと思う。
「ピーターパンはパンじゃない」のような、言葉遊びの歌が3つ続き、最後にメーカーらしき名称「チアーズ」が歌われて終わる。15秒だろう。
映像は写真を組み合わせたアニメ、歌うのは男の子だったか。冷蔵のチキンナゲットみたいな肉類加工品の写真が写っていたと思う。
最初は1パターンだけで、後に別の歌詞のバージョンも作られた。
ネットで検索すると、少し情報が出てきた。北海道でも放送されていたそうだ。
広告主の「チアーズ」は、八戸市に本社があるメーカーの、企業名でなくブランド名。
企業名は放送当時は「第一ブロイラー株式会社」、2008年に「プライフーズ株式会社」となって現在に至る。
チアーズブランドは1983年に導入し、今も使っている。当時テレビで見たのと同じ、赤とオレンジのロゴ。
そのCMの歌詞もネット上にあった。正式なものでないし、同じ人が複数箇所に投稿している可能性、覚え違いもあるかもしれないが、見てみれば、そういう歌詞だったなと思うので、ほぼ合っていそう。漢字表記等を調整して、以下に記す。
第1弾 キューリー婦人はキュウリじゃない ピーターパンはパンじゃない 佐藤くんは甘くない
第2弾? 鈴木くんは魚じゃない おさない(小山内/長内)くんは子どもじゃない 越後屋さんは悪くない
第3弾? ジャストミートは肉じゃない 毛ガニはケガしたカニじゃない フルーツパンチは痛くない
当時、「おさないくんは子どもじゃない」が分かりづらいと思ったのを思い出した。
苗字の「おさない」から「幼い」というつながりが、子どもの視聴者には難しいかもしれないのと、それ以前に「おさないくん」=「おさない姓」が存在することを知らない人が多いのではないかと考えたから。
秋田ではおさないさんは、わずかにはいらっしゃる。小山内さんも長内さんも、都道府県別分布でいちばん多いのが、青森県(読みでなく、それぞれの漢字表記での統計)。
青森の企業のCMだったことを思えば、青森県民の感覚で作ってしまって、県外での放送では分かりづらくなったかもしれない。(スクランブル交差点の乙女の祈りの例もあった)
一方、越後屋=悪は時代劇の影響で知名度は高いが、単に昔の商家の屋号だと思われているかもしれない。今も越後屋姓が実在することを知る人はどのくらいだろう。
越後屋姓は、全国的には秋田県に圧倒的に多い。青森でも皆無ではないだろうが存じ上げない。
このCMが放送された時期は、昭和最後1988年か、平成になって1991年ではないかと思う。
なぜなら、その年に同じクラスだった人が、第2弾の替え歌を作ろうと、いろんな苗字で作詞を試みていたから。1989~1990年はクラスが違ったので。
さらに第3弾の「ジャストミート」も手がかりになるかも。
それ以前にも言葉はあったが、ある頃から急に身近なよく使われる言葉になった。当時日本テレビの局アナであった、福澤朗氏の決めゼリフとして。1989年に「全日本プロレス中継」に福澤さんが起用されて使い出したようだから、時期が重なる。
ということで、昭和のいちばん最後~平成のいちばん初め頃の放映ではないだろうか。
もう1つは、チアーズの数年後、高校生の頃(これもクラスメイトが歌っていた)、秋田テレビの昼前のニュース「FNNスピーク」でよく見た。
商品の写真と、男性が写り、その男性が良い声で歌う。
「サンサンサンサン サンダイヤ 1台だけでもサンダイヤ」
「サンダイヤ/SUNDIA」とは、北国・寒冷地の必需品「ホームタンク」の商品名。
ごく最近はまた変わりつつあるが、効率や経済性を考えると、寒冷地では暖房や給湯に灯油を使うのが一般的。そのための、(主に屋外用)据え置き型大容量灯油タンクのことを、ホームタンクと呼ぶ。
各家庭で設置して配達してもらえば、運んだりポンプで注いだりしなくても、スイッチやレバー操作で暖房やお湯が使える。灯油の存在を意識せずに使ってしまうし、万一、漏洩した場合は近隣へ【12日補足・土壌や河川といった環境や消防当局にも】迷惑をかけることになるのは注意。
1974年7月23日の秋田魁新報夕刊に「怠るまじ、灯油保存/ホームタンク激増/豪雪・オイルショック 骨身にこたえたネ」という記事があった(県立図書館見出し検索)。
なるほど。ヨンパチ豪雪による配達困難と、オイルショックによる灯油不足・値上がりを経験して、より多く備蓄しようとする家庭が増えたのか。でも機器のほうがホームタンクに対応しないとダメか? 今のホームタンクとは違うホームタンクなのか?
いずれにしても個人的感覚では、昭和末時点の秋田市ではホームタンクはそれほど普及していなかったと思う。ストーブ1台ごとに都度給油し、風呂・台所は別々のガス給湯の家庭が、まだ多かったと思う。
1990年代中頃以降、ホームタンクが広まったかもしれない。
そして、このダジャレのCMソングで、「サンダイヤ」というブランドのホームタンクがあることを知った。
【12日補足】寒冷地ではホームタンクは、“一家に1台”に近い存在だが、一家に2台以上あることはまずない。その面では「1台だけでもサンダイヤ」は、ある意味実態に即していると言えるかも。
今、秋田市内のお宅のホームタンクを拝見すると、結構な割合で「SUNDIA」。シェアトップかもしれない。
正面ロゴは位置的に撮れなかったので、横のカタカナロゴ
正式名称は「オイルタンク」か。
数年前、我が家のホームタンクがそろそろ耐用年数で交換したが、灯油屋さんもこちらも、最初からサンダイヤ前提で話が進んだ。その頭の片隅には「サンサンサンサン」「1台だけでも」があった。CMの効果がまだ続いている。
昔のCMに話を戻して。
ダジャレの歌を歌っていたのは、なんとあの尾崎紀世彦氏!
Wikipediaには、「北東北限定CM、1991年」「リヤカーを引きながら本人出演」。
一方、尾崎さんのファンサイトには、1994~1997年に東北・北陸で放映との情報も。
僕が高校生の時見たのは時期的に1994年。それ以前には見た記憶もないし、リヤカーも覚えがない。数年違いで2バージョン以上あったのかもしれない。
尾崎さんといえば、1971年の名曲「また会う日まで」。
1990年代では、過去の歌ではあったが、尾崎さんは過去の人でもなかった。
日本テレビで「夜もヒッパレ一生けんめい」→「THE夜もヒッパレ」という、バラエティ歌番組があったが、月1回ほど尾崎さんが出演して、マイクを口から遠ざけて「二人でドアを閉ーめーてー」を大音量で歌ったり、出だしの音が似た「真夏の出来事」とひっかけて「また会う、車に乗って」と歌ったりしていた。僕はそれで尾崎さんと「また会う日まで」を知ったかもしれないし、今も歌い継がれるのはこの功績も大きいかもしれない。
尾崎さんがヒッパレに出ていたのは1994~2002年だそう。また同時期には、他社のCMソングもけっこう歌っているようだ。
さて、ホームタンク・サンダイヤを発売するのは、東京に本社がある「株式会社サンダイヤ」。※東京には「サンダイヤ株式会社」も存在するが、食品添加物などの無関係の企業のようだ。
各種タンクのほか、ゴミ置き場、床暖房パネル、“ねこ車”こと手押し一輪車のタイヤをスキー化する「ねこスキー」なるものなどを販売。
「宝栄工業」という企業の営業部門を1982年に独立させた企業とのことで、その製造部門として、今も「宝栄」を名乗る企業が全国各地に4社ほどある。
そのうち、ホームタンクを製造しているのが、「青森宝栄工業株式会社」。青森県六ヶ所村にあり、場所柄、原子力やマリンレジャー(釣りとか?)関連も扱っている。
ということで、上のサンダイヤも、
青森宝栄工業株式会社
僕が秋田でテレビCMを見た翌年頃には、青森へ行ったことになる。青森でもサンダイヤのCMは当然、流れていたようなのに、見た記憶はない。
尾崎さんが出なくなった後は、青森つながりを重視したのか、吉幾三氏や十和田在住のシンガーソングライター桜田マコト氏が出ているそうで、秋田でも放送されるらしいが、見た覚えはない。
2つとも、おもしろくて、ブランド名もきちんと頭に残る、いいCMだった。
どちらも、県域よりは広範囲で放映されたが、全国放送ではなかったようで、誰でも知っているわけでもなさそう。「ヤンヤンヤヤ(八木山ベニーランド)」や「だいじょうぶ~(三八五引越センター)」みたいなもので。
見ていた当時は知らなかった(おそらくネットで調べられるようになった2000年代以降に知った)が、今回の2社とも青森県と関係が強い企業だった。
1つ目は、秋田では昭和末~平成初期頃、夕方のアニメ枠でよく流れていたと思う。
「ピーターパンはパンじゃない」のような、言葉遊びの歌が3つ続き、最後にメーカーらしき名称「チアーズ」が歌われて終わる。15秒だろう。
映像は写真を組み合わせたアニメ、歌うのは男の子だったか。冷蔵のチキンナゲットみたいな肉類加工品の写真が写っていたと思う。
最初は1パターンだけで、後に別の歌詞のバージョンも作られた。
ネットで検索すると、少し情報が出てきた。北海道でも放送されていたそうだ。
広告主の「チアーズ」は、八戸市に本社があるメーカーの、企業名でなくブランド名。
企業名は放送当時は「第一ブロイラー株式会社」、2008年に「プライフーズ株式会社」となって現在に至る。
チアーズブランドは1983年に導入し、今も使っている。当時テレビで見たのと同じ、赤とオレンジのロゴ。
そのCMの歌詞もネット上にあった。正式なものでないし、同じ人が複数箇所に投稿している可能性、覚え違いもあるかもしれないが、見てみれば、そういう歌詞だったなと思うので、ほぼ合っていそう。漢字表記等を調整して、以下に記す。
第1弾 キューリー婦人はキュウリじゃない ピーターパンはパンじゃない 佐藤くんは甘くない
第2弾? 鈴木くんは魚じゃない おさない(小山内/長内)くんは子どもじゃない 越後屋さんは悪くない
第3弾? ジャストミートは肉じゃない 毛ガニはケガしたカニじゃない フルーツパンチは痛くない
当時、「おさないくんは子どもじゃない」が分かりづらいと思ったのを思い出した。
苗字の「おさない」から「幼い」というつながりが、子どもの視聴者には難しいかもしれないのと、それ以前に「おさないくん」=「おさない姓」が存在することを知らない人が多いのではないかと考えたから。
秋田ではおさないさんは、わずかにはいらっしゃる。小山内さんも長内さんも、都道府県別分布でいちばん多いのが、青森県(読みでなく、それぞれの漢字表記での統計)。
青森の企業のCMだったことを思えば、青森県民の感覚で作ってしまって、県外での放送では分かりづらくなったかもしれない。(スクランブル交差点の乙女の祈りの例もあった)
一方、越後屋=悪は時代劇の影響で知名度は高いが、単に昔の商家の屋号だと思われているかもしれない。今も越後屋姓が実在することを知る人はどのくらいだろう。
越後屋姓は、全国的には秋田県に圧倒的に多い。青森でも皆無ではないだろうが存じ上げない。
このCMが放送された時期は、昭和最後1988年か、平成になって1991年ではないかと思う。
なぜなら、その年に同じクラスだった人が、第2弾の替え歌を作ろうと、いろんな苗字で作詞を試みていたから。1989~1990年はクラスが違ったので。
さらに第3弾の「ジャストミート」も手がかりになるかも。
それ以前にも言葉はあったが、ある頃から急に身近なよく使われる言葉になった。当時日本テレビの局アナであった、福澤朗氏の決めゼリフとして。1989年に「全日本プロレス中継」に福澤さんが起用されて使い出したようだから、時期が重なる。
ということで、昭和のいちばん最後~平成のいちばん初め頃の放映ではないだろうか。
もう1つは、チアーズの数年後、高校生の頃(これもクラスメイトが歌っていた)、秋田テレビの昼前のニュース「FNNスピーク」でよく見た。
商品の写真と、男性が写り、その男性が良い声で歌う。
「サンサンサンサン サンダイヤ 1台だけでもサンダイヤ」
「サンダイヤ/SUNDIA」とは、北国・寒冷地の必需品「ホームタンク」の商品名。
ごく最近はまた変わりつつあるが、効率や経済性を考えると、寒冷地では暖房や給湯に灯油を使うのが一般的。そのための、(主に屋外用)据え置き型大容量灯油タンクのことを、ホームタンクと呼ぶ。
各家庭で設置して配達してもらえば、運んだりポンプで注いだりしなくても、スイッチやレバー操作で暖房やお湯が使える。灯油の存在を意識せずに使ってしまうし、万一、漏洩した場合は近隣へ【12日補足・土壌や河川といった環境や消防当局にも】迷惑をかけることになるのは注意。
1974年7月23日の秋田魁新報夕刊に「怠るまじ、灯油保存/ホームタンク激増/豪雪・オイルショック 骨身にこたえたネ」という記事があった(県立図書館見出し検索)。
なるほど。ヨンパチ豪雪による配達困難と、オイルショックによる灯油不足・値上がりを経験して、より多く備蓄しようとする家庭が増えたのか。でも機器のほうがホームタンクに対応しないとダメか? 今のホームタンクとは違うホームタンクなのか?
いずれにしても個人的感覚では、昭和末時点の秋田市ではホームタンクはそれほど普及していなかったと思う。ストーブ1台ごとに都度給油し、風呂・台所は別々のガス給湯の家庭が、まだ多かったと思う。
1990年代中頃以降、ホームタンクが広まったかもしれない。
そして、このダジャレのCMソングで、「サンダイヤ」というブランドのホームタンクがあることを知った。
【12日補足】寒冷地ではホームタンクは、“一家に1台”に近い存在だが、一家に2台以上あることはまずない。その面では「1台だけでもサンダイヤ」は、ある意味実態に即していると言えるかも。
今、秋田市内のお宅のホームタンクを拝見すると、結構な割合で「SUNDIA」。シェアトップかもしれない。
正面ロゴは位置的に撮れなかったので、横のカタカナロゴ
正式名称は「オイルタンク」か。
数年前、我が家のホームタンクがそろそろ耐用年数で交換したが、灯油屋さんもこちらも、最初からサンダイヤ前提で話が進んだ。その頭の片隅には「サンサンサンサン」「1台だけでも」があった。CMの効果がまだ続いている。
昔のCMに話を戻して。
ダジャレの歌を歌っていたのは、なんとあの尾崎紀世彦氏!
Wikipediaには、「北東北限定CM、1991年」「リヤカーを引きながら本人出演」。
一方、尾崎さんのファンサイトには、1994~1997年に東北・北陸で放映との情報も。
僕が高校生の時見たのは時期的に1994年。それ以前には見た記憶もないし、リヤカーも覚えがない。数年違いで2バージョン以上あったのかもしれない。
尾崎さんといえば、1971年の名曲「また会う日まで」。
1990年代では、過去の歌ではあったが、尾崎さんは過去の人でもなかった。
日本テレビで「夜もヒッパレ一生けんめい」→「THE夜もヒッパレ」という、バラエティ歌番組があったが、月1回ほど尾崎さんが出演して、マイクを口から遠ざけて「二人でドアを閉ーめーてー」を大音量で歌ったり、出だしの音が似た「真夏の出来事」とひっかけて「また会う、車に乗って」と歌ったりしていた。僕はそれで尾崎さんと「また会う日まで」を知ったかもしれないし、今も歌い継がれるのはこの功績も大きいかもしれない。
尾崎さんがヒッパレに出ていたのは1994~2002年だそう。また同時期には、他社のCMソングもけっこう歌っているようだ。
さて、ホームタンク・サンダイヤを発売するのは、東京に本社がある「株式会社サンダイヤ」。※東京には「サンダイヤ株式会社」も存在するが、食品添加物などの無関係の企業のようだ。
各種タンクのほか、ゴミ置き場、床暖房パネル、“ねこ車”こと手押し一輪車のタイヤをスキー化する「ねこスキー」なるものなどを販売。
「宝栄工業」という企業の営業部門を1982年に独立させた企業とのことで、その製造部門として、今も「宝栄」を名乗る企業が全国各地に4社ほどある。
そのうち、ホームタンクを製造しているのが、「青森宝栄工業株式会社」。青森県六ヶ所村にあり、場所柄、原子力やマリンレジャー(釣りとか?)関連も扱っている。
ということで、上のサンダイヤも、
青森宝栄工業株式会社
僕が秋田でテレビCMを見た翌年頃には、青森へ行ったことになる。青森でもサンダイヤのCMは当然、流れていたようなのに、見た記憶はない。
尾崎さんが出なくなった後は、青森つながりを重視したのか、吉幾三氏や十和田在住のシンガーソングライター桜田マコト氏が出ているそうで、秋田でも放送されるらしいが、見た覚えはない。
2つとも、おもしろくて、ブランド名もきちんと頭に残る、いいCMだった。
あと松本さんも多いと思います。
ラジオ番組で何も考えず適当に松本さん(仮名)とやったらその部署に本当に松本さんがいらして冷汗三斗ということがありました。
遠い地方に行ってローカルCMや番組を見ると印象深いのに会いますね。
CTCチバテレのなのはな体操やGTV群馬テレビの放映時間をサザエさんにわざわざぶつけてきたマジックをするローカルヒーロー番組「マジック戦隊MCO」など。
CMではtvkテレビ神奈川の有隣堂の「本は心の旅路」、発毛カツロンなどが最強でした。不思議に当時のtvkではハウス食品のCMがやたら多かったです。
一般家庭では少なかったかもしれませんが、農家だとホームタンクは必須だったかもしれませんね。
仮の名にする時は、実在し得ない名前にしておいたほうが無難ですね。「フグ田」とか?
秋田では、越+前・中・後+屋さん、それ以上に加賀屋・加賀谷さんも珍しくないですね。昔そちら方面から来た家系だそうですが。津軽には、秋田ではかなり少ない、秋田さんがわりといるのもおもしろいものです。
方言などよそ者にはよく分からないこともありますが、旅情とカルチャーショックが楽しいものです。
>りおさん
昭和末だとなくはないものの、最先端(?)の設備だったかもしれません。
なるほど、市内でも地域差はありそうです。都市ガスがあるエリアほうが、風呂や台所の切り替えが進まず、ホームタンクが普及しなかった面があるかもしれません。
なぜか北陸が多く、ついで関西ですが本荘谷とか酒田谷とかもいたような。
あと関西より西は出雲とか備後とかはありますか大々的な谷付き名前は減ります。
排他的な県民とよく言われますが、このグローバルな名前がアメリカの移民の名前みたいで実はそうでないという現れかと思います。
ホームタンクは見てれば案外おもろいんです。
jaが販売してるアキタホームタンクなる青いタンクはむかしだと丸い農協マークが描かれていたり、○○農協とかよく書かれてました。
サンライズという緑のタンクや丸タンクとか。
青森の企業といえばタイシとかマルヨとかもあります。
川崎時代にセンサー部門には強い町工場に勤めていて
信州や北陸、北関東にちょい住み(出向)したことがありますが
閉鎖性・排他的については秋田と比べて
北関東は置いといて他の地方は結構強烈でした。
特に長野はもう住み・・ですね。それも北部より中信南信は・・。
議論好きで交渉はまず喧嘩みたく必ず吹っかけてと言う感じで疲れます。
秋田のような下の冗談はまず通じません。
観光では良いものを持って居るのですが。
実は秋田はそんなに排他的じゃ無いんです。
北前船のルートだったのもありますが鉱山で栄えたのでいろんな人達を労働力として受け入れたからでしょう。
どちらかと言えば北陸より北海道に人間性が近いかも知れません。
昔の秋田の活気や日本海周りの往来を伝える苗字なのでしょうね。
「屋」ならお店の名残りでしょうが、「谷」は不思議です。大館・津軽に多い「石戸谷」など地名じゃないものもあるし。
農協が積極的にホームタンクを売っていたのですか。丸いタンクは中央地区で1つは覚えています。昭和50年代後半・低学年の頃、いっしょに下校していた子が、松ぼっくりを蹴って、それが丸タンクにジャストミートしておかしかった思い出が。そのお宅は今もあるものの、普通のホームタンクです。
青森の企業はあとは吉田産業、元はその関連会社だったホームセンターサンデーも。サンデーもCMソングが知られていますね。
>あんなかさん
訪問と住むのとでは、こちらもあちらも応対が違うのは仕方なくはあるものの、住めば都、ともいかないのでしょうね。田舎は多かれ少なかれ閉鎖的になりがちですが、歴史も影響しているとすれば、おもしろいものです。
新型コロナウイルスの影響で、地方移住が少し促進されそうな予感もしますが、苦労する人もいることでしょう。
青タンクを置いてる家が多かったです。
あの家は農家だとすぐわかりました。
寿命短いから農協マークのはもうありませんが。
あとむかしAKT夜7時前に玉子豆腐と茶碗蒸しとかいう歌が流れるCMありませんでしたか?
あれも青森な気が。
たぶんあちらでAKT受信する人が多かったのか大館あたりで商品が共通したり買い物するからか、やけにあの局は青森のCMをよく見ました。
玉子豆腐のCMも記憶にないです。
でも、津軽と言えば、かくみつ食品や木戸食品の具入り玉子豆腐だとと思って調べたら、木戸食品のCMが北海道などで流れていたそうです。それではないでしょうか。デビュー間もない岡江久美子さんが出演していたこともあったそうです。
越県ローカルCMも、知らない・忘れたのがいろいろありそうです。