真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。
中学校で買わされた国語の資料集に載っていたフレーズである。特急のスピード感が存分に現され、鉄道好きとしては印象深かった。小駅が石のように黙殺されるという比喩は衝撃的だった。特急に限らないが、速い列車に乗っていて駅を通過する時、今でもこれが頭に浮かぶ。
戦前の作品の一節で、その当時としては斬新な表現だったということで引用されていたかと記憶する。
中学生だった平成初期でも、令和の今でも、仮名遣いを除けば、古臭くはなく充分通用する文章だと思う。ただ、今は「特別急行列車」を略して「特急」であることを知らない人は多いだろう。
誰の何という作品かは覚えていなかったが、後にネットを使えるようになって容易に判明。
横光利一の短編小説「頭ならびに腹」の冒頭。1924(大正13)年の作。
ちょうど100年前の作品だった! もう少し後、昭和初期かなと思っていた。
著作権が切れており、「青空文庫」サイトなどでも全文を読むことができる。列車はどうなったのか、タイトルにどうして頭と腹が出てくるのか、興味のあるかたは各自、お読みください。短いので。
我が国で特別急行列車が初めて運行されたのは1912年。特急に愛称が付けられたのは1929年。
だから、発表当時は、運行開始間もない頃で、その列車種別自体がステータスを持ち、まさに特別な列車だったのだろう。
作中では、何線のどこからどこへ行く列車なのかは分からない。イニシャルでT線(接続路線)と、経路上にH、K、Sの各駅(通過駅かもしれない)が存在することは記されている。
まったくの架空の名前かもしれないが、現実では、当時は東京~下関間でしか特急は運行されていなかったそうだ。
「頭ならびに腹」から100年後に登場した特別急行列車について、続く。
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