広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

原の町バス停上屋撤去

2022-10-17 22:38:56 | 秋田市営バス
前回に続いてバス停シリーズが続いてしまいますが、今回が今シーズン最後。
過去の記事やコメント欄で少し触れていた、愛称「原の町通り」にある神田線・添川線・泉八橋環状線用の「原の町」上り(環状線は八橋回り側)バス停の上屋が、壊れて撤去された話。【18日追記・初回アップ時に抜けていて、後の話がつながらなかった「壊れて撤去された」を追加。】

市営バス時代に設置された、屋根と三方が透明なアクリル板で覆われた上屋。
2005年3月撮影(雪が多い!)
ポールは設置せず、壁面にバス停名や時刻表掲出枠があった。
2代目バスロケに描かれていたのと同じ、市の花さつきが使われていることからして、1990年代半ば以降に設置されたと考える。
原の町のは、上のリンクにある「帝石前」バス停の上屋とよく似ているが、サイズや文字や枠の配置は異なる。
市営バス 保戸野原ノ町
「保戸野原ノ町」とされてしまっているが、正しくは「ノ」がひらがなだし、そもそもバス停名としては「保戸野」が付かない。※1966年までは「保戸野字原ノ町」が存在した。
秋田市交通局では、「からみでん(旧町名・搦田)」バス停を「からみ田」と表記してしまってもいた。なまじ秋田市の歴史や地名を知っている、秋田市職員が配属されていた交通局だからなのか、電話や手書き文字でのやり取りと確認不充分により、誤植されてしまったのか。

通町など、1990年代後半頃には公営交通事業協会からもらった上屋が設置されたが、それは壁がない屋根のみ。冬は北西の吹雪が激しい秋田市では、心もとない時がある。秋田市の気候を知る交通局だからこそ、壁付きにしたのではないだろうか。

それがどう壊れたかというと、
2022年5月
屋根がなくなって、壁だけ残ってしまった。
2022年始の暴風雪によるものだそう。
「市営バス」をはがした跡が残る
経年劣化と汚れで、アクリル板の透明度は落ち、くもりガラス状態。ただ、上の写真右上の1枠だけは、透明な新しいそうな板に替えられている。
時刻表の隣に「お知らせ」
「バス待合所の屋根が壊れた為、後日、解体・撤去します。」考えてみれば、「何を」撤去するのか書かれていない。「屋根を」と受け取ることもできるが、屋根自体はすでになくなっているのだから、残る上屋全体が撤去されるであろうことは察しがつくけれど。
だが、写真のようにツツジが咲く5月になってもそのまま。8月になっても9月になっても。


いただいたコメントによれば、10月12日にアクリル板だけ撤去された。翌13日には柱も撤去されていた。

柱が刺さっていた場所だけでなく、電柱・民地側まで歩道の幅いっぱいを、新たにアスファルト舗装し直している。丁寧だけど、必要だったのか?

跡にはダルマ型ポースがぽつんと置かれた。
仕様は、この夏交換されたものと同一で、台座が金属枠で囲われる。
表示板は、2021年9月に交換されていた向かいの下り側、2021年秋以降に交換されていた、近くにあるもう1つの原の町バス停の秋田高校線御所野行き側と同じ。
なお、もう1つの原の町の、秋田高校行きと楢山大回り線側は、市営バス時代の表示板のまま、支柱と台座だけきれいにされていたが、それは現時点でも変わっていない。


悪天候のみならず直射日光下でも、バスを待つのはつらいもの。上屋はありがたい存在だが、道路環境や地域の理解、費用を考えると、どんどん整備できるものではなく、バス会社や行政が最優先でやることでもないとは思う。でも、本数も減らされ、気候も厳しくなる昨今、もうちょっとなんとかしてほしくもある。
ただ、原の町の場合、ここから乗る人はさほど多くはないとも思う。手前の保戸野八丁や桜町のほうが多そうだけど、やはりそれらにも屋根はない。
そして、既存の他の待合所も老朽化が進んで、いずれはなんとかしなければいけない時が来る。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バス停名称変更'22.10 | トップ | 方向幕の変化'22.10 ぐるる編 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ポストは今何処 (FMEN)
2022-10-19 01:36:01
ここも昔はあったはずですが、コピー時刻表を入れたポストは今あるんでしょうか。
他にはサンライフ秋田、菊谷小路、市立病院、水口とかにあったはずです。
あれも移管前から蓋が取れて時刻表を入れてない場所がありました。
返信する
時刻表入れ (taic02)
2022-10-19 18:03:36
縦長の新聞受けや状差しみたいなのでしょうか。そう言われれば…
2005年の写真ですでに写っていないようです。
返信する

コメントを投稿