広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

EVバス本格運行/ネットの情報

2013-10-09 23:44:41 | 秋田のいろいろ
秋田県庁ホームページに今日付けで掲載された情報(http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1381198979750/index.html)によれば、EVバス「ELEMO-AKITA」の本格営業運行が10月15日から始まる。
※EVバスについての直近の記事

それによれば、運行されるのは平日のみ、泉ハイタウン線の2往復固定。
秋田駅西口11時35分発~秋田貨物駅入口11時51分発、秋田駅西口15時05分発~秋田貨物駅入口15時21分発。
15日の第1便の乗客先着50名に記念品を贈呈するというけれど、4便合わせたって50人も乗らないんじゃないでしょうか…

当初の計画は、秋田市中心部を環状運行する(中心市街地循環バス・ぐるるとは別に)とか言っていたけれど、結局は試験運行と同じく既存の一般路線バスのダイヤに組み込んで、平日だけたった2往復とは、拍子抜けした。
試験運行時には、最大で1日4往復泉ハイタウン線を走っていたから、それより少なくなった。泉ハイタウン線は往復で8キロほどだから、1日当たりの運行距離・頻度がこの程度じゃあ、路線バスとしては使いものにならないような気がする。1往復目と2往復目の待機時間も長い。今後は増やしていくのだろうか?
それから、臨海営業所と駅の間の回送はどうするんだろう。そこも営業運転すればいいのに。

【11日追記】11日付秋田魁新報の1面中央に、このことが露出オーバー気味の写真付きで掲載された。
「当面は万一の不具合に備えて整備担当者が同乗。」「「買物広場」停留所で1往復ごとに充電を行う」とのこと。
同日付で、中央交通の公式ホームページにも掲載されたが、15日から18日までで、11時台の1往復しか運行されないような書きぶり。
【18日追記】その翌週分の運行予定も中央交通の公式ページにアップされた。今度は日によって11時台だけの日と15時台だけの日がある。やはり今のところは1日に2往復はしないようだ。



ぜんぜん別のバスの話題。
インターネット上にはさまざまな情報があふれ、すべてが真実ではない。
例えば、最近は、てのひらほどの大きさのハチ(蜂)の死骸の写真に「これが中国のスズメバチ。これが何十人だかを襲った」といった文章を付けたものが広まっているらしい。
しかし、その写真に写っているのは「スズメバチの女王蜂」だそうで、これが人を襲うことはない。そもそも、世界最大のハチは「オオスズメバチ」であり、これは日本にも(中国にも)分布する。日本のスズメバチも充分恐ろしいのだ。
まあ、ハチの怖さを周知するには不適切ではないとは思うが、正しくないし誤解を招く。

ネット上では、間違った情報は次第に駆逐され、正しい情報が残っていくという自浄作用みたいなのはあるけれど、間違った情報が完全に消えることはなく、いつまでも残って、それが周期的に再浮上して広まってしまうことが多分にあると思う。


今年の春だったか、ツイッターにこんな情報が画像付きで流れていた。
「銀河鉄道バスには、秋田中央交通の中古車がある」
最初見た時は、冗談か架空の話かと思った。

バス会社名らしいが「銀河鉄道」というのは聞いたことがなかったし、いつもは中古車を導入する側である中央交通が、中古車を他社に譲る側になるとは考えにくい。
でも、車両の写真が掲載されている。ウソ? ホント?


調べると「銀河鉄道」は実在した(岩手県の第三セクター鉄道「IGRいわて銀河鉄道」ではない)。
1999年設立の東京都東村山市にあるバス会社(「鉄道」という社名でも鉄道事業は過去にもやっていない)。
バス愛好家が趣味が高じて立ち上げた企業で、現在は路線バスや市からコミュニティバス運行を受託し、小さいながらも地域の足を担っているようだ。車両は、他社の中古車を入れている。

件の車は、「G-104」「多摩200 か16-81」という車両。※ナンバーからすれば、5年くらい前に登録されたようだ。
ツイッターの文章や写真によれば、
・日産ディーゼル製の中型車「RM」。富士重工が架装した「8E(正式には18E)」型のボディ。
・シフトレバーは床から直接生えている古いタイプの「ロッドシフト」。
・ワンステップ車。
・側窓は上下に開閉し、茶色の枠。
・秋田中央交通の中古であると、銀河鉄道の乗務員から聞いた。
だそう。

これを受けて、ツイッター上では、「秋田市交通局(秋田市営バス)から中央交通へ譲渡された車が、さらに譲渡されたのか?(秋田市営→中央交通→銀河鉄道)」「いや、こんな車、中央交通になかったのでは?」といった憶測が飛び交っていた(ごく一部で)。
乗務員から聞いたというのは、正確には「以前車内にあった、行き先表示設定用の表に『秋田中央交通』や『秋田駅』のコマがあったのを乗務員が見たと話したのが根拠。行き先表示幕の現物はなく、確認できない」ということで、中央交通の中古という情報は間接的に聞いたことになる。
秋田の人ではない方々のようだが、バス愛好家の皆さんが型式や各事業者の仕様を詳しく把握しているのには感心させられる。

ただ、申し訳ないけれど、秋田に住んで秋田のバスを永年利用している者としては、ひとこと申し上げたい。
そのバスは、秋田中央交通の中古ではない」と。(本当なら直接お知らせするべきだろうけど、ツイッターのアカウントを持っていない者にはその術はない)

なぜなら、中央交通にはそんな仕様のバスは存在しない(しなかった)から。
ぱっと見ると合致しそうな車両があるが、すべての条件を満たす車両は中央交通には存在しないのだ。
例えば、中央交通では「ロッドシフトの車両はすべてツーステップ」のはずだし、「ワンステップ車はロッドシフトではなく、窓は逆T字形。しかもその車両は今も秋田で走っている」といった具合に。

考えてみれば、中央交通が所有する富士重工ボディの日産ディーゼル製のワンステップ車は2台しかない。臨海営業所の「か237」と「か238」。(上記の通り、シフトレバーや窓の配置が銀河鉄道G-104とは異なる)
偶然2台並んで待機する238と237。237のほうは正面の「UD」エンブレムがなくなってしまった(今年4月に確認)

銀河鉄道の「G-104」の正体だが、山形県米沢市のコミュニティバスの中古車だったとか。米沢と中央交通の廃車を引き取った業者が同じで、そこで行き先表示の設定表が紛れ込んでしまったのだろうか。
結果的には誤った情報だったことになるが、運行会社の社員から聞いた情報なら信ぴょう性が高そうで信じるのも無理はなく、広めた人を責めるわけにはいかない。(そもそも限られた人にしか必要とされない、趣味の情報だから目くじらを立てる話じゃないけれど)
正しい情報を集めて、広めて、受け取る。どれも難しいことだ。


ところで、中央交通の中古車が他社で再び走ることなんてあるだろうか。海沿いの積雪地で酷使される中央交通の車両なんて、外板はボロボロのものが多く、足回りも同様のはず。そんな車を中古で買って使おうとする事業者がいたとすれば、相当な物好きでしょうね。
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札幌市交通資料館

2013-10-08 23:49:36 | 旅行記
北海道旅行記。※前回の記事
バスの日にこじつけて少し紹介した「札幌市交通資料館」を、今度は鉄道の日にこじつけて。
1972年にオープンした、札幌市の交通事業に関する展示施設。札幌市交通局の外郭団体「札幌市交通事業振興公社」が運営する。入場無料。
前から見に行きたいと思っていたのだが、開館するのは5月から9月の土日祝日と札幌市立学校の夏休み中だけなのでタイミングが合わず、今回やっと行くことができた。

場所は、市営地下鉄南北線の終点・真駒内の1つ手前、「自衛隊前」駅。
駅の西側出口を出て南へ向かい、川を渡ってすぐ。
向かい側は自衛隊
地下鉄のシェルター付き高架の下を利用した、細長い施設。

あまり大きくない建物内には約1000点の資料、高架下には路面電車10両、地下鉄5両、バス4両の車両が展示される。
「22」
形式は「10形」。明治末期製造の名古屋で使われていた中古車で、1918(大正7)年に札幌市に初めて路面電車ができた時(当時は民営)にやって来た木造の車両。市営化後も引き継がれ、1936年まで運行された。
集電装置がパンタグラフではない
架線に接する部分が滑車状になった「トロリーポール」というもの。進行方向が変わる時は、紐を引っ張ってポールを旋回させて向きを変える。
秋田市電でも1965年の最後の運行までこれを使っていて、公営の路面電車では最後だったそうだ。

「D1041」
これはぐっと近代的。端正なスタイルの路面電車のように見えるけれど、路面「電車」ではない。なんと、ディーゼルエンジンで動く「路面ディーゼルカー」!
札幌市電には、国内唯一の非電化の路面電車(電車じゃないけど、なんて表記すればいいんだ?)があった。
1964年に製造されたこの車両は、路面ディーゼルカーとしては最後の形式。その後、非電化区間も電化されたため、1971年には廃車されてしまった短命な車両。

路面ディーゼルカーというのもすごいけれど、窓が大きく洗練されたデザインの車体も特徴的。
札幌市では、こういうデザインの車両が多かったようだ。

これは
札幌の冬の訪れを感じさせる風物詩といえば、路面電車の除雪車両「ササラ電車」。(例年10月中旬に報道公開をするそうだ)
資料館には、3両の除雪車両(2両がササラ、1両はプラウ式)が展示されている。上の写真奥が「雪8」、手前は1961~1971年に使われたディーゼルカーの「DSB1」。
DSB1のササラ
見た目は、シュロ製のホウキに似ているけれど、竹製だそうでかなり固い。どちらかと言えば茶道で使う「茶筅」みたいな感じか。


最後に地下鉄。
1000形(後に2000形に改形式)
1971年の開業時からの初代の営業車両が展示されていた。
全体的なデザインや地下鉄としてはかなり大きい窓が、路面ディーゼルカーとも共通する。緑色だからバッタとか、仮面ライダーにも似ているような。
2000形は1999年まで走っていたので、中学校の修学旅行でこの形式に乗ったかもしれない。

札幌の地下鉄といえば「地上を走る部分はシェルターに覆われている」ことと、「ゴムタイヤで走行する」のが大きな特徴。
シェルターは分かるけれど、ゴムタイヤについては地下鉄駅は暗いし、今はホームドアがあるので、見ることは難しい。乗り心地でレールとは違うと感じることしかできなかった。
交通資料館では、
ちゃんとタイヤが見えた!(市章が、正面・ドア・ドア間とやたらと付いている)
車体のわりには小さめに感じたが、トラック並みの大きさのタイヤを履いていたのを確認できて、感動。

鉄道好きとして恥ずかしいのだけど、僕は今まで札幌の地下鉄が「ゴムタイヤで走行する」という仕組みをうわべだけで、よく理解していなかったことを今回知った。※それでもなお、勘違いしているかもしれません。
ゴムタイヤで走る=レールがないと思い込んでいて、溝状の部分にゴムタイヤがはまることで、レールの代わりをしているのだと勝手に妄想してしまっていた。

ところがそれは間違いで、札幌の地下鉄にもちゃんと「レール」があり、そのレールが車両が道を外れないように“ガイドレール”として誘導しているのだった。
ただし、そのレールは2本ではなく中央に1本だけ。しかも、そのレールを走行用とは別のゴムタイヤで挟んで走行するのだった。
「案内軌条式鉄道」といって、台場の「ゆりかもめ」のような新交通システムもほぼ同じ仕組み。

文章だと分かりにくいので、他の車両の写真で。
「はるにれ」

「すずかけ」
地下鉄開業前に作られた試験車両。「はるにれ」は1965年製の第3次試験車。「すずかけ」が1967年製の第4次試験車で、作業用車両のような外観ながら、走行システムは南北線の営業車両とほぼ同じとのこと。
この2両の足回りを拝見。
 
走行用とは別の少し小さいタイヤが、横に倒れた状態で車体の底に付いている。
そのタイヤが、1本だけのレールを挟んでいる。
走るためのタイヤを「走行輪」、横向きのを「案内輪」と言い、両方にゴムタイヤを使ったのは札幌が世界で初めて。

屋内には、タイヤが展示されていた。
説明板には「寄贈 ブリヂストンタイヤ(株)」とあった。同社は現在は「株式会社ブリヂストン」なので、改名された1984年以前に寄贈されたのだろう。
左が東西線、右が南北線
南北線用のタイヤは表面がツルツルで、後に開通した東西線用は溝がある。(もっと新しい東豊線は東西線と同じ?)
説明板では南北線のは「駆動輪」、東西線は「主輪」と表記が異なるが、どちらも走行輪ってことでしょ。
どちらも「スチールラジアルタイヤ」。南北線用は外径1090ミリ、幅290ミリ、重量60キロ。「タイヤ表面模様がなめらかな地下鉄用ゴムタイヤは世界で初めてのもの」。
東西線用は外径1000ミリ、幅370ミリ、重量65キロ。「特殊開発された扁平なスチールラジアルタイヤ」で、「世界最大の地下鉄用ゴムタイヤ」。

タイヤの履き方も違い、南北線はバスやトラックのように同軸に2本履くダブルタイヤ。東西線・南北線では1本だけで、パンクに備えた金属製の補助輪があるそうだ。
南北線と東西線・東豊線では、タイヤ以外のシステムにもいろいろと差異があるそうで、車両を共通化することできない。

ブリヂストンのロゴ(昔の)がちゃんと入っている
雪国では今シーズンのスタッドレスタイヤのテレビCMが9月から始まっている。ブリヂストンでは「札幌のタクシードライバーの70%がブリザックを選んでいます」というのを放送している(最近見ない?)けれど、札幌の地下鉄は100%ブリヂストンだ。
【10月19日追記】スタッドレスタイヤのCMを改めて見た。札幌のタクシードライバーの「10人中7人がブリザック」と言っており、字幕で小さく「71.6%」であるとしている。


資料館の敷地は細長いため、途中で狭いながら信号機付きの横断歩道で公道を渡る。
「真駒内」交差点。向かいが陸上自衛隊真駒内駐屯地

百聞は一見にしかず。おもしろく、ためになった。
展示物の維持管理のためには、有料にするとか、駅構内扱いにしてきっぷ所持者だけに公開するようにしてもいいのではないだろうか。
※札幌の地下鉄の仕組みについては、新さっぽろにある札幌市青少年科学館のホームページ(http://www.ssc.slp.or.jp/science-qa-box/qabox-traffic/919.html)も参考になります。

「かけこみは危険!」
自衛隊前駅構内にあった、駆け込み乗車をしないよう呼びかける看板に描かれるのは、2000形?


40数年前に札幌市が独自に新たなシステムの地下鉄を開発したことは、画期的で意欲的な挑戦だったのが伺える。
でも、今にして思えば、普通のレールによる地下鉄にしておけば、技術開発や建設の費用が抑えられたはずだし、JRとの相互乗り入れなど利便性が向上していたかもしれない。独自のシステムというのは「ガラパゴス化」したということだし、さらに路線によって規格が違っていては、車両の開発や運用の効率が悪い。
結果的には、北の200万都市を支える重要な交通機関として立派に機能しているわけであり、これはこれで間違っていなかったのではあるけれど。

※北海道旅行の続きはこちら(カテゴリーが違います)
※北海道のちょっとした話題(消火栓について)はこの記事後半でも
※旅行記カテゴリーとしての続きはこちら
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秋田駅から見えた!

2013-10-07 23:52:20 | 秋田の季節・風景
秋田駅自由通路から南方向を眺めて、びっくり。
分かりますか?(ホームのE6系じゃありません)
中央の奥に注目。
こんもりと木が茂る丘は、城南中がある「金照寺山(きんしょうじやま)」。左には一つ森公園の山が連なる。これらはすぐ近くだからいつも見えるけど、その木々が少し低くなった場所の向こうに、いつもは見えない黒い三角形が見えていた。
これって
方角と形からして、秋田・山形県境にある鳥海山に間違いない!

鳥海山と秋田市の直線距離は70キロ。
遮る低い山や建物がなければ、秋田市内でも鳥海山が見られる場所はけっこうある(仁井田の農試跡、秋田市北部下新城笠岡など)。ただし、天候によって見えない日が多く、鳥海山が見える場所の存在に気づかないことが多い。

秋田駅周辺では、もっと西側のビル群の向こうに鳥海山があるような感覚がしていて、それだと2階の高さの自由通路からでは、ビルに隠れて見えないと思い込んでいた。
それが、頂上付近だけちょこんと、金照寺山の向こうに見えるとは意表を突かれた。もし、金照寺山の木がわずかに背が高ければ、見えないだろうから、奇跡的だ。
(千秋公園からは、園内の木とビルによって見えないはず。御隅櫓からなら見えるだろうか?)

おそらく、地上のホームからは見えないと思われる。
自由通路上でも、新幹線ホームの上付近より西側では見えなくなるようだ。西側の駐車場付近からは見えない。びゅうプラザ辺りがギリギリか。【もっと西でピンポイントで見える場所もあった。下のリンク先参照】
自由通路を東側へ移動すれば、もう少しだけ広い範囲を見られる。
 
アルヴェの上の階からならよく見えるはずだけど、ちゃちな展望スペースは東側だけ。南向きに窓がある、東横インに泊まるか大塚製薬(14階南西側にオフィスがある)に勤めないと見られないでしょう。【9日訂正】低層階の公共施設棟側(自然科学学習館)から見えたとのコメントをいただきました。※秋田市内の他の場所から見えるものも含めて、こちらにて。


秋田市や男鹿南秋近辺では、「鳥海山が見えると翌日は雨」という観天望気(気象の言い伝え)がある。
鳥海山を見たのは昨日。雲が多い中に、鳥海山がくっきりと見えたのは、異様にも感じられた。
今日は朝に雨が降ったので、言い伝え通りだったことになる。さらに気温は28.2度まで上がって、おそらく観測史上4位(1位でも28.9度)。



山ついでに、富士山。
富士山からの距離が、鳥海山と秋田市の距離に相当するのは、湘南の神奈川県藤沢市や鎌倉市、静岡市の西隣の焼津市や藤枝市辺り。太平洋側なので空気が澄んだ冬ならけっこう見える日が多いと思われる。
逆に、冬以外の季節は、もっと近い場所でも見えないことが多い。

6月に世界遺産に登録されることが決まって、周辺には観光客が多く訪れているらしいし、旅番組などでもよく取り上げられる。でも、夏場なので富士山が見えていないことが圧倒的に多く、残念がっている様子もよく放送されている。
冬以外に富士山の山の姿を見ようと出かけるのは、かなり危険な賭けだと思う(周辺の施設や食べ物などを主目的に出かけるのならともかく)。観光業界としては、通年でお客に来てほしいだろうから「冬以外に来たって、ほとんど見えません」とは言えないだろうけど…
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校歌を分析

2013-10-05 22:40:22 | 秋田のいろいろ
以前、県立新屋高校や秋田和洋女子高校の校歌の作曲者として紹介した、三善 晃(みよし あきら)氏が4日に亡くなった。80歳。
新屋高校の校歌は、秋田市出身の国文学者・歌人の阿部正路氏による地域色あふれる歌詞と、三善氏が音楽を担当した「世界名作劇場 赤毛のアン」と通じる雄大なメロディで、名作だと思う。
【6日追記】三善氏の訃報は、6日付秋田魁新報社会面にも掲載された。しかし、共同通信からの配信記事そのままなのか、秋田県内の校歌を作曲していたことには触れていない。


以前の続き(とその補足)で校歌について。
※記事中の人名の敬称は略します。 ※見落としや見間違いがあるかもしれません。

各学校や教育委員会(市立図書館にもあるかも)で「学校要覧」を見せてもらえばすべての学校の校歌が分かりそうだが、そこまでするつもりはないので、ネットで分かる限りで調査。
秋田市立(毎度すみませんが雄和・河辺地区を除く)の小中学校57校の校歌を、ホームページなどで調べてみた。
その結果、49校の作者と50校の歌詞が分かった。

秋田市立の学校では、すべての学校でそれぞれのホームページ(サーバーは市管理で共通)を公開している。他の市町村では、ホームページ自体がなかったり、所在地程度の内容しかないところもあったりする中、秋田市では各学校の個性豊かな情報が分かる。
しかし、その取材や作成・更新は特定の教員に任せられているようで、学校によって内容や鮮度に大きな差が出てしまっている。特に年度初めは、前年度担当の先生が異動してしまって放置状態の学校もある。
一部の自治体ではやっているのだが、学校の所在地や沿革、そして校歌など決まりきった変化しない情報は、教育委員会事務局が各学校共通のレイアウトのページを作成して掲載してもいいのではないだろうか。日々の学校生活など、変化するページだけを現場に任せて。

ホームページへの校歌の掲載は、秋田市立、秋田県立高校などでは、歌詞は掲載している学校が多い。一部では譜面や音声もアップしている一方、歌詞さえ掲載していない学校もある。
中には、詞や譜面は掲載しているのに、その作者名を記していない学校もあった。これは作者に対して失礼であまりいいことではないのではないでしょうか。


●制定年
以前も触れたように明治時代からある学校なのに、校歌は比較的新しい学校がある。いくらなんでも最近の新設校は開校直後には作られているだろうけど。
また、中学校は制度自体が戦後にできたから、古い校歌はない。

分かった中でいちばん古いのは明徳小の1932(昭和7)年2月11日、次いで土崎小の1941年。
あとは戦後で、1949年から1966年にかけて10以上の小学校で作られている。特に1955年前後に多い。
高清水小では1958年に開校80周年を記念して校歌を作ったそうだが、それ以前には別の校歌があったという。旭北小では1966年の創立80周年で校歌を「改訂」したとしている。
他にも、この頃に創立80または90周年で校歌を作った学校が見受けられる。

考えられるのは、以前は校歌があったものの内容が時代にそぐわなく、終戦から10年経って余裕が出てきたのを機に変えたとか、新制中学校の新しい校歌に触発されて作ることにしたといったことだろうか。【7日追記】1954年には当時の周辺町村の多くが秋田市に編入合併されており、現在の秋田市の市域がほぼ確立している。この時、既に秋田市内にあった学校や周りの他町村の学校と足並みを揃えて校歌を作ったということもあるかもしれない。
【新制中学校の校歌については、末尾追記の土崎中学校のことを参照】

●何番まで?
校歌の長さというか「節」の数。何番まであるか。
いちばん長いのが4番までの日新小と豊岩小。
多いのは3番までで小学校10校、中学校11校。2番までは小学校21校、中学校6校。
※ホームページで公開されている歌詞がすべてではない(途中までで、さらに続きがある)可能性もあります。

【2015年10月19日追記】日新小と豊岩小は、どちらも中川正男作詞で、四季を描写している。
2015年10月13日付秋田魁新報「歌い継ぐ校歌42」によれば、日新小では「式典では春と夏に1番と2番、秋は1、3番、冬は1、4番と歌い分けている。」。

●常連作者
1人で複数の秋田市立学校の校歌を作った作詞者、作曲者がいる。
作詞者では、佐々木高一と大友康二が各3校、中川正男が5校(この人は日新小、豊岩小、浜田小、豊岩中、秋田西中と、いずれも西部地区の学校限定)、そして竹内瑛二郎がなんと16校!
作曲者は、小田島樹人、小野崎孝輔が2校、菊地三男、佐藤長太郎、佐藤敏雄、小野崎晋三、藤井吉次郎が3校、そして大山会三郎が5校。

【2015年10月19日追記】2015年10月13日付秋田魁新報「歌い継ぐ校歌42」より。
中川正男は「教員で歌人、郷土史家としても活躍した。日新小OBで、同小教頭や日新中校長を務めた。校歌の作詞は日新中、豊岩小、戸島小なども手掛け」た。
※日新中は秋田西中の前身。


特定の作詞者と作曲者がコンビを組んであちこちの校歌を作る場合があり、秋田市立学校でも見られる。竹内瑛二郎・佐藤長太郎、竹内瑛二郎・小田島樹人が2校、竹内瑛二郎・佐藤敏雄が3校、竹内瑛二郎・大山会三郎が5校。

ここに出てきた作者のうち、小田島樹人、小野崎晋三、小野崎孝輔については、以前紹介した。
他にも調べて素性が判明した方々を紹介しておく。いずれも学校の先生だったようだ。
大山会三郎:1960年頃に県立秋田北高校の教諭。1967年に秋田市在住。
菊地三男:1960年頃に市立外旭川小学校の校長。(作曲したのは広面、下新城、上新城の各小学校)
竹内瑛二郎:1904年頃生まれ。秋田市教育委員、秋田南中学校長、明徳小学校長。漢字、かなづかい、送りがなの普及に尽力。1968年秋田市文化章受章。秋田魁新報の詩壇選者。
大友康二:1930年頃、(現在の秋田市)下浜羽川出身。秋田高校、秋田大学学芸学部卒(専門は体育?)。秋大附属小学校教諭、県教育庁保健体育課長、県生涯学習センター長、県立秋田西高校長を歴任。2001年県文化功労者。県内14学校の校歌を作詞。週刊アキタに随想を連載。(2012年8月29日魁より)
ずっと前に紹介したように「AKT少年の船」の立ち上げスタッフであり、AKT少年の船の歌の作詞者でもある。
【2014年4月12日追記】2014年4月12日付秋田魁新報県央地域面で、由利本荘市の道川、亀田、松ケ崎の各小学校が統合して開校した岩城小学校の校歌が報道されていた。「作詞は元秋田西高校長で県文化功労者の大友康二さん(83)=秋田市下浜羽川、作曲は元新屋高校長で県吹奏楽連盟会長の高野豊昭さん(66)=由利本荘市石脇」「大友さんは県内各地の小中学校の校歌の作詞を手掛けており、今回で16校目。高野さんはこれまで中学、高校合わせて3校の校歌を作曲しているが、小学校は初めて。」「大友さんは「自分が作詞した最後の校歌になるかもしれない(略)」と語った。」
次項の通り、大友作品では“サブタイトル”が付くのが特徴。岩城小の校歌は「希望のかなた」というサブタイトルなのが、記事中にある体育館に掲出された歌詞の写真から分かるが、記事本文中では触れていない。
【2015年3月18日追記】2015年3月17日付秋田魁新報の連載「歌い継ぐ校歌・大曲工高」で、同校の校歌を作詞した竹内瑛二郎、作曲した小野崎晋三に、大山会三郎を加えた3氏について触れられていた。
「県内で多くの校歌を作っている」3氏を指して「校歌3人組」と呼ばれているという(誰に??)。
竹内氏は「詩人で元秋田市教育委員長」、小野崎氏は「元秋田大教授」、大山氏は「元高校教諭」としている

●サブタイトル付き
「○○○学校校歌」だけでなく、副題が付いている校歌がある。
秋田南中の「みちのくの子ら眉高く」は、同校の校訓的なフレーズにもなっている。
他には、飯島南小の「夢 美しく」、寺内小の「みんなは太陽」、泉中の「君よ 輝け」。南中以外の3校は、いずれも大友康二作詞。大友作品の校歌にはサブタイトルが付くのが定番らしく、秋田市立以外でも、県立栗田養護学校「いのちあかるく」、潟上市立天王南中(補作を担当)「ただこの時に」といった具合。

歌詞の中身に注目。
●校名
学校名が歌詞に出てこない校歌がたまにある一方、早稲田大学のような校名を連呼する校歌もある。
秋田市では10校で校名が歌われていない。残り40校は校名(もしくは校名を示唆する言葉)が出てくる。
40校中、1節(番)内に2回以上校名が出てくる「連呼」タイプは、6校。

●山、川
2月17日にテレビ朝日系で放送された「題名のない音楽会(2302回)」は、「みんなで歌おう!ユニーク校歌大集合」。
番組によく出演する作曲家の青島広志(僕には1986年からNHK教育テレビで放送された小学校4年生向け音楽番組「ゆかいなコンサート」の印象が強い)は、全国各地の校歌の作曲も作詞も手がけているという。
「青島流 校歌作詞・作曲の極意」があるそうで、作詞に関しては「名所、旧跡、名物などを歌詞に入れる」こと。「富士山がほんのちょっとでも見える場合は(歌詞に)入れる」「川が暗渠になっていたとしても入れる」そうだ。
たまに全然地名が入らない校歌があるが、個人的にはそれでは寂しいと思っていたので、大いに賛同した。特に、通学地域(=子どもが暮らす地域)が限られた範囲内である公立の義務教育学校では、そこにある風景は地域の財産だろうし、アイデンティティを呼び起こすものだから。

秋田市立学校の校歌には、どんなものが歌い込まれているだろうか。
まずは、山。秋田市内の多くの場所から見える「太平山」、あとは「鳥海山」か。
太平山(もしくは太平)は50校中、実に30校に登場。
鳥海山(もしくは鳥海)は8校で、うち6校は太平山と鳥海山の両方が歌われる。

次に川。
遠くからでも見える山と違い、川はその学区周辺を流れていないと歌われない傾向にあった。
大河・雄物川は、12校に登場。「雄物」と歌われるものが多い(10校)。
旭川は意外に少なく、旭川小(もちろん地名としてではなく)と秋田東中だけ。太平川は4校。
あとは新城川(上新城小)や宝川(下北手小)が見られる。

他には「海」「大森山」「手形山」「千秋(公園など)」が散見される。
総社の森(川尻小)、高梨台(旭川小)、三吉さま(太平山三吉神社のこと。広面小)、この丘(高清水小)など、さらにその地域ならではのものも出てくる。

山王中の「八橋の丘」や保戸野小の「地の果てを遠く望んで」など、現状ではイメージが湧かないものもある。
「八橋の丘」は、現在の八橋運動公園一帯にあった丘陵を指しているそうで、運動公園西側にその名残がある。
「地の果て」は、かつては保戸野から西方向は一面田んぼが広がっていたことを歌っているのだろう。

●地域色
地名以外にも、その地域がイメージされるフレーズがある。
「船の煙」「かもめとぶ」(土崎中【末尾追記参照】)、「海荒び砂はふぶけど里守る松」(飯島中)、「風かおる道行く牛」(太平中)など。他には、田んぼの広大さや実りの描写が多数。
【2014年6月2日追記】初回アップ時は不明だったので集計対象外とした太平小学校の校歌(鎌田巳千雄 作詞、小野崎晋三 作曲)でも、「あぜの仔牛と ほほえみ交わし」とウシが登場。

旭北小では「西に南にはるばると 日にましのびる大秋田 絵巻のようなよいながめ」。
秋田市の真ん中の学校らしく、街が拡大する期待感にあふれた歌詞だけど、今となっては…

秋田東中は「清しさ霧の中わけて 野より街よりにこやかに 語る足並み軽々と」。
秋田東中の学区は、秋田駅のすぐ北側の千秋地区から(【7日補足】そればかりか、秋田駅の所在地など中通地区の一部も)、太平山のふもとの仁別地区(開校から1975年までは藤倉分校→藤倉中学校があったそうだが)まで広範囲に及ぶ。まさに「野より街より」生徒が集うわけで、的確できれいな描写だと思った。


校歌も各学校や地域の個性の1つであり、通った人の思い出に残るもの。子どもが減ったり学校が統廃合されたりしても、いつまでも残してほしいものである。

※秋田市立御野場中学校の校歌についてはこちら

【2015年2月2日追記】秋田県立聾学校は、2010年に土崎港北から上北手(南ヶ丘)へ移転している(関連記事)。
その校歌は、1968年制定(井田道爾 作詞、露木次男 作曲)で1番に「空もゆたかな将軍野」という歌詞がある。(土崎時代の所在地は、すぐ隣が将軍野)移転後も、そのまま歌われている。

【2022年6月28日追記・土崎中学校の校歌の作成の経緯と作者について】
土崎中校歌は作詞 工藤共子、作曲 工藤雄一。
「日本ラジオ歌謡研究会長」(聖霊高等学校教員でもあった)で1940年生まれ、秋田市の工藤雄一氏という人が、秋田魁新報の連載「シリーズ時代を語る」で取り上げられた。その第9回、2022年6月28日付で、同氏が土崎中学校の校歌を作詞したことに触れている。
県立秋田高等学校の3年生だった1957年、同氏の母校でもある土崎中で校歌の曲を募集していることを、新聞記事で知り応募。
「歌詞は既に生徒の一人が作っていました。」「(同年は新制中学校の多くが)10周年記念で校歌を作った学校は多いはずです。」
学校の公式サイトには、歌詞と作者は掲載されているが、作成経緯は出ていない。
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バスダイヤ・乗り場変更

2013-10-03 23:52:37 | 秋田のいろいろ
中央交通のホームページに、10月2日付で2つの情報が掲載された。
1つは、ダイヤ改正。
秋田駅西口バスターミナルの完成に合わせたのか、10月15日(連休明けの火曜)に実施。

最近の中央交通では、ダイヤ改正時にホームページに新ダイヤを詳しく掲載してくれる場合と、「変わります」だけであとは何もしてくれない場合があって、気まぐれ。今春は後者だったが、秋は前者になった。
ホームページには変更される路線名が列挙され、各路線ごとの時刻表のPDFファイルにリンクしている。
時刻表では「9:10から9:15に変更」などと、どこが変更になったか赤文字で書き加えてくれていて、とても分かりやすく親切。毎回、こういうふうにしていただきたいものです。


今回は大規模な改廃はなく、小規模な時刻の移動が中心。 ※利用にあたっては、各自、公式な時刻表等で確認願います。
時刻変更は、該当路線の数便において5分程度繰り下げというのが多いものの、土崎循環線内回りの平日では、9時40分発が9時10分になるような30分程度移動するものもごくごく一部である。

廃止されるダイヤもわずかにある。
城東消防署経由駅東団地線は、朝と夕方を中心に平日の上り4本、下り5本が廃止。この路線は、東営業所廃止に伴う代替路線で、駅西側と駅東口を行き来する車両の回送を兼ねたような位置づけだから、車両運用の変更に伴うものだろうか。でも、乗客は多くはないがそれなりにいるはずで、不便になる人もいそう。

愛宕下橋経由雄和線では、平日朝にあった秋田駅発8時15分の下りが廃止。これで始発は13時35分となる。
東口発明田・横森経由ノースアジア大学線も、平日朝の下り秋田駅東口7時55発が廃止。これは無料のスクールバスがあるノースアジア大学や明桜高校の通学は問題ないとしても、途中の桜付近までの利用者への影響はどうだろうか。

あとは、組合病院線(土崎駅発着分だが、公式サイトでは神田線のほうにも重複して掲載している)で組合病院8時10分発土崎駅行きが廃止。
ここで気になるのは「秋田市マイタウン・バス笹岡線」からの接続。マイタウンバス笹岡線は、秋田駅方面から笹岡集落を通って、組合病院、土崎駅を結んでいた「笹岡線」の廃止代替として、神田-組合病院間で秋田市が運行しているバス。
組合病院では、土崎駅方面との接続を考慮しているはずで、現在は8時06分着の笹岡線があるけれど、この接続がなくなることになる。
マイタウンバス笹岡線の利用者自体少なく、土崎駅方面へ乗り継ぐ人など皆無に等しいのかもしれないけれど。
以上、廃止分。(他に車庫行きでも廃止される便があるが省略)

ちょっと紛らわしいのが、牛島経由御野場団地線。
土日祝の上り最終(実際には御所野始発のバスも同じ経路なので、さらに遅い便もある)の欄に、御野場団地19時14分発秋田駅・長崎屋経由車庫行きというのがあって、赤で「□追加」とある。
てっきり、この便自体が新規設定(増発)されたのかと思ってしまったが、これは現在も運行されている。
よく見ると、今までなかった「『□印』が追加された」という意味だった。「□」印は、年末年始の特別ダイヤの日に運休となる便。つまり、新たに年末年始の運休対象になったというだけの話。

ところで、新しい時刻表の欄外の「□」の説明は、「12/31~1/3運休」となっている。
今年の年始までは、特別ダイヤは大みそかから1月2日までで、3日は普通の土日ダイヤだった。現在のホームページの時刻検索にもそう書かれている。来年から1月3日までに変更になるということでしょうか?→【12月18日】やはりそうなることが発表された。
【2019年9月19日追記】2019年からは12月30日も特別ダイヤ適用となり、12月30日から1月3日までとなる。

【2018年1月8日追記】この改正と直接の関係はないものの、備忘のためにここに記しておきます。
中央交通からの告知はなかったようだが、イオンモール秋田の公式サイトによれば、2013年3月いっぱいで、土日祝日に四ツ小屋駅前~イオンモール秋田間で運行されていた路線が廃止になっていた。たしか列車ダイヤに合わせた運行(全列車ではなかったはず)で、運賃は200円。


10月から、大館市では路線バスに大きな変化があったそうだ。「秋北バスターミナル」が廃止され、市内の路線網が再編された。
秋北バスターミナルは、元々は秋北ホテルという秋北バスの自社物件内にあったが、ホテルを譲渡したのに伴い、賃借する形に変わっていたそうで、それが負担だったという事情もあるようだが、街や人の流れの変化に対応した再編になったようだ。
実際の大館のバス利用者の反応は分からないが、使いやすく柔軟に変えていくことは必要だし、それができるのは鉄道にはないバスの特性だと思う。
秋田市でも、ちまちまと減便しているようでは、将来は明るくないだろう。やっぱり、再編が必要ではないだろうか。



秋田市に戻って、2つ目。
秋田駅西口の次とその次のバス停、「千秋公園入口」と「木内前」の変化。
10月15日から「運用方法が変更となります」という。どうも、乗り場を集約するようだ。

西口発の大部分の路線が通る両バス停は、ポールが複数に分散していた。
(木内前の羽後交通やリムジンバスは別に)両バス停とも4本のポールがあって、駅と反対の西側から順に0番から3番まで番号が振られている。割り振りは大雑把に0番が土崎方面、1番が牛島方面、2番が神田方面、3番が新屋方面の各路線。
千秋公園入口。手前が3番。バスがいるのが0番
これが、どちらも1番と2番の2つになる。今までの0番と1番が新しい1番に、旧2番と3番の路線が新2番になるようだ。

たしかに、路上にごちゃごちゃとポールが林立するのは分かりづらいし、見た目としても好ましくないのかもしれない。千秋公園入口では、アーケードがなくなってしまったので、そのことも関係するのかもしれない。
だからといって、ある程度の運行本数があるバス停で、2つだけにまとめていいのかという気もする。バスが続行して渋滞したり、乗客がうまく整列できずにバスに乗り損ねたりしないだろうか。
木内前で連なるバス
木内前では、通町経由の路線(現2番・3番を使用)は発車直後に車線変更する必要があるので、今より前(西側)へポールを移動させるのは無理そう(だから正確には木内前じゃなく「キャッスル前」)。それに、リムジンバスと羽後交通のポールもある。場所が限られる中で、ポールをどこに置くかも注目。
(再掲)木内の前からキャッスル方向。手前からリムジン乗り場、2番、3番

※集約後の状況はこの記事後半
※集約が行われた理由・経緯についてはこの記事後半
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値上げのやり方

2013-10-02 22:52:30 | その他もろもろ
来春からの消費税増税が決まり、庶民の負担が増えるのは確実。
それ以前に、円安や原料価格の高騰により、いろいろな商品(特に日常的に購入する食品)がじわじわと値上がりしている。

といっても、今に始まったことではなく、2009年春頃には、ヨーグルトメーカー各社が、内容量を500gから450gに減量して、実質値上げを実施。
現在では、プライベートブランドも含めて、「ヨーグルトは450g」が定着してしまっている。
こうして、知らず知らずに負担は増えているのだ。今年もまた。

●お値段そのまま、量は…
はごろもフーズのシーチキンシリーズの一部が5月に値上げされたほか、我が家で愛用する「シーチキンマイルド(いちばん安い、カツオが原料の製品)」は6月1日出荷分から1缶80gから70gに減量された。
2009年のヨーグルトと同じく、値段を据え置き量を減らす、実質値上げ。
※セブンプレミアムのシーチキンマイルド(プライベートブランドなのにナショナルブランドとの“ダブルブランド”というのがおもしろい)は、80gのままらしい。

【12月13日追記】雪印メグミルクのヨーグルト「ナチュレ恵」の400グラム入りは、9月末で砂糖の添付をやめた。これも実質的な値上げと言えるだろう。


●リニューアルという名の…
「成分調整牛乳」という牛乳がある。
要は、牛乳から乳脂肪分をちょっとだけ除去して軽い飲み口にし、さらにお値段も控えめにした商品。

各プライベートブランドは別として、その代表的商品が森永乳業「まきばの空」。これが10月1日からリニューアルした。
左がリニューアル後、右が以前のもの
青基調のパッケージの正面は、「あじわいすっきり!」と小さく表示が加わった以外は、まったく変化なし。スーパーでの価格も同じ。もちろん、1000mlの容量も変わらない。
バーコードの番号は変わっていた。

森永乳業の9月24日付リリースによれば、10月に500ml紙パック(「ゲーブルトップ」と言うそうです)を新たに発売し、さらに「これを機に、近年のお客さまの嗜好にあわせ、よりすっきりとした味わいにリニューアルいたします。」とのこと。

容器側面の成分などの表示はレイアウトも内容も変更されていた。それを見ると、脂肪分や殺菌方法は新旧で変化なし。
ところが、栄養成分表示は変わっていた。
左が新、右が旧
いずれも200ml当たりで、エネルギーは111kcal→101kcal、脂質5.2g→4.1gと減った。たんぱく質、炭水化物、ナトリウム、カルシウムは変化なし。

つまり、今までより「薄まった」?
ただし、成分調整牛乳は、水分の除去または脂質の除去しかできないから、水で薄めたわけではない。(タンパク質、カルシウムなどが減っていないことからも分かる)
今までよりも、より多くの脂肪を除去するようにしたのだろう。

ということは、これも一種の値上げじゃないだろうか。
「お客さまの嗜好にあわせたリニューアル」を“口実”に、薄める(除去した脂肪はバターなどの原料に回せるそうなので)ことによって。

リニューアル後の商品をまだ飲んでいないけれど、まあ、この程度の変化じゃ、(人によるでしょうけど)味に大差なさそうだし、多少カロリー控えめ・脂肪控えめで悪くないかもしれない。
【3日追記】飲んでみたけど、やっぱり以前との違いは分からなかった。味にこだわる方は、成分調整じゃないほんとうの「(種類別)牛乳」を選べばいいわけだし。


●値下げしたのに???
最後は、まったくの謎であり、腹立たしくなる値上げ。事情に詳しい方がいらしたら、からくりを教えてほしい。

明治(旧・明治乳業)の「ブルガリアのむヨーグルト」。(「飲む」じゃなく「のむ」なんだ)
9月16日からリニューアルされている。大きな変化は、容器が1000mlの紙パック(こちらでは「ゲーブル容器」と呼称)から、900gの紙とプラスチック製のネジ式の広口のフタ付き容器に変更したこと。
注ぎやすさ、清潔感、そして世帯当たり人員の減少に伴う最適容量を追求したということらしい。味も若干変わった。(9月11日付リリースより)
左が新容器、右が従来の容器

大きなフタ
新しい容器は、上部だけがプラスチックで下は牛乳パックと同じみたい。じゃあ、下は開いてリサイクルに出していいの?

これもごちゃごちゃとリニューアルの理由を並べてはいるものの、量を減らしたわけだから、価格据え置きで実質値上げかと思った。ところが…
従来の1000ml紙パックはメーカー希望小売価格は税抜き310円だったという(報道より)。
これが900g新パックでは、同236円になる。

どろっとしたのむヨーグルトは1ml=1gではなく、新容器の表示には「100mlは106gに相当します。」とある。
グラム当たりの価格を計算すると、
旧紙パック1000ml=1060gだから 310円/1060g=0.29円/g
新容器 236円/900g=0.26円/g
と、リニューアル後のほうが値下がり(約1割)する。希望小売価格では。
これを伝える日本経済新聞では「原料高で食品値上げが相次ぐなか、値下げによる需要喚起は異例。高機能商品に流れる顧客を取り戻すことを狙う。」としていた。


旧容器のメーカー希望小売価格は税込みで325円だが、各店舗の実売価格はずっと安かった。
スーパーでは、230円前後で売るところと税込み198円で売るところに二極化していた。

希望小売価格と実売価格の差が大きかったとはいえ、リニューアルに伴ってメーカー希望小売価格が下がるのだから、当然、店頭価格も下がり、我々消費者は安く買えると期待していたのだが…
結論を述べると、なぜか各店舗での小売価格は以前より高くなっている。量が減って、さらに値段も上がっていて、メーカーの言い分とは違っている。

(前から200円台のところは置いておいて)秋田市内で以前198円で売られていたのを確認している店舗は、イオンリテール、マックスバリュ東北、ザ・ガーデン自由が丘西武。(たぶんドン・キホーテやジェイマルエーもそうなんだろうけど、行かないので)
マックスバリュでは、リニューアル後も198円で売られているが、量は減ったのだからこれでも値上げ。【13日訂正】マックスバリュ東北の198円も期間限定だった。終了後は220円くらいになってしまった。
さらにイオンやガーデンでは、なぜか200円台に上がってしまっている。(しかもガーデンでは、一時期、入荷していなかった)
秋田以外の各地でも、同様の傾向のようだ。


明治がリニューアルと値下げを発表した時は、一部のニュースサイトが取り上げ、それに対して好意的な感想を述べるネットユーザーがいた。
しかし、この状況では、メーカーが値下げしたのに、消費者までそれが浸透しないどころか、結局は逆に値上ってしまっている。消費者の期待を裏切るというかぬか喜びさせたというか、欺いていると言っては言い過ぎだろうか。
日経が伝えていた「値下げによる需要喚起」なんてウソじゃないか。結局は値上げなんだ。末端の消費者にしてみれば。

これは小売店が悪いのだろうか。
でも、どこのスーパーも揃って値下げしないところを見ると、そうでもないような気がする。
例えば、メーカーが希望小売価格を引き下げても、小売店への卸価格は下げておらず(もしくは値上げして)、小売店としては小売価格に転嫁せざるを得ないとか。(根拠のない素人の憶測です)
明治へ苦情を言ったとしても、「希望小売価格はあくまで弊社の『希望』です。お客さまへお売りする値段は各小売店が判断して決めており、弊社は関知しておりません」と言い訳(言い逃れ)することができるだろう。
事情はまったく分からないが、不信感が募ってしまうリニューアルである。

【5日追記】日清ヨーク「十勝のむヨーグルト」は紙パック1000gのメーカー希望小売価格が税抜き310円。これをイオンリテールでは178円で販売している。(ブルガリアの新容器はこの1週間ほど限定で特売で198円になっていた)
やっぱりブルガリアは卸値が高いのだろうか。


メーカーや小売店も努力の限界で、仕方なく値上げしているのだろうから、消費者としても理解して協力してあげたい。それなのにトリッキーなことをされると、消費者の信用を失ってしまうよ。
こんな調子で消費税増税の時も小細工をしてくる所が出てしまいそう。せめて、それを見抜ける賢い消費者でありたい。
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バスターミナル工事 他

2013-10-01 22:40:02 | 秋田のいろいろ
秋田駅西口バスターミナルの建て替え工事。※前回の記事
当初の計画では、デスティネーションキャンペーン(DC)に合わせて10月1日から使用開始だったが、15日(連休明けの火曜日)に延期された。
9月20日に中央交通が明らかにしたもので、NHKによれば「ターミナルを支える地盤は粘土質で軟弱だったことが分かり、セメントを混ぜて強度を上げる作業に予想以上の時間がかかった」ため。
秋田魁新報によれば「DCの開始までに、工事現場を囲っている高さ約2メートルの鉄板を取り外し、景観に配慮する。10月以降は乗り場本体ではなく、舗装工事を中心に行う」とのこと。※今日現在、仮囲いは撤去済み。

後期工事開始後の様子。
解体途中の旧案内所
装飾の杉材は先に外されたため、装飾される以前のれんが風の壁が現れた。

臨時乗り場に遅ればせながら設置された、屋根。
仮囲いの足場を利用して設置
仮囲いが撤去された現在も、この部分だけはそのまま残っている。

9月3日撮影
駅舎寄りの1番バースは、
途中で曲がっている?
おそらく案内所ができる部分。以前は一直線だったはずだけど。

9月18日撮影
新しいバスターミナルには、秋田杉をイメージした4本の照明が設置されると聞いていた。
それらしきものが設置されたのだが、(上の写真にも写っている)
これ?
秋田杉というから「木」をイメージしたのだと思っていたが、これじゃあ「丸太」って感じのような…
しかもてっぺんの照明部分が小さくて「耳かき」みたいに見てしまうような… ※個人の感想です


昨日付で、中央交通のホームページに、新ターミナル完成後の乗り場の配置が掲載された。
以前と同じく1番から13番までではあるものの、路線の割り振りは変わっている。
例えば、
・県庁経由大川反車庫行きと空港リムジンが共用していた1番のりばは、リムジン専用に
・2番を大川反車庫(長崎屋経由以外)方面、3番を臨海営業所線・県立プール線と、利用の多い県庁方面を隣り合った乗り場に配置(従来はバースが異なったので横断が必要だった)
・新国道経由はすべて4番、牛島方面(愛宕下橋経由雄和線以外)はすべて13番と、同じ方面なのに複数乗り場に分散していた路線を集約
・中央交通移管後は両方向とも同じ乗り場だった各環状線は、先に通る方面に合わせた乗り場に配置(市営バス当時に戻った)
といった感じ。
ご意見募集(いつの間にかなくなっていた)に僕も送らせてもらったけれど、その1つを取り入れてくれた格好。市営バス移管時のごちゃごちゃを引きずっていた分かりにくさが、やっと解消されそう。

長崎屋、割山が6番、神田、添川が8番、太平方面が11番、手形・仁別方面が12番と、今までと大きく場所が変わった路線もあるので、注意。
なお、10番乗り場は、湯沢、能代の高速バスと羽後交通本荘線、それに中心市街地循環バス。循環バスはもっと駅舎寄りのほうが便利な気がする。

※完成後、夜霧の中で照明が点灯した様子はこの記事中ほど
※完成後1年経った話題



ところで、中央交通の社長が3期9年に渡って務めていた、秋田商工会議所の会頭を退任することになった。
再開発がオープンにこぎつけたことや秋田港が拠点港になったので一区切りとしたいことを理由にしているが、全国的に商工会議所の会頭は3期9年で交代することが多いようだ。
これからはバス会社の経営に専念できるでしょうから、よろしくお願いしますよ。



先週末、秋田市土崎でこんなバスに出会った。
かわいい弘南バス!
観光バスと同じ塗装を小さなバスに施したもので、けっこう似合っている。屋根上のトサカみたいなのが肌色とオレンジ色に塗り分けられていて、丁寧。
「21601-2」号車だから、トヨタ製(車種はコースター)の2004年式で、弘前営業所所属。
弘前の高校の部活の遠征で旅館に宿泊していたようだ
弘南バスにこんなバスもあったとは知らなかった。だけど、何でもありの弘南バスだから、あっても驚かないか。土崎で見たのには驚いたけど。

ちなみに、大型車だとこんな塗装。
日野セレガ(52303-2)
小型車でも文字の位置やバランスが少し違う程度で、統一感がある。
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