慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

仏教の発展と変容(1)

2018年06月07日 | 宗教
ガンダーラを中心に東西文化が融合し仏教美術が興隆した

弟子たちがカーストを超える教団を形成
 ☆キリストは若くして礫刑となり、直接布教する時間的余裕がなかった
 ☆80歳まで生きた釈迦は、弟子たちに直接コュニケーションをとることができた
 ☆当時のインドには、すでに厳しいカースト制度が存在していた
 ☆釈迦にしたがう集団サンガには、いつでも誰でも入信することができた
 (出家・在家、身分や財産を問うことなく、女性の入信も許容されていた)
 ☆入信者には守るべき五つの戒=五戒が授けられた
 ☆階級を設けない集団は、カースト制度のインドでは革新的な社会組織だった
アショーカ王の仏教保護
 ☆釈迦入滅後、その教えは弟子たちの口伝により伝えられる
 ☆弟子たちは、釈迦の教えをまとめる仏典結集を行う
 ☆インドの西方ではアレクサンドロス大王の東征がありインダス川を越える
 ☆異民族の侵入がきっかけとなり、インドには最初の統一王朝マウリア朝が成立
 ☆マウリア朝の三代目、アショーカ王
 (法(ダルマ)をもって国を治めることを決意した)
 (王は殺生を戒める一方、釈迦の足跡をもたどり仏塔の建設を積極的に行った)
 (仏典結集など仏教の発展に大きく寄与しました。
カニシカ王の仏教保護
 ☆インド北方にクシャーナ朝(非インド系)が興る
 ☆最盛期には、カニシカ王が仏教を保護し仏典結集を行う
 ☆中心地のガンダーラ(現アフガニスタン~パキスタン)では仏教美術が興る
原始仏教の段階では、個人が悟りを開くための共同体
 ☆釈迦の像を作らなかった(釈迦本人も望まなかった)
 ☆釈迦の入滅後、入信を願う信者が増えてくると、文字が読めない大衆への布教も必要になる
 (教えを視覚的に表現したり畏敬の念を与えられる仏像が必要だった)
 (偶像化は、当初菩提樹や法輪で釈迦をイメージしり、釈迦の足跡を刻んだ仏足石などから始まる)
 (その後、人の形をとた仏像が必要だと考えられ作られた)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


ガンダーラを中心に東西文化が融合し仏教美術が興隆した
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)


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アマゾンの光と影

2018年06月07日 | 企業
アマゾンは、あらゆる小売りに代わる唯一の存在になろうとしている

 ☆買い物から企業のデータ管理まで、社会の隅々に浸透し巨大化するアマゾンの光と影
 ☆本国アメリカでは、通販だけでなく、AIスピーカーやデータ管理などサービスを次々と拡大
 ☆アマゾン急成長の影で、アメリカでは、1年間で7,000近い店舗が廃業
 ☆トランプ大統領は「アメリカの小売業を破壊している」と対決姿勢をとる

世界的サービスアマゾン、独占禁止法に抵触?
 ☆豊富な商品の品揃えで国際的にも対応、各地に物流センターを設置
 (世界を席巻する通販サービス)
 ☆日本でも高い認知度を誇り、ネット利用者も多数利用している
 ☆圧倒的なプラットフォームとしての立場で出品事業者押し付ける?
 (自社サービス内での値引き分を出品業者に補填要求?)
 ☆日本では、公正取引委員会による立ち入り検査が報じられている
アマゾンの問題点
 ☆巨大企業として過酷な労働環境は本国でも問題視されている
 ☆日本では法人税の課税を巡って国税当局と長年対立
 (いまだに納税されていない)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、「NHK番組(クローズアップ現代+)」














アマゾンの光と影 ((クローズアップ現代+)テレビ画面より画像引用)

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バーチャル旅行(鶴ヶ城と千家)

2018年06月07日 | 観光
鶴ヶ城と千家

会津津若松市のシンボル鶴ヶ城
 ☆室町時代の初め、葦名直盛が東黒川館として造営したのが始まり
 ☆伊達政宗をはさんで、蒲生氏郷が豊臣秀吉の命令で会津を治めた
 (七層の天守閣を築く)
 ☆幕末の戊辰戦争では、西軍の猛攻に耐え難攻不落の名城と称えられた
 ☆明治政府の命令で取り壊された(現在の天守閣は昭和40年に再建)
 ☆赤瓦の屋根(藩祖保科正之公時代に葺き替えられた)
 (赤瓦は強度があり、会津の冬の厳しい寒さに耐えることができた)
 ☆大地震に耐えた天守閣の石垣
 (天守閣の石垣は、蒲生氏郷が築き、会津盆地の大地震でも持ちこたえた)
会津は千家茶道復興のメッカ
 ☆鶴ヶ城の本丸内に麟閣(千利休の子少庵が建てた)
 ☆蒲生氏郷は、千利休が豊臣秀吉から切腹を命ぜられ、子供少庵の命を助けて保護した
 ☆京都に戻った少庵は再び茶道に励み、子孫は表千家、裏千家、武者小路千家と3つに分かれた
 ☆蒲生郷が少庵を助けなければ、今の千家茶道はなかった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『会津市HP』




バーチャル旅行(鶴ヶ城と千家)(ネットより画像引用)
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