慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

日本の宗教の原風景

2018年06月16日 | 宗教
古代日本の宗教意識は温暖な風土と切っても切り離せない

日本人にとつて自然(神)はやさしく美しい
 ☆日本列島に人類が住みだした形跡は、紀元前1万年以上と推定される
 ☆縄文文化では、地母神をイメージさせる土偶などがつくられている
 (山形県で発見された国宝「縄文ヴイーナス」)
 ☆縄文文化では、死者を葬る際に屈葬を行う風習も確認されている
 ☆この頃の信仰は、形成されたムラごとに地域の守り神がいた
 ☆弥生時代農耕が始まると、豊作をもたらす大地への信仰が生まれる
 (山の神、水の神などを祀る慣習)
 ☆世界の文明地と比較すると、日本の気候風土は比較的温暖でした
 ☆日本の自然神は、やさしさ、美しさを感じ取れる
 (気候等も厳しい世界の文明地の神は、一方的で厳格で畏れれ多い神が多い)
卑弥呼は「鬼道」を操った
 ☆日本に文字が登場し、歴史が記録として残るのは縄文・弥生文化よりはるか後
 ☆国外の文献に日本が登場するのは3世紀頃
 ☆中国の正史『三国志』の「魏書」に日本の様子が記述されている
 ☆女王・卑弥呼が「鬼道をもって衆を惑わす」との記述がある
 (女王が呪術的な方法で国を治めていたことをうかがわせる)
 (鬼道とは、霊と交信することでその意志を受け取ることができたということ)
 (女王=呪術師(シャーマン)であった)
 ☆大和朝廷以前から、中国大陸と交流があった
 ☆先進技術を携えた使者、技術者が日本へ来訪し大陸の風物・風習も伝わった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』




日本の宗教の原風景(『手にとるように宗教がわかる本』、ネットより画像引用)


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佐川国税庁前長官「不起訴」は検察の遠慮?!

2018年06月16日 | 政治
地検は不起訴にしたが財務省と学園の交渉記録も出るなど疑惑は続く

 ☆「嫌疑不十分」で完全決着とはいかない
 ☆麻生財務相が佐川氏について、「極めて有能な役人」と評価し前長官上司には評判がいい
 ☆佐川氏は、小泉内閣の塩川正十郎財務相の秘書官だった
 ☆国税庁長官に就任したが、逃げ回っているうちに辞任に追い込まれた
 ☆出世競争に勝ったと思う間もない官僚人生の”挫折”
 ☆佐川氏に関して、高校のクラスメィトは「何かお気の毒な気がして…」と語った

「嫌疑不十分」で不起訴処分
 ☆学校法人・森友学園への国有地売却を巡る決済文書改竄問題
 ☆大阪地検特捜部は、虚偽公文書作成容疑で告発状が出ている佐川前国税庁長官らを不起訴処分にした
 ☆検察が不起訴処分にする場合には三通りの判断がある
 (佐川氏のケースは嫌疑不十分)
 (本人に「不起訴裁定書」の用紙が送られ不起訴の理由は書いていない)
検察と国税の蜜月関係が影響?
 ☆検察は一般市民からの告発があったから調べたという
 ☆森友学園に8億円も安くした国有地売却問題
 (本来佐川氏らの背任でやらなければならない案件)
 ☆近畿財務局が土地売却を一般競争入札にはせずに随意契約にしたので今回の問題が生じた
 (検察はそこまでさかのぼる気配はない)
 ☆検察と国税はいつも蜜月関係にあった
 (東京国税局の調査官5人が日通から接待を受けていたとして逮捕)
 ☆67年に国税が見つけて検察に告発した日通脱税事件でおかしくなった
 ☆検察と国税冷戦状態は76年のロッキード事件頃まで続いた
 ☆検察は、98年の大蔵官僚接待汚職事件で、東京国税局の査察部長を調べた
2010年の大阪地検特捜部の証拠改竄事件
 ☆検察は完全に牙を抜かれて、最近は独自捜査に消極的になっていった
 ☆その分、国税からの告発、情報を圧倒的に頼りにするようになっている
 ☆前国税庁長官の佐川氏を挙げるとなると、両者の関係は決定的に冷え込んでしまう
 ☆政界配慮、検察官の捜査力低下で、検察は怖くなくなった
不起訴になっても、検察審査会への訴え等で、進展があるとみる政治家やメディアもある
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS6月号』


佐川国税庁前長官「不起訴」は検察の遠慮?!(『THEMIS6月号』記事より画像引用)
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悲劇の斗南藩

2018年06月16日 | 歴史
斗南藩(となみはん)苦難の道をゆく(半島をゆく 歴史解説編 下北半島)

 ☆会津藩主松平容保、戊辰戦争で新政府軍に徹底抗戦
 (容保23万石の所領を没収されて蟄居)
 ☆容保の嫡子・容大(かたはる)が陸奥に3万石を与えられて斗南藩を立藩した
 ☆斗南藩というのは明治になって生まれた藩

明治時代に立藩された斗南藩とは
 ☆現在の青森県五戸町が斗南藩の仮の藩庁した
 ☆下北半島は、火山灰によって形成され元来農業には不向きな地
 ☆新藩主・松平容大と生き残った旧会津藩の藩士とその家族たちが移住した
 ☆藩は北方流通で利益を上げないと、藩士とその家族を養えなかった
 ☆藩は大湊に着目した
 (半島特産の昆布、海苔、帆立貝柱、干鮑などを中国に輸出するという構想)
下北残酷実話
 ☆会津藩士たちは自由に落ち着き先を選択できた
 ☆新領地斗南に移住した家族2,800戸(会津210戸、農商になる者500戸他)
 ☆斗南藩に移住した家族の生活困難を極めた
 (政府から藩に支給された扶持米が、一人あたり一日3合)
 (零下20度を超える寒さと食糧不足から、冬を越せなかった者いた)
 ☆会津に残留していた人々も悲惨の極み
 (前年が凶作で、藩が用意した宿札では十分な待遇が得られなかった)
大義なき戦いだった戊辰戦争
 ☆家督の松平容大が幼少で、家老と小参事2名の3人を中心に藩政は運営された
 ☆戊辰戦争は、薩長両藩による「大義なき戦い」だった
 ☆最後まで京都守護職を務め通した名門・会津松平家
 (「朝敵」とされたのは、そもそもあり得ない話)
 ☆会津藩の人々の人生は、この非道な戦争で挫折を余儀なくされた
 ☆厳しい自然環境のなかで、会津藩士とその家族達は、飢えに耐え生き延びた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、ヤフーニュース(三重大学藤田教授)






悲劇の斗南藩(ヤフーニュース、ネットより画像引用)


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6月16日練習

2018年06月16日 | 英語練習
今日の8セン テンス
基礎英語3


I can't quite follow you.
Would you like to--
Would you like me to
Would you like a burger?
Would you like some tea?
Could you do me a favor.
Could you tell me the way to--.
It's a Tokyo specialty.

復習
Can you (see,remember,tell)

5分間英語
小説「レストラン」


浄土宗(平成30年6月の言葉より引用)
『人柄は その一言に あらわれる』
Your every word reveals what you are.

東京神社庁((平成30年6月の言葉より引用)
『 尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて可畏(かしこ)き物を
 迦微(かみ)とは云(いふ)なり』(本居宣長)
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