🌸「権門体制論」と「東国国家論」2
⛳西の朝廷に東の幕府
⛳西の朝廷に東の幕府
☆二つの不干渉な勢力を指摘した「東国国家論」
*中世には、東には鎌倉幕府があり、西には朝廷があった
*中世には、東には鎌倉幕府があり、西には朝廷があった
*東の幕府のトツプは将軍でその下に武士がいる
*西の朝廷のトップは天皇であり、その下に貴族が組織されていた
*「両者はお互いが相互不干渉だった」と考える
☆「東国国家論」と「権門体制論」の違い
☆権門体制論
*天皇は王家なので、その時代のトップの地位に君臨している
*王家を支える武家のトツプが将軍で、天皇は将軍よりも上位の存在
*将軍は、武士たちを率いて、天皇を支える軍事指揮官だと考える
*公家も武家も寺家も助け合い、「相互補完」と説かれている
☆東国国家論
*朝廷と幕府は「相互不干渉」であるとの考え
⛳「権門体制論」が「東国国家論」より支持される四つの理由
☆中世国家の考え方についてはこの二つの論が提示されている
☆権門体制論のほうがはるかに支持者が多い4つ理由
☆一つ目は、天皇と将軍の位置関係
☆一つ目は、天皇と将軍の位置関係
*将軍を任命するのは天皇、将軍が天皇を任命するわけではない
*天皇が上で、将軍が下という体制を考える
☆二つ目の理由は、朝廷と幕府の関係性
☆二つ目の理由は、朝廷と幕府の関係性
*権門体制論の中核をなす「相互補完」
(一つの集団が、王家を支えるのはイメージしやすい)
*東国国家論が掲げる「相互不干渉」
(関東の幕府と関西の朝廷という二つの相力が並存する)
(関東の幕府と関西の朝廷という二つの相力が並存する)
(お互いが不干渉でいられるわけがないと感じる人が多い)
☆三つ目は、寺家の位置づけ
*興福寺を、延暦寺など、強力な僧兵を擁する寺家が存在した
*寺は、自分たちに不満がある際は僧兵を繰り出す
*興福寺を、延暦寺など、強力な僧兵を擁する寺家が存在した
*寺は、自分たちに不満がある際は僧兵を繰り出す
*京都に向かってデモを行い、朝廷はその対応に頭を抱えた
*中世の朝廷は、 一年中、何かしらの祈祷を行っていた
*中世の朝廷は、 一年中、何かしらの祈祷を行っていた
*その儀式には、必ず寺家の力が必要だった
*権門体制論が提唱される以前
(お寺の勢力を社会のどこに位置付けていいのか不明だった)
*権門体制論では、その寺家を、公家、武家と並ぶ勢力として
(明瞭な位置づけを与えた)
*東国国家論は、幕府と武士、朝廷と貴族については触れている
(お寺の位置づけは触れていない)
☆四つ目の理由は、論文の書きやすさ
*中世に関する卒業論文を書く場合
☆四つ目の理由は、論文の書きやすさ
*中世に関する卒業論文を書く場合
*権門体制論を用いると非常に叙述がしやすくなる
⛳日本の中世には、「国家」があったのか?
☆権門体制論を受け入れると、メリットがたくさんある
*その為、権門体制論は、人気が高い
☆中世に本当に国家があったのか?
☆中世に本当に国家があったのか?
*筆者は、中世国家の存在自体を検証せず
*国家は存在したという前提から始まる権門体制論に疑問を感じる
☆東国国家論もブラッシュアツプする必要がある
☆東国国家論もブラッシュアツプする必要がある
☆「当為と実情」の視点から、中世をとらえ直すのが必要
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
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⛳出典、『日本史の論点』


「権門体制論」と「東国国家論」2(ネットより画像引用)