🌸歴史認識1
⛳歴史認識のプロローグ
☆戦後70年の節目に、安倍首相の歴史認識が問われた
☆安倍氏は、歴代内閣が用いた
☆安倍氏は、歴代内閣が用いた
*「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」
*四つのキーワード踏襲した上で
*将来にわたり「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べ
*積極的平和主義を強調
*安倍氏の熱狂的な支持者からは「弱腰」として落胆の声も上がった
☆中韓をはじめとする近隣アジア諸国からの批判を抑え
*安倍氏の熱狂的な支持者からは「弱腰」として落胆の声も上がった
☆中韓をはじめとする近隣アジア諸国からの批判を抑え
*リベラル側からも一定の評価を受けることになる
☆安倍内閣、国会では集目的自衛権の行使容認を柱とする
☆安倍内閣、国会では集目的自衛権の行使容認を柱とする
*安全保障関連法案は合憲か、違憲か、の水掛け論が展開される中
*自民党の参考人が法案を「違憲」と指摘する想定外の事態に陥り
*官邸を慌てさせた
⛳「イスラム国」による日本人人質殺害事件
☆イラクとシリアにまたがる地域で活動していた
☆イスラム過激派組織「イスラム国(IS))」による日本人人質事件
☆シリアで拘束された湯川さんと後藤さんが相次いで殺害された
*政府はヨルダンの首都アンマンに現地対策本部を設置し
*救出を目指していましたが、かないませんでした
*救出しようといろいろ交渉を重ねていた
*救出しようといろいろ交渉を重ねていた
*ヨルダンのアブドラ国王に尽力してもらいました
☆日本赤軍が日航機をハイジャックしたダッカ事件
*福田内閣は身代金を払い、日本は「テロに弱い国」と批判された
☆イスラム国も、日本政府に身代金を要求した
*人命の尊重と、テロに属しないという姿勢のはざまで
*難しい判断を迫られた
⛳安倍晋三「イスラム国」による日本人人質殺害事件を語る
☆救出方法はなかったのか?
☆日本は特殊部隊を持っていないし
☆救出方法はなかったのか?
☆日本は特殊部隊を持っていないし
*仮に持っていても、海外に派遣する法的根拠がない
*だから福田さんは「一人の人間の命は、地球より重い」と
*言わざるを得なかったわけです
☆カナダのトルドー首相
☆カナダのトルドー首相
*「テロには屈しない、身代金は絶対に払ってはいけない」と
*繰り返し主張しているけれど
☆各国は武装組織に人質を取られたら、どの様に救出しているのか?
*それなりにいろんな手法で交渉しているのが実態
☆過激派組織との交渉に絶対に応じないのは、イスラエル
☆過激派組織との交渉に絶対に応じないのは、イスラエル
*過激派組織も、イスラエルからは人質を取ろうとしない
*イスラエル政府が全く交渉に応じないし
*人質を取られたら、犯行組織を必ずつぶしてしまうから
☆外務省の危機管理対応チームが中心となって
☆外務省の危機管理対応チームが中心となって
*関係国に湯川さんと後藤さんの救出の協力を要請していた
*ただ、彼らの情報収集能力には限界があった
☆国際的なテロ集団に関しては
*警察庁が情報や対処のノウハウを持つので
*現地にそうした専門家を派遣しました
*いろんなツテをたどりながら、やることはやりました
*奏功しませんでした
☆アルジェリア人質事件とこの時の教訓で
☆アルジェリア人質事件とこの時の教訓で
*外務省と警察庁が連携したCTUーJを設置した
*実際の救出オペレーションに取り組ませることにした
☆外務省の職員に危険な地域に行って救出してこいと言っても、
*できるはずがない
☆対テロでは、陸上自衛隊に04年に特殊作戦群ができた
☆対テロでは、陸上自衛隊に04年に特殊作戦群ができた
*彼らも極めて優秀です
*安全保障関連法では在外邦人等の保護措置を
*自衛隊の部隊等が実施できるようになりました
*テロヘの備えは徐々に強化されている
⛳安倍晋三戦後70年談話を語る
☆戦後70年の節目に当たる2015年
⛳安倍晋三戦後70年談話を語る
☆戦後70年の節目に当たる2015年
*首相の外交姿勢や、夏の70年談話に注目が集まっていた
☆談話を発表する前には
*米国連邦議会の上下両院合同会議での演説もした
☆戦後50年の村山首相談話、戦後60年の小泉首相談話
☆戦後50年の村山首相談話、戦後60年の小泉首相談話
*第2次界大戦への「反省」や
*「植民地支配と侵略」への「おわび」の言葉が共通して使われていた
☆この様なキーワードが、70年談話に盛り込まれるか焦点だった
☆米議会での演説は、祖父の岸信介元首相訪米時に
☆この様なキーワードが、70年談話に盛り込まれるか焦点だった
☆米議会での演説は、祖父の岸信介元首相訪米時に
*上下両院それぞれで行っている
☆上下両院合同会議での日本の首相による演説は初めてだった
☆上下両院合同会議での日本の首相による演説は初めてだった
☆安倍晋三自身が、実現を米側に強く働きかけたのですか?
*政権運営も3年目に入っていたし、戦後70年の節目に当たり
*政権運営も3年目に入っていたし、戦後70年の節目に当たり
*米議会演説の可能性を追求してみようと思った
*上下両院の議員が全員出席する合同会議が重みがあっていいなと
☆合同会議での演説は
*韓国大統領やメルケル独首相もやっていたので、
*在米の日本大使館に米議会の感触を探ってもらったところ
*在米の日本大使館に米議会の感触を探ってもらったところ
*好意的だった
(敬称略)
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⛳出典、『安倍晋三回顧録』
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歴史認識・人質殺害事件・70年首相談話
(ネットより画像引用)