🌸日本語の父は天武天皇3
⛳和歌の歌人大海人皇子と漢詩人大友皇子
☆学者文化人のなかに
*大海人皇子(天武天皇)を巨悪とする風潮があった
*大海人皇子が和歌の歌人である
*大海人皇子が和歌の歌人である
*大友皇子は、側近を百済から帰化した学者で固めた漢詩人
(天智天皇の長子大友皇子が、日本最初の大政大臣)
☆天皇の神格化は、天武朝において明確な形となった
*天武朝期、天皇を中心とする軍事行政の体制を確立した
☆歌人としての天武天皇
☆歌人としての天武天皇
*和歌は、旋律を帯びた声楽であった
*歌人は、歌手(シンガー・ソングライター)でもあった
☆『古事記』のもと天武天皇の口誦
☆『古事記』のもと天武天皇の口誦
*稗田阿礼の口誦は、王者の風格に満ちた
*音吐朗朗として荘重な詠唱に近いものであった
☆大安万侶は、文字を厳密に使い分け
☆大安万侶は、文字を厳密に使い分け
*どこまでも忠実に筆録することに徹底した
⛳「日本語」の誕生
☆文字を知るまえの古代大和
☆文字を知るまえの古代大和
*複雑で豊かな陰野を持つ音声言語の世界であり
*壮大な詩的言語の宇宙であった
☆言語を忠実に筆録した太安万侶の和漢折衷、音訓併用の文体
*天武天皇は、後世に伝えることを主眼とした
☆言語を忠実に筆録した太安万侶の和漢折衷、音訓併用の文体
*天武天皇は、後世に伝えることを主眼とした
*『古事記』の制作意図から、撰録までを視野にいれていた
☆漢字を仮字として本字と併用し
*短句単位に返読を積み重ねる変体漢文体表記と交用することも
*基本の方針として初期の段階から決めていた
*稗田阿礼はその方針も詳しく筆録者に伝えた
☆8世紀初頭の当時から今日までつづく日本語
*音声言語・文字言語の双方の働きをそなえ、公用語として
*音声言語・文字言語の双方の働きをそなえ、公用語として
*官民の別なく国民全般に通用する和語「日本語」の誕生であった
☆日本人の自己同一性は、日本語を母語の決定
☆日本人の自己同一性は、日本語を母語の決定
*それは『古事記』によって確立された
⛳異国の文字(漢字)を受け入れで始まった日本の言語
☆再創造は、他者を包容することによって進化した
*わが国の文化の二元的な構造を、具体的に示す根本の軌範だ
☆天武天皇がそれまでになかった文語としての日本語の父である
*健やかな第一子を無事出産した太安万侶が母である
(敬称略)
(敬称略)
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⛳出典、『「古事記」の真実』
「和歌」「漢詩」「日本語の誕生」
(ネットより画像引用)
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