慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

南太平洋・オセアニアの人類拡散2

2022年09月26日 | 歴史

🌸南太平洋・オセアニアヘの人類拡散2

ラピタ人の正体
 ☆南太平洋集団の言葉、メラネシアの言語ではなくオーストロネシア語

 *彼らの、現代人のゲノムを考えると不思議な現象である

 ☆ラピタ人の正体

 *ラピタ文化の遺跡から出土した四体の女性人骨のゲノムが解析された

 *南太平に800KMにわたって連なる80島々から構式されている

 *3000年前に人類が到達したと考えられる

 *約170の島から構成されているトンガバヌアツよりもさらに東に位置し

 *人類の入植の時期はバヌアツより遅くなる

 ☆これらの島から発掘されたラピタ人のゲノム解析

 *台湾にルーツを持つことが証明された

 *彼らはメラネシアの人びとと混血を行うことなく

 *リモート・オセアニアに展開した

 *アウトオブ台湾モデルが正しいことを示す結果だ 

 ☆その後の展開は思ったより複雑なものだったのだろう

 現在のバヌアツの人々のゲノム

 *パブアニューギニアにルーツを持つメラネシアの人びとのゲノムで

 *台湾由来のゲノムはわずかである

 ☆バヌアツでは最初の人類到達から500年ほどして

 *集団の置換に近い状況が起こったことが明らかになった

 *どのような状況下で進んだのかを知るためには、更に古人骨が更に必要だ

 ☆近い将来に古代ゲノム解析

 *ホモ・サピエンスの最後の大冒険の詳細を明らかにしてくれる

ポリネシア人と南米大陸
 ☆3000年前にニア・オセアニアから出発して1000年かけて

 *広大な南太平洋に 拡散したポリネシア人

 *彼らが南米大陸に到達した可能性がある 

 ☆ポリネシアで古来、南米原産のサツマイモが栽培されている

 *それが、人的交流の証拠になりそうだ

 *植物は海流でも運ばれるので、確実な証拠とはならない

 ☆ゲノムを調べた研究が行われ、ひとつの答えを導いている

 *言語学や考古学やポリネシアと南米先住民の大規模なゲノム研究

 *過去の時代のポリネシア人と南米先住民の混血の痕跡が見出されている

 *両者の接触は13世紀ごろのことと考えられる

 *ラパ・ヌイヘのオーストロネシア語集団より早い時期になる

 *ラバ・ヌイの先住民ゲノム研究では8%が南米大陸に由来している

 ☆それ以前に、ポリネシア人と南米先住民

 *ファーストコンタクトがあったことが証明された
 *ポリネシア人がリモート・オセアニアの島々に拡散していた時期に

 *その過程の中で両者が出会ったと想像されるが、それは大規模なものではない

 ☆ポリネシア人が接触したのは

 *現在の南米コロンビア付近の先住民の祖先集団だ

 *南米大陸の海岸か、沿岸近くのどこかの島で接触が起こり

 *その子孫たちがさらに未知の海域への拡散を続けた

                      (敬称略)                                     
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南太平洋・オセアニアの人類拡散2

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13代成務天皇と14代仲哀天皇1

2022年09月26日 | 歴史

🌸13代成務天皇と14代仲哀天皇1

オオトモワケの誕生

 ☆ヤマトタケルによって国内は平定され、大和王朝は強化された
 ☆第12代景行天皇には80人以上の子どもがいた
 *ヤマトタケルともに、皇太子で残されたワカタラシヒコ
 ☆ワカタラシヒコ第13代成務天皇となる

 ☆成務天皇、中央集権的な性格の強化をめざす

 *タケシウチを大臣に任じ、地方行政の整備事業に乗り出す

 *成務天皇は95歳で没する

第14代の仲哀天皇

 ☆ヤマトタケルの子タラシナカツヒコ(仲哀天皇)が後を引き継ぐ
 ☆仲哀天皇は、オキナガタラシヒメ(後の神功皇后)を皇后とした

 ☆皇后は二人の御子を生んだ(ホムヤワケと、オオトモワケ)

 ☆オオトモワケは第15代応神天皇
 *神功皇后の胎内にいたときに天皇が急逝し神功皇后が国を治め

 *息子の成長を待って皇位を受け継がせた
 *そこには母神功皇后と大臣のタケシウチによる

 *目に見えない動き暗中飛躍のようなものがある

功皇后の神がかり

 ☆仲哀天皇は熊襲を討つため九州へ出向いたとき天皇は神功皇后を同伴した
 ☆天皇は福岡市に入ると、熊襲討伐についての神意をうかがう

 ☆神功皇后が神がかりになり、巫女のように神のお告げをした
 *熊襲討伐など後回しにして、新羅へ遠征しろという
 ☆お告げに仲哀天皇の対応
 *神が偽りを言っていると思い沈黙するのみであった

 *天皇は新羅遠征に反対だったのかも

 ☆神功皇后のお告げは続く

 *そなたは黄泉の国への一筋の道を進むがよいと述べた
 ☆タケシウチは驚きあわてて天皇に訴えた
 *わが天皇様よ、おそれ多いことです
 *タケシウチが訴えている間に、仲哀天皇はすでに亡くなっていた

⛳神のお告げ
 ☆仲哀天皇の急逝の原因

 *神託を信じず、神の逆鱗に触れ、その報いを受けたと信じられた
 *居合わせた者たちは神に許しを請おうと

 *罪を祓う儀式を行なうことにした、祓い清める大祓を行なった
 ☆夕ケシウチは、再び沙庭に控えて神託を待った

 ☆神功皇后が神がかりとなり、神のお告げをした
 *この国は皇后の胎の中にいる御子が統治すべき国である
 *タケシウチ「おそれ多いことでございます」と性別を問いただした
 *神託では。男の御子であると答えた
 ☆神託に従って、神功皇后は軍隊を揃え、多くの船を並べて朝鮮半島に向かう

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日本は「噴火の時代」に入った?!

2022年09月26日 | 災害

🌸日本は「噴火の時代」に入った?!

 ☆活発な火山活動の桜島から不気味な沈黙を守る富士山まで

小さい噴火でも大被害に繋がる
 ☆鹿児島県桜島の南岳山頂火口で爆発的な噴火が起きた
 *気象庁が噴火警戒レベルを導入以来初めて最高の「5」にした

 ☆鹿児島県屋久島町24時間で火山性地震を31回観測
 *噴火警戒レベル「2」に引き上げられた
 ☆鹿児島県の地元民は意外と気にしていない
 *火山との共生の仕方を知っているので
 ☆火山研究推進センター長、日本の火山の現状や危険性を語る
 *桜島で噴火警戒レベルが5になったのは、火口近くに民家があるので

 *火山の活動レベルが最高ということではない

 *居住地域に重大な被害を及ぼす噴火が発生する可能性があるから

 *地域住民は避難するようにという意味だ
 ☆噴火自体は小さくても、人が近くにいれば被害は大きくなる

 ☆桜島が現在日本で1番活発な火山であることは間違いない
 *あと10~20年ぐらいで大きな噴火が来るのではといわれている
 *桜島の活発な火山の活動は、周辺の火山にも影響を与える

富士山噴火への懸念も広がっている
 ☆富士山は宝永噴火以来大きな噴火が300年以上ない
 *そろそろ大きな噴火があるのでないかと考えられている

 ☆現時点の観測で

 *山体膨張、噴火の引き金の地震が頻発している危険な兆候は見られない
 ☆危険は、差し迫っている状況ではない

噴火の予知について

 ☆技術が進み、観測点が増え、細かい信号をとらえる状況になった
 *異常な前兆はキャッチできるようになったが

 *その異常が何を意味しているのか、規則性がなく、解釈が難しい

 ☆噴火の被害に備えるためには、何に気を付ければいいのか
 ☆最低でも、ハザードマップで立地を確認しておくのが必要

 *逃げ方や逃げる場所も考えておくことができる

 *登山者はシェルターの位置を頭に人れておくことが重要だ
 ☆日本には111の活火山があり、温泉や肥沃な田畑など火山の恵みも受けている

 *火山で噴火はまれにしか起こらないが

 *そのまれな一瞬に、多大な危険があることも忘れてはいけない

                      (敬称略)                                     
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日本は「噴火の時代」に入った?!

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The New York Times 27SEP News

2022年09月26日 | 官僚
🌸An Anti-Muslim Symbol From India
Is Paraded on Main Street, New Jersey

The bulldozer has become a symbol of oppression in India.
Its appearance in a New Jersey parade has exposed fault lines
between the region’s Hindu and Muslim communities.
(dansou)
 
⛳5分間英語;シャーロックホームズ
 
⛳今日のセンテン6
*I have been interested in teaching.
*I t may be a challenging,but.
*I want to try action scenes in TV.
*It may be challenging,but I think it could be fun.
*I've tried action scens before,but
*weapons
 
 
⛳Cram school 
 *Nothing special
 
★I am inspired by the Chinese.
★I will write a blog for my own study every day
 in English.
★There are many uncorrected sentences and mistakes.
 Please forgive me.
★I think there is an unknown point in description
 because I have no knowledge.
★If you wont to know details, please check
 the source of articles, programs and images.
★Source: The New York Times.
 
Image citation from the New York Times article etc.
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台湾から、南太平洋・オセアニアヘ1

2022年09月25日 | 歴史

🌸台湾から、南太平洋・オセアニアヘ1

東南アジア島嶼(しょう)部への人類の拡散
 ☆陸地での集団のテリトリーの拡散は緩やか

 *船を使った海洋での移動は急速なものになる

 ☆その典型が台湾や中国南部に端を発して

 *東南アジアを経由した南太平洋の島々への初期農耕民の展開
 ☆この集団の移動

 *現在に至る東南アジアおよび南太平洋集団の形成に大きな役割を果たす
 ☆東南アジアの半島部の集団の形成が、基層集団と北方からの農耕民の混合
 ☆島嶼部では初期農耕をともなう海洋集団の拡散が鍵である
 ☆東南アジア島嶼部と南太平洋の集団の形成、一体として捉える必要がある

オセアニアヘの初期拡散

 ☆オーストラリアには、約5万年ほど前にホモ・サピエンスが進出していた
 ☆ヨーロッパヘの進出とはぼ変わらない時期にオーストラリアまで到達していた
 ☆旧石器時代を通じて、東南アジアからオセアニアにかけサフールランドが存在
 ☆双方にデニソフ人と交雑した狩猟採集民の集団が居住していた
 *ホモ・サピエンスの初期拡散でアジア・オセアニアに到達した

 *ホモ・サピエンスの人びとの子孫である

 ☆アボリジニ・パプアニューギニアの高地人・フィリピンのネグリトの分岐3万5千年程前

 *現代のこの三つの地域の先住民は、長期にわたり独立し近現代に至った
 ☆オーストラリアの先住民はアボリジニとして一括している

 *当然さまざまな地域ごとの特性が存在したと考えられるが

 *先住民への迫害の歴史が原因で古代ゲノムの解析が行われていない

 *パブアニューギニアに関しても、現代人データのみの考察しかできない

 ☆オセアニア地域の集団の成立史

 *デニソワ人との混血の集団が、非常に古い時代から存続して

 *現代につながっているという大雑把なものしか確定出来てない

ポリネシアヘの進出は「アウトオブ台湾モデル」による
 ☆ニア・オセアニアと呼ばれるメラネシアのソロモン諸島までの地域

 *3万年以上前にホモ・サピエンスが初期拡散によって到達した

 ☆リモート・オセアニアといわれる地域、メラネシアの離島域
 *進出したのは、オーストロネシア語を話す人々

 *「--ネシア」は古典ギリシア語で「諸島」を意味する言葉

 ☆「オーストロネシア語」言語とは

 *台湾から東南アジアの島嶼部、 ハワイ、イースター島などの島々から

 *アフリカ大陸東岸に位置するマダガスカルまで

 *地球上のおよそ半分を占める広大な地域で話されている

 ☆台湾の先住民の使うオーストロネシア語がもっとも古く

 *言語学の研究からは台湾が源郷で

 *祖先は、中国南部の海岸地域に居住していた集団である
 *彼らは土器をつくり、植物を栽培し、家畜を持っていた人びと

 ☆初期農耕民集団の中に台湾を出発したグループがあり

 *メラネシアのビスマルク諸島に到達して

 *特徴的な土器をつくるラピタ文化を生み出した

 ☆ラピタの人びと

 *約3200年前にはポリネシアに進出して

 *長い時間をかけて太平洋の広大な地域に拡散した
 ☆「アウトオブ台湾モデル」は、台湾からの急速な展開を想定している

現代のポリネシア人のDNA

 ☆男性の系統を代表するY染色体DNAの66%はメラネシアの人びとの系統

 ☆母系を代表するミトコンドリアDNAの系統の94%は東南アジアに起源する

 ☆ポリネシアヘの進出が、東南アジアを南下した人びと

 *メラネシアの集団を巻き込む形で行ったと考えれば

 *ポリネシアに双方の系統が見られることは不思議ではない

 ☆男女の比率が違うことなどについては詳細不明

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台湾から、南太平洋・オセアニアヘ1

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後醍醐天皇と児島高徳「呉越同舟」

2022年09月25日 | 歴史

🌸後醍醐天皇と児島高徳「呉越同舟」

教育でも「三つ子の魂百まで」

 ☆後醍醐天皇は、戦前では神でした
 ☆天皇の建武政権を破滅させた足利尊氏は日本史上第一の大悪党

 ☆戦前「足利尊氏は再評価に値する」書いた商工大臣、大臣を辞任した
 ☆戦後、皇国史観が退場し足利尊氏が再評価されても

 *後醍醐天皇は基本的に「改革を志した英傑」のままである

 ☆3年持たなかった建武政権は、本来「ダメな」政権と評価されるはずなのに

 ☆唯物史観を信奉する先生たちの間でも「英傑」の評価は続いている
 ☆「三つ子の魂百まで」が心の奥底に残り続けるからと思う

 ☆後醍醐天皇の政治評価はさておいて

 *後醍醐天皇は、信念の人、果敢に行動する人であった

 ☆備前国児島郡に児島高徳という武士がいた

 *彼は後醍醐天皇に心を寄せ、隠岐島への道中で天皇を助けようといた

 *警護が厳しくうまくいかないので

 ☆天皇の宿所に潜人し「天莫空勾践 時非無范蠡」木に記載した

 (天勾践を空しゅうすること莫れ時ときに范蠡無なきにしも非あらず)

 *天は越王・勾践にしたように、決して帝をお見捨てにはなりません
 *范蠡の如き忠臣が現れ、帝をお助けする事でしょう

 ☆戦前この詩句が用いられていた小学校に筆者の母在籍していた

 *筆者の母親、昭和6年の生まれ

 *40歳のとき、正確に唄って聞かせてくれた「三つ子の魂百まで」だ

「呉」に従うふりで国力を蓄える「越」

 ☆蘇州を都とする呉という国(王様、闔閭)

 *当時の超大国・楚を圧倒を強国にのし上げた

 *楚と争う呉の背後から、新興の越が攻撃をかける

 *闔閭は、このとき受けた傷がもとで亡くなる

 *闔閭の子の夫差は復讐を誓い越を減亡寸前まで追い詰める
 *越の子の勾践が謝罪してきたため、夫差は彼の命を助けた

 ☆勾践は屈辱に耐え、呉に従うふりをして国力を蓄えていた
 *夫差はそれに気付かず中国北部へ進出
 *夫差が足元への注意を怠るうちに

 *越は呉に攻勢をかけ、首都を陥落させた

 ☆呉は越のために減びた
 *勾践は1度は夫差の奴隷に身を落とされますが、呉を減ぼす

 ☆先の児島高徳の語句は、それを表現したもの

 *呉と越の激しい戦いは有名な故事「呉越同舟」を生み出す
 ☆「臥薪嘗胆」

 *越に復確言を誓った当時の夫差薪の上で寝る痛みで

 *父を討たれた屈辱を思い出した

 *1度は夫差に敗北した勾践は、富国強兵に励む一方
 *苦い胆を嘗め、屈辱を忘れないようにした

 *二つが合わさって、臥薪嘗胴という言葉ができている

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悲劇の人・ヤマトタケル3(白鳥)

2022年09月25日 | 歴史

🌸悲劇の人・ヤマトタケル3(白鳥)

白鳥と化すヤマトタケル

 ☆ヤマトタケルは、病身を引きずりながら故郷の大和へと旅を続けた

 *桑名市の一本松のもとにたどり着き、さらに進むが、歩くたびに足が痛む

 *故郷はすぐ目の前であり故郷を偲んで歌を詠んだ

 *ヤマトタケルは死期を悟ったのだろうか、次々と歌を詠む

 ☆ヤマトタケルの病は急に切迫し、最期となる歌を詠んだ
 *我が置きし 剣の大刀 (ミヤズヒメのそばに置いてきた草薙の剣)あの大刀よ

 *あの草薙の剣がこの手にあったらなあと歌い終えると息を引き取った

 ☆訃報を聞いたヤマトタケルの妻子たちが、大和から馳せ参じてきた

 *墓をつくり、泣きながら歌を詠んだ

 ☆するとヤマトタケルの霊魂は白鳥となって海辺へ飛んでいった

 *白鳥が河内国にも留まらず、飛び去ってしまう

 *ヤマトタケルの純真な性格と心情が発露している
 *白鳥となっても諸国を飛び回って逆賊の平定を考えていた

鳥越神社(私の氏神)

 ☆祭神は日本武尊、東征の折にこの地に留まったことを

 *近在の者が尊び、白鳥神社を建立したのが始まりとされる

 ☆源義家が奥州征討へ赴く際

 *この付近を渡河しようとし、白い鳥に導かれて浅瀬を渡ることが出来た

 *鳥越神社と改称したという伝承が残る

 ☆鳥越神社は将門公の首が飛び越していったので

 *「鳥越(飛び越え)」という地名になりこの社名となった

 *将門の身体はバラバラにされて江戸各地に埋められた

 *鳥越神社には将門の手が埋められているという

 ☆鳥越神社と将門を結びつけるものはいくつかある

 *宮司鏑木家は将門ゆかりの千葉一族の中でもかなり由緒のある家柄

 *全く縁もゆかりもない土地ではない

日本武尊(第12代景行天皇の第2皇子)

 ☆父の命により全国へ征討をおこなう

 *死後白鳥となって飛び立っていったという伝説が残されており

 ☆日本武尊を祀る神社の名称は「白鳥神社」が多い

                      (敬称略)                                     
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南・東南アジア集団の多様性2

2022年09月24日 | 歴史

🌸南・東南アジア集団の多様性2

言語とゲノム
 ☆東南アジアから北東アジアにかけての現代人集団のゲノムデータが解析された

 *アジアの集団の遺伝的な分化は基本的に言語集団に対応している

 *同じ言語集団に属する人びとは似たような遺伝的な構成をしている

 *婚姻は、同じ言語グループの中で行われますから、当然の結果だ

 *文化の重要な要素は言語で、それが集団の遺伝的な構成を規定している
 ☆東南アジア集団は、東アジアの集団よりも遺云的な多様性が大きい

 *東アジア集団は、東南アジアから移動してきた集団で形成されたから

 ☆東南アジアヘのホモ・サピエンスの初期拡散とそれに続く

 *狩猟採集民集団の分化の様子、現段階でわかっていない

 ☆現在分かっているのは、最初は南アジアの古代狩猟採集民

 *東南アジアやオーストラリアにまで展開し

 *その中でデニソワ人との混血が行われたということだけ

 ☆ホモ・サピエンスが最初に拡散した氷河期

 *スンダランドと呼ばれるひとつの大きな陸塊だった

 *最初は基本的に似たような遺伝的構成をした集団が住んでいた

 *海水面の上昇により現在の地形が形成されるようになった

 *1万年前以降から、それぞれに別の道を歩むようになった

マンバック遺跡の発掘調査より
 ☆東南アジアの半島部では、

 *在来の狩猟採集民集団と農耕民の混合によって

 *現代の地域集団が形成されたというシナリオが提示されている

 ☆ベトナムの北部のマンバックは、初期農耕民の遺跡

 *この時期は日本で縄文時代から弥生時代に移行する時期

 *日本では縄文人とは姿形の違う渡来系弥生人が列島に進出してきた

 ☆マンバック遺跡の人びと

 *日本の渡来系弥生人と似ていない別の集団
 *出土した人骨の中には現代の東南アジア人に似た個体に混じっている

 *明らかにそれとは異なる古い形質を持った個体も存在した

 *この遺跡自体が、異なる2つの集団の混合によって形成された
 ☆マンバックの人びと、現在の東南アジアからインド東部に散在する

 *オーストロアジア語族集団に似た遺伝的な特徴を有している

 *移住してきた中国南部の初期農耕民と

 *在来のユーラシア東部の狩猟採集民との混合である

 *初期農耕民は、オーストロアジア語族集団の祖先集団である
 *この地域にはその後も、南中国から農耕民が移住してきていた

⛳東南アジア半島部の遺伝的にも言語学的にも高い多様性

 ☆在来の狩猟採集民集団の世界に

 *北方からの複数回の農耕民の進出し完成したためと推定されている

 ☆アンダマン諸島の人

 *南アジアの古代狩猟採集民のゲノムを保持している
 *これは初期拡散が南アジアから到達したことを考えれば当然
 ☆東南アジア各地の古代農耕民のあいだの遺伝的な違いも大きい
 *中国南部からの移住の波が複数回が要因だ

 *在来集団との混血の様子が異なっている

 ☆広西チワン族自治区の狩猟採集民

 *現代にゲノムを伝えず消滅した
 ☆東南アジアスラウェシ島の7千年ほど前の狩猟採集民のゲノム

 *現在には伝わっていない

 ☆ヨーロッパ同様、農耕以前の時代に存在した

 *地域の狩猟採集民集団の多くは、歴史の闇の中に消えてしまった

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悲劇の人・ヤマトタケル2

2022年09月24日 | 歴史

🌸悲劇の人・ヤマトタケル2

「ああ、我が妻よ」とヤマトタケル思い起こす

 ☆上総,国に入ったヤマトタケルは、荒れ狂う蝦夷をことごとく平定した
 ☆山や川の荒ぶる神々も平定し、都への帰路に就くことができた

 ☆足柄山の坂の下でひと休みしたところへ頭の白い鹿が現われた
 *足柄山の坂の神の化身に違いないヤマトタケルは直感した

 *食べ残しの野蒜(のびる)の片割れを投げつけた

 (野蒜は、邪気を祓う呪力、魔除けの力があると信じられている)

 *野蒜が鹿の目に当たり、鹿は死んでしまい

 *ヤマトタケルに、山の神の祟りが生まれその後の人生に苦しむ

 ☆ヤマトタケルは足柄山の坂の上に登り立った

 *そこから海に沈んだオトタチバナヒメを思い起こした

 *「ああ、我が妻よ)」と言い、悲嘆に暮れた
 ☆ヤマトタケルは甲斐国に出て、木曽川を伝って尾張国へと向かった

 ☆尾張国には、夫婦の契りを結ぶ約束をしたミヤズヒメがいる
 *ヤマトタケルの心は久々に弾んでいた

ヤマトタケルミヤズヒメと再会

 ☆ヤマトタケルは尾張国に戻りミヤズヒメと会う

 ☆ミヤズヒメの衣裳の裾にヤマトタケルは見入った

 *そこに滲んでいるのは「月の障り」であった

 ☆二人は寝所に入ってまぐわいし、心ゆくまで単能した

 ☆ヤマトタケルは伊吹山の神を討ち取るた出発した

 ☆ヤマトタケルは、草薙の剣ミヤズヒメのもとに預けた

ヤマトタケル初めての弱気

 ☆草薙の剣をミヤズヒメの家に残して出てきたヤマトタケル

 *「伊吹山の神は、素手でじかに討ち取ってやろう」と思っていた

 ☆白い猪に化身していた山の神に出会った

 *山の神に向かって「言挙」し、神は見くびられたと怒った

 ☆突然、人粒の雹(ひょう)が降り出し、ヤマトタケルの体を強く打った

 *激しい雹の襲来を受けて驚き困惑したヤマトタケル

 *正常な判断力をほとんど失うほど惑わされた

 *山から下りて、失われていた判断力が徐々に戻ってきた
 (見くびったがゆえに、あのような報いを受けたのだろう……)
 ☆祟りをこうむったヤマトタケルは、それから病気がちとなる
 ☆ヤマトタケルは、初めて弱気になってこんなことを言う

 *私はいつも、空をも飛んでいける気持ちでいたけれども今はどうしたことか

 *私の足は前へ進もうとせず、道がはかどらなくなってしまった
 *ヤマトタケルは疲れがひどくなり杖をついて歩むようになる

                      (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『眠れないほど面白い古事記』

悲劇の人・ヤマトタケル2

(ネットより画像引用)

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女子ゴルフ満開・若い・可愛いが世界ヘ

2022年09月24日 | スポーツ

🌸女子ゴルフ満開・若い・可愛いが世界ヘ

 ☆身長150cm前後の古江や西村など10代・20代のスターが次々に

宮里藍の出現で流れが女子に向かった

 ☆現在の日本の女子プロゴルフ界はまさには百花繚乱

 *テレビ画面に映る女子プロは総じて、若くて、可愛くて、強い

 ☆女子アスリートの強いのはゴルフ界だけの現象でもないが
 *女子ゴルファーに顕著である
 ☆強くて可愛い女子プロゴルファーの源流は、宮里藍に辿り着く

 *ゴルフ、宮里の後も続々と”ツヨカワ″が輩出されてきた
 *理由は「稼げる」からである

 *優勝すれば1千500万円を超すような賞金が人るゴルフ

 ☆現在のナショナルチームヘッドコーチ、ジョーンズ氏のコーチング
 *日本のジュニアゴルファーの練習時間を改善した

 *ジョーンズ氏は効率よくスコアアップにつなげるべく

 *比率をショートゲーム65%、ロングショット35%に変更した

女子ゴルフ界にバニスター効果
 ☆最近、米女子ツアーで、韓国、タイ、日本、台湾等のアジア勢の躍進が目覚ましい

 *背景には、選手育成プログラムがあると指摘されている

 ☆韓国やタイが1歩リードをしていたが

 ☆日本はジョーンズ氏をヘッドコーチに招聘した、改革を行ってきた

 *それらの影響で、現在プロとして確実に結果を残している
 ☆20歳前後の若い選手が塊になってツアーに参入し結果を出す
 *「バニスター効果」がそこに働く、誰か一人がその壁を突破すると

 *呪文が解けたように自分もできると確信する
 *最初に「壁」を突破したのは勝だ

 *その下のプラチナ世代もドミノのごとく、ツアーに押し寄せる

 ☆19年に全英女子オープンで渋野が優勝したとき、間近でそれを見た畑岡

 *日本人はメジャーでは勝てないといわれてきた
 *渋野の勝ちが、自分もできるんだという気持ちにさせてくれたと語る

渋野は「対応能力」の高さ証明

 ☆世界のメジャーの「壁」を突破した渋野

 ☆渋野は「対応能力」の高さを証明したといわれる
 *本人の「風と友達になる」という言葉通り

 *タフな状況下での対応能力の高さを示した
 ☆女子は「黄金世代」「プラチナ世代」その下の世代も続く

 ☆今シーズンの国内

 *女子ツアーの試合数38試合、賞金総額約43億円

 *男子ツアーの試合数27試合、賞金総額約34億円

 ☆19年に賞金総額で女子に逆転された男子ツアー

 *未だに人気回復の目途は立っていないのが現状だ

                      (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS9月号』

女子ゴルフ満開・若い・可愛いが世界ヘ

(『THEMIS9月号』記事、ネットより画像引用)

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The New York Times 24SEP News

2022年09月24日 | 英語練習
🌸Death at NeDeath at New York State
Psychiatric Hospital Investigated as a Homicide
 
The police said Shakim Devega, a patient at the Brooklyn facility,
died from neck trauma,
but no official cause has been determined.
No charges were filed.

(satujin)(simeru)(kiso)

⛳5分間英語;シャーロックホームズ

⛳今日のセンテン4
*He fries chopped meat and vegetables.
*He cooked fried rice.
*She likes to cook French fris.
*It reduces stress and burns calories.
 
 
⛳Cram school 
 *Nothing special
 
★I am inspired by the Chinese.
★I will write a blog for my own study every day
 in English.
★There are many uncorrected sentences and mistakes.
 Please forgive me.
★I think there is an unknown point in description
 because I have no knowledge.
★If you wont to know details, please check
 the source of articles, programs and images.
★Source: The New York Times.
 
Image citation from the New York Times article etc.
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虎ノ門外科部長「大腸がん」制圧ヘ

2022年09月23日 | 医療

🌸虎ノ門副院長・黒柳外科部長「大腸がん」制圧ヘ

 ☆黒柳氏、体の負担が少ない手術を海外でマスター

 ☆黒柳氏、腹腔鏡手術、結腸はもとより直腸でも成功させた

大腸がん手術、5~10ミリの穴を5か所開ける
 ☆日本人が罹るがんの中で、右肩上がりで増え続けているのが大腸がん
 *年間に大腸がんになる日本人は15万人を超え

 *12万人台の胃がんや肺がんを上回る
 ☆検査は内視鏡によって行われる
 *腸内の状態を観察し、切除可能なポリープが見つかれば、その場で取り除く

 *内視鏡的治療が可能なのは、がんが大腸の粘膜にとどまっているか

 *粘膜下層への浸潤が1ミリ以下の場合で、それを超えていたら手術が必要

 ☆従来、大腸がん手術は開腹するしかなかった

 ☆現在は患者の体に負担が少ない高い腹腔鏡手術が主流

 *腹腔鏡手術は腹部に5~10ミリの穴を5個開けるだけ

 *術後に残る傷も小さく、入院期間も短くて済む
 ☆虎の門病院の副院長で消化器外科部長を務める黒柳医師
 *腹腔鏡を日本に定着させた伝道師の1人

 ☆全国の主要病院の腹腔鏡の割合は約30%前後

 *圧倒的に開腹手術を第1選択肢とする病院が多かった時代

 *虎の門病院では腹腔鏡が大腸がん手術の90%台後半を占めていた

 *それが、黒柳氏が″腹腔鏡の伝道師”と称されるゆえん

黒柳氏世界的権威に教えを請う
 ☆黒柳氏にとって転機が訪れたのは国立京都病院時代
 *海外留学制度を使い、マウント・サイナイ病院に留学した

 *そこで、腹腔鏡手術の世界的権威、ミルソン教授と出会えたこと
 ☆黒柳氏が教授の技術を間近で見ることができた

黒柳氏、精神力で年間約450件の手術を
 ☆ニューヨークでの経験は、黒柳氏に飛躍をもたらした

 ☆大腸がんは結腸がんと直腸がんに分けられる

 *腹腔鏡手術は結腸がんには大丈夫でも

 *直腸がんには向いていないというのが定説だった

 ☆この定説に異議を唱えたのが黒柳氏

 *経験を積んだ医師が臨めば

 *直腸がんにこそ腹腔鏡手術が向いていると主張する
 *黒柳氏は腹腔鏡を定着させる立役者となった
 ☆黒柳氏の座右の銘「折れない心」
 *技術があっても、心が折れてしまえば何の役にも立たない

 ☆虎の門病院では年間約450件の大腸がん手術を行っている

 *それを支えるのは強い精神力なのである

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『THEMIS9月号』

虎ノ門外科部長「大腸がん」制圧ヘ

 

(『THEMIS9月号』記事・ネットより画像引用)

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南・東南アジア集団の多様性1

2022年09月23日 | 歴史

🌸南・東南アジア集団の多様性

南アジア集団の成立
 ☆インドを中心とした南アジアは、現在では10億人以上の巨大な人口を抱える地域

 ☆現代人集団の遺伝的な多様性も大きい

 *この地域の集団の成立が複雑なものであることを示している
 ☆それを反映して、この地域で話される言語も複雑
 ☆インドで使用されている言語は大きく4つの語族に分類できる
 ①ヒンディー語、インド・ヨーロツパ語族に属する言語(人口の約80%が話す)

 ➁ドラビダ語族の諸言語で、人口の約18%の人びとが使っている

 ③ヒマラヤ山麓の集団が話すシノ・チベット語族系の言語

 ④ビハールやベンガル湾東側に住む部族集団が話すオーストロアジア語族の言語

 ☆現代のインド人の核ゲノム解析の結果、インドの地域集団は

 *北方のヨーロッパ人と祖先を共有するグループと

 *インドにいた在来の南インド集団の混合によって形成された
 *その混合の比率は、20~80%と幅があり、言語学が構成と一致している
 ☆インドは、過去3千年カースト制度が保持されていた
 *地域間や社会階層をまたいだ婚姻が他の地域よりも制限されていたため
 *地域集団による遺伝的な違いが長い間保持されていた

 ☆言語とゲノムの構成から、現代のインドの人たちのルーツ

 *従来、北方集団は農耕をもたらした集団で

 *南方集団は初期拡散でインドに定着した狩猟採集民集団だと考えられていた

 ☆古代ゲノム研究が進んだことで判明した

 *在来の南方集団自体も、現在のアンダマン諸島集団につながる

 *両者の混合が完成し、その後に北方集団との新たな混合が起こった

 *3回にわたる移住の波が今日の南アジア集団の遺伝的な構成を決定した

インダス文明
 ☆移住の「第三の波」が到達する以前4600~3900年前

 *インドの北西地域に興ったのがインダス文明

 *南部の狩猟採集民とイラン系初期農耕民が混合した集団

 *インドを代表する古代文明を生み出した

 ☆インダス文明の形成に関与した初期農耕民

 *イランの牧畜民や狩猟採集民の持つゲノムをあわせ持っており

 *集団が分化する以前の祖先集団から派生した集団だと推察される

 ☆インダス文明では、北方集団の影響はなかった
 ☆「第三の波」をもたらした集団の正体

 *彼らはヤムナヤ文化集団とは直接関係がない
 *ボタイ遺跡の人びと、バイカル湖周辺の東シベリア狩猟採集民に連なる系統

 *ヤムナヤ文化を生んだ西シベリアの遊牧民とは非常に古い時代に分岐した集団
 *ステップの遊牧民は東西方向に徐々に変化している

 *すべてが均質な集団であったわけではありません

 ☆南アジアに進出した集団とヤムナヤ集団のつながり

 *見られなくとも不思議ではない

東南アジア集団の成立
 ☆南アジアに到達したホモ・サピエンスはその後、東南アジアに展開する
 ☆化石の証拠から、5万年ほど前には、この地にホモ・サピエンスが到達していた

 *東南アジアも南アジア同様、古人骨とそのDNAの保存に適した場所ではない
 *基本的に現代人のゲノムデータを用いて考察が進められている

 ☆その中で、デニソフ人系統の人類との混血が認められる
 *旧人類との複雑な交雑の状況が予想されている
 ☆アボリジニ人やパプアニューギニアの人・東南アジアの先住民

 *ミトコンドリアDNAの系統の中に

 *直接アフリカに結びつく分岐の古いものが存在する

 ☆東南アジアには、初期拡散で初めてこの地に到達したホモ・サピエンス

 *ホモ・サピエンスが持っていたゲノムが間違いなく残っている

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『人類の起源』

南・東南アジア集団の多様性1

(『人類の起源』記事・ネットより画像引用)

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悲劇の人・ヤマトタケル1

2022年09月23日 | 歴史

🌸悲劇の人・ヤマトタケル1

ヤマトタケルの東国遠征

 ☆景行天皇は、ヤマトタケルが大和へ帰ってくる次のような命令を与えた
 *東方12カ国の荒ぶる神々や、服従しない者どもを平定し服従させよ

 ☆天皇が与えたのは、供の者と矛だけで、ヤマトタケルはむっとした

 ☆ヤマトタケル勅命であるので背くわけにはいかない

 *父を敬愛し、父に忠実でありヤマトタケルは東国遠征に出発する

 ☆出立にあたり、ヤマトタケルは伊勢の神官に立ち寄って参拝した

 *伊勢には、叔母のヤマトヒメ(景行天皇の妹)がいる
 ☆ヤマトタケルは、叔母に景行天皇の非情を訴えた
 ☆叔母のヤマトヒメは、草薙の剣を授け、こう言う

 *草薙の剣は、スサノオがヤマタノオロチを退治したときに得たもの

 *姉の天照人御神に献上したた剣である

ヤマトタケル野火攻め

 ☆尾張国に到着したヤマトタケルは、豪族の娘であるミヤズヒメの家へ入った

 *ミヤズヒメと契りを結んで一緒になるつもりであったのだが、
 *東国を平定した帰りにしようと、約束だけをして東国へ向かった

 *その途中、荒ぶる神々や服従しない人々を平定しさせた
 ☆相模国で、国造の勧めで、ヤマトタケルに野原に足を踏み入れた
 *野の四方から野焼きのような火が迫ってきた
 *ヤマトタケルは編されたことに気づきく

 *心底から激しく怒りが込みいかんともし難い

 ☆叔母のヤマトヒメからもらった剣を思い出す

 *剣でまわりの草を薙ぎ払い、身のまわりから燃える草をなくした

 ☆無事に野原を脱け出ることができたヤマトタケル

 *国造の一族をことごとく斬り殺した

 *火をつけて焼いたので、その地を焼津という
 *古事記での、火攻めに遭うのは相模国ではなく、駿河国の間違い

オトタチバナヒメの入水

 ☆ヤマトタケルはこの浦賀水道を渡ろうとするが、海峡は荒れており潮流が速い

 ☆ヤマトタケルは、海神の怒りを鎮めて先へ進みたかった
 ☆ヤマトタケルに、同伴していた妻のオトタチバナヒメが提案する
 *私があなたの身代わりとなって海中に身を沈めます

 *あなたは東征の使命を呆たして、そのご報告を天皇にしなさい
 ☆荒れる海を鎮めるには生贄を捧げるのが一番と信じられている時代

 *ヤマトタケルはオトタチバナヒメを人身御供とすることにした
 ☆オトタチバナヒメが海神の妻として捧げられると

 *浦賀水道は自然と穏やかになる

 *ヤマトタケルは船を進めて上総国に渡っていくことができた
 ☆『古事記』にオトタチバナヒメとの出会いは記されていない

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「グレート・ジヤーニー」アジア集団2

2022年09月22日 | 歴史

🌸「グレート・ジヤーニー」アジア集団とは2

新石器時代のユーラシア大陸にいた「9つの集団」
 ☆1万年前の新石器時代、アナトリアとイラン地域では農耕が始まる
 *各々の集団は遺伝的には異なっていた

 *農耕民と狩猟採集民は分かれて暮らしていた
 ☆ヨーロッパの狩猟採集民、東西各々遺伝的なクラインがある

 *西・東ヨーロッパの狩猟採集民として区別している

 ☆シベリアでも東西の狩猟採集民は遺伝的に分化した

 (シベリアの集団、東アジアの集団と遺伝的なつながりがある)
 *東西シベリアの狩猟採集民の遺伝的な違いがある

 ☆南インドには、現在のアンダマン狩猟民につながる集団がいた

 ☆東南アジアと東アジア、そこから派生した遺伝的に区別しうる狩猟民集団がいた
 ☆1万年前のユーラシア大陸、遺伝的に区別出来る9つの集団がいた

 *これらの集団の離合集散が、青銅器時代以降の集団の形成に関わる
 ☆ヨーロッパ東西の狩猟採集民集団と広大なユーラシアのステップ地域の集団

 *4千年前の地域集団の遺伝的な変遷が明らかになっている
 *その中で、古い集団が、ヤムナヤ集団

 ☆ヤムナム集団は、青銅器時代、ウクライナから東西両方向への拡大を始めました
 ☆青銅器時代の後期にユーラシアステップに興ったアンドロノヴォ文化集団
 *ヤムナヤ文化集団と同様の東西両方向の拡散をした

 ☆このふたつの文化集団はインド・ヨーロッパ語を使っていた

 ☆青銅器時代に続く鉄器時代には、異なる集団の動きも始まる

 ☆中央アジアでは、古代東アジア集団に由来する遺伝的な要素が強くなり

 *東ヨーロッパの狩猟採集民の遺伝的要素が減少していく

 ☆この地域では東ユーラシアからの集団の進入が続いた

遊牧騎馬民族
 ☆鉄器時代に当たる紀元前8世紀から前2世紀

 *地域を支配した遊牧騎馬民族スキタイは、文化的には共通する要素を持つが

 *地域によって遺伝的な構成が異なっていた

 *グループは、遺伝的に異なる集団の連合体だった
 ☆西ユーラシアのスキタイの中には、

 *青銅器時代初期のヤムナヤ文化の遺伝的な要素が認められている

 ☆各々の地域のスキタイのグループに、遺伝的な影響が認められる

 *青銅器時代牧畜民やヨーロッパの農耕民や南シベリアの狩猟採集民等の
 ☆紀元前3世紀にはユーラシアステップの東部に匈奴が出現する

 ☆ゲノム解析から、匈奴はふたつの異なるグループ

 ☆東アジアの集団とスキタイの一部との混合によって成立したグループ
 *紀元4世紀から5世紀、ヨーロッパを侵略する遊牧民フン族

 *匈奴もフン族も、言語的にはトルコ語を含むテュルク語族の言葉を話していた

 ☆彼らの出現以降この地域では

 *インド・ヨーロッパ語族からテュルク語族ヘ言語へ交代した
 ☆広大な中央アジアのスッテプ地域

 *遺伝的に単一の集団が支配したことはなく

 *同じ文化としてまとめられる集団
 *遺伝的に異なる地域集団の連合体であった

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「グレート・ジヤーニー」アジア集団2

(『人類の起源』記事・ネットより画像引用)

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