タカ長観察地を渡るサシバは大陸と連動??
たまにはタカの話をしましょう。
タカ長観察地を渡るサシバのことです。
サシバは中部日本(白樺峠や伊良湖岬など)から関西地区、四国で多くカウントされていることはご存知の通りです。しかし、広島県西部のタカ長観察地では少数のサシバしか記録されていません。
初心の頃タカ長は広島県西部を渡るサシバは中部日本から四国、九州、南西諸島へと渡る本流からはずれた傍流(広島県東部からしまなみ海道沿いを四国に渡るルート)をはずれた、そのまた傍流に位置しているのではないかと思っていました。
しかし、その後の観察結果、特に韓国での観察結果などから総合して、タカ長観察地を渡るサシバは大陸と連動している、中部日本で多く観察されるサシバとは別のグループではないか、と考えるようになっています。
同じようなことは衛星追跡によって研究を進められている東大の樋口先生や岩手大の東講師らのグループの研究でも言われています。日本のサシバには東日本タイプと西日本タイプがあるのではないかと言うことです。
これ等のことを証明するために大学の先生方はDNA解析の手法などを用いて研究を進められているようです。
衛星追跡で言えば福岡で装着された個体の航跡に注目が集まったようですが、そのサシバは研究者の期待に反して九州を南下して行ったようです。タカ長としても九州から北上して韓国に渡ってほしかったのですが、現実はタカ長たちの思いのまま動いてくれないようです。
サシバの航跡図と言えば台湾の研究チームが行っている研究が注目されていました。このような航跡図が何度か公開されました。その航跡図によると、台湾から中国に渡ったサシバのなかに山東半島の近くまで進んだ固体もあって、その後の動きを注目していました。
タカ長としては中国大陸から韓半島に渡り、韓国を縦断して日本に渡ってきてほしかったのです。その次の情報がなかなか公開されないでやきもきしていたのですが、つい先日その後の情報を得ることが出来ました。
結果は期待に反して日本には渡っていませんでした。ここでも期待はずれに終わったと言うことでしょうか?確かにタカ長の思惑通りには渡っていませんが、この航跡図によると北朝鮮に長期間滞在、ひょっとしたら繁殖しているかも分からないことを示唆しています。
渡りの経路にしても大陸経由、陸続きではなく黄海を渡っています。
ここでまた面白い情報があります。この黄色の線の下あたりですが、韓国全羅南道のカゴド(N34度04分・E125度06分)で2009年10月3日にサシバが1650羽カウントされているのです。(Nail Moores)
Nail Moores氏は韓国で活動している(Bird Korea)英国人ですが、彼の記録によると2002年10月7日にも1500羽の渡りをカウントされているのです。このことはこの時期、10月の初旬に多くのサシバが黄海を渡っていることを示唆しています。
今までの情報ではタカ長観察地と韓半島、大陸とを結ぶ具体的な結果は出ていませんが、韓国南部の釜山やタカ長観察に立っての印象では、タカ長観察地を渡るサシバは大陸と連動していると言う思いを強くしています。
大学の先生方は私たちのできない方法でその解明に取り組んでおられますが、タカ長たちは現場に立って見ると言う自分たちの方法でこの課題の解明に取り組んでゆきたいと考えています。
台湾チームの研究に関しては現地語で書かれた情報を得ています。しかし、現地語は理解できませんし、機械的に翻訳した文書は頭が痛くなるような日本語で俄には理解できません。気が向いたら再度解読に挑戦して、何か分かりましたらこのブログで取り上げさせていただきます。
たまにはタカの話をしましょう。
タカ長観察地を渡るサシバのことです。
サシバは中部日本(白樺峠や伊良湖岬など)から関西地区、四国で多くカウントされていることはご存知の通りです。しかし、広島県西部のタカ長観察地では少数のサシバしか記録されていません。
初心の頃タカ長は広島県西部を渡るサシバは中部日本から四国、九州、南西諸島へと渡る本流からはずれた傍流(広島県東部からしまなみ海道沿いを四国に渡るルート)をはずれた、そのまた傍流に位置しているのではないかと思っていました。
しかし、その後の観察結果、特に韓国での観察結果などから総合して、タカ長観察地を渡るサシバは大陸と連動している、中部日本で多く観察されるサシバとは別のグループではないか、と考えるようになっています。
同じようなことは衛星追跡によって研究を進められている東大の樋口先生や岩手大の東講師らのグループの研究でも言われています。日本のサシバには東日本タイプと西日本タイプがあるのではないかと言うことです。
これ等のことを証明するために大学の先生方はDNA解析の手法などを用いて研究を進められているようです。
衛星追跡で言えば福岡で装着された個体の航跡に注目が集まったようですが、そのサシバは研究者の期待に反して九州を南下して行ったようです。タカ長としても九州から北上して韓国に渡ってほしかったのですが、現実はタカ長たちの思いのまま動いてくれないようです。
サシバの航跡図と言えば台湾の研究チームが行っている研究が注目されていました。このような航跡図が何度か公開されました。その航跡図によると、台湾から中国に渡ったサシバのなかに山東半島の近くまで進んだ固体もあって、その後の動きを注目していました。
タカ長としては中国大陸から韓半島に渡り、韓国を縦断して日本に渡ってきてほしかったのです。その次の情報がなかなか公開されないでやきもきしていたのですが、つい先日その後の情報を得ることが出来ました。
結果は期待に反して日本には渡っていませんでした。ここでも期待はずれに終わったと言うことでしょうか?確かにタカ長の思惑通りには渡っていませんが、この航跡図によると北朝鮮に長期間滞在、ひょっとしたら繁殖しているかも分からないことを示唆しています。
渡りの経路にしても大陸経由、陸続きではなく黄海を渡っています。
ここでまた面白い情報があります。この黄色の線の下あたりですが、韓国全羅南道のカゴド(N34度04分・E125度06分)で2009年10月3日にサシバが1650羽カウントされているのです。(Nail Moores)
Nail Moores氏は韓国で活動している(Bird Korea)英国人ですが、彼の記録によると2002年10月7日にも1500羽の渡りをカウントされているのです。このことはこの時期、10月の初旬に多くのサシバが黄海を渡っていることを示唆しています。
今までの情報ではタカ長観察地と韓半島、大陸とを結ぶ具体的な結果は出ていませんが、韓国南部の釜山やタカ長観察に立っての印象では、タカ長観察地を渡るサシバは大陸と連動していると言う思いを強くしています。
大学の先生方は私たちのできない方法でその解明に取り組んでおられますが、タカ長たちは現場に立って見ると言う自分たちの方法でこの課題の解明に取り組んでゆきたいと考えています。
台湾チームの研究に関しては現地語で書かれた情報を得ています。しかし、現地語は理解できませんし、機械的に翻訳した文書は頭が痛くなるような日本語で俄には理解できません。気が向いたら再度解読に挑戦して、何か分かりましたらこのブログで取り上げさせていただきます。