タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

ナツヤケノキビレ

2017年08月15日 | 山歩きから
今日は夕方まで雨予報でしたが、昼前には雨が上がり、セミの鳴き声がうるさくなりました。

タカ長は今日もお休み、明日は独りで裏山を歩くつもりです。

今日もパソコン相手に遊んでいるタカ長ですが、さくちゃんのブログを見ていて、県北の山歩きのことをあれこれ思い出しました。

    

広島県の最高峰、恐羅漢山の頂上から、、、、いまは見る影もなくなったブナの尾根を北方向に歩くと、砥石郷山との鞍部に下り立ちます。

そこはタカ長が青春のころ何度も歩いた峠で、、、、そこはタカ長にとっては「ナツヤケノキビレ」ですが、、、、

    

いまはこのような指導票が立っています。もう、ずいぶん前から立っていますから、、、、

ナツヤケノキビレという言い方を知らない人のほうが多いのかも分かりません。

    

タカ長が青春のころは恐羅漢山のふもとの古屋敷と、いまは語り草になっているブナの中の中之甲をむすぶ峠で、広島の登山者にとっては懐かしく、忘れがたい峠なのです。

しかし、いまは中之甲のブナは切り払われ植林地に、、、、そして、、、その集落は消滅し、、、、、

タカ長は忘れるくらい永くご無沙汰しているので、中之甲のことはまったく分かりません。ナツヤケノキビレから中之甲への道も荒れているはずです。

そのようなナツヤケノキビレですが、、、、、

  

指導票からその名前は消えても、案内プレートにはその名を残しています。

お分かりいただけると思いますが、ここでいう「キビレ」とは山の稜線がきびれているところ、と言う意味で、峠のことを指しています。

恐羅漢山のまわりには、、、カマノキビレとかケンジノキビレ、オオキビレなどなどあることが「西中国山地」(桑原良敏著)に記載されています。

余談になりますが、この「西中国山地」は桑原先生(広島女学院大学教授)が広島山稜会の中心メンバーとして西中国山地を踏査された記録です。広島の山好きにはバイブル的な本で、タカ長も先生の署名入りの本を持っています。

それを見るとここで紹介した中之甲は、、、、昭和20年代までは帝国製鉄の炭焼労働者の居住地で、小学校の分校があった、、、、と記載されています。

その中之甲という珍しい地名は、、、川の呼称が中河(なかのごう)⇒ 中川(なかのごう)⇒ 中之甲(なかのこう)と変化したものと思われる

と書かれています。このように、この本には西中国山地の山の紹介だけでなく「地名考」とか「博物誌」、「登路」などが書かれていてとても参考になるのです。

この例でもわかるように、地名は単なる地名ではなくて一つの文化なのです。

それなのに、、、、ナツヤケノキビレがいつの間にか夏焼峠になっているというのは、タカ長的には許せないことなのですが、、、、

タカ長がひとり怒っても何の解決にもなりませんね。

    

突然、ソウシチョウの写真を貼りつけましたが、、、

2015年にナツヤケノキビレの近くで撮ったものです。声はうるさいくらい聞くのですが、見ることがほとんどない鳥を、とにかく撮ることが出来て嬉しく思ったものです。

これまで何度も行ったナツヤケノキビレ、そしてこれからも行くことになるナツヤケノキビレですが、、、、その名前を呼ぶ人は無くなっていくのでしょうね。

淋しいことです。