武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

戦争と平和、誰がために鐘は鳴る。

2011年08月15日 | 人生の意味

★8月15日、靖国。

本日、靖国に参拝し、日本の為に生命を捧げた御霊の為に、哀悼の誠を捧げます。

 

 

★豊岡マッシー、「沖縄戦」から下記転載。

当時、アメリカの兵隊はとても恐ろしく残酷だと教えられていました。

捕まれば男は八つ裂きにされる。女は犯されてから殺される。当時の人々は本気でそう信じていたのです。
1945
年の326日。

その恐ろしい鬼畜米英がついに沖縄に押し寄せて来ました。最初の上陸地点は那覇の対岸に位置するケラマ諸島。まず艦船と飛行機から激しい砲爆撃を加えて島を焼きつくします。それから上陸開始。小さな島なので逃げるところはありません。追い詰められた住民達は「集団自決」を決行します。軍から自決用に手榴弾が支給されています。家族や親戚でそれを囲んで爆発させるのです。それがない人、不発だった人はいろんな方法で自殺します。紐で首を閉める、首を吊る。カミソリやカマ、ナタで頸動脈を斬る。ネズミ取りの毒薬を飲む。棒や石で殴るとか。自分ではなかなか死にきれないですから、お父さんが、奥さんや、子供を殺す。兄が妹を殺す。奇跡的に助かった人は多くを語りません。

沖縄本島への上陸は。41日の朝の8時半からでした。エイプリルフールです。

読谷、嘉手納、北谷にわたる海岸が無数の艦船と上陸艇で埋め尽くされました。

船とその水飛沫で海が見えないほどだった。
米軍兵力は45万人。そして上陸部隊は18万人。空母や戦艦など大型の船が170隻というような大部隊で、これは米軍にとっても最大規模の上陸作戦でした。

しかし日本軍からの反撃はほとんどなく予想外の静かな上陸となりました。

そのまま重要拠点の飛行場もあっさり占拠してしまいます。

「チビチリガマ」という洞窟に避難した140人の住民はアメリカ兵に包囲され投降を呼び掛けられます。壕内は自決派と投降派がいるわけですが、中国戦線を見た従軍経験者、またサイパン玉砕を知っている人などにより自決を決行してしまいます。

布団に火をつけて煙と炎で85人が犠牲となりました。しかしそこから800mしか離れていないもうひとつの「シムクガマ」、1000人の住民が避難していましたが全員が助かっています。ここにはハワイ帰りで英語の解る人がいたのです。
この人はアメリカ人をよく知っていたので鬼畜米英は軍の流したデマだと知っていました。住民を虐殺するようなことはアメリカ人はしないと皆を説得し自決を思いとどまらせたのです。

避難していたガマがついに敵に発見されてまう。入り口から「Come On」と呼び掛けられる。アメリカ兵は残虐だと教えられている。捕まったら、ひどい殺され方をされるかもしれない。

暗い高温多湿なガマの中で爆撃に脅え水も食料もままならない。沖縄の日本軍兵力は11万。米軍の4分の1です。装備も旧式で武器も弾薬も満足にない。そして中心となるはずだった精鋭部隊を台湾に移されてしまう。米軍と戦える戦力ではありませんでした。大砲を1発撃つと100発返って来るというようなありさまです。

沖縄では約3ヶ月以上という長期間の戦闘が続くことになります。その間、沖縄全土を穴だらけにするような猛烈な爆撃と艦砲射撃が雨のように降り続くことになります。 これは「鉄の暴風」と呼ばれています。

ついに529日、瓦礫となった首里城跡に星条旗がひるがえります。 日本軍は主力の70%を失いほぼ壊滅。

対する米軍は海からの艦砲射撃、飛行機からの爆撃。この援護を受けて戦車を盾に進軍してきます。地面 を耕しながら進むような圧倒的な物量攻撃です。日本軍はいよいよ防ぎきれなくなると、その戦車に爆弾をかついでいって自爆します。

夜襲をかけ日本刀で斬り込んだりします。昼は米軍が押し、夜に日本軍が取りかえすという一進一退の激しい攻防戦が続きます。日本軍はそのつど大量の1日につき1500人もの戦死者をだしたことになります。
たった10キロの距離を米軍が進むのに1ヶ月半もかかっています。圧倒的な物資をもった米軍でさえも一日200mしか進めなかったことになります。それほど日本軍の抵抗は壮絶で米軍の被害も少なくありませんでした。

とくに日本軍と米軍の攻防が最も激しかったといわれる「すりばち丘」。重要拠点だったために、この小さな丘を一日に何度も奪回しあい、米軍の死者2662人。加えてなんと発狂者1289人。

日本軍の方は記録はありませんがその何倍もの死者でしょう。

打ち込まれ続けた砲弾で地中の白い石灰岩が露出して砂糖パンのようになったことから「シュガー・ローフヒル」と呼ばれたそうです。

弁ケ嶽も「チョコレート・ドロップ」と呼ばれたそうで、日本兵と米兵が激しくぶつかり疲労困ぱいのあまり、最後は誰も発砲しなくなり口合戦になったそうです。

(豊岡マッシー)

 

沖縄戦の戦死者。

日本軍戦死者94、136人。

米軍戦死者12、520人。

日本の民間人死者94,000人。(実際の死亡者はこれ以上といわれる)

 

(じゅうめい)

 

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