たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「五七五で なんでもよむ」(再)

2022年08月22日 06時01分43秒 | 詩・エッセイ

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、4年前、2018年8月14日に書き込んでいた記事「五七五で なんでもよむ」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。
そんな古い記事をクリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「五七五で なんでもよむ」(再)

4年前のこと、相互フォロワー登録している村永チトセ様のブログを拝見拝読していて、サトウ ハチロー作の詩、「五・七・五で なんでもよむ」を、初めて知った。
川柳入門書等で引用されたり、紹介されたりもしているようだが、サトウハチロウが、川柳についても詩を書いていた等は、それまで知らないことだった。
日本には、古くから、短歌や俳句や川柳等、わずか三十一文字(みそひともじ)、十七文字で、風景や心情を表現する独特な短詩文芸が有り、現在でも、数多の方々がこれに親しみ、切磋琢磨しておられるが、所詮、脳トレのつもりで、ちょこっと川柳を齧っている爺さんには、「なーるほど・・、ふむ、ふむ・・・」と、頷く内容の詩で、忘れてしまわない内に、ブログに書き留め置くことにした。

「五・七・五で なんでもよむ」 サトウ ハチロー 作、

五・七・五でよむ
悲しみをよむ
さびしさをよむ
母の声をよむ
友だちの姿をよむ
待ちどおしいおやつをよむ
はらぺこをよむ
ふくれるしもやけをよむ
風にひりつくあかぎれをよむ
ありのままをよむ
五・七・五でよむ

人の心の中には糸がある
何かにふれると
美しく鳴り響く糸がある
五・七・五とならべたことばが
この糸にふれると
待ってましたと鳴りひびく
鳴りひびく
わたしたち日本人の心の糸は
五・七・五にすこぶる敏感
ただちに大きくうなづき
たちまち高くなりひびき
それが拍手となってあらわれる

五・七・五
五・七・五
川柳は俳句とともに
世界で一番短い詩の形
わたしたちだけが
すぐにとびこめる詩の形
わたしたちは
これを大切に持ちつづけよう

五・七・五でよむ
やりきれなさをよむ
けんかしたあとの
あじけなさをよむ
遠いお使いをよむ
春を待つ芽をよむ
蜂のこのうまさをよむ
ものすごい足のしびれをよむ
つづけてとびだす
しゃっくりをよむ
思いのままをよむ
五・七・五でよむ、


「千曲川旅情の歌」(再)

2022年04月20日 09時57分49秒 | 詩・エッセイ

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、なんとなく、嬉し、懐かしくなってしまい、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることもある。最近のこと、5年前、2017年に書き込んでいた記事「千曲川旅情の歌」にも、度々、アクセスが有ることに気が付き、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。こんなことが簡単に出来るのも、「デジタル」のメリットであり、従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことである。ブログを始める前までは、想像も出来なかったことが、今、出来る・・・、出来ることはやってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


雪解け、せせらぎ、丸木橋・・・♪、
北陸の山村育ちの爺さん、毎年、この時期、春は名のみの風なお寒き北国の情景等を、数多のブログで拝見させていただく度、郷愁に駆られてしまうこと多しだ。
新緑と桜と雪山の情景、田起こしの情景等々、ふるさとの原風景、旅先で見た早春の風景等に重なるが、中でも、数十年に渡り、車で往来した地、信州の早春の風景がイメージとして思い浮かんでくる。安曇野を走る時は、抒情歌「早春賦」が、北国街道を走る時は、島崎藤村の詩「千曲川旅情の歌」が、頭を過ったものだった。

「千曲川旅情の歌」
今更になってネットで調べてみると、「千曲川旅情の歌」は、1905年(明治38年)に発行された詩集「落梅集」に収録されていた島崎藤村の二篇の詩、「小諸なる古城のほとり」「千曲川旅情の詩」を、後に、島崎藤村自身が自選、刊行した「藤村詩抄」で、「千曲川旅情の歌、一、二」として、一篇に合わせたものだった。

「小諸なる古城のほとり」(「落梅集」より)

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る

あたたかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよう波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

「千曲川旅情の歌」(「落梅集」より)

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思いわづらふ

いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
ただひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ

詩朗読・森繁久彌、「千曲川旅情の歌」 (YouTubeから共有)

作詞 島崎藤村、作曲 弘田龍太郎、唄 鮫島有美子、「小諸なる古城のほとり」
(YouTubeから共有)



「街」(再)

2022年01月26日 17時20分05秒 | 詩・エッセイ

8年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年4月10日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「街」と題した詩(もどき)も有った。「昭和40年5月5日」と記されており、今から57年も前、独身の頃に、感傷と妄想で書き殴ったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な詩であり、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

(ネットから拝借画像)

「街」

           春の宵のそぞろ雨
           うるむネオンを慕いつつ
           濡れた舗道にたたずめば
           水銀灯に照らされて
           冷たく沈むビルの谷間を
           悲しくむせび泣くテナー・サックスの調べ
           我一人、足音を忍ばせん

           明るく華やかなり有楽街は
           夜の蝶ども行き来たり
           窓より洩れ来る熱っぽいムード
           時折陽気なバンジョーが弾み
           ペットも甲高く調子を上げる
           喜び悲しみ憎しみ全てが混沌として
           我もまた、ひとときの人生をここに忘れる

           ほの暗きコーヒー店の片隅は
           甘きスチール・ギターに酔いながら
           肩を寄せ合う二人の
           壁に写りしシルエット
           やさしく軽快にハワイアン
           今日の名残りを惜しみつつ
           ラストを奏でるアロハ・オエ
           
           アロハ・オエ、アロハ・オエ

(昭和40年5月5日)

 

 


「有難き友よ!」(再)

2022年01月11日 11時52分47秒 | 詩・エッセイ

8年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年4月1日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「有難き友よ!」と題した詩(もどき)も有った。「昭和44年10月10日」と記されており、今から52年も前、独身の頃に、感傷と妄想で書き殴ったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な詩であり、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

(ネットから拝借画像)

「有難き友よ!」

懐かしき良き人々よ!
有難き友よ!
君と会えたは、神の運命(さだめ)か!
不思議なる場所と時間と人々よ!
今、君、君、君の顔を忘るることなし、

忘れ得ぬ我が人生の友よ!
有難き友よ!
君と過ごした想い出を、再現出来る不思議さよ!
再びその日はこない、さびしさ有れど
今、君、君、君の瞳を忘るることなし、

(昭和44年10月10日)


「クリスマス・イヴ」(再)

2021年12月10日 08時57分44秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年8月12日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「クリスマス・イヴ」と題した詩(もどき)も有った。「昭和42年11月23日」と記されており、今から54年も前、独身の頃に、感傷と妄想で書き殴ったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な俳句(もどき)で、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

(ネットから拝借イラスト)

「クリスマス・イヴ」

雪の中をとんできた
今にも泣き出しそうな少女
冷たくかじかんだ小さな手を
暖かい光のあふれた
窓辺にさしのべて・・・・

さあ そんなところにいないで
かわいいお嬢さん・・・、
皆でローソク灯しましょう
今宵はクリスマス・イヴ
心温まる愛が
部屋いっぱいに広がって
少女もいつしか笑ってた
大きな瞳をかがやかせ
少女もいつしか唄ってた

(昭和42年11月23日)


「秋の気配」(再)

2021年12月02日 09時51分30秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年8月12日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、便箋に書き付けられた、俳句(もどき)も有った。「昭和39年8月20日」と記されており、今から57年も前、故郷北陸の山村の秋の気配の情景を、感傷と妄想で詠んだ俳句(もどき)のようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な俳句(もどき)で、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

(ネットから拝借イラスト)

 

「秋の気配」

夕焼けに 子らとたわむる 秋の風

赤黄の 雲間に見ゆる 一番星

沈む陽(ひ)に 稲穂輝く 帰り道

縁側で 浴衣にしみる 夜風かな

(昭和39年8月20日)

コメント (2)

「街角」(再)

2021年11月28日 21時57分04秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年6月8日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

「街角」(再)

その中に、「街角」と題した詩(もどき)も有った。「昭和40年10月2日」と記されており、今から56年も前、独身の頃に、感傷と妄想で、レポート用紙に書き殴ったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な詩(もどき)で、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

「街角」

乙女ごの 語らい歩む
その姿 やさしく
甘き 雅き(よき) かんばせを
我が心にも 忘れ行く

この街の この通り
いつもの時間に いつものように
乙女ごの語らい歩む
美しき(いとしき)姿を しばし 留めん。

(昭和40年10月2日)


「秋」

2021年11月24日 21時00分40秒 | 詩・エッセイ

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。


その中に、「秋」と題した詩(もどき)も有った。「昭和40年10月2日」と記されており、今から56年も前、独身の頃に、感傷と妄想で、レポート用紙に書き殴ってあるものだが、50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な詩(もどき)だ。自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

「秋」


さわやかな朝
ピリッとした感じ
薄黄色の
いちょうの木の葉が
かさかさと音をたてて
ゆれている
かわいた石だたみに
松かさがころがってる
美しい朝だ
空も、山も、木も、草も
皆 秋だ


華麗なる夕暮
ロマンチックな感じ
真っ赤に染まった雲の帯
たなびく夕焼
ゆらゆらとススキの穂が
ゆれている
一番星を見る頃は
甘くせつない感傷のメロディー
美しい夕景色
空も、山も、木も、草も
皆 秋だ

(昭和40年10月2日)


「春の夜の想い」(再)

2021年11月18日 20時07分49秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年4月12日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「春の夜の想い」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「春の夜の想い」と題した詩(もどき)が有った。「昭和40年4月18日」と記されており、今から56年も前、独身の頃の春の夜、感傷と妄想で、書き殴ったものかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことで、無茶苦茶、いい加減な詩であり、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って・・・。

(ネットから拝借画像)

「春の夜の想い」

甘き夜風に 誘われて
木立の上の おぼろ月
春の薫の 垣根越し
見上げる 北の空の下
遠きに在りし 君想い
映りて消ゆる その笑顔

悲しき夢と 知りながら
春の調べに 乗せられて
美し(うるわし) あの日の思い出が
晴れた夜空の 星の如(ごと)
西から東 北南
しばしの間も 駆け巡る

(昭和40年4月18日)


「別離(わかれ)」(再)

2021年11月11日 19時52分54秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年4月12日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集


「別離(わかれ)」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「別離(わかれ)」と題した詩(もどき)が有った。「昭和40年3月12日」と記されており、今から56年も前、故郷を離れる春、感傷的になって書き殴ったものかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことで、無茶苦茶、いい加減な詩であり、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って・・・。

「別離(わかれ)」

春は 名のみ来たりて
雪深き 越路の山々
遠き別れを 泣く雁の
さびしく 一人 振り向けば
白き頬濡らす 乙女子(おとめご)の
小さき肩を 抱(いだ)きしめ
紅き夕映え 仰ぎ見て
忘れ得ぬ 君が想いを 託しつつ
忘却を誓う 悲しき人の 
運命(さだめ)有り

(昭和40年3月12日)

(ネットから拝借画像)