たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「娘」(再)

2021年11月05日 08時29分36秒 | 詩・エッセイ

4年前、2017年12月24日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「娘」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「娘」と題した詩(もどき)が有った。「1964年(昭和39年)3月26日」の日付が記されており、今から57年も前に書いたもののようだ。まだ独身の頃で、将来、結婚して、女の子が出来、そのまた十数年後、中年になって、成長したその娘とデート(?)する情景等を、空想、妄想したような類で、映画の1シーン、小説の1コマ等から、憧れたのかも知れない。
残念ながら、現実は、全くそのようにはならず、子供は、男二人(今は、もうすっかり中年、おとっつぁんになってしまっているが)、着こなし良い紳士にも成れず、文字通り、全て、夢、幻で終わってしまったが・・・・・。
50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思っていないはずで、恥ずかし気もなく走り書きしたものだが、こんな物をよくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「娘」

何十年かが過ぎ去って
もはや 私は 若者ではなくなっています。
暖かい春の日射しを浴びながら 
公園をゆっくり散策するカップルがあります。
私と娘の二人。
人々は うらやましげに この二人を見送っています。
中年の 着こなしの上手い紳士と 
伸び伸びと育った新鮮な乙女、
恋人同士のように腕を組んでは 
はしゃいで、とびはねては 二人で笑い転げます。
何て幸せな風景なのでしょう。
甘えん坊で泣き虫な娘、
でも ちょっぴりお茶目でかわいい娘、
娘は 私の手を引っ張って 街を歩み、買い物に付き合わす、
喫茶店の片隅で待ち合わせ、駅のホームで 合図する、
私と娘の会話って どんなに楽しいものかな、
そんな日がいつか来るのだろうか、
いつも そう想っている私、

(1964年3月26日)

 


「青い灯影(ほかげ)のブルース」(再)

2021年10月31日 07時04分09秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年4月12日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「青い灯影(ほかげ)のブルース」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「青い灯影のブルース」と題した詩(もどき)が有った。「昭和39年6月のある日」と記されており、今から57年も前の独身時代に書いていたことになる。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことで、無茶苦茶、いい加減な詩であり、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って・・・。

(ネットから拝借画像)

「青い灯影(ほかげ)のブルース」

あやしく漂う 夏の夜の
甘き ささやき 聞きながら
舗道に映る 水銀灯の
青き灯影(ほかげ)を 慕いつつ
寄り添い歩む 若人に
緑の風の 清らかさ

白き炎に 燃えんとし
烈しき夏の 威に屈し
風を慕いて とどまらず
緑の影を 求めんを
今また 金色の夕映えの
美しき天然に 魅せらるる

やさしく 白き 手をのべて
髪の揺るるも 愛らしき
白き頬に 涙して
紅き唇口(くちびる) ふるわせる
君が胸を 抱かんと
立ちどまりては 惑うらむ

恋人たちの 語らいは
夜空に敷いた 星の如(ごと)
甘き恋の 語らいは
真夏の夜の 更けゆくを
明日の生命(いのち)も 忘れやり
青春の 青き灯影(ほかげ)の 美しき

(昭和39年6月のある日)


「故郷(ふるさと)」(再)

2021年10月27日 11時42分32秒 | 詩・エッセイ

5年前、2016年7月8日、に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「故郷(ふるさと)」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「故郷(ふるさと)」と題した詩(もどき)が有る。「昭和40年7月10日」と記されており、今から56年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮同室友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々や、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった拙劣詩、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

故郷(ふるさと)

愛し(いとし)妹の手をとりて
堤を巡る夕間暮れ
浴衣(ゆかた)にやさし涼風(すずかぜ)の
川面に映る夕焼けは
遠くなつかし故郷(ふるさと)の
美し夏の夢なりき
今 汝(な)は 星の下(もと)
我が想いは はるかなり

(昭和40年7月10日)

小学生の頃、学校から帰ると、よく、まだ赤ん坊だった妹T子の子守をさせられていたものだった。妹を負ぶい紐おんぶしたまま、近所の子達と、かけずりまわっていた記憶がある。
大人達が野良仕事で留守になる農村では、そんな光景があたり前の時代だったが、その妹が、ある年、大流行した悪性の流行性感冒(今でいうインフルエンザ)に負けてしまい、幼くして天国に旅立ってしまった。小学生の子供には、妹の死がどれ程のショックだったかは、計り知れないが、昭和40年、すでに故郷を離れてから幾年にもなり、故郷の夏の情景と妹の残像が重なって想い浮かび、書いたのかも知れない。


振り返り記事
👇
2021年1月15日「古い写真から炙り出される妹T子の記憶」(再)


 

コメント (2)

「雪国に帰る」(再)

2021年10月25日 14時33分06秒 | 詩・エッセイ

4年前、2017年12月15日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「雪国に帰る」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「雪国に帰る」と題したエッセイ(もどき)も入っていた。「昭和44年1月1日」の日付が記されており、今から52年も前のもの。どうも、正月休みに、北陸の実家へ、夜行列車で帰省した折の感傷を、書きなぐったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかったエッセイの類、こんな物をよくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「雪国に帰る」

No.1
どこからか、午前零時の時報が聞こえたような気がした。
暖房の気分悪さとスキー客の騒々しさで、中々、眠れなかった私も、いつしかうつろに眠ってしまっていたのだろうか。ふと周囲を見回したが、大分静まっていた。
その時、チャイムが流れて放送が始まった。名古屋で乗車した時から、いやに雑音の多い放送だなと思っていたが、その時も同じように聞きずらい放送だった。しかし、深夜の静けさも加わって、良く聞き取れた。
「皆様、只今 午前零時でございます。明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、国鉄を・・・・・」と、いう放送だった。
実際のところ、私は、学生時代を含めて、お正月に帰省すること、8回目になるのだが、列車の中で、新年を迎えるのは、今回が初めてだったように記憶する。昨夜まで雑事に追われ、やっと整理し、列車に飛び乗って郷里に向かう私は、さっきまでが大晦日で、今、新年を迎えたのだなという感慨を、うっかり忘れてしまうところだった。
この聞きづらい放送は、そうした私の心に、「新年を迎えたんだな」という、ほのぼのした感動を蘇らせてくれた。
窓外をふと見やると、静かであるが、やわらかい雪が舞っていた。曇ったガラスを拭くと、外はもう ”別の世界” であった。
車内の灯がもれて、新鮮な雪化粧の景色を、スクリーンのように映している。枯れ木に花、わたぼうしが、うしろに飛んでいく。
もう、高山のあたりを走っているんだろうか。旅の感傷が、とめどなく襲ってきて、わたしはぼんやりと、この懐かしい雪景色を追っていた。

No.2
北陸線に乗り換え、日本海沿いに走る電車も、最近は複線電化が成って早く(速く)なっている。うっすら、夜明けが近づいた富山平野の風景は,静かに眠る平和な散村そのもののように見えた。過酷な雪国の環境を知る私にさえも,この美しい墨絵のような風景にロマンチックな想いを馳せるに十分であった。
いよいよ、〇〇に着く頃は、東の空、上信越の嶺々の重なるあたりが赤く染まり、裏日本の遅い日の出の時刻になっていた。いよいよ射し出る朝日は、新しく、素直で、美しい。
西南の方向、白馬連山が先ず浮かび上がって、新雪に映えて素晴らしい。この景色が見られるだけで、私は、〇〇に郷里を持つ幸せを感じた。そこからは、センチメンタリズムやニヒリズムではない、大らかで自然の尊厳さえ感じられる。
この元旦の朝、こんな素晴らしい朝を迎えられた感動を、途中、車(タクシー)の運転手にも、分かち合ってもらった。「昨日まで、吹雪だった」と言う。何か、この年1970年?(1969年)、素晴らしいものを期待出来そうな気がした。
白い息をたのしみながら、しばらくは、雄々しく朝日に映える周囲の屏風のような嶺々の、そして 音の無い、全く眠っているような閑村(寒村)の、一面白銀の世界に魅せられて、立ちすくんでしまった。
「ただいま」、玄関を入るや、待っていてくれた家族の出迎えの賑やかさで、今さっきまでのロマンチックな想いは片隅に片付けられて、あたたかいコタツに飛び込んでしまった。

(昭和44年1月1日)


「センチメンタル・オータム」(再)

2021年10月22日 11時35分44秒 | 詩・エッセイ

4年前、2017年12月22日、に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「センチメンタル・オータム」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「センチメンタル・オータム」と題した詩(もどき)が有る。「昭和43年11月6日」の日付が記されており、今から53年も前、まだ独身だった頃の秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々や日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった詩の類、こんな物をよくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「センチメンタル・オータム」
(君はもういない)

秋深く 我が感傷はやまず
真っ赤に染まった夕暮れの舗道を
一人あてもなく さまよう
知らぬ街のスズラン燈の灯影に
今はもういない君が 微笑む
さようなら
秘かに 瞳を潤ませて
ちょっぴり震えてうつむいた
君の後姿の 白いうなじが
たまらなくいじらしかった あの宵も
今はもう淡い想い出
さようなら
恋しい君は もういない

秋深く 我が夢は去りゆけり
さみしく暮れる公園の並木道に
一人胸ふたぎ 立ち止まる
うら悲し 枯葉のささやきに
今はもういない君が ささやく
さようなら
夕陽に赤く 頬染めて
しっとり甘く かぐわしき
君の肩に乱れた黒髪が
たまらなくいとおしかった あの夜も
今はもう遠い想い出
さようなら
美し君は もういない

秋深く 我が心に涙降る
天地黄昏れる 渚に歩き
一人感傷に 耐える
やるせなく寄せ返す波音に
今はもういない君が 呼ぶ声
さようなら
長い黒髪を潮風になびかせて
こっくり首を傾けた
君のやさしい後姿が
たまらなくいじらしかった あの夕暮れも
今はもう遠い想い出
さようなら
かわいい君はもういない

秋深く 我が恋は色あせり
ほの暗き 喫茶店の片隅に
一人うつろに 酔い沈む
キャンドルランプに浮かんでゆれる
今はもういない君が 面影
さようなら
紫煙の影に微笑んで
ぽっちりやさしく差しのべた
君の手のひらのぬくもりが
たからなくいとおしかった あの夜も
今はもう淡い想い出
さようなら
やさしい君はもういない

(昭和43年11月6日)

 


「夕焼けのとき」(再)

2021年10月20日 10時14分30秒 | 詩・エッセイ

6年も前、2015年9月25日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「夕焼けのとき」

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「夕焼けのとき」と題した詩(もどき)が有る。「昭和42年11月15日」「遠州浜にて」と記されており、今から54年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々や、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった拙劣詩、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

イメージ
(ネットから拝借画像)

「夕焼けのとき」

今黄昏れる
晩秋の憂いを秘めて
金色に映える大海原
影残す砂丘のかなた
潮の香りに誘われて
人知れぬ望郷の思い
美しき天然の変り行く姿は
感傷の旋律
遠く船影一つ
渚に涙する少女一人
悲しく唄うシルエット
やるせない波音に
胸ふたぎ
秋の終わりの、
ひたぶるに 
うら悲し
浜辺の暮れる

(昭和42年11月15日、遠州浜にて)


「美鈴湖讃歌」(再)

2021年10月16日 08時19分37秒 | 詩・エッセイ

7年も前、2014年7月4日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「美鈴湖讃歌」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「美鈴湖讃歌」と題した詩(もどき)が有り、「昭和40年1月20日」の日付が記されている。「美鈴湖(みすずこ)」で思い出せるのは、学生の頃、一度、当時、松本市郊外に在住していた親戚を訪ねたことが有り、さほど歳の差の無い若い叔母(母親の異母妹)と意気投合し、一緒に、「美鈴湖」に行った記憶である。冬のことで、それまでスケート等とは、まるで縁が無かった学生だったが、山の上の湖「美鈴湖」に案内され、生まれて初めて、スケート靴を履き、おっかなびっくり、へっぴり腰で、湖上を滑った思い出である。叔母とはいえ、若かった二人、ちょっぴり恋慕の情も有ったのか、デート気分で浮かれていたような気もする。そんな「美鈴湖」の印象を、旅の感傷と妄想で、詩にしたのかも知れない。その叔母も、後期高齢者で 今尚、松本市街で健在である。
「美鈴湖」は 長野県松本市郊外、美ヶ原への玄関口の一つにある、標高1,000mの人造湖。農業用かんがい水確保のため、古くから築かれていた、ため池「芦の田池」を改良し、昭和28年に「美鈴湖」と改称された湖なのだそうで、現在でも観光スポットになっている。

白銀の北アルプス

「美鈴湖讃歌」

夏 緑濃き 山影映し
湖畔に 小鳥のさえずりを聞き
爽やかなり 朝を迎えん
烈しき 天を仰ぎ見て
湖上に 浮かぶ たのしさや
友は 美ヶ原を駆け来たり
しばし 疲れを忘るるところ
青き 水面に 風清し

冬 松本市街を 眼下に眺め
白銀の北ア連峰と 相対し
美しき 銀盤を敷く
若人は その上に踊り
若人の影 乱舞して
湖(うみ)と山とを 滑り来て
名残惜しみて 振り返る
静かなり 美鈴 湖畔

(昭和40年1月20日)


「君忘れじ」(再)

2021年10月13日 11時08分28秒 | 詩・エッセイ

7年も前、2014年4月12日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「君忘れじ」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「君忘れじ」と題した詩(もどき)が有る。「昭和40年2月のある日」と記されているが、こんな詩を書いた記憶は全く無い。独身時代、恋に恋していた頃?の妄想、なんだか歌謡曲みたいで、よくもまあこんな詩を書いていたものよと、我ながら開いた口が塞がらない。まさか、50数年後に、他人様に公開され恥をかく等とは、夢にも思わなかったろうに。

「君忘れじ」

紫煙の影の 微笑みも
そっと与えし 白き手も
ひそかに覚ゆる 恋なれば
やさしき心 ふるわせる。

花のかおりを 含ませて
肩に乱るる 黒髪に
乙女の姿 美(うるわ)しく
寄り添うたびに はじらえり。

別れの調べを 聞きながら
長き睫毛の その奥の
悲しと思う 水玉に
乙女心を 秘めしかな。

せつなく枯葉の 散る宵の
淡き 紅き 口づけに
白き頬に 涙した
永久(とわ)に忘れじ 君なれば。

(昭和40年2月のある日)

コメント (4)

「夕日の沈む頃」(再)

2021年10月11日 10時29分29秒 | 詩・エッセイ

6年も前、2015年10月30日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「夕日の沈む頃」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「夕日の沈む頃」と題した詩(もどき)が有る。「昭和40年10月2日」の日付が記されており、今から56年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった詩の類、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

日本海の夕日
水平線上に浮かんでいるのは能登半島の先端


振り返り記事 「日本海の夕日」
👇
2012年6月1日


「夕日の沈む頃」

紅く(あかく) 染まるる 天地上
美し(うるわし) 自然の 神技よ

夕日に 映える 紅葉の
深山(みやま)にしみいる ヒグラシの
哀しき生命(いのち)を 想えども
その偉大なる 天然の
恵みを 尊び(たっとび) 鳴きたるや

瀬音に望む 石河原
ススキの穂の 白髭の
たなびきたるは 物のけの
わびしき姿と 想えども
君とくみし 盃の
情(なさけ)を受けて ゆれたるや

(昭和40年10月2日)


「やっと見つけた花だから」(再)

2021年10月10日 06時00分57秒 | 詩・エッセイ

7年も前、2014年4月13日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「やっと見つけた花だから」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「やっと見つけた花だから」と題した詩(もどき)が有る。「昭和44年11月13日」の日付が記されており、今から52年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、ひたぶるにうら悲しい晩秋のある日、感傷と妄想で、メモしたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった詩の類、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「やっと見つけた花だから」 

やっと見つけた かわいい花
秋の終わりの 夕間暮れ
そぼ降る雨に 濡れながら
ひっそり 秘かに
誰をか待って 咲いていた
ただじっと 咲いていた
君は 薄紅いの野の花

やっと見つけた かわいい花
秋の終わりの 高原の
夜霧にかすんだ 野の径に
しっぽり 濡れて
誰をか待って 咲いていた
ただじっと 咲いていた
君は 可憐な野の花

やっと見つけた かわいい花
私の好きな かわいい花
明日(あした)来るまで 咲いてておくれ
朝もや くぐって 野の径を
君を探して とんで来よう
その時からは 抱きしめて離すまい
君は かわいい野の花だから

(昭和44年11月13日)