4年前、2017年12月24日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)
「娘」(再)
記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。
その中に、「娘」と題した詩(もどき)が有った。「1964年(昭和39年)3月26日」の日付が記されており、今から57年も前に書いたもののようだ。まだ独身の頃で、将来、結婚して、女の子が出来、そのまた十数年後、中年になって、成長したその娘とデート(?)する情景等を、空想、妄想したような類で、映画の1シーン、小説の1コマ等から、憧れたのかも知れない。
残念ながら、現実は、全くそのようにはならず、子供は、男二人(今は、もうすっかり中年、おとっつぁんになってしまっているが)、着こなし良い紳士にも成れず、文字通り、全て、夢、幻で終わってしまったが・・・・・。
50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思っていないはずで、恥ずかし気もなく走り書きしたものだが、こんな物をよくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。
「娘」
何十年かが過ぎ去って
もはや 私は 若者ではなくなっています。
暖かい春の日射しを浴びながら
公園をゆっくり散策するカップルがあります。
私と娘の二人。
人々は うらやましげに この二人を見送っています。
中年の 着こなしの上手い紳士と
伸び伸びと育った新鮮な乙女、
恋人同士のように腕を組んでは
はしゃいで、とびはねては 二人で笑い転げます。
何て幸せな風景なのでしょう。
甘えん坊で泣き虫な娘、
でも ちょっぴりお茶目でかわいい娘、
娘は 私の手を引っ張って 街を歩み、買い物に付き合わす、
喫茶店の片隅で待ち合わせ、駅のホームで 合図する、
私と娘の会話って どんなに楽しいものかな、
そんな日がいつか来るのだろうか、
いつも そう想っている私、
(1964年3月26日)