M男は 自身が付けていた 昭和30年代の日記帳のページを捲りながら 喪失していた記憶のかけらを炙り出し あの日あの頃に思いを馳せている。
昭和30年6月19日、日曜日、晴
「川原の北の畑の麦刈りをした」
全く 記憶に無かったが 確かに 当時 小麦を作っていて 粉にして 村の製麺所で うどんにしてもらい 家の座敷で 物干し竿に並べて掛け 乾燥していたような気がする。
昭和30年6月20日、月曜日、晴
「午後1時半頃 日食をみた」
部分日食だと思われるが ガラスの破片に 煤を付けて 皆で 見たように思う。
昭和30年6月21日、火曜日、曇、
「P・T・Aなので 1限だけ」
「音楽、はにゅうの宿」
P・T・A(父兄会)は 年に1~2回、必ず有って たいてい 子供は 先に下校し 父兄は 担当教師との懇談や面談をしていた。
「中央劇場で映画を見た」
「緑はるかに」
確か 読売新聞の子供向けに掲載された物語を映画化したものだったと記憶している。不確かであるが まだ 子役の浅丘るり子主演だったかな?
当時 M男が通ったO中学校では 学校で推薦する映画だけは 映画館に 見に行って良しとされており この日 見に行ったのだろうか。
「(予告編) ゴジラの逆襲、風雪講道館」
そんな時代だったか?