goo blog サービス終了のお知らせ 

映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「ニッポン沈没」斎藤美奈子

2020年02月20日 | 本(解説)

新鮮なうちに読むべきだった・・・

 

 

* * * * * * * * * * * *


戦争、原発、経済格差…。
さあ、この国は沈没か?
どうなんだ?
いま何が起こっているのか。
その時々のトピックスを関連書3冊をベースに論じる、47の同時代批評。

* * * * * * * * * * * *

「うしろ読み」ですっかりなじんでしまった斎藤美奈子さんの本。
題名につられて読みました。
この本は2006年~2015年にかけて、著者がいくつかの雑誌に連載した時事評論をまとめたもの。
その時々のトピックス関連図書を読み解きつつ、語られています。
各所で、「うん、その通り、よくぞ言ってくれました」というところはあるものの、
やはり今となってはいかにもネタが古い。
こういうのは、やはり新鮮さが命という気はしました。
そしてまた、せっかくこのときに著者がこのような意見を述べているのに、
結局それはなおもそのまま進行していってドツボにはまっているなあ・・・
と今にして思うところも多くて、なんだかむなしくなってしまうことも。
まあつまり、やっと今頃になってこの本を読んでいる私の責任であります。

 

そんな中で、特に気になった話をいくつか・・・

★地方再生のこと
 これまでの地方再生は、そこを訪れる客の目線だったけれど、
 そこを住民の目線にして、住宅と商業施設が微妙に混在するコンパクトな町へ。
 いわゆる“シャッター商店街”への対策ですね。

★ヘイト・スピーチのこと
 ヘイト・スピーチとは、「嫌いなものを嫌いと言う」ことではない。
 ヘイト・スピーチは「マイノリティに対する差別であり攻撃」である、と。
 だから表現の自由とは別物。
 そう、ここのところをはき違えてはいけませんね。

★朝ドラのこと
 NHK朝ドラマについて、
 朝ドラのヒロインは毒気を抜かれ、小骨を抜かれ、時には背骨まで抜かれて
 かわいげのある天然キャラクターに作り替えられる。
 「生意気な女はあかんで~」「男社会のルールを壊す女はあかんで~」という暗黙のメッセージ。
 何年も何年もこういうドラマを見続けてきたことが日本人の意識、
 とりわけ男女平等意識にどう影響したか。

 そこで、斎藤美奈子さん、今期のドラマ「スカーレット」をご覧でしょうか? 
 キミコさんはウーマンリブもフェミニズムの理念もなしに、
 ただ個人としてやりたいことを、男社会のルールも無視してやり遂げています。
 やっと、朝ドラも前進していますよ~。
 ただし、そのことで別の大切なものを失う・・・
 というリスクを負うのは、やはり警鐘なのかな?
 私は、日本人の男女平等意識を前進させないのは「サザエさん」に
 大きな責があると以前から思っています。

★東日本大震災と福島原発のこと
 本巻には、この時期に書かれた文章が多いのです。
 あのときの私たちの重苦しい気持ちが蘇ります。
 しかし、あれからまだ10年に満たないというのに、
 なんとあのときの気持ちがきれいさっぱりと風化してしまっていることか。
 当時、震災前と震災後、日本の歴史の大きな転換点になる・・・
 などと言われたものなのに今となってはその言葉がむなしい。

図書館蔵書にて
「ニッポン沈没」斎藤美奈子 筑摩書房
満足度★★★.5

 


「吾輩はライ麦畑の青い鳥」斎藤美奈子

2020年02月12日 | 本(解説)

引き続き「うしろ読み」のうしろ読み

 

 

* * * * * * * * * * * *


名作の“急所”はラストにあり。
「へそをなでています」「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。難有い難有い。」
―意外と知らない唐突、納得、爆笑!?な終わりの一文。
『西遊記』『吾輩は猫である』から『ライ麦畑でつかまえて』まで、
世界の名著一三七冊をうしろから味わう型破りなブックガイド。

* * * * * * * * * * * *


先に紹介した「名作うしろ読み」の続編です。
刊行時は「名作うしろ読みプレミアム」という題名だったのを、
文庫化に当たって「吾輩はライ麦畑の青い鳥」と改題。
うんとキャッチーになりました!!

前巻はこちら→「名作うしろ読み」斎藤美奈子

 

著者によれば、本巻の方が「名作」の範囲を広げており、
前巻が「あっさり醤油味」なら、本巻は「こってり豚骨味・トッピング全部のせ」風とのこと。
確かに、こちらの方が私も読んだことがあるものが多い。
というわけで、引き続き「うしろ読み」のうしろ読み。

(注)「※」については、私のコメントです。

★あのトンチキな王子を罰してやれよ、と思うのは
 勧善懲悪のおとぎ話に毒されているせいかしらん。<人魚の姫>

★細い糸にすがって争うビンボー人。
 蜘蛛を踏まなかったのがそれほどの善行なのかという疑問も
 セレブなお釈迦様の退屈しのぎと思えば納得できるではないか。<蜘蛛の糸>

★最後の最後で「長州の憲法」にきっぱり引導を渡したのは、
 広田ではなく著者の思いの発露であろう。<落日燃ゆ>
  ※今憲法改正したら、「長州の憲法」に逆戻りじゃん!!

★芝居の終幕みたいな幕切れだが、この事件自体が、
 そう、列車を舞台にした一種の大芝居なのである。
 大人の世界では、しばしば「真相」よりも「解決法」が優先されるってことで。<オリエント急行の殺人>

★結局、活動的な美也子はああなって、楚々とした典子が幸せを得るんだな。チェッ。<八つ墓村>

★人生の折り返し地点をすぎて読むと最終章がしみます。<アルジャーノンに花束を>
  ※主人公チャーリー・ゴードンの知能の変化は、
   つまり人の一生の知能の変化なのではないか、と著者は言っているのです。

とりあえず、この辺で・・・


図書館蔵書にて
「吾輩はライ麦畑の青い鳥」斎藤美奈子 中公文庫
満足度★★★★☆


「名作うしろ読み」斎藤美奈子

2020年02月09日 | 本(解説)

「うしろ読み」のうしろ読み

 

 

* * * * * * * * * * * *


『雪国』『ゼロの焦点』から『赤毛のアン』まで、
古今東西の名作一三二冊を最後の一文から読み解く、丸わかり文学案内。
文豪たちの意外なエンディングのセンスをご覧あれ。

* * * * * * * * * * * *

私がよく訪れるブロガーさんが紹介していたので、早速読んでみました。


名作文学の冒頭の文章が注目されることは多いのだけれど、
最後の一文に触れられることはほとんどない。
・・・というわけで、著者が古今東西の「名作」文学について、
最後の一文から読み解こうとする本です。
元々読売新聞のコラムとして連載されていたものなので、どれも字数がほぼ同じ。
というわけで、見開き2ページで一冊分。
本の題名と、最後の一文、およそのあらすじ、
そして著者のコメントに加えてその作家の紹介まで、なんとも至れり尽くせり。


この「あらすじ」というのがなんともうれしい。
だって、情けないですが私、ここで紹介されている本で
読んだことがあるのはほんの少し・・・。
最後の一文を載せるというのはすなわち、完全ネタばらしということではありますが、
そもそも、この解説文を読んだところでこの先読んでみようとは、
実のところ私は思わないので(?)
あらすじだけでも知ることができるのはありがたい。
ネタばらし、大歓迎!


そしてこの本で面白いのは、なんといっても著者の感想というかコメントを述べる部分。
権威のある「名作」だろうがなんだろうが、本音だしまくり。
だから私はこの本の著者によるコメントの、さらに「うしろ読み」を試みてみることにします。

★「明日は明日の」が、男がらみの決意でも、白けるなかれ。
 永遠のタカビー女に反省は似合わない。<風と共に去りぬ>

★残忍な行為を美しい光景でさっと糊塗する作家の腕も、剣豪なみだ。<たそがれ清兵衛>

★時代の限界とはいえ、ビルマの人々の目はまったく意識されていない。
 水島の行為によって隊も読者も「癒やされて」しまうあたり、
 どこまでも「われわれ日本人」の物語なのだ。<ビルマの竪琴>

★福島第一原発事故後のいま読むとなお強烈。
 一般論としての警鐘ではなく、科学者批判で本書は閉じられるのである。<沈黙の春>

★母性神話を壊す童話。
 子どもを守り抜く完璧な母より、ずっと人間的(狐だけど)だと思うけど。<手袋を買いに>

★恋愛ブラボー、大地(農業)ブラボーなエンディング。
 舞台は中国だが、結末はあまりにもアメリカンだ<大地>

など、など・・・・。
本巻には続刊もありまして、続きます・・・。

<図書館蔵書にて>(単行本)
「名作うしろ読み」斎藤美奈子 中央公論新社
満足度★★★★☆

 


「毒きのこに生まれてきたあたしのこと。」堀博美

2020年02月05日 | 本(解説)

毒きのこ尽くし

 

 

* * * * * * * * * * * *


日本でただ一人のきのこライター・堀博美による、
まるまる一冊毒きのこスーパーコラム・ブック。
おもな毒きのこの紹介を中心に、
歴史のなかの毒きのこや、文学・マンガ作品のなかで描かれた毒きのこなど、
恐ろしくも人の心を惹きつける毒きのこの魔力を、縦横に語りつくします。

毒きのこ本ですが、毒きのこ被害防止を祈念して、発売は「きのこの日」である10月15日。
また、カバーは、カリスマ的人気のあるヒグチユウコさんの作品で装いました。
表紙や本文プロローグ、エピローグなども「毒・どく」をこめた、
ユニークなデザインとなっています。

* * * * * * * * * * * *


まるで何かの物語のようなこの題名と表紙のイラストですが、
これは毒きのこの紹介本です。


著者堀博美さんは日本でただ一人のきのこライター、とありますね!
よほどきのこがお好きなのでしょう。
私も親近感を覚えてしまいます。
本巻には毒きのこばかり44種が紹介されています。
その名前、色・形などの基本データに加えて、
毒の成分、中毒症状、実際の中毒例・・・。
ひ~、こわいこわい!
嘔吐や下痢で済めばまだいい方で、
いったん回復したように見えた後に、
肝臓や胃腸がやられて死に至らしめるというものまであって、
著者は天然に生えているものは、
よほど自信がない限り口にしない方がいい、といいます。
そしてまた、店で売っている食用きのこでも、生食は良くないとのこと。
体質や体調によっては当たることもあるそう。
以前料理番組でサラダに生のマッシュルームを使っていて、
私もやってみようと思っていたのですが、やはりやめることにします。
きのこは必ず熱を通して食べましょう!!

などと言いながら、著者は多少の毒きのこなら
あえて自ら食べて試してみることもあるようなのです・・・。
私は絶対まねしません・・・。

それから、普通のきのこ図鑑ではあまり触れられていない、幻覚性のきのこのこと。
古代には宗教的儀式にも使われていたらしい、幻覚を起こすきのこ。
何種類かは、麻薬と同じ扱いで、持っているだけでも罪になるとのこと!!

そのほか、文学や漫画の中に出てくるきのこの話なども紹介してあって、
誠にきのこづくし、楽しめる本となっています。
惜しむらくは、実際のきのこの写真が巻頭4ページにあるだけなので、
もっと文章と合わせて多くの写真が載っていればよかった・・・。

<図書館蔵書にて>

「毒きのこに生まれてきたあたしのこと。」堀博美 山と渓谷社
満足度★★★.5

 


「ハーメルンの笛吹き男ー伝説とその世界」阿部謹也

2020年02月02日 | 本(解説)

中世ヨーロッパの人々の生活を探る

 

 

* * * * * * * * * * * *


《ハーメルンの笛吹き男》伝説はどうして生まれたのか。
13世紀ドイツの小さな町で起こったひとつの事件の謎を、
当時のハーメルンの人々の生活を手がかりに解明、
これまで歴史学が触れてこなかったヨーロッパ中世社会の差別の問題を明らかにし、
ヨーロッパ中世の人々の心的構造の核にあるものに迫る。
新しい社会史を確立するきっかけとなった記念碑的作品。

* * * * * * * * * * * *

何かの紹介文で見たので興味を持ってこの本を手にしました。
1974年に出版された本で文庫化されたのが1988年、
と、ずいぶん読み遅れの感がありますが・・・。


「ハーメルンの笛吹き男」というのは、皆さんもよくご存じのヨーロッパの昔話。
ある町でネズミの大発生があって困っていると、
ふらりと男がやってきて、ネズミを退治してやるという。
男が笛を吹くとすべてのネズミが集まり男のあとをついて行って消えていった。
さてその後、男が報酬を要求するけれど村人はケチって払わない。
すると男はまた笛を吹き、今度は町中の子どもたちが集まり、
男のあとをついて行って、それっきり戻りませんでした、とさ。

 

単なるおとぎ話かと思っていたのですが、これがきちんとした文書に残っており、
1284年6月26日、ドイツのハーメルンで、実際に130人の子どもが行方不明となった
という事実があるのだそうです。
ただ、文書には笛吹き男の件には触れられていません。
そんなわけでその後から現在に至るまで、
一体子どもたちが一斉にいなくなった事件の真相はなんだったのか、
また子どもたちを率いたものがいたとすれば、それは何者なのか、
ということを多くの人が考察、研究しているのです。

 

有力なのが東ドイツ植民者としての移動。
子どもというよりも若者という解釈で、
多くの者が新天地を目指して、町を出て行ったのだろう、と。
他には、子ども十字軍説、お祭りのような舞踏行進説など・・・。


ここで著者は、この出来事の真相を探るためには、
当時の庶民の実態を知ることが必要だというのです。
教会と大商人が権力を握り、貧富の差が大きく、
特に最下層のたちの生活は想像に絶するものがある、と。
とは市民権を持たないもの。
すなわち今の日本では「人権」は当たり前すぎてあまり意識にも上りませんが
(平等に守られているとは言いがたいけれど)、
彼らには人権がなかった。
「高い窓のむこうに鉄格子越しに道路があり、
いつもは通行人の足や犬猫の顔を見ながら暮らす」という、地下に住んでいます。
しかしこれらの記述に私は特に驚きはしませんでした。
だって現在でも、どこにでもそのような格差や差別は当たり前にあって、
ましてや中世のことならないはずがありませんよね。
ちょうどその半地下に住む人々の映画を見たばかりですし・・・。

そして、音楽を奏でながら旅して回る遍歴楽師のこと。
こうした人々の暮らしを把握しつつこの伝承に立ち返れば見えてくるものがあるかもしれない、
ということで、著者的には特に結論を出してはいません。
著者の狙いは、その真相を探ることではなくて、
当時のヨーロッパの社会における人々の精神構造を探ることなんですね。
しかし、ドイツ人ではなく日本人でありながら、
非常に細かな調査に基づいた記述には頭が下がる思いがします。
ヨーロッパの中世は謎に満ちています。

 

満足度★★★.5

 


「父が子に語る近現代史」小島剛

2020年01月22日 | 本(解説)

一方的な視点にとらわれずに

 

 

* * * * * * * * * * * *


われわれが生きるこの国のいまは、どこから繋がり、どこに向かっていくのだろうか?
鎖国政策、幕末の動乱、大陸政策から現代社会に至るまで、
アジアはもちろん様々な国々と民族からの刺激を受けつつ、
「日本人」たちは自国の歴史を紡いできたが―。
「唯一無二の正解」を捨て、新たな角度で自分の故郷を再度見つめる。
やわらかで温かな日本史ガイド・待望の近現代史篇!

* * * * * * * * * * * *

小島剛氏の日本史ガイド。
「父が子に語る」べき話を、いい年した私が読むのはお恥ずかしい限りではありますが、
昔教科書で習った以上のことをあまり考えてみたこともないので、
初心に返って改めて学習してみましょう、という気になりました。


著者は、古来から「日本」が「日本」のままで今まであり続けたことに、
日本人は「だから日本は特別だ」とか「だから日本はすごいんだ」
というような意識を持っているといいます。
けれど、そうではない。
国の成り立ちはその国それぞれ。
こんな自己満足的な考え方でなく、
「日本の歴史を学ぶことは外国と付き合う場合にこそ大事」だといいます。
確かに、これから海外の国と関係を築いていく若い人こそ、本巻を読むべきだなあ・・・と納得します。
そして頭の堅くなった年寄りも。


本巻には、私たちにははっとさせられることがいろいろ書いてあります。
「吉田松陰・久坂玄瑞・坂本龍馬」そして「井伊直弼・近藤勇・篠田儀三郎」
この人たちの違いがわかるでしょうか? 
前者が靖国神社に祀られている人、後者が祀られていない人。
日本という国を近代化するために犠牲となった人々でありながら、
政治的立場が異なるということで差別されているわけです。
(注・篠田儀三郎は、白虎隊の一員)


それから、著者は司馬遼太郎「坂の上の雲」についても多く触れています。
この本のために、日本人に誤った歴史観が根付いてしまった・・・と。
「坂の上の雲」には朝鮮についての叙述がほとんどない、というのです。
日清・日露戦争は結局のところ日本の朝鮮支配をより確実にするものであったのに、
そのことにほとんど触れられていないのは誤りだ・・・と、なかなか手厳しい。
「耳にしたくない話」を避けてはいけないということです。
私、「坂の上の雲」はまだ全部読んでいないのですが(途中で挫折しかけている)、
確かに朝鮮のことはほとんど書かれていませんでした。
何事も一方的にだけ見るのはダメ、いろいろな視点から考えなければ・・・
という見本のような話です。
そんなわけで、今までとはちがった視点から歴史を考える、良い示唆となった本です。
本巻の前段にあたる「父が子に語る日本史」の方も、是非読んでみたいと思います。

 

ところで皆さん、本巻の題名「父が子に語る」というところで
「子」を男子、つまり「息子」という連想をしなかったでしょうか。
実は私もそうなのですが、著者は自身の「娘」さんを念頭に置いて書いたそうですよ。
でも刊行直後の各種紹介文には「著者が息子に向かって語りかけ」云々と書かれたそうです。
ほとんど無意識のジェンダー偏見。
日頃ジェンダー問題には敏感なはずの私でもそうなのですから、
すごく根深いものがあります・・・。
よほど心しないとこうした偏見はなくなりそうもありません・・・。


「父が子に語る近現代史」小島剛 ちくま文庫
満足度★★★★☆

 


「栗本薫と中島梓  世界最長の物語を書いた人」里中高志

2020年01月11日 | 本(解説)

湧き上がる創作意欲と、孤高の魂

 

 

* * * * * * * * * * * *


栗本薫と中島梓、二つの名前を持ち、
作家・評論家・演出家・音楽家など、
才能を自在に操り多くの人たちに感動を与える稀有な存在でありながら、
ついに自身の心理的葛藤による苦悩から逃れることはできなかった人。
その生涯を関係者への取材と著作から検証する。

* * * * * * * * * * * *

栗本薫さんが2009年5月、56歳で亡くなって、もう10年にもなるのですね。
考えてみると私、彼女のファンのつもりでいましたが、
「グイン・サーガ」の他は伊集院大介のシリーズをほんの少し読んだだけ。
中島梓名義のものはほとんど読んでもおらず、
北海道在住では演劇もライブも行ったことがない、
全くファンとは言えない状況なのでした。

 

そこで、というわけでもないのですが、
没後10年に合わせて出版されたであろうこの本を手に取ってみました。
栗本薫さんの生い立ちや作家活動、人生についても広く深く考察された意義深い本です。
本作を読むと彼女が作家・評論家・演出家・音楽家として
いかに卓越した才能をもっていたかを改めて知ることになります。
しかしまた、その実、彼女は常に自分をこの世の異邦人のように感じ、
孤独の縁に立っていたということもわかります。
根源的には障害者である弟の存在、そのことに発する母親との関係性・・・、
私、今までそういうことは何も知らないのでした。
彼女の編集者であった人物と不倫の果ての結婚ということも・・・。


けれどもそんなことを知っても知らなくても、グイン・サーガの面白さになんの変わりもありません。
ただひとつ、この地上にただ一人豹頭の存在、自らの出自もわからず苦悩する孤独の王者グインと
彼女自身に重なり合うところがある、そのことがわかったのは良かったと思います。
そしてまた、彼女は多くの「やおい」というか「BL」ものを書いているのですが、私は読んでいません。
読み始めたらはまるのかもしれませんけれど。
でも、これらは「少女にとっての性解放」なのだという下りで、
なんとなく腑に落ちた気がしました。
しかし今の「おっさんずラブ」や「きのう何食べた」を見る限りでは、
同性愛のそうした役割はもはや終わったような気もします。

 

ものすごく早く多く原稿をこなし、その命の限りまで原稿を書き続けたという、
栗本薫さんの偉業に改めて感謝です。
私に、ノスフェラスやパロ、ケイロンなどへの旅をたっぷり届けてくれた栗本薫さんに。

いま改めて栗本薫・中島梓を知るために、とてもいい本だと思います。

 

さて、ところで未完の「グイン・サーガ」は、栗本薫氏に心酔する幾人かによって
今も書き継がれています。
私もしばらくは読んでいたのですが、数年前から一切読むのをやめてしまいました。
ストーリーは変幻自在、確かに面白くできてはいるのです。
でも、例えば一冊読んで数ヶ月後にその続きが出る。
するとその頃には前巻の内容をすっかり忘れてしまっているのです。
栗本薫さんの時はそんなことはなかった。
そのストーリーはくっきりと胸に刻み込まれています。
前のストーリーを忘れているなどと言うことはなかった。


私、こう言ってはなんですが栗本さんの文章は少し「くどい」と思っていたのです。
一つのシーンに相当多くのページ数が費やされる。
もうたくさん、と思うくらいに。
しかし今にして思えば、このくどさ故に、
ストーリーがこちらの身体隅々にまで染み入っていたようです。
栗本氏自身が、グイン・サーガは誰かが書き継いでくれれば良い、
とおっしゃっていたようなのですが、いやいや、
たとえひみつのストーリーが誰かに伝えられていたとしても、
それを表現できるのは唯一栗本薫氏だけなのです。
だから私は、グイン・サーガは栗本薫さんの未完のストーリーだけを宝物として胸に抱くことにします。

当ブログでは「グイン・サーガ」第113巻から始まっているのですが・・・、
ぼちぼちと第1巻から紹介していこうかしらなどと、無謀なことを考え始めました。
もう一度読み直して見たくなってしまいまして・・・。
合間合間に、本当にゆっくりと・・・。

(図書館蔵書にて)

「栗本薫と中島梓  世界最長の物語を書いた人」里中高志 早川書房
満足度★★★★★

 


「ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?~脳化社会の生き方~」養老孟司

2019年12月28日 | 本(解説)

「ああすれば、こうなる」脳化社会で

 

 

* * * * * * * * * * * *


身近な疑問から見えてくる知識社会の限界。

* * * * * * * * * * * *


ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか? 
この問いかけに興味を持ち読んでみました。
とはいえ、この本の主題はゴキブリではなく、
サブテーマとされている「脳化社会」についてです。


脳化社会。
聞き慣れない言葉です。
著者は私たちを取り巻いている現代の社会をそのように呼びます。
人間がいわゆる人間としてやっていることは、じつは全部脳の機能、脳の働きであるから。
私たちが現実と考えているのは、私たちの脳が決めたある一つの世界。
その中は「ああすれば、こうなる」という計算ずくの世界です。
けれど、例えば人の「生まれて年をとって、病気になって、死ぬ」ということは
計算ではいきません。
地震や台風などの天災も「ああすれば、こうなる」という計算はできません。
つまり自然は「ああすれば、こうなる」という脳の考えが成り立たない世界・・・。
著者は人間の脳の中が理想になっているのが「都市」だと言います。
だから、都市に自然はない。
あってはならない。

 

けれど天災はあるのです。
人には病気もあり、死もある。
私たちは今、あまりにもこの「脳化」社会に囚われすぎている。
もう少し自然のあり方に寄り添うべきなのかもしれませんね。


そこで私がこの頃こだわっている、在宅介護や在宅死についても少し触れられていました。
昔はみな家で死ぬのが当たり前だったけれども、
今はほとんどの人が病院で死を迎えます。
「死」は全く当たり前のことなのに、脳化された社会では
「死」は「ああすれば、こうなる」という計算が成り立たたず、
理解できないから嫌われるのです。
だから家から追い払われてしまった・・・。
在宅死がやはり自然のあり方のようです・・・。

 

そこで、本巻の題名に戻るのです。
つまり人は「ああすれば、こうなる」という、脳で考えられるものが好きで、
そうでない「自然」なものが嫌いなワケですね・・・。

「ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?~脳化社会の生き方~」養老孟司 扶桑社新書
満足度★★★☆☆

 


「おひとりさまの最期」上野千鶴子

2019年12月14日 | 本(解説)

在宅ひとり死への道

おひとりさまの最期 (朝日文庫)
上野 千鶴子
朝日新聞出版

* * * * * * * * * * * *

同世代の友人の死を経験した著者が
「いよいよ次は自分の番だ」という当事者感覚をもって、
医療・看護・介護の現場を取材して20年。
孤独死ではない、人に支えられた「在宅ひとり死」は可能なのか。
取材の成果を惜しみなく大公開。
超高齢社会の必読書。

* * * * * * * * * * * *

 

先に「おひとりさまの老後」で話題となった上野千鶴子さんの本、その続編です。
実は続編としてはこの前に「男おひとりさま道」というのがあるのですが、まあ、それはパス。

いよいよ、おひとりさまでどのように死を迎えるのかという核心を突きます。

つまり、「在宅ひとり死」は可能か。

いやいや、在宅ひとり死ってつまり、孤独死のこと? 
それ、社会問題じゃん、というあなたは
「おひとりさまの老後」から読み直しましょう・・・。

しかしまあ、それも無理はない。
今の常識では人は病院で死ぬのがアタリマエですものね。
けれど私は先に父母を看取りながら思っていました。
長く住んだちゃんとした自分の家があるのに、
最期はこんな病院のベッド周り一坪分くらいだけが自分の居場所で、
死ななければならないのか・・・と。
そして無理な延命措置は、本人にとってちっとも幸せそうではないということも・・・。

だから上野氏のいう、食べられなくなったら、胃ろうも点滴も不要。
人は次第に衰弱し、最期は脳からエンドルフィンが出るので苦しくない、
静かに息を引き取ることができる、
・・・ということには心ひかれるのです。

とりあえず、在宅死の要件としては

・本人の強い意志

・介護力のある同居家族の存在

・利用可能な地域医療・看護・介助資源

・あとちょっとのおカネ

 

あらら、これではやはり「ひとり死」は無理ということになってしまいますが、上野氏はさらに続けます。

・24時間対応の巡回訪問看護

・24時間対応の訪問介護

・24時間対応の訪問医療

この看護・介護・医療の多職種連携3点セットがあれば、在宅ひとり死が可能になる、と。

 

現在、地域によってはこのような実践がなされているところがあるといいますが、まだほんの少数。
けれど、これからはこのような考え方が広まっていき、
利用しやすいシステムもできあがっていくのだろうと思います。
・・・どうか、私の最期の時には私の居住地でもこんなシステムが利用できるようになっていますように・・・。

 

現在多くの高齢者施設は、最期の看取りまではしてくれなくて、
いよいよ最期の時は病院に送られてしまいます。
病院は本来救命の場所なので、延命措置を施そうとするのです。
下手をするとそこで寝たきりのままになり、あげくに病院を追い出されることに・・・。
せっかく立派な高額の施設に入ったとしても、これでは意味がない。
それなら一人でも最期まで自宅に住み続けて、
様々な看護・介護サービスを受けながら頑張った方がいいかな、と思えてきました。
自分のなじんだ家具や本や様々なものたちに囲まれながら、
その瞬間は一人であったとしても、静かに息を引き取れたらいいな、と。
(完全に夫が先に亡くなることを想定していますな(^_^;)

 

「おひとりさまの最期」上野千鶴子 朝日文庫

満足度★★★★★

 

 


「ぐるぐる♡博物館」三浦しをん

2019年12月11日 | 本(解説)

好奇心がくすぐられる

ぐるぐる♡博物館
三浦 しをん
実業之日本社

* * * * * * * * * * * *

人類史の最前線から、秘宝館まで、個性あふれる博物館を探検!
書き下ろし「ぐるぐる寄り道編」も収録!
好奇心とユーモア全開、胸躍るルポエッセイ。

* * * * * * * * * * * * 

 三浦しをんさんが、様々な博物館を訪れたルポエッセイ。

訪れたのは次のように場所もジャンルも全く別々のところ。

茅野市尖石縄文考古館(長野)

国立科学博物館(東京)

龍谷ミュージアム(京都)

奇石博物館(静岡)

大牟田市石炭産業科学館(福岡)

雲仙岳災害記念館(長崎)

石ノ森萬画館(宮城)

風俗資料館(東京)

めがねミュージアム(福井)

ボタンの博物館(大阪)

書き下ろし「ぐるぐる寄り道編」熱海秘宝館/日本製紙石巻工場/岩野市兵衛さん


ざっと見て、私が特に興味があるのは石ノ森萬画館くらいなのですが、
読んでみると実にそれぞれが興味深くて、
どこも是非一度行ってみたい!!という気にさせられました。

それはやはり、三浦しをんさんの筆力、描写力ではありますが、
どんなことにも情熱を傾ける人がいて、
好奇心を持ってそういうことを学ぶというのは
いくつになっても楽しいものだなあ・・・と思った次第。


巻頭、縄文時代の土器や土偶がいっぱいという茅野市尖石縄文考古館には特に興味をひかれます。
5000年前の人々がどんな風に生活していたのか、
ユニークな姿の土偶などを眺めながら、そんなことに思いをはせるのも良さそうですね。

東京の国立科学博物館は、かなり前に一度行ったことがあると思うのですが、
一度たっぷり時間をとって、じっくりと回ってみたいものです。

博物館と言っても、いろいろあるのですね。
そういえば札幌にも多分いろいろあるはずなのですが、行ったことがない。
まずは地元から探訪してみましょうか・・・。

そんな風に好奇心をくすぐる本です。

 

図書館蔵書にて

「ぐるぐる♡博物館」三浦しをん 実業之日本社

満足度★★★★☆


「物語は人生を救うのか」千野帽子

2019年09月29日 | 本(解説)

人は世界のなりゆきを、ストーリーでとらえようとする

物語は人生を救うのか (ちくまプリマー新書)
千野 帽子
筑摩書房

* * * * * * * * * * * *

世界を解釈し理解するためにストーリーがあった方が、
人は幸福だったり、生きやすかったりします。
実話とは?
そして虚構とは?
偶然と必然って?
私たちの周りにあふれているストーリーとは何でしょう?

* * * * * * * * * * * *

 

先に「人はなぜ物語を求めるのか」という同著者の本を読んでいたので、
続編のこの本も手に取りました。

表題の「物語は人生を救うのか」と言うより、
実話とは? 虚構とは? 偶然と必然とは?と言うところに重きがあるように思いました。

人は実話よりもフィクションの方に「ほんとうらしさ」を求める。

人がフィクションに求める「ほんとうらしさ」とは、じつのところ「必然性」と呼ばれるものにすぎない。
フィクション内の偶然は時にご都合主義として批判される。

「事実は小説よりも奇なり」と言うが、人が小説に「奇」ではないことを要求しているだけの話。

・・・なるほど、その通り。

そしてさらには、

歴史の中で生き残ってきたものがあると、
人は運や偶然よりもそこに必然性(淘汰されなかった理由)を後づけしたがる。

人はうっかりすると、現実世界のなりゆきにも必然性を求めてしまう。

そんなわけで、人は世界のなりゆきを「原因→結果」とか、「動機→行動」と行った因果関係のストーリーでとらえようとするのです。

そのストーリーをどう作るかが問題なんですね。
単一のストーリーに縛られると自責的あるいは他責的に思考してしまう・・・ということで、
「物語は人生を救うのか」の答えは、物語の作り方による、と言うことになりそうです。

どのようなストーリーを作っても起こってしまったことを変えることができないならば、
自分や誰かを責めるようなストーリーでないほうが良さそうです。

図書館蔵書にて

「物語は人生を救うのか」千野帽子 ちくまプリマー新書

満足度★★★☆☆

 


「俳句いきなり入門」千野帽子

2019年08月25日 | 本(解説)

俳句はスリリングな言語ゲーム

俳句いきなり入門 (NHK出版新書)
千野 帽子
NHK出版

* * * * * * * * * *

俳句は風流な「お芸術」でも自己表現でもなく、最高のスリリングな言語ゲームだ。
知識ゼロでも楽しめる句会の開きかたから、
「季語は最後に決める」「口語より文語で作るほうがラク」といった
目からウロコの作句法まで、きれいごと一切抜きで書かれたラディカルな入門書。

* * * * * * * * * *

以前読んだ「人はなぜ物語を求めるのか」の著者のものだったので、読んでみました。
この、紹介文「季語は最後に決める」というところに、惹かれたのです。


というのもこれも以前読んだ俳句の入門書で、
とにかくまず季語を学習して季語を決めるように、
と、あったことに少なからず引っかかりを覚えてしまった私なので。


とはいえ、本書はこれまでの「俳句」入門を覆す、過激な入門書であります。
長く俳句に親しんできたご年配の方が読んだら、怒り出しそうな・・・。


俳句はポエムじゃなくて、自己表現でもなくて、スリリングな言語ゲーム。
季語は最後に選べ。
文語で作るほうが口語の100倍ラク。
・・・今まで聞いたこともない話ばかり。


そして、句会をやるべし!という。
でも、この句会というのが、今まで聞いてた句会とは少し違うのです。
自分では一句も作らない、「作らない句会」もありだというのです。
つまり、出し合った句の中からいいと思うものを選ぶのは同じですが、
その後の、区の解釈についてああだこうだと意見を出し合うことこそが
句会の醍醐味であり、意義であるというのです。
誰の句がいいとかより、どんな言葉でどんな発想が得られるのか、
時には自分で思ってもみなかった解釈を他の人が見出してくれたり・・・、
そういう知的ゲームこそが句会である、と。
だから千野氏は「公開句会」を企画したりもするそうです。
うん、それは面白そう、私も聞いてみたいです。


本巻、巻末に行くほど辛辣になってきまして、
これまでの俳句は
「・・・こんな私ってステキでしょ、ステキな私を見て!」
的なものが非常に多いし、
「だからどうした」と思うだけのものも多いといいます。
著者曰く「でっていうポエム」。
これを読むと、逆に俳句を作るのが怖くなってしまいそうですが、
つまりはこれまでの「俳句」のイメージなどすっかり忘れて、
自由に作れば良いということに尽きるかも。


例えば著者の一句。

よりによって花火の晩にそれ言うか

なるほど~。
心を柔軟にする、俳句の入門書でした!!


図書館蔵書にて
「俳句いきなり入門」千野帽子 NHK出版
満足度★★★★☆


「身近な雑草の愉快な生き方」稲垣栄洋

2019年08月12日 | 本(解説)

植物たちの生き残り戦略

身近な雑草の愉快な生きかた(ちくま文庫)
稲垣 栄洋,三上 修
筑摩書房

* * * * * * * * * *


「名もなき草」の姿を愛情とユーモアに満ちた視線で観察した植物エッセイ。
本来か弱い生き物であるはずの雑草は、
さまざまな工夫により逆境をプラスに転換して、したたかに生きのびてきた。
彼らの個性的な暮らしぶりを知れば知るほど、
その人間くさい仕振りに驚愕し、共感する。
全50種の雑草に付けられた繊細なペン画イラストも魅力。

* * * * * * * * * *

野山の草花が好きな私、この本にも興味を持って開いてみました。
50種類の草花が取り上げられています。
これらは「雑草」と呼ばれ、実際は私のカメラの被写体にも
なかなかならないものばかりなのですが、
そんな普段気にもとめない草花一つ一つが、
それぞれに生き残るための綿密な戦略が組まれている、
ということで、なんとも驚いてしまう本なのでした。


例えば表紙絵にあるシロツメクサ。
シロツメクサは小さな花が下から順番に咲いていって、
全体としては一つの大きな花が咲き続けているように見える。
こうして花を目立たせて蜜蜂を呼び寄せるのだけれど、
蜜蜂が花の蜜を得るためにはちょっとした力と知恵が必要。
シロツメクサはハードルを高くすることによって、より優れたパートナーを得る。
この蜜を得る秘密を知った蜜蜂は気を良くして、
他の花ではなく、同じシロツメクサを飛び回るので、受粉に有利ということなのですね。
ちなみに、四つ葉のクローバーは、成長点が傷つけられて発生することが多いので、
道端や運動場などよく踏まれるところで見つかりやすいのだとか。
「本当の幸せとは踏まれて育つことをシロツメクサは語りかけている。」
なるほど~。

「オオブタクサ」は大量の花粉をあたりに撒き散らす、ということから、
アニメ「紅の豚」には「飛ばねえ豚はただの豚だ」という名セリフがあるが、
オオブタクサは完全に飛んでいる豚である、と。

「ツユクサ」のところでは、
ツユクサの花の青色と雄しべの黄色のコントラストは
あたかもサッカー日本代表チームの青いユニフォームと黄色い胸のエンブレムを連想させる
として、雄しべのサッカー選手顔負けの連携プレーの解説に入ります。

そして「ホテイアオイ」のところでは、
ホテイアオイは生活排水などの窒素やリンを吸収し、水質浄化の働きがあるというところから
「風の谷のナウシカ」の腐海の植物が大地の毒素を吸収するという連想へ。
ホテイアオイの花の中央部の模様は、ナウシカのまとう伝説の青い衣に描かれた模様に似ている
と、私はそこまで確認できてませんが・・・。

というようなわけで、本作の面白さはもちろん植物たちの生き残り戦略の面白さではありますが、
著者の語り口に負うところも大きいのであります。

「身近な雑草の愉快な生き方」稲垣栄洋 三上修 画 ちくま文庫
満足度★★★★☆


「人はなぜ物語を求めるのか」千野帽子

2019年06月19日 | 本(解説)

物語を生きようとする、私たち

人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)
千野 帽子
筑摩書房

* * * * * * * * * *


人は人生に起こる様々なことに意味付けし物語として認識することなしには生きられない。
それはどうしてなのか?
その仕組みとは?

* * * * * * * * * *

「人は人生に起こる様々なことに意味付けし物語として認識することなしには生きられない。」
紹介文にもある通り、私達は身の回りのことを「物語」として理解しようとします。
自分の子供を虐待死させたり、包丁を持ち出して通行を切りつけたり・・・。
私達はその人が「なぜ」そんなことをしたのか、その意味を考えずにいられません。
そして報道もそれを探りたくて、様々な角度から犯人の実像に迫ろうとします。
起こった出来事に原因・理由をみつけて何らかの「物語」を作らないと、
自分の中に落とし込めないのですね。
本作はそんな私たちの心のメカニズムを説くとともに、その危険性をも言っています。

私達は本当のことを知りたいというよりも、
未知のできごと(異なるもの)をすでに知っているパターンの形に押し込めて
消化(同化)してしまいたいと思う。
だから、ストーリーを作り上げようとするのですが、
そのストーリーを作る上で、「私たちは**に違いない、のはずがない」というような「一般論」や、
「**すべきである、してはならない」という「べき論」に強く縛られてしまっているのです。
それだから、例えば今の自分の状況が本来あるべきストーリーとずれてしまっていることに、
悩み、苦しんでしまう。


著者は最後のまとめでこんなふうに言っています。

「従来の生きる指針(ライフストーリーメイキング)を捨てるのは先の保証がなく、
崖から落ちるくらい怖いが、そうする自由は常にある。」

悩み苦しんで煮詰まり、自ら命を落としてしまう人すらある人生というもの。
でも本来私たちは自由なのだから、一般的に当たり前とされるストーリーではなく、
別のストーリーに乗ってみることもできるのではないかな・・・。
そんなふうに私は思いました。


図書館蔵書にて
「人はなぜ物語を求めるのか」千野帽子 ちくまプリマー新書
満足度★★★.5


「しびれる短歌」東直子 種村弘

2019年05月17日 | 本(解説)

実に興味深い、短歌の今

しびれる短歌 (ちくまプリマー新書)
東 直子,穂村 弘
筑摩書房

* * * * * * * * * *


恋、食べ物、家族、動物、時間、お金、固有名詞の歌、
そして、トリッキーな歌…。
さまざまな短歌について、その向こうの景色や思いを語る。
歌人の二人による楽しい短歌入門。

* * * * * * * * * *

この頃私、なんだか短歌に惹かれます。
かつて俵万智さんが「サラダ記念日」で短歌界になんとも新鮮な風を吹き込みました。
おや、それがもう30年以上も前のことなんですね、びっくり。
これじゃ若い方に「サラダ記念日」なんて言っても通じないのか。
でもこの頃私が気になるのが、蝶や花、自然を読み込んだものとか愛だの恋だのではなくて、
もっと生活に密着した、ほんの些細な心の驚きを表したもの。
本作は「しびれる短歌」というだけあって、かなり個性的かつ
これまでの「短歌」のイメージを突き破るような作品が紹介されています。


俳句では季語の必要上、ハメを外すのもなかなか難しいし、
さすがに17文字では言いたいことを言い尽くせないことも。
けれど短歌は季語という制約もないし、31文字になればかなり可能性も広がる。
俳句以上にその人の個性が出ますね。
本巻には多くのしびれてしまう短歌が紹介されています。
まえがきの一番始めに紹介されているのが

したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ   岡崎由美子

「したあと」って、やっぱりアレですよね。
それが「うれしはずかし朝帰り♪」などというノーテンキなものではなくて、
実体験がにじむようで、なんともリアル。
「放置された自転車と自分の姿が重なり、虚しくて寂しくて悲しい」とあります。
実に納得。

家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい  小坂井大輔

一体家族の誰が・・・? 
よくわかっているはずの家族のことが、実は何もわかっていなかったと思わせ、
うそ寒い気持ちにさせられる。
けれどもありそうな・・・まさにしびれる短歌。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい  笹井宏之

ひと目ではよくわからずじっくり見直してしまいますよね。
「永遠解く力」を繰り返していっているだけなのですが。
この作者は若くして亡くなっていまして、
そう知ると余計になにか胸に迫るものがあります。
ちくま文庫で「えーえんとくちから」という文庫の歌集も出ています。

その他、お金の歌、固有名詞を使った歌、トリッキーな歌・・・、
ユニークな章立てで興味深い作品が多く紹介されていて、
短歌の「今」を知るのにうってつけとなっています。

「しびれる短歌」東直子 種村弘 ちくまプリマー新書
満足度★★★★☆