これは「ゲド戦記」ではない
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* * * * * * * * * *
本作は、平成18年の公開時に見たのですが、
その頃はまだブログをはじめていませんでした。
このところ原作の「ゲド戦記」を読んでいて、
けれどもアニメの方は全く記憶から抜け落ちていたので、この度再視聴しました。
以前に見たときの記録は残っていましたので、
ここにコピペしてみますね。
前評判があまりよくない。
それで、まあ、あまり期待しないで見たわけですが、
うむ、それで正解かな?と。
誰しも、父宮崎駿氏と引き比べてしまうのでしょう。
気の毒だけれど・・・。
そもそも、このゲド戦記は、もっと膨大な物語なのだろう。
むりして2時間にしました、というのがみえみえ。
まず、なんでアレンが父親を刺し殺すことになってしまったのか、よくわからないし。
クモの姿がどんどん不気味に変わっていくのも、単にこけおどし、という感じ。
一番感じたのは、心の光と闇、命の大切さ、
そのような観念がそのまま言葉で語られていること。
ここは色々なエピソードがあり、アレンが自分でつかみとらなければならないところだ。
それをテルーに言われたからといって、ああそうなのかと納得できるものかね。
・・・若いな。うむ。
たとえば、となりのトトロに、「自然が大切」なんて言葉はどこにも出てこない。
でもそれは画面のそこここからにじみ出ている。
大人も子供も十分に楽しめる。
でもこれは・・・。
隣に座っていた小学生はすっかり退屈していたぞ。
唯一良かったのは挿入歌のテルーの唄。
この間、テレビに出ていたテシマ葵さんの唄は涙が出ちゃった。
うう・・・。
いい曲、そしていい歌声です。
・・・と、かなりの辛口なのですが、
原作を読んだあとだと、更に不満が溢れ出てきます。
長いストーリーのエッセンスだけをつまみ食いした感じの本作は、もはや原作とは別物。
これを「ゲド戦記」だなんて言ってほしくない。
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一番まずいのは、ここにも書いてある通り、
最も訴えたいテーマをそのまま「セリフ」として登場人物に語らせてしまっているところ。
原作の第一巻で自分の影と戦うのはゲド自身ですが、
それを克服するにはに長く過酷で孤独な旅が必要でした。
けれど、本作上のアレンは何ほどのことをしたでしょう?
テルーの歌を聞いて心が洗われて、それでおしまい?
そもそもアレンが父親を殺すなんて、原作にはまったくないんですよ。
アレンが影をまとうために、無理やり作ったエピソード。
全然納得できません。
公開時にアニメを見て一つだけ腑に落ちなくて覚えていたシーンがあります。
それはテルーが高所の階段の手すりから隣の建物へ飛び移ろうとするシーン。
怖いので「できない」とテルーは口に出します。
そしてアレンが手を差し伸べる。
バカみたい、と前回も思ったし、今回も思いました。
それ以前までにテルーは散々危険なところを伝ってきたんですよ、一人で。
そもそも、ジブリ作品に登場する女の子なら、
こんなところで「できない」なんて言わない。
少し怯んだ顔をしたとしても、思いっきりよく自分で飛んだはずです。
何こんなところでアレンの気遣いをアピールしているのか・・・
あ、でもひとつ良かったのは、テナーの家で、
ゲドが自分の食器を自分で洗っていたところ。
よくぞそのシーンを取り入れてくれました!!
そこは大事です。
総じて、原作を読んだ人なら、絶対不満足感を抱くことは確実。
原作を読んでいない人なら・・・
でもまあ、あえて見る必要もないか・・・。
う~ん、我ながらあまりの辛口になってしまっているようです。
ご容赦を。
「ゲド戦記」
2006年/ 日本/115分
監督:宮崎吾朗
出演(声):岡田准一、手嶌葵、菅原文太、田中裕子、香川照之、風吹ジュン
満足度★★☆☆☆
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本作は、平成18年の公開時に見たのですが、
その頃はまだブログをはじめていませんでした。
このところ原作の「ゲド戦記」を読んでいて、
けれどもアニメの方は全く記憶から抜け落ちていたので、この度再視聴しました。
以前に見たときの記録は残っていましたので、
ここにコピペしてみますね。
前評判があまりよくない。
それで、まあ、あまり期待しないで見たわけですが、
うむ、それで正解かな?と。
誰しも、父宮崎駿氏と引き比べてしまうのでしょう。
気の毒だけれど・・・。
そもそも、このゲド戦記は、もっと膨大な物語なのだろう。
むりして2時間にしました、というのがみえみえ。
まず、なんでアレンが父親を刺し殺すことになってしまったのか、よくわからないし。
クモの姿がどんどん不気味に変わっていくのも、単にこけおどし、という感じ。
一番感じたのは、心の光と闇、命の大切さ、
そのような観念がそのまま言葉で語られていること。
ここは色々なエピソードがあり、アレンが自分でつかみとらなければならないところだ。
それをテルーに言われたからといって、ああそうなのかと納得できるものかね。
・・・若いな。うむ。
たとえば、となりのトトロに、「自然が大切」なんて言葉はどこにも出てこない。
でもそれは画面のそこここからにじみ出ている。
大人も子供も十分に楽しめる。
でもこれは・・・。
隣に座っていた小学生はすっかり退屈していたぞ。
唯一良かったのは挿入歌のテルーの唄。
この間、テレビに出ていたテシマ葵さんの唄は涙が出ちゃった。
うう・・・。
いい曲、そしていい歌声です。
・・・と、かなりの辛口なのですが、
原作を読んだあとだと、更に不満が溢れ出てきます。
長いストーリーのエッセンスだけをつまみ食いした感じの本作は、もはや原作とは別物。
これを「ゲド戦記」だなんて言ってほしくない。
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一番まずいのは、ここにも書いてある通り、
最も訴えたいテーマをそのまま「セリフ」として登場人物に語らせてしまっているところ。
原作の第一巻で自分の影と戦うのはゲド自身ですが、
それを克服するにはに長く過酷で孤独な旅が必要でした。
けれど、本作上のアレンは何ほどのことをしたでしょう?
テルーの歌を聞いて心が洗われて、それでおしまい?
そもそもアレンが父親を殺すなんて、原作にはまったくないんですよ。
アレンが影をまとうために、無理やり作ったエピソード。
全然納得できません。
公開時にアニメを見て一つだけ腑に落ちなくて覚えていたシーンがあります。
それはテルーが高所の階段の手すりから隣の建物へ飛び移ろうとするシーン。
怖いので「できない」とテルーは口に出します。
そしてアレンが手を差し伸べる。
バカみたい、と前回も思ったし、今回も思いました。
それ以前までにテルーは散々危険なところを伝ってきたんですよ、一人で。
そもそも、ジブリ作品に登場する女の子なら、
こんなところで「できない」なんて言わない。
少し怯んだ顔をしたとしても、思いっきりよく自分で飛んだはずです。
何こんなところでアレンの気遣いをアピールしているのか・・・
あ、でもひとつ良かったのは、テナーの家で、
ゲドが自分の食器を自分で洗っていたところ。
よくぞそのシーンを取り入れてくれました!!
そこは大事です。
総じて、原作を読んだ人なら、絶対不満足感を抱くことは確実。
原作を読んでいない人なら・・・
でもまあ、あえて見る必要もないか・・・。
う~ん、我ながらあまりの辛口になってしまっているようです。
ご容赦を。
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「ゲド戦記」
2006年/ 日本/115分
監督:宮崎吾朗
出演(声):岡田准一、手嶌葵、菅原文太、田中裕子、香川照之、風吹ジュン
満足度★★☆☆☆