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映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「いいね! フェイスブック」 野本響子

2011年07月31日 | 本(解説)
登録はしたけれど・・・

いいね! フェイスブック (朝日新書)
野本響子
朝日新聞出版


             * * * * * * * *

世界中に広がり、「ソーシャルネットワーク」の映画でも評判となったフェイスブックですが、
日本ではまだ活用度はイマイチのように思えます。
かくいう私も、米留学中の娘に勧められて登録したまでは良かったのですが、
使い方がわからず、その後ほったらかしでした。
この際、この本を読んで少し勉強してから、
もう少しまともに使いこなしてみようと思ったわけです。

本のまえがきにもありました。
「使い方がわからない」「何をしていいのか困る」と戸惑い、
登録しただけで放ったらかしにしている人も多いと。
そうでしょう、そうでしょう・・・。
ということで、このフェイスブックで何ができるのか、
まずそこのところを追求してみましょう。


・・・ですが、まずその前に、フェイスブックの大前提、実名主義について。
実は登録の時にちょっとためらってしまいました。
実名登録。
これまで仮名が当たり前のネット社会で、これはちょっと勇気がいりますよね。
むろんこれも仮名で登録しようと思えばできなくはないのですが、
今や世界では、本人確認のためにフェイスブックを利用するようなこともあるそうで、
仮名を使うと後々困ることになるかもしれないとのこと。
仮名で誹謗中傷、無責任な発言が横行することもある実態を考えれば、
実名で責任のある発言を皆がするようになった方が安心です。
ネットはともすると仮想空間、実生活とは別の世界になりがちですが、
実名を使うことにより、より現実に即したモノとなるような気がします。
しかし、日本でも名前は多くの方がローマ字で登録するそうで、
うわ、しまった! 
私はもろに漢字を使ってしまいました。
(汗っ!!)


では、フェイスブックの使いどころ・・・
★家族や友人とのつながりが深まる。
どこの誰ともしれない人のためではなく、
本当の家族や友人に向けてメッセージが発信できるし、相手の近況も知ることができる。
★それほど頻繁に書き込む必要がない。
筆まめな人もそうでない人も、それぞれの使い方ができる。
★世界とつながっていることを実感。
★ゲーム多種あり


うーん、はりきったわりに、やりたいことって少ない。
といいますか、何しろ身の回りにフェイスブックを使っている人がいなければ、
どうにもならないですよね。
さしあたっては、娘とのやりとりに使うだけ・・・
という認識をあらためただけだったりして。
これは将来的にもっと多くの人が利用し始めると面白くなるかもしれませんが、
今はまだどうなのか・・・という印象です。
でも、突然ブログ画面にフェイスブックの「いいね!」ボタンができていたりして、
環境は思った以上に整ってきていますね。
(その使い方を解っていないのが問題!)

著者は、まずプロフィールの欄だけでも意味がある、といっています。
自分の興味のある音楽や趣味、
ここを詳しく描けば、以前当ブログでご紹介した
「偏愛マップ」の役割を果たしそうです。
でも著者は、いきなり知らない人に友達リクエストをするのは、マナー違反ともいっています。
う~ん、やはり使い方が難しい。

3年後、5年後・・・。
はたして日本でもフェイスブックはなくてはならないものになっているのかどうか。
乞うご期待。

「いいね! フェイスブック」野本響子 朝日新書
満足度★★★☆☆

エクレール/お菓子放浪記

2011年07月30日 | 映画(あ行)
エクレール、それは、あこがれの人であり、平和な時代への希望であり・・・



              * * * * * * * *

作家西村滋氏の自伝的作品を映画化したものです。
昭和18年、孤児院育ちの少年アキオは、盗みで少年感化院へ送られてきます。
でもその時世話になった担当刑事、遠山のことが忘れられません。
彼はアキオに菓子パンを分けてくれたのです。
そもそも空腹のために盗みを働いた。
甘いものなど滅多に食べたこともない。
そんなアキオにとっては、夢のようにおいしい食べ物だったのですね。

感化院にはサディスティックで嫌な教員もいたけれど、
唯一、やさしい陽子先生にアキオはあこがれます。
特に彼女が歌う「お菓子と娘」には、
食べたこともない「エクレール」というお菓子が出てくるけれども、
そのお菓子へのあこがれが陽子へのあこがれと同一のものになっていくわけです。

エクレールはつまり、エクレアですね。
今となってはむしろ地味なくらいのお菓子ですが、
何も甘いものがなかった戦時中、
この歌は甘いものへのあこがれをかき立てると共に、
そのような甘いものが食べられる平和な時代への希望ともなるのです。


さて、アキオはやがて感化院からある女性との養子縁組で引き取られていきます。
その一見上品そうなお婆さんは、
実はとんでもないボロ屋に住む強欲ばあさん。
アキオを働かせてお金を得ようとする魂胆が見え見えなのですが、
アキオは生まれて初めての家族に幸せいっぱい。
初めての給料を誇らしげにすべてお婆さんにさしだします。



この辺りは、ひどい話といえばひどい話だけれど、
でも本当の家族ならやはりそうするだろうと思えるのです。
フサノばあさんは、まあ、欲得づくではありますが、
きちんとアキオにご飯を食べさせていますよね。
むしろアキオが人の話に左右されてお婆さんを悪人だと思い込んでしまう方が哀しい。
やっぱりまだアキオは子供なんですね。

子供だって働いて、家族のため、自分のため、食い扶持を稼いでいた・・・。
そういう時代の話です。
でも、本当はそれがあたりまえのことなのかも。
今の「勉強すること」が子供の仕事みたいになってしまっている方が異常なのでは・・・、
と思わなくもありません。

まあともかく、そんな誤解というか現実直視?で落胆してしまったアキオは
家を飛び出し、あてのない旅を始めます。
これが「放浪記」たる所以。
それにしても、貧しく世知辛い戦時中でありながら、人々の心は温か。
映画館のおかみさんや、旅回りの一座。
人々の輪の中で、きちんとアキオの居場所がある。
そしてまたそんな中でも、
アキオの心にはエクレールと陽子先生へのあこがれが常に希望の光を放っているのです。
何ともふんわりと甘く心が温かになる作品。


主演の吉井一肇くんはミュージカルで活躍しているのですね。
どうりで、ボーイソプラノの「お菓子と娘」がすばらしい。
演技は、やはり舞台の演技を感じましたが・・・。
いしだあゆみの強欲ばあさんも、ナイスでした!!


また、この作品、東日本大震災前に宮城県石巻市でロケをしていまして、
津波前の美しい風景がフィルムに残されています。
きっとまたこの美しい光景は取り戻せますよね!


「エクレール/お菓子放浪記」
2011年/日本/107分
監督:近藤明男
原作:西村滋
出演:吉井一肇、早織、遠藤憲一、高橋惠子、林隆三、いしだあゆみ


わんこ4

2011年07月28日 | 工房『たんぽぽ』
おすわり犬


各パーツです。

色合い的には少しさみしいですが
これはラブラドール・レトリーバー


つなぎ合わせるとこうなります。
足を付ける位置が少し難しい。
始めどうもヘンだったので、
とってやり直しました。
気に入らない部分があればやり直しできる
というのがいいところ。
根気よく納得いくまで・・・


よこ


うしろ


よろしくね!


ナルニア国物語/第3章アスラン王と魔法の島

2011年07月27日 | 映画(な行)
少年の成長のための過酷な試練



              * * * * * * * *

ハリー・ポッターではありませんが、
今作も登場人物たちがリアルタイムで成長していく、
いつまでも見守りたい作品になっています。

原作の邦題「朝びらき丸 東の海へ」。
前作から3年後のストーリーです。
今回は4人兄弟の内登場するのは下の二人、ルーシーとエドマンド。
上の二人はナルニアを旅するにはもう大人になりすぎた、ということなのでしょう。
この二人、従兄弟のユースチスの家に世話になっているのですが、
ある日、海を行く船の絵に引き込まれ、気がつくとナルニアの海の上。
前作でも登場したカスピアン王子の航海途上でした。
・・・ところがこの二人と一緒に、従兄弟のユースチスも一緒にこちらに来てしまったのです。
このユースチスときたらひねくれ者で文句ばかり言う嫌なヤツ。
おとぎ話など信じないタチなので、
そもそもこのナルニアの世界丸ごと受け入れがたい。
困ったものです・・・。
ところが、実は今回のストーリーはこのユースチス少年の成長物語といってもいい。
ちょっと信じ難いような大きな試練が待っているのです・・・。



彼らはアスランの王国があるという東の海の果てを目指しますが、
その前に恐ろしい魔法が渦巻く海域、島々を通らねばなりません。
そこではそれぞれが自らの心の奥底の欲望に向きあい、打ち勝たなくてはならない。
ルーシーはもっと美しくなりたい。あこがれの姉のように。
エドマンドは、元々兄に対してコンプレックスがありましたよね。
兄の影ではなくて自分こそがリーダーシップを握りたい・・・。
ユースチスは元々何に対しても不満だらけですが、ここでの誘惑は黄金。
これは確かに侮りがたい(^^;)
さあ、果たして彼らは試練をのりこえられるのでしょうか。



ユースチスとネズミの戦士リーピチープの交流がナイスです。
リーピチープはいけ好かないユースチスに剣を教えてくれるし、
ユースチスが最も落ち込んだときには慰めて語りかけてくれる。
そんな中で、人の温かい気持ちを理解できるようになったり、
自分自身の非を認め、そして困難に立ち向かう勇気がわいてくるんですね。


第1作では実はあまり面白いと思えなかったのですが、
次第に面白くなってきた気がする、このナルニア国物語です。



ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島 3枚組DVD&ブルーレイ&デジタルコピー(DVDケース)(初回生産限定)
ジョージー・ヘンリー,スキャンダー・ケインズ,ベン・バーンズ,ウィル・ポールター
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン



「ナルニア国物語/第3章アスラン王と魔法の島」
2010年/アメリカ/112分
監督:マイケル・アプテッド
原作:C.S.ルイス
出演:ジョージー・ヘンリー、スキャンダー・ケインズ、ウィル・ポールター、
ベン・バーンズ



「ぼくは落ち着きがない」 長嶋 有

2011年07月26日 | 本(その他)
新感覚。図書部員の青春。

ぼくは落ち着きがない (光文社文庫)
長嶋 有
光文社


             * * * * * * * *
 
これはある高校の図書部の物語です。
けれど特に大きな事件があるわけではありません。
図書部員望美が、図書室とはベニヤ板で仕切られただけのこの部室で起こる出来事を語っています。
それにしてもいくつかのエピソードはありながら、
それが収束しないで終わってしまうという、不思議なストーリーになっています。

そもそも、この題名。
「ぼくは落ち着きがない」。
これ自体が謎です。
この本の語り手はオンナノコの望美。
だからこの題名の「ぼく」ではなさそう。
では誰・・・?と思いつつ読んでいって、結局解るのは、
望美があこがれていた図書館司書の金子先生が、とある小説の新人賞を受賞。
その後の第一作の題名が「ぼくは落ち着きがない」というもの。
けれど、望美はそれでピンと来る。
これは私たちのことを書いた小説だ!
・・・つまり、考えてみると、
多分丸ごとこの本の内容そのものが、金子先生作品なのではないかな?と、
そんな気がしてきます。


ワイワイガヤガヤと気ままで賑やかそうな部室なのですが、
実のところ皆そう脳天気ではない。
不登校になる子はそのまま不登校で、その原因は語られない。
オタクっぽくて皆に疎外されている男子は、やっぱり疎外されたまま。
何だか望美を嫌っているらしい女子の気持ちもそのまま。
いやいや、でもそれこそが現実です。
実際の身の回りにははっきりした起承転結なんかない。
特にこの青春時代の思いは・・・。


非常に気になるエピソードとしては「片岡哲生」に関するもの。
一度に本を6冊ずつ借りていって、すぐに返しに来るというこの転校生。
ウソかマコトか様々な伝説が。
曰く、
ものすごいロングシュートを決めた。
美術室で一人で泣いていた。
校舎内で自転車をこぐ姿を見た。
校歌をものすごくきちんと巧く歌っていた。
5人の不良を相手に立ち回りをしていた。
二つ先のバス停前のコンビニでメンチカツパンを買い食いしていた・・・。
う~ん、すごく興味がわきますね、一体どういうヤツなんだか。
ところが、望美はこの本人を一度も見たことがないのです。
よく図書室にも来ているのに、
何故かタイミングが外れて姿を目撃したことがない。
ところが、終盤、とても大事なシーンでこの片岡君とすれ違うのですよ。
でも、望美はそれに気づいてない。
読者である私たちもうっかりすると見落とします。

それから、ナス先輩の小説が面白い。
・・・そうか、よく考えると結局「ぼく」は、ナス先輩なのかもしれません。
いろいろと仕掛けもほどこされ、想像の余地があるこの本。
不思議に楽しいです。

巻末、俳優の堺雅人さんが素晴らしい解説を書いています。
「演技」をキーワードとしてこの作品を読み解いたもの。
うわ!この的確さ、鋭さには恐れ入りました。
なので、私はあえてそのことにはふれずに書きました。

「ぼくは落ち着きがない」長嶋有 光文社文庫
満足度★★★★☆

僕と妻の1778の物語

2011年07月24日 | 映画(は行)
まるでファンタジーのような



               * * * * * * * *

SF作家眉村卓さんと2002年にガンで死別した悦子夫人との実話です。


余命宣告を受けた妻(竹内結子)のために夫(草なぎ剛)は、
5年間1日1篇の短編小説を書き続けます。
それというのも、笑いは免疫力を高めると聞いたから。
思い切り楽しいストーリーを毎日毎日書き続けるのです。
その効果があったのか、はたまた薬のためか、
当初余命1年といわれていたものが、
5年間を生きて過ごすことができたのですね。



二人の闘病のシーンの合間に、
夫の描いたストーリーのシーンが挿入されます。
実話を元にしたリアルなストーリーなのですが、
全編を通じて、まるでファンタジーのようなふんわりとしたムードが漂います。
それはこの主演二人の醸す雰囲気でもあり、
その雰囲気を生かした作品作りを意図しているためとも思われます。
妻が勤めていた銀行、夫がお世話になっている出版社。
どちらもレトロなビルですね。
また、この二人の家が、いかにも懐かしい感じの日本家屋。
・・・といえば聞こえがいいですが、雨漏りのひどい、古い家です。
これが今風のナントカハウスだったら、
こんなに温かい雰囲気は出てきそうにありません。



いかにも美談ではありますが、夫はいいます。
「これは、自分がそれをしないと持ちこたえられないから、続けているだけなんだ。
それを妻が許してくれている。」
そのように認識できているところが、バックボーンとしてすぐれています。

SF作家は、イメージそのままに夢見がちで、
ちょっぴり現実の生活から遊離している。
そんな夫を見守り勇気づけて、支えてきた妻。
うらやましいくらいの確かな絆で結ばれている夫婦の、美しく哀しい物語でした。
泣けます・・・。

二人があこがれた美しい光景は、北海道にありました。
実際に来ることができてよかった・・・と、しみじみ思ってしまいました。

僕と妻の1778の物語 コレクターズ・エディションDVD
眉村卓,半澤律子
ポニーキャニオン


「僕と妻の1778の物語」
2010年/日本
監督:星 護
原作:眉村卓
出演:草なぎ剛、竹内結子、谷原章介、吉瀬美智子

「東京公園」 小路幸也

2011年07月23日 | 本(恋愛)
ファインダーの向こうの母子

東京公園 (新潮文庫)
小路 幸也
新潮社


              * * * * * * * *

写真家を目指す大学生の圭司は、公園で出会った男性に奇妙な依頼を受けます。
「妻の百合香を尾行して、写真を撮って欲しい」と。


百合香は、天気がよければいつも幼い娘かりんを連れて「公園」へ行くのです。
無邪気なかりんと彼女をやさしく見守る母、百合香。
気づかれずに写真を撮っていたつもりが、
いつしか百合香がこちらを意識していることに気づく。
写真を撮る側、撮られる側、
決して言葉は交わさないのですが、不思議な一体感が生じ、
圭司自身もこの母子に対してある種の感情が芽生えていることを自覚していくのです。

この尾行にはどんな意味があるのか。
また、百合香が頻繁に公園へ散歩に行くことの意味は・・・。


圭司の友人(女性)富永や、血のつながらない姉との交流を交えながら、
人を好きになることの意味、
愛することの意味を問うていきます。


ファインダーの向こうの母子の姿がいいですね。
いかにも儚げで、ふんわりしていて、
そして守りたくなる。
あこがれずにいる方が難しいというものです。


登場する公園は水元公園、日比谷公園、砧公園、
洗足池公園、世田谷公園、和田堀公園、
行船公園、井の頭公園。
聞いたことだけはある名前もありますが、
私には全く土地勘がないのが残念。
どれもちょっと行って見たくなる、そんな描写があります。
著者と重ね合わせて、圭司は北海道旭川出身ということになっています。
なので、ちょっぴり北海道の故郷のことにもふれている部分があり、
そこはちょっとうれしい描写です。


この作品、映画化されていて、現在上映中。(一斉公開ではないようです)
確かに「絵になる」シーンが多くて、
映画化にはもってこいに思えます。
きっと、圭司の心と同様に、瑞々しい情感たっぷりの作品なんだろうな。
今すぐにではなくても、いずれ見てみたいと思います。

「東京公園」小路幸也 新潮文庫
満足度★★★☆☆

女王陛下の007

2011年07月22日 | 007
正統派・・・だけど地味

            * * * * * * * *

本日は007第6作目の「女王陛下の007」。
でも、これはショーン・コネリーではないんだね。
初めての主役交代、ジョージ・レーゼンビーがボンド役となっています。
でも、この人は今作一作きりなんだよね。
そう、次作はまたショーン・コネリーに戻っているんだ。
まあ、そのことはまた後で触れることにしようよ。
そうだね。今回の舞台はスイスのアルプス。
お馴染みスペクターのブロフェルドが、今度は殺人ウイルスをばらまき、
世界を破滅させようともくろんでいる。
そのための施設が、アルプス山中にあるというわけ。
ブロフェルドは、前回すっかり姿をあらわしちゃったので
今回もしっかり登場するね。
全体的にストーリーはすごくまともだね。
そうだね、前回のムチャクチャぶりから比べたら・・・。
もしかして、前回でショーン・コネリーがもうイヤになったんじゃないかなあ・・・。
それはともかく、アルプスでのスキーアクションとか雪崩のシーンとか、けっこう迫力があって、よかったよね。
それから、なんとボンドとボンドガールがついに結婚しちゃう!!
うそー。そんな話聞いたことないけど?
いや、ホントに。けどまあ、長くは続かないというか・・・。
そんなわけで、見所もしっかりあるといわけだね。
はい・・・。
何、その力のなさは・・・?
ストーリーもアクションの映像もいい。
けどねえ・・・、なんだか地味という印象がぬぐいきれないんだなあ。
それは前回のハチャメチャぶりに馴染んじゃったからかな?
もしかしたらそれもあるかもしれないけど、はっきり言ってこれはやっぱり主役の問題ではないかと・・・。
ジョージ・レーゼンビーか・・・。
やっぱり、この辺りではすっかりショーン・コネリーに馴染んでますからね。
どうもイメージが・・・。
何だか花がない。・・・見るたびに「誰だこれ?」とつい思ってしまう。
申し訳ないけれど、そういう印象です。そう、思えてしまうのです。

というわけで、次作は口直し(?)で、またショーン・コネリーに戻ります。
つい、ホッとします・・・。

女王陛下の007 (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]
ジョージ・レーゼンビー,テリー・サバラス,ダイアナ・リグ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン


1969年/イギリス/144分
監督:ピーター・ハント
出演:ジョージ・レーゼンビー、ガブリエル・フェルゼッティ、ダイアナ・リグ


ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2

2011年07月20日 | 映画(は行)
すべてが結集するホグワーツの地で



            * * * * * * * *

さあ、いよいよハリー・ポッターの最終回となりました。
今作、このシリーズでは最初で最後の3D作品ということで、奮発して3D鑑賞。
IMAXシアターです!

今作は最終章を2つに分けたものなので、
ハリーたちが「分霊箱」を探す旅の続きとなります。
ヴォルデモートとの最終決戦地は、あの慣れ親しんだホグワーツの魔法学校。
したがって、派手な戦いのシーンが多いわけですが、さすが大画面の3D。
これは正解です。
地下金庫のジェットコースターのようなシーン、
ドラゴンに乗って飛翔するシーン、
瓦礫と化す学校のシーン、
臨場感と迫力に満ちています。



そして、映像が派手なだけじゃありません。
長年の謎、どうしてハリーとヴォルデモートの心が感応するのか。
敵か味方か、謎のスネイプ先生の心に秘めた思い・・・。
ハリー・ロン・ハーマイオニーの友情と息の合った連係プレイ。
これまでハリーを支えてくれた多くの人たち。
すべてが結集し、大変見応えのある内容でもあるのです。
満足しました・・・!



第一作目「ハリー・ポッターと賢者の石」が公開されたのが2001年。
10年を経ての完結。
いやあ、さすがに感慨深いものがありますね。
あのかわいらしかった子供たちが、こんなにも頼もしい青年に成長して・・・。
リアルタイムに成長していく子供たちを、
まるで自分の子供の成長を見守るような感覚で見てしまいました。
「北の国から」の感覚にも似ています。
原作では7年間の物語、映画では10年を要してしまったわけですが、
その間に撮影やCG技術もますます進歩して、
このような3D作品になったわけで。
正に魔法のようです・・・。
そういうこちらも、10年の間にいろいろ変わったということですよね。
何がどう変わったのか。
後でゆっくり思い出してみることにしましょう・・・。



で、この物語で何が一番心に残ったかというと、
私はスネイプ先生でしょうか。
始めからかなりの嫌われ役でしたよね。
全くいけ好かない。なんだコイツは・・・と、私も思っていました。
けれど、意外と深くて複雑な思いをずっと抱えていたというわけです。
さすが、名優アラン・リックマンを当てた意味がやっと最後にわかるのでした。
といっても、この話は今作でいきなり降ってわいてきたわけではありません。
きちんと伏線は張られていました。
映画が作られ始めた頃は、まだ原作も執筆途上だったわけですが、
決して行き当たりばったりにストーリーを作っていたわけではない。
こういうところが、ベストセラーの所以でありましょう。

とにもかくにも、長い物語の完結。
めでたいことではありますが、ちょっぴりさみしくもあります。
次はまた別の、
ダニエル・ラドクリフくんやエマ・ワトソンさん、ルパートグリントくんの
活躍を楽しみにすることにしましょう。


余談ではありますが、エンドロールの膨大なクレジットの中で、
ソロシンガー MAI  FUJISAWA という名前が目にとまりました。
いつもそんなにまじめに見ているわけではなくて、
たまたま目についただけなのですが。
でも明らかに日本名なので、この方は誰?と思ったわけです。
帰ってからこの作品をネットで調べていたら、解りました。
この方は、あのジブリ作品の音楽をよく担当される久石譲さんの娘さんで、
ミュージシャンの「麻衣」さん。
あの、「ナウシカ」の中で印象的なラン・ラン・ララ・ラン・ラン・ラン
・・・の歌を歌った方だそうです!!

「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」
2011年/アメリカ/130分
監督:デビッド・イェーツ
原作:J・K・ローリング
出演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、ヘレナ・ボナム・カーター、レイフ・ファインズ、アラン・リックマン

「私はそうは思わない」佐野洋子

2011年07月19日 | 本(エッセイ)
人に媚びずパワフル

私はそうは思わない (ちくま文庫)
佐野 洋子
筑摩書房



            * * * * * * * *

昨2010年11月に72歳で亡くなった、著者の追悼特集ということで、
文庫が店頭に並んでいました。

佐野洋子さん。
考えてみたら私は「100万回生きたねこ」と
「おじさんのかさ」くらいしか読んだことがないような・・・。
でもどちらも大好きです。

この本は1987年に出されたエッセイ集。
この題名がいいですね。
「私はそうは思わない」。
むやみに人に迎合せず、独自の考えを貫こうとする。
私自身の弱いところではあるので、
そういう強さを持つ方にはあこがれてしまうのです。
著者は子供の頃から「私はそうは思わない」という子だったので、
母親にとっては嫌な子供だったに違いないといっています。
「私はそうは思わない」というのは「私はこう思う」というのと少し違うというのですね。
その少しの違いが、やはり大きな違いであった、と。
つまりはちょっとへそ曲がりで、強情、頑固・・・。
でもそういうところが、
100万回生きたねこの、そして雨が降っても大事な傘をささないおじさんの、
独特な魅力につながっているのに違いありません。


また、著者は息子さんのことも「僕はそうは思わない」人らしいといっています。
小学校一年生くらいの息子さんに「みにくいあひるの子」を読んでやると、
「なんで白鳥の方がいいんだよ。アヒルに悪いじゃんか」といったとか。
「あひるはあひるとして立派に生きていけばいい」
そういう独自の視点はとても大切だと思うのですね。
ちょっと虚を付かれた感じがして、
そしてもっともだと感心してしまうのです。


さてそんなわけでこの本は、通常のお行儀のよいエッセイとはひと味違う、
人に媚びずパワフル。
その独自の生き様をしのぶにはもってこいの本となっています。

「私はそうは思わない」佐野洋子 ちくま文庫
満足度★★★★☆

十三人の刺客

2011年07月18日 | 映画(さ行)
太平の世で行き場をなくした男たち



           * * * * * * * *

片岡知恵蔵主演工藤英一監督による同作品のリメイク。
まあ、そちらは見たことはありませんが、
三池崇史監督により、見事に迫力ある現代の時代劇となっています。


江戸時代末期。
明石藩主松平斉韶は残虐な殺戮を好み、暴政を行っていた。
これがなんと稲垣吾郎さん。
頽廃の極みといいますか、まともに生きる気力も無く、
ただ楽しみのために人を殺す。
心が病んでいますね。
でもそんなところが非常に現代風でもある。
ゴローちゃん、好演です。
さて、この危険な男が現将軍の弟ということで、
今度老中の職に就くという。
このままでは政は乱れ人民が苦しむことになるだろう・・・ということで、
密かに斉韶暗殺の計画がおこるのです。
この役に当たったのが、お目付役島田新左衛門(役所広司)。
彼はこの計画に荷担する侍12名を集めた。
一方、斉韶を守る役目は、かつて新左衛門と同じ剣の一門にいた鬼頭半兵衛(市村正親)。
彼は斉韶の行いをよくは思っていないのですが、
主を守ることこそ武士の勤めと信じている。
チャンスは、斉韶が参勤交代で江戸から明石へ戻る間のみ。
新左衛門の一行はある宿場町を買い切り、斉韶等を待ち受ける。
しかし、彼らがその宿場を通るかどうかは、一か八かの賭のようなもの。
さあ、どうなる・・・?



刺客の人数は12人。
あれ?13人のはずでは・・・。
きっと13人目はユニークな現れ方をする。
・・・予想違わず、13人目は山の中で加わります。
彼は侍ではなく、全くの野人(伊勢谷友介)。
・・・というか野猿?
その野性的敏捷さ・たくましさが、彼らの大きな力となります。


それにしても片や300名に近い軍勢に対し、刺客は13人。
圧倒的に不利ながら、壮絶な死闘が繰り広げられます。
50分間、血の嵐。
映像は渋く壮絶。
けれどここがやはり三池監督。
エンタテイメント性も忘れず、
そういうところで実に、見させられてしまう作品でした。



長く続いた太平の世で、実戦経験のない武士たち。
彼ら双方、行き場のない自らの獣性をもてあましていた・・・、
そんな風にも思えます。
斉韶は逃げ惑いながらもいいますね。
生きていた中で今日が一番面白かった、と。
こんな行き所のないエネルギーが
幕末から明治へと向かって爆発したのかも。



十三人の刺客 通常版 [DVD]
役所広司,山田孝之,伊勢谷友介,伊原剛志,松方弘樹
東宝


「十三人の刺客」
2010年/日本/141分
監督:三池崇史
出演:役所広司、山田孝之、松方弘樹、伊勢谷友介、沢村一樹、古田新太、伊原剛志、松本幸四郎、稲垣吾郎、岸部一徳

小川の辺

2011年07月16日 | 映画(あ行)
旅の道中で思うこと



            * * * * * * * *

藤沢周平作品は、つい見てしまいます。
だいたいいつも似たようなパターンなんですけどね。
武士が理不尽な藩命に従わなければならない、その心の葛藤。
けれど、今も昔も変わらず鄙びて美しい山形の風景は、
遥かに遠い江戸時代をしのぶのに、
とてもマッチしている気がします。

戌井朔之助(東山紀之)は海坂藩に仕える武士。
彼に、脱藩した佐久間森衛を討つよう藩命が下ります。
佐久間は朔之助と同門の親友で、
しかも妹・田鶴(菊地凛子)が彼の元に嫁いでいる。
非常に気が重いけれど断ることができず、
朔之介は奉公人の新蔵を伴い、江戸へ向かいます。

ヒガシの演じる朔之介は、ストイックでさほど苦悩せず
淡々と勤めを果たそうとしているように見えます。
言葉も、あの木訥とした山形弁ではなくて標準語なのは、かっこはいいのですが、
ちょっと残念。
・・・私としては「たそがれ清兵衛」スタイルの方が好きなのです。
この作品は、朔之助の武士としての苦悩よりも、
幼い頃から一つ屋根の下で暮らし、一緒に遊んで過ごした
朔之助、田鶴、新蔵の心の有り様の方に焦点が当てられているように思います。



海坂藩から江戸までおよそ10日の道のり。
徒歩ですからね。
昔の人は足が丈夫だったんでしょうね・・・。
たいていの時代劇はこうした移動シーンはあっという間ですよね。
だから江戸時代の旅の苦労などあまりよくわかりません。
でもこの作品、この旅の道中がとても丁寧に描かれているのです。
というのは、朔之助と新蔵は旅の道すがら、
いろいろな思いにとらわれるのです。

これから果たさなければならない使命のこと。
佐久間と出会えたとして、どう攻略するのか。
田鶴も剣の遣い手であるので、きっと刃向かってくるに違いないけれど、どうするか。
そしてまた、三人が子供の頃のこと・・・。

ゆったりと、しかし緊張感を含んだこの旅を、
カメラはじっくりと映し出していきます。

勝ち気な田鶴を、いつも控えめに見守るようにしていた新蔵。
私は何だかオスカルとアンドレを思い出してしまいました・・・。
(違いすぎますか?)
身分の差故に、口に出しては言えない思い。
甘酸っぱくも切ないそんな思いが、胸にしみます。


さてさて、それにしてもヒガシのお侍姿、
なんと端整で似合っているのでしょう! 
正にお醤油顔ですものね。
何故かちゃんと水浴びシーンもあって、
鍛えられた肉体も拝見できるというサービスもあり・・・。
でもね、彼は宿で一人でいるときも正座してるんです。
本当に、昔のお侍もそんな風だったのでしょうか? 
いくら武士でもそれはないんじゃないか・・・?
せめて一人でいるときくらい、寝転がって鼻でもほじっていて欲しい。
この作品は、そういう意味できちんと整いすぎた感じがしますね。
それがヒガシのイメージではありますが・・・。
どうせなら山形弁で、もっと生活感のあるヒガシを出してもらえたら・・・
うんと面白かったような気がします。

「小川の辺」
2011年/日本/103分
監督:篠原哲雄
原作:藤沢周平
出演;東山紀之、菊地凛子、勝地涼、片岡愛之助、小野真千子



「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?/科学が語る人間の意味」佐倉 統

2011年07月15日 | 本(解説)
石器時代の遺伝子との共存

わたしたちはどこから来てどこへ行くのか? - 科学が語る人間の意味 (中公文庫)
佐倉統・木野鳥乎
中央公論新社


               * * * * * * * *

この本は、進化生物学の立場から人間・社会・環境のゆくえを考えたものです。
「構造主義」ではつまずいた私ですが、
懲りずにまた生きる意味をさぐってみました。

著者は「チンパンジーの社会生態学」で理学博士号を取得した方。
私とは何か、ひとはなぜ生きるのか・・・。
この本、特にジュニア向けとは描いてありませんが、
ほとんどそれくらいを意識したかと思わせる平素な語り口で、
非常に分かりやすく書いてあります。
そしてまた木野鳥乎さんの素朴でほんのりしたイラストが楽しい。
これこれ、これですよ。
こういう本を求めていたのです。

少し内容をご紹介しましょう。


私たちが生きるのに重要な意味が2つあります。
1つは遺伝子。
これこそが生物が「生きる」理由。
あらゆる生き物は遺伝子を残すために生きている。

しかし「人間」はもう一つ重要なモノを次の時代に伝える役割がある。
それを「ミーム」と著者はいっています。
聞き慣れない言葉ですが、
ミームとは文化情報の伝達の単位のこと。
文化といっても芸術やスポーツだけでなく、
食文化、生活習慣、伝統など、幅広くさまざまなもの。
教育と学習によって世代を超えて受け継がれて行くもの。
なるほど、これこそが「人間」であることの意味なのでしょう。
つまりこれは私たちの脳が非常に発達したということなのですが、
それと引き替えに他の動物なら悩まずに済んだことも悩んでしまうことになった。
「私が死んでも地球は回るのね・・・」とか
「死ぬのが怖い」とか。

遺伝子にとっては、早く次の世代に映って欲しいところなのに、
脳が「死ぬのがイヤ」だといっている。
困りましたね・・・。
死ぬと、何も起こらないのだけれど、その人の「なごり」が残るのです。
その「なごり」こそがミーム。
私たちが死んでも、私たちの「ミーム」は生き延びる。
ここが重要です!


さて、私たち人間の遺伝子は
今から何万年か前の環境―石器時代の環境―に適応していたといわれています。
けれど、どんどん生活環境が変化した今、
私たちの遺伝子は現代の環境に適していないと著者はいいます。
それはまるで自転車で高速道路を走っているようなもの。
遺伝子と環境のズレの例としては、肥満やアレルギーなど・・・。
また、時計にあわせた生活はストレスを産む・・・。

これからの私たちの課題は、遺伝子とミームをどうやって共存させていくか。
遺伝子が何百世代も何万年も必要とする進化を、
人間はミームによってほんの数世代、数年で進化できる。
私たちは自転車で高速道路を走ることを止めることはできないけれど、
いろいろな工夫をすることはできる。
できるだけ脇の方を走るとか、
ヘルメットをかぶるとか・・・。
そう言われればちょっぴり勇気もわいてきますね。
なるほど、どうして私たちはこんなに生きにくいのか。
つまりはそういう秘密が隠されていたというわけです。

科学者が生きる意味を語る。いい本でした。

「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?/科学が語る人間の意味」佐倉 統
満足度★★★★★

きみがくれた未来

2011年07月14日 | 映画(か行)
弟との大切な約束



            * * * * * * * *

チャーリーは、ヨットレースに優勝し、
奨学金を受けて大学進学も決まっているという前途洋々の青年でした。
ところがそんな矢先、交通事故で弟サムを亡くします。
彼が運転していた車での事故。
彼自身も一度は心停止となったのですが、奇跡的に息を吹き返したのです。
しかし、何故弟が死んで自分だけ助かったのか・・・、
彼は必要以上に弟の死に責任を感じるのです。
そんな時、彼は森の中で弟と出会う。
そうですね、それは幽霊ということになります。
弟の死の直前に、毎日日没の時間にこの森でキャッチボールをしようと、
二人は約束していたのです。
「毎日ここへ来ると約束するから、どこへも行くな。」
再び約束を交わす二人。

弟の死に打ちひしがれるチャーリーのその姿についもらい泣き・・・。
ザック・エフロンなかなかいいじゃありませんか。
そこまでの、この兄弟の仲のいい様子の描写も優れていましたから、余計にですね。



ストーリーはそこから一気に5年が過ぎます。
チャーリーは毎日日没時に森へ行かなければならないので、
進学もヨットの夢もあきらめて、
地元で墓地の管理人をしているのです。
若いというのに、これではほとんど世捨て人だ・・・。
弟との約束は大変崇高なのですが、
本当にこれでいいのだろうか? どうなるんだろう・・・と、
この展開には非常に興味がわきます。
そこへ登場するのが、以前チャーリーと同級だったテス。
彼女が単独世界一周のヨットレースに出場すると聞いて、
やはり心穏やかではいられないチャーリー。



スピリチュアルな物語で、特に好きなジャンルではないのですが、
いつになく感動してしまいました。
「君が一命を取り留めたことにはきっと何か意味がある。」と
チャーリーを助けた救急救命士がいうのです。
その意味を探るストーリーというわけです。


毎日毎日、亡くなった弟と会ってキャッチボールをする。
これはつまり、「悼む人」なのではないかと思えてきました。
チャーリーなりの、弟を決して忘れないという「悼む」行為がそれなんだろうな、と。
たとえば「静人」ならば、その悼む行為がライフワークとなるのですが、
チャーリーの場合は、悼んでそこに留まるよりも、
自分の道を真摯に「生きる」方へと向かっていく。
と考えると、やはり「静人」は基本的には宗教者なのだろうと、
今頃解ってきました。
亡くなった人をいつまでも忘れないのは大切なこと。
でも生きている私たちは、更にまた日々を生きていかなければなりません。
どこで、どう区切りを付けるか。
それは人様々で、
そういうところにドラマが潜んでいるのでしょうね。
きっと。

きみがくれた未来 [DVD]
ザック・エフロン,チャーリー・ターハン,アマンダ・クルー,キム・ベイシンガー,レイ・リオッタ
ジェネオン エンタテインメント


「きみがくれた未来」
2010年/アメリカ
監督:バー・スティアーズ
脚本:クレイグ・ピアース
出演:ザック・エフロン、アマンダ・クルー、チャーリー・タハン、レイ・リオッタ、キム・ベイジンガー

BIUTIFUL ビューティフル

2011年07月12日 | 映画(は行)
雪山で聞く波の音・風の音



            * * * * * * * *

「バベル」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品。
「バベル」のように複数のエピソードを巧妙に交差させる手法を多く用いる監督ですが、
今作はストレートに、末期がんに冒されている一人の男に焦点を当てます。

彼は、スペイン、バルセロナに住むウスバル。
二人の子供がいますが、
妻は情緒不安定でドラッグに頼る生活、別居中です。
麻薬取引や移民の不法労働の手配など、
裏社会の仕事で稼いでいるのですが、
彼自身そのことには罪の意識を感じている。
移民たちへの仕事はピンハネではなく、職を与えていると思いたがっているようなところに、
それが見えますね。
あるとき、体の不調を感じ受診してみると、
末期がんで余命2ヶ月との宣告。
子供たちを残しては死ねない・・・。
気持ちばかりは焦るけれど、
妻との関係、仕事のこと、移民たちのこと。
もがけばもがくほど誰も救えないばかりか、悪い方へと転がり、落ち込んでいく。

実に閉塞感に満ちています。
体力は次第に衰えていくのに、
背負う荷物は膨らむばかり。
この物語に救いなどあるのだろうか・・・次第にそう思えてきます。



ろくな仕事でもなかったし、
実際誰かのためになるようなこともできなかった。
けれど正面から死と向かい合い、
壮絶なまでの決意で残される子供たちのために尽くす。
彼の最後のそういう生き様に心を揺り動かされます。
ビューティフル、
この題名はウスバルの娘がビューティフルのスペルを聞くところからとったのですね。
biutifil はスペルの誤りではなく、
スペイン語なので、これでいいんですよね(多分・・・)
この物語で何が「ビューティフル」なのか。
その意味を考えてみたいところです。



これだけでも十分に重厚な作品ですが、ストーリーには1つの謎があります。
それはウスバルの不思議な能力。
彼には死んだ魂が見えるのです。
死者と話をして、それを家族に伝えて稼ぐようなことも。
ここのエピソードはなくてもよいのでは?と思わなくもないのです。
むしろリアリティが薄れる。
でもそうであっても、
あえてこのエピソードを入れたことには何か意味がありそうなのです。
つまり、彼は元々「死」が非常に近いところにいる。
死者が生前果たせなかったことへの「悔い」を知っている。
死は全くの「無」ではない。
そういうイメージをつくりたかったのかもしれません。
だからこそ、ラストのシーンに私たちはちょっぴり救われる思いがする。



何故雪山なのか。
それは彼が果たせなかった家族との雪山への旅行が心に残っていたからなのかも。

2010年/スペイン・メキシコ/148分
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
出演:ハビエル・バルデム、マリセル・アルバレス、ハナ・ボウチャイブ、ギレルモ・エストレラ