映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

エディット・ピアフ/愛の賛歌

2007年09月30日 | 映画(あ行)

シャンソン。
近頃の日常ではあまり縁がないジャンルではありますが、「愛の賛歌」といえば、誰もが知っている曲でもありますね。
でも、日本人が日本語で歌うこの曲と、エディット・ピアフの元祖としての曲とではまるで別物のように聞こえます。
日本語では絶対に表現できない「凄さ」があると思う。

エディット・ピアフは1915年パリの下町の貧しい家庭に生まれました。
父は大道芸人。
母はシャンソン歌手。
将来の彼女の人生の下地として、妙に納得できてしまいます。
そして3歳からしばらくの間祖母の経営する娼館で育てられる。
子供が育つ場としてはあまりにも劣悪ですが、すさんだ生活をおくる娼婦たちにとって、無垢な少女は何者にも変えがたい安らぎを与える存在であったのでしょう。
思いのほか愛情を受けて育ったように見受けられました。
ただし、多くの女たちの苦しみをじかに見て育った、このことは、彼女の歌の表現に奥行きを与えたのだと、想像します。

その後の彼女の人生は、まさに波乱万丈に満ちています。
映画だけでなく、若干調べてわかったことも含んでいますが・・・
3歳から6歳くらいまでの間、角膜の炎症のため、失明状態。
それが聖テレーズに祈りを奉げ、回復したというのは、最も劇的。
16歳の頃生んだ娘は幼い頃に病死。
路上で歌っていた彼女を見出した、クラブのオーナー、ルイ・ルプレが殺害されるという事件があり、その容疑者にされる。
ニューヨークで知り合った恋人、ボクシングチャンピオンのマルセル・セルダンは、飛行機事故で死去。
また、彼女自身も幾度も交通事故に遭遇している。

何度も度重なる不幸。
けれども、彼女はそのつど、歌うことで立ち直る。
歌っている時だけが自分を信じられるのだと彼女は言う。

映画は彼女の晩年と、幼い頃からの生涯が交互に描きだされていきます。
その晩年とは、なんと47歳というのですが、どう見ても70くらいの老婆に見えます。
これは別に映画の演出過剰というわけではなく、実際にそうだったらしいのです。
お酒に麻薬。
度重なる交通事故。
すっかり体がむしばまれていたのでしょう。
前かがみでとぼとぼ歩く、その姿は頼りない老婆なのですが、ひとたびステージに立ち歌い始めると、突然に、彼女からオーラが立ち上がり、力強い歌声が響き渡る。
まるで自分の命の炎のすべてを歌で燃やしつくしているかのようです。

この物語を知ってからは、シャンソンも少し興味を持って聴けそうです。
そうですね、ワインでも飲みながら、たまにはシャンソンといきますか。

それにしても、以前映画で見た、「ウォーク・ザ・ライン」のジョニー・キッシュ、
「Rey/レイ」のレイ・チャールズ。
音楽シーンの偉大なアーティストは、麻薬に溺れます・・・。
日々のストレスから逃れるためでしょうか。
このように身を痛め、持ち崩しながらも音楽から離れられない、その、業のようなもの・・・。
だからこそ、このような「伝説」になるのでしょうか。


余談ですが、エディット・ピアフを演じたマリオン・コティヤールは、30歳で身長169センチもあるということなのです。
うそー、あんなにちいさいおばあちゃんだったじゃない!
撮影時、彼女だけ裸足だったり、周りの人がかかとの高い靴だったり、いろいろ苦労があったらしい。
そして、まったく自然なあの、あごの下のたるみとか、顔のしわとか・・・、あれがすべてメークアップだとは!!
恐れ入りました!
逆に、うんと若作りのメークはないのかしらん・・・。


2007年/フランス=チェコ=イギリス/140分

監督:オリビエ・ダアン
出演:マリオン・コティヤール、シルビー・テステュー、パスカル・グレゴリー、エマニュエル・セニエ

「エディット・ピアフ/愛の賛歌」公式サイト


「方舟は冬の国へ」 西澤保彦

2007年09月29日 | 本(ミステリ)

「方舟は冬の国へ」 西澤保彦 光文社文庫

まず冒頭から提示される謎。
失業中の和人のところに来た依頼は、ある別荘で一ヶ月、初対面の女性と少女とで仲睦まじい「家族」を演じるというものでした。
しかも、盗聴器、カメラで厳重に監視されているという。
いったい何のために?

それは、和人にも明かされませんが、読者にももちろん明かされず、この大きな問題を核としてストーリーが進んでいきます。
やはり西澤作品なので、SF的要素がある不思議なストーリー。

別荘にやってきた3人は、外へ出ることも禁止されているので、とにかく毎日をこの家で過ごさなければならない。
ところが、テレビがない。
本もない。(あるけど洋書だけ!) 
少女だけは戸惑った様子もなく、せっせと絵を書いているのですが・・・。
うーん、確かに、これはつらそうです。
私なら本がないのは致命的・・・。
逆に言えば本と映画さえあれば、いつまででも閉じこもっていられそう・・・。
あ、話がそれました。
しかたがないので、みんなで洗濯したり掃除をしたり、やっと見つけたトランプをしたり。
料理もじっくり。
なぜかしらそんなうちに、うちとけて、家族の絆が生まれてくる。

しかし和人の悩みは「夜」のこと。
仲のよい夫婦の役とはいえ、いきなり初対面の女性とベッドインするわけにも行かないし、しかし、己はそれに耐えられるのか???、と。
和人は料理上手な24歳の好青年。
これで、10歳くらいの女の子の父親役は厳しいところもあるかな。
妻役の理香は、実は夫がいて、気の強い剣道の有段者。
和人よりは「ちょっとくらい」ではすまない年上。
この気の優しい青年と強気のオネーサンというコンビ、なかなかいい感じです。
そう心配しなくても、そこはそれ、物語ですから、自然に二人の気持ちが重なり合って、なるようになるわけです。
そう、気持ちが重なり合う、そこが大事ですね。
なぜか、この3人は、声に出さなくても、意思をお互いに伝えられるようになってくるのです。
このあたりが、このプロジェクトを組んだ組織の思惑と関係があるらしい・・・。
少女が妙に落ち着いているのも気になる。
ということで、この夫婦を演じる二人の気持ち、そして最初から提示されている大きな謎、その行方が気になり、途中でやめられない本でした。

満足度 ★★★★


華麗なるギャツビー

2007年09月28日 | 映画(か行)

(DVD)
これは1974年作品でして・・・。
何で突然こんな往年の名作が出てくるのかというと、先日見た、「アンフィニッシュ・ライフ」ですね。
久しぶりにロバート・レッドフォードを見たもので、若いころの彼をまた、見たくなってしまいました。
その「アンフィニッシュ・ライフ」に彼を青春時代のヒーローなどと書いたのですが、まあ、確かに私たちの年代ではそうなのですが、私自身はそれほど熱烈ファンだったというわけでもありません。
友人がファンだったので、よく付き合って一緒に映画を見にはいきました。
そんななかの一つがこの、「華麗なるギャツビー」。
なんと実は、私は途中で寝てしまって、ストーリーをはっきり把握していませんでした!
30数年ぶりに見直したというわけです・・・。
でも、なんとなく印象に残っていたのは、ギャツビーが自分の上質のシャツを次々ほおり投げて自分の築いた富を誇っているシーン。
ちゃんと間違いなくそんなシーンがありました。
でも、記憶の中のほうが、もっと夢のように豪華でした。

この物語の原作はF・スコット・フィッツジェラルドの小説。
1920年代アメリカが舞台です。
語り手、ニックの隣家は最近のし上がり富豪となったギャツビーの大邸宅。
夜ごと、繰り広げられるにぎやかなパーティー。
しかし、なぜか主催のギャツビー本人は姿を現さない。
謎の人物像がさまざまな伝説的うわさ話を呼んでいる。
ある日ニックはそのパーティーに招きを受け、ギャツビーと親しくなっていきます。
次第にわかっていくことは・・・、
実はギャツビーは貧しい家の出なのだけれども、軍隊に入っていた頃、デイジーという女性と知り合い、激しい恋に落ちます。
戦争(一次大戦)が終わり、戻ってくると、なんとそのデイジーは富豪のトムと結婚してしまっていた。
ギャツビーはデイジーを取り戻したい一心で、必死で、多少後ろめたいことも犯しながら資産を増やして行き、大富豪にのし上がった。
そうして、再びデイジーと会う機会を狙っていたのです。

誰もがうらやむ、上流階級、有り余る財産。
しかし、それは幸福とは別物である・・・ということなのでしょう。
けれど、簡単に、富豪になびき結婚してしまったデイジーを責めることはできません。
まだまだ、女性が職業を持って自立するなどということがほとんどない時代なのです。
生きていくためには、男性に頼るしかない。
そうであるなら、やはり持つべきものは持っているほうがいい。
生きて帰ってくるかどうかわからない男など待っていられない。
女性のほうが多分に現実的なのです。
今なら相手の浮気が発覚した時点で離婚を申し出て、慰謝料もがっぽり・・・なんでしょうけどねえ。
考えてみるとこんなに女性が自立できているのは、歴史的にもごくごく浅い出来事なんですね。
私は女性の社会進出は生理用品の発達のおかげだと思っております・・・。
おっと、余談に過ぎました。

まあ、それで、若いロバート・レッドフォードをたっぷり堪能したのですが、やはり30年前の作品となると、さすがに古さを感じます。
どうも全体のテンポがゆる過ぎる気がしました。
やはり、現代はすべてがセカセカと忙しいのかな。

1974年/アメリカ
監督:ジャック・クレイトン
出演:ロバート・レッドフォード、ミア・ファロー、ブルース・ダーン、サム・ウォーターストン


名犬ラッシー

2007年09月25日 | 映画(ま行)

(DVD)

犬好きの人なら、涙涙・・・です。
いうまでもなく、名作「名犬ラッシー」の映画化。
過去何度も映画、テレビドラマ、アニメにまで仕立てられてきましたが、この作品は極力原作をそのまま再現してあるとのこと。
ヨークシャーの小さな炭鉱街に住む少年ジミーの一番の友達が、コリー犬のラッシー。
ところが、炭鉱が閉鎖され、生活が苦しくなり、ラッシーをラドリング公爵に売らなければならなくなってしまいます。
けれども、このラッシーがまたすごい。
ジミーが学校を終える時間になると、フェンスの下に穴を掘って、あるいはフェンスを駆け上り飛び越えて公爵家を脱走し、ジミーのお迎えに現れる。
とうとう、ラッシーはスコットランドへ連れて行かれることになりました。
ヨークシャー~スコットランド間は約800キロ。
スコットランドからの脱出にも成功し、長いたびが始まります。
このイギリスの風景がまたすばらしいですね。
田園風景、時には岩山。
ネス湖のふちも通り抜ける。
なんとネス湖に怪しい巨大な生き物の影もあったりして・・・。
次第に汚れ、やせ衰えていくラッシー。
まったく涙ぐましい。
どうやって方角を知るのでしょう。
ひたすら南を目指す。
ほっとするのは、旅芸人のロウリーとしばし道連れとなったところ。

この映画価値はまさにこの犬の演技でしょう。
危害を加えそうな人、優しい人、ちゃんとかぎ分けてそれなりの表情をする。
また、この犬がコリー犬としても格別にやさしい顔してるんですよね。
ラッシーってオスだとずっと思っていたのですが、もともとオンナノコの設定なのでした。
ラストはまた、飛び切りかわいい映像がでてきますよ!! オンナノコならではの・・・。

サブストーリーとして語られるのはラドリング公爵の孫娘シーラ。
彼女は、ロンドンっ子なのですが、戦争の危険を避けるため、祖父の元に来ているのです。
そしてまた、学校の寄宿舎に入れられ・・・、家族から引き離されて帰りたいけど帰れない、ラッシーとわが身が重なりあってしまうのです。
そこで、ラッシーに習えとばかり寄宿舎を脱走するシーラ。
(こちらは失敗に終わりましたが。)
ここのところがいいなあ、と思いました。
これがなければ本当に犬の演技の妙だけの映画で終わってしまうところでした。

この映画を見た後、うちの駄犬を見てみれば・・・ホント、ますます駄犬に見えてしまうのですが、ま、いいか。
とりあえず、かわいい・・・。ということで・・・。


2005年/アイルランド・イギリス・フランス/100分

監督:チャールズ・スターリッジ
出演:ジョナサン・メイソン、ピーター・オトゥール、サマンサ・モートン

「名犬ラッシー」公式サイト


「半島を出よ 上・下」 村上 龍

2007年09月24日 | 本(その他)

「半島を出よ 上・下」 村上 龍  幻冬舎文庫

これは、”どえらい”小説です。
本のボリュームもたっぷりですが、いろいろ考えさせられながらも、手に汗を握り読み進んでしまう問題作。

近未来、2011年。
はじめはたった9人の北朝鮮の武装コマンドが福岡ドームを占拠。
その二時間後には500名の
特殊部隊が福岡市を制圧。
彼らは、北朝鮮の「反乱軍」と名乗っている。
北朝鮮側も、それは反乱軍だから、好きに始末をしてよい、自分たちの国家とはかかわりがない、という。
そのように宣言されてしまっては、北朝鮮に抗議も報復もできない。
日本として、何とかしなければならないのだけれども、福岡市民を人質にとられたと同然なので、攻撃を仕掛けることもできない、というかその責任を誰もとろうとしない。
無為無策。
日本政府は福岡から北朝鮮コマンドが首都圏へ潜入することを恐れ、福岡市を完全に封鎖してしまう。
福岡は日本から見捨てられた形で、高麗(コリョ)遠征軍と名乗る北朝鮮部隊が支配する都市となってしまう。
さらには、12万人の部隊が大挙して九州に上陸しようとしている。

そんな馬鹿な・・・と思いながらも、もし、実際にこんなことがおきたら、日本政府はなすすべをしらず、まさにこのような結果になってしまうだろうことが、想像できてしまうのが怖いです・・・。
こんな時にはすぐに助けに来てくれるはずのアメリカ軍も、実は日本の要請なしには動かない。
まあ、そうですよね・・・。

高麗遠征軍は、しかし、表面は大変紳士的で、敵意を向けなければ市民を殺戮も略奪もしない。
圧倒的な武力・暴力の前には実際、人間は大変弱いのです。
福岡市役所職員はほとんど友好的とも思える態度で、遠征軍を援助してしまう。
彼らは、正当でないやり方で巨額の富を築いたものたちを「犯罪人」として逮捕。
ひどい拷問の末、彼らの財産を没収し、自分たちの財産とする。
軍のための物資はすべてその財産から支払いがなされるので、もし、12万の人員が上陸すれば、市の経済流通が活発になるという、考えようによっては、「日本」の一地方であるよりも利点があったりもするのです・・・。
まあ、この小説の前提として、この日本は完全に経済破綻し、失業者やホームレスであふれている、という状況があるのですが・・・。

さて、それにしても、相手は武装集団。
いつどんな言いがかりでわが身の安全が犯されるかわからない。
そんな日常は耐え難いでしょう。
そこで、立ち上がったのが、ある若者たち。
別に、正義の味方でも、鍛えぬいた体を持った者たちでもありません。
それぞれが何かのオタクとでも言うのか、
武器・爆薬・毒をもつ生物・ビルの構造。
・・・こんなことにそれぞれが異常な関心と知識をもっている。
彼らは、ひどい環境に育ったためか、どこか心が壊れていて、
家庭はもちろん一般社会からもはじきだされたものばかり。
このわずかな人数の若者たちが、いったいどうやって500名の軍隊に立ち向かおうとするのか、・・・・・・・・まあ、それは読んでのお楽しみ!

これを読むと、テレビで北朝鮮のニュースが流れていたりすると、ドキドキしてしまいます。
無論フィクションですからね。
フィクションはフィクションと割り切るオトナになりましょう・・・!
それにしても、確かに、平和ボケ、危機意識の欠如・・・
これは少し考えたほうがいいかも、と思いました。

満足度 ★★★★★


アンフィニッシュ・ライフ

2007年09月23日 | 映画(あ行)

(DVD)

敬愛するラッセ・ハルストレム監督作品です。
そしてまた、ロバート・レッドフォードです! 
私の年代では青春真っ盛りのあこがれのヒーロー。
ふう、しかし実際彼も年をとりましたね。
おじいちゃんの役・・・なのでちょっとショックでした。
こりゃ、私も年をとるはずだ・・・・。
モーガン・フリーマンはまあ、ちょくちょくいろいろな作品で見かけます。
結構なお年とおもっていたけど、ロバート・レッドフォードと並ぶとほとんど同じ年?え、そうなの?、これもなんかショック。

時は流れていますねえ。
でもまあ、渋く熟成したロバート・レッドフォードを見られるというのも、それはまた、シアワセな気がします。

さて、ロバート・レッドフォード演じるアイナーと、モーガンフリーマン演じるミッチのいる牧場に、息子の妻ジーンが娘グリフをつれて、ほとんど10年ぶりに転がり込んできます。
アイナーの息子は、交通事故で亡くなっています。
アイナーはジーンが車を運転したために息子が亡くなったことをうらんでおり、ジーンをやさしく受け入れることができません。
ジーンは暴力を振るう今の恋人からのがれて、この地、ワイオミングまで帰ってきたのです。
アイナーはこの10年、最愛の息子の死の痛手から立ち直ることができず、ほとんど、生きる気力もなくしたまま生活していました。
反目しあって打ち解けられない、アイナーとジーン。
しかし、アイナーは孫娘のグリフと触れ合ううちに次第に家族を愛する気持ち、生きる活力を取り戻していくのです。
祖父と孫。
ちびまる子ちゃんとおじいちゃんみたいな・・・。
(うーん、われながら、まずい連想だ・・・。)

父を知らない孫は祖父にかすかな父の姿を見出す。
祖父は聡明な孫の生き生きした姿に、かたくなな心が解けていく。
いいコンビです。
また、これらの人々を温かい目で見守るミッチ。
この雰囲気が、やっぱりモーガン・フリーマンですよねえ。
ちょっとはすにかまえつつ、どっしりと落ち着いて広い心を見せる。

やはりこれは、いつものラッセ・ハルストレム。
家族の再生の物語なのでした。

2005年/アメリカ/108分
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ロバート・レッドフォード、ジェニファー・ロペス、モーガン・フリーマン、ジョシュ・ルーカス


「ヒンデンブルク号の殺人」 マックス・アラン・コリンズ

2007年09月22日 | 本(ミステリ)

「ヒンデンブルク号の殺人」マックス・アラン・コリンズ/阿部里美訳 扶桑社海外文庫

ヒンデンブルク号といえば、さすがに私でも名前だけは耳にしたことがある、かつて爆発して大惨事となった飛行船です。
そのただでさえ危険な飛行船の中で殺人事件とは・・・、意味があるようなないような・・・。
この作家、マックス・アラン・コリンズはこの作品の前に「タイタニック号の殺人」というのを書いていまして、まあ、「世紀の危機一髪シリーズ」という感じですね。
この本は主人公をセイントシリーズで名高い実在の作家レスリイ・チャータリスとし、ヒンデンブルク号についても、かなりのリアルさで描いています。

さて、せっかくなので、ちょっとこの飛行船について調べてみました。
ヒンデンブルク号は1935年ドイツのツェッペリン社によって製作されました。
ちょうどナチスドイツが勢力をつけ始めた時代です。
ドイツ、アメリカ間を二日半で運行。
全長245メートル、これはジャンボジェットの3倍ということですが、レストランやシャワー室なども備えた、超豪華飛行船。
もちろん、相当裕福でなければ乗ることなどかなわないでしょう。
現在の価値に換算すれば運賃800万円也とか・・・。
水素の浮力を用いて浮かぶわけですが、可燃性の水素よりヘリウムのほうが安全と当時でもわかっていた。
ところが、ヘリウムの産出国であるアメリカがドイツへの供給を拒んだために、やむを得ず水素を使用。
問題の事故は63回目のフライトであったとのこと。
タイタニック号は処女航海でしたから、こちらは事故までに、優雅な空の旅をした人がかなりいたというわけです。
さて、問題の爆発事故は1937年5月6日、アメリカのレイクハーストでの着陸時に起こりました。
静電気により飛行船の塗料が発火、それが水素に引火したというのが原因の有力説のようですが、テロによるものだというまことしやかな説もあるようです。
この本では、ナチスの抵抗勢力によるテロという設定になっています。
乗客97人中35人と地上にいた1名が死亡。
これは着陸寸前ということでかなり高度が低くなっていたため、この程度で済んだといっていいのでしょう。
しかし、この事故により、以後飛行船の開発はなくなってしまいました。

本の内容もそっちのけで、なんでこんなことを書いているのかというと、飛行船というものについロマンを感じているのだと思います。
ゆったりと空を漂いながら、地上を眺める。
なんて優雅なのでしょう。
海上の豪華客船などよりよほど乗ってみたい気がするのですが・・・、ないものはしょうがない。
数ヶ月前、札幌の上空にコマーシャルのための飛行船が飛んでいましたが。
その時も、乗ってみたかったんですー。
実は高所恐怖症なのに!
作品中、飛行船がニューヨーク上空を飛ぶシーンがあります。
地上やビルからこちらを見上げている様子がよく見える。
お互いに手を振ったりしている。
飛行船から高層ビル街を眺めながらゆったりと進んでゆく。・・・いいですねえ。

なんてわけで、いろいろ学習させていただきましたこの本とはよい出会いでした。

満足度★★★★


2番目のキス

2007年09月20日 | 映画(な行)

(DVD)

おなじみのドリュー・バリモアのロマンチックコメディー。
2番目のキス・・・この題名の意味するところは・・・。
ドリュー演じるリンジーの恋人ベン。
彼が一番目に愛しているのは実は、子供の頃から応援しているボストンレッドソックス。
それで、リンジーは2番目ということになっちゃうのです。
はじめに出会ったのはちょうど野球シーズンオフの時。
やさしくてユーモアがあって、まさに理想の人に思える高校教師のベン。
しかしリンジーの友人たちは言うのです。
「おかしい。こんなにステキなのにこの年まで独身なんて、絶対何かある!!」
それがわかるのは次の春。
いよいよ野球シーズンが始まって、ベンは野球浸り。何よりも野球優先。
理解しているつもりでも、自分も仕事が忙しい身でもあり、リンジーはだんだんつらくなってくるのです。
レッドソックスの宿敵はヤンキース。
映画の中で、ヤンキースの松井も登場。
(ラジオを聴くシーンで、名前だけですけどね。)
う~ん、残念ですね。
今年なら、レッドソックスには松坂がいたのに!!
ベンもちょっと反省して、ある日大事な試合を見に行かず、リンジーとすごしたのですが、なんとその試合、大逆転の末レッドソックスが勝つという劇的な試合。
これを見逃してしまったベンは逆上。
これでますますリンジーとは気まずくなってしまうのです。

いえいえ、ベンを責めることなんてできません。
忘れもしない、あれはちょうど一年ほど前。
なんと、日ハムファイターズの日本シリーズ優勝をかけた試合の日に、飲み会を設定してしまったのです。
一人、また一人と、「急病で欠席」という人が出没。
残された精鋭も意気があがらず、時折ラジオを聴きながらの飲み会。
第一、居酒屋さんもガラガラだよ。
お客がいなければみんなでテレビでも見るでしょうに、迷惑じゃん、って感じ。
とりあえず最期の決着だけラジオで聞き終えて、ほっとして、また飲む。
何しろ北海道中、にわか野球ファンになってしまいまして。
もちろん私も、ろくに野球も知らないクセのにわか日ハムファンでございます。
今にして思えば、無理にあの日にしなくても、日を替えればよかったのに・・・。
やっぱり手に汗を握りつつ、じっくり見たかったではありませんか。
(テレビで、ですけど)
まあ、こんな体験があったりするので、ベンの無念はと~ってもよく分かるのです。
問題の解決は、二人で熱烈レッドソックスファンになるしかありません! 
松坂もヨロシク!
ついでに、今年もがんばっている日ハムファイターズ。
祝!CS進出!
また、紙吹雪のパレードがみたいよ~!

2005年/アメリカ/103分
監督:ピーター&ボビー・ファレリー
出演:ドリュー・バリモア、ジミー・ファロン
「2番目のキス」公式サイト


「記憶をなくして汽車の旅」 コニス・リトル

2007年09月18日 | 本(ミステリ)

「記憶をなくして汽車の旅」 コニス・リトル/三橋智子訳 創元推理文庫

この物語は、主人公である女性がふと目を覚ますと自分が誰なのか、ここがどこなのかわからない。
記憶喪失に陥っていた、という大変インパクトの強いツカミで始まります。
なぜか汽車に乗っており、しかも、場所はオーストラリア!
わけがわからないうちに、メルボルンからパースまでのオーストラリア横断鉄道にのせられてしまいます。

何しろ、いきなり婚約者と名乗る男性が出てきて抱きしめられたり、あんな奴との婚約はすぐに解消して自分と結婚するのだと迫る怪しい男も出没。
持っていたハンドバッグの中身から察して自分の名はクレオらしいのだけれど、次第にそれは何かの間違いで、本当はその友人のバージニアというのが自分なのではないか、と思えてくる。
というのも、クレオはどうも遺産目当てで殺人を犯しているらしい・・・。
自分がクレオではないと思うのは単なる願望なのだろうか・・・。
親切にしてくれる、ジョー叔父さんをはじめ親戚(らしい)の人たちに記憶を失っていることを打ち明けられないまま、悩ましい汽車の旅が続きます。
オーストラリアの東から西へ向けての横断。
なかなか興味がありますが、なんと、区間ごとにレールの幅が異なっていて、何度も列車を乗り換えなければならない、という不便な点も。
そのつど、大きな荷物を持って移動。乗り換え時間を見合わせて食事を済ませるなどしなければならなかったり、これは以外にストレスかもしれません。
(もちろん、現在はそんなことないと思います!)

そうこうしているうちに、今度はその列車内で、実際に起こる殺人事件。
列車内で起こる殺人事件、これはもうミステリとしては黄金のシチュエーションですよね。
異国の旅情に加えて、自分自身の謎、そして、この殺人事件の真相は???
・・・ということで、たっぷり楽しめる作品。

さて、この作品の舞台の年代はいつ?
少なくとも、電車ではなく汽車が走っていた時代のようだ・・・ 。
作中にはそれがわかるような記述がないなあ・・・と思ったら、
この作品はなんと1944年に書かれたもの。
つまり、これはその当時において「現在」のストーリーだったわけです。
(この本自体はこの8月初版です。)
そんなことも知らずに読んだのは、新聞の書評で紹介されていたからなんですけどね。
著者コニス・リトルは実は二人の姉妹競作のペンネーム。
すでに二人とも没しているとのことであります。
それから、この本のカバーイラスト、ひらいたかこさんによるものですが、すばらしく印象的。
こういう本は大事にしたくなりますね。

満足度★★★★


「楽園 上・下」 宮部みゆき

2007年09月17日 | 本(ミステリ)

「楽園 上・下」 宮部みゆき 文藝春秋

「模倣犯」から9年。そこで登場したジャーナリスト前畑滋子が、再び事件にいどみます。
「模倣犯」の事件で受けた心の傷がまだいえていない彼女のところに来た話は、ちょっと奇妙なものでした。

ある民家の自宅の床下から、16年前に行方不明となっていた少女の遺体が発見されます。
それは、なんとその両親が素行の悪い長女を殺害し、埋めてそのまま、16年間そこに住んでいたというショッキングなもの。
それも、その両親自らの供述で発覚したことであり、現れた事実はそのとおりで、いわば終わった事件です。

ところが、ある少年が、この事件が発覚する前に、家の床下で眠る「少女」の姿を透視(?!)していた。
滋子は、事故で亡くなったその少年の母親から、少年のその不思議な「能力」についての調査以来を受け、事件を調べ始めることになります。

何もつかみどころのないようなその話なのですが、わずかな糸口から、調査を進めるうちに、意外に、深い真相が現れてくるのです。

問題となるのは、その亡くなっていた少女「茜」の人物像。
誰もが、どうにもならないアバズレのワルだったと証言します。
家出したと思われていたのですが、誰もが納得し、思い出しもしなかった。
まるではじめからいなかったかのように・・・。
ただ単に素行が悪かった、ということでなく、実は決定的な事件があったのですが、ごく一般的な、普通の家庭に育ったはずの彼女が、なぜ、「そちら側」へ行くことになってしまったのか・・・、家族・親子の「愛」について考えさせられます。
茜の親は、彼女が向こうの世界へ行ってしまわないよう、こちらに引き戻すために、命を奪わなければならなかった・・・。

ストーリーとしては、まあ、よかったと思うのです。
「ミステリ」とこの話のような「オカルトめいた部分」のつなぎ合わせが難しいだろうと思ったのですが、極端な無理がなく収束したのかな?と。


実はこの本は一ヶ月前に読み終えていて、ただ、どうしても自分の中で消化できない部分があって、記事にまとめられないでいました。
いえ、単に私の理解不足だとは思うのですが、問題はこの本の題名「楽園」についてです。

物語のラストに、このような記述があります。
長い引用になりますが・・・・

「・・・人間は原罪を抱えていると説く。
神が触れることを禁じた果実を口にして、知恵を知り、恥を知り、しかしそれによって神の怒りに触れ、楽園を追放されたのだという。
それが真実であるならば、人々が求める楽園は常にあらかじめ失われているのだ。
それでも人は幸せを求め、確かにそれを手にすることがある。
錯覚ではない。
幻覚ではない。
この世を生きる人々は、あるとき必ず己の楽園を見出すのだ。
たとえ、ほんのひと時であろうとも。
・・・・・・・・血にまみれていようと、苦難を強いるものであろうと、秘密に裏打ちされた危ういものであろうと、短くはかないものであろうと、たとえ呪われてさえいても、そこは、それを求めたものの、楽園だ。」


これを読んでも、私はこの本の中で、宮部氏がイメージする「楽園」というのがどうもわからない。
このストーリーの中に、登場人物が求めていた「楽園」の描写があっただろうか?
それは他者の生命などお構いなしで、自己の快楽を求める、ということなのか。
それとも家族愛?。
ゆるぎない信頼でつながった人と人同士の愛に包まれた姿なのか。

少なくともこのストーリー上では、どういうものを指しているのか、なんだかピンとこなくて、ここだけとってつけたような気がしてならない。
しかもそれが題名になっているから余計深刻。
この題名でなければ、もっと素直に楽しめたのに・・・・。

まあ、その話は別として、この本編の合間に、「断章」として、別の新たな事件が起ころうとしているのが少しずつ語られていきます。
これがまた、本編とどうつながるのかという興味と、ちょっと不気味な雰囲気とで、なかなか読ませる趣向でした。
この中で、「犯罪歴のある男が、母親とともに住んでいる家」が出てくるのですが、先日見た映画「リトル・チルドレン」に同様の設定がありました。
まあ、無論同じストーリー運びになるわけではありませんし、だからどうしたということでもないのですが、時々、こういうこと、ありますよね。
似たような設定の話がなぜか重なってやってくる。
何か関連のあることが連鎖して飛び込んでくる。
そういえば、「残虐記」に通じる部分もあるかな・・・。
はじめから知っていたわけでなく、たまたまのチョイスなのに・・・?
自己シンクロとでもいいましょうか、面白い現象だと思います。


満足度 ★★★★


ミス・ポター

2007年09月16日 | 映画(ま行)

大変美しいものを見ました。
いささか、ボーっとしてしまうくらいに。
それは、レニー・ゼルウィガー演じるビアトリクス・ポターが、自然に、動物たちに、自身の絵に、そして、恋人に向ける一途な想い。
柔らかな色調の映像も美しいのですが、この飾りのない一途な想いがとても美しいと思いました。
1900年代初頭のイギリスです。
ビクトリア朝。封建的色調が色濃い時代。
女性がいつまでも独身ということがまず奇異に見られ、また、職業を持つということも考えられないような時代。
そんな中で、ポターは一人の独立した女性として歩み始めます。

中産階級にあるポターは、少女時代いつも夏をイングランドの湖水地方で過ごし、その豊かな自然の中で、動物たちなどを観察し、絵に描いていました。
そんな中から生まれたピーターラビット。
アニメーションでピーターたちが動き出すシーンもあり、かわいらしさに花を添えています。
このピーターラビット出版に尽力したのが編集者のノーマン・ウォーン。
二人はいつしか愛し合うようになります。
しかし、結婚前の男女がデートをするなどということもはばかられる時代。
仕事の打ち合わせでもいつもお目付け役がいます。
二人きりで部屋にいることもできない。
こんな時なら、ちょっと指が触れてもどきどきしますよね。
あったその日にすぐベッド・インなんて現代の風潮が、やけに野蛮に思えてしまう本日です。
さて、ところがビアトリクスの両親は結婚には大反対。
商人なんかと・・・ということで。
ポター家は貴族というわけではないのです。
紡績業で多大な富を築いた祖父のおかげで、裕福な地位にいるだけのこと。
断固とした階級意識。
いやになりますが、実は現代も実情はそう変わっていないのかも。
近頃ますます、格差が広がっていますし。
個人の価値とは関係ないことなのに。
親とかご先祖がちょっとお金儲けがうまかっただけじゃないですか。
結局二人が結婚にたどりつく前に、ノーマンが病死。
たった一度くちづけを交わしただけで・・・。

さて、ポターの描くピーターラビットは大ヒット。
100年を経た今日でも、ちゃんと本屋さんにおいてあります。
ポターは、この多大な印税を湖水地方の自然を開発から守るために、土地を買い上げ、ナショナルトラストに寄付。
つまりはピーターラビットが自身の故郷を守ったということなのです。
私は以前から、湖水地方にあこがれていまして、ナショナルトラストには興味がありました。
イギリスでこの美しい自然を守る運動が始まったのはなんと1895年。
まだビクトリア朝の時代、こんな早い時期からそれが始まったというのはなんという先見の明。
驚いてしまいます。
ちなみに日本では、1964年、鎌倉の乱開発を愁う作家大佛次郎氏がナショナル・トラストの考えを日本でも紹介し、自然保護運動の始めとなったということです。わが北海道でも現在、知床や釧路でこの活動が続いています。

一人の女性が、後世まで残る大きなことを成し遂げました。
たった一人の力でも、こんなことができるというのはステキです。
ちょっとは人生に夢がもてるじゃありませんか。

2006年/イギリス=アメリカ/93分
監督:クリス・ヌーナン
出演:レニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー、エミリー・ワトソン

「ミス・ポター」公式サイト


「サウスバウンド 上・下」 奥田英朗

2007年09月15日 | 本(その他)

「サウスバウンド上・下」 奥田英朗 角川文庫

「税金など払わん!!」豪語する父の背中に、少年二郎は何をみるのか。

                * * * * * * * *

痛快に面白い、とでもいいましょうか。
「面白い」とは月並みな表現かもしれませんが、これほど奥田作品にぴったりの形容はないと思います。
ただただ、ストーリー展開と登場人物の配置の妙に引き込まれ、一気に読んでしまう。
めちゃくちゃ面白い。

主人公は小学校6年の二郎。
彼の悩みは彼の父親一郎のこと。
父は元過激派とかいうものだっだらしく、今もフリーライターと称して家でごろごろしてばかり。
国民年金の督促に来た役所の人は、大声でやりこめた末、追い返す。
学校には修学旅行の経費が怪しいと怒鳴り込む。
息子としては肩身が狭い。
普通のサラリーマンならよかったのに、と、ため息をつく。
上巻は、こんな父を描写しつつ、さらに二郎に降りかかった困難の物語が語られます。
つまらないことから不良中学生のカツに目をつけられ、逃げ出したい気分ながらしだいに立ち向かってゆく、そんな少年の心の成長。
ここまでの舞台は東京。
そんな二郎の友人たちもなかなかユニーク。
不倫をしているらしき姉。
おませな妹。
そしてなぜこんな父と結婚したのか謎の、喫茶店経営で生活を支える母。
ここまでも十分に面白いのですが、下巻、舞台を沖縄に移していよいよ物語りは息づいてきます。

父が巻き起こした騒ぎで、東京に見切りをつけ、一家は父一郎の故郷である沖縄で暮らすことになりました。
それも西表島。
しかも、わざわざ森の中に打ち捨てられた廃屋で、電気もない。
水道もないので井戸水。
二郎と妹は、こんなところになんか住めないと、悲しくなってしまう。
しかし、その土地の人たちのなんとおおらかなこと。
みんなで家の手入れをし、不用品や食べ物も持ってくる。
夜になれば集まって宴会。
そもそも内と外の仕切りがなく、家とはいえ入り放題。
戸棚も押し入れも勝手に覗く。
つまりは、「共有」という意識であるようだ。
そしてまた驚いたことに、あのいつもごろごろして何もしない父が働くこと働くこと!
大工仕事、畑仕事。
片付けるべき仕事も多いけれど難なくこなす。
二郎は頼もしいその父を少し見直すのです。
ところが、この父がこんな穏やかな話で終わるわけがない。
家族が暮らすその家、その土地は、実はリゾート開発会社の所有するもので、たちまち立ち退け立ち退かないの騒ぎが勃発。
西表島の自然に憧れ、都会から移り住んでいる人たちもいて、彼らはリゾート開発反対の市民運動を繰り広げ、二郎の父にも協力を呼びかけます。
しかし、この父は権力も嫌いだけれど、徒党を組むのも大嫌い。
学生運動で散々いやな思いをした挙句、組織に属することをやめ、一匹狼となっていたわけですね。
この立ち退き騒動はマスコミ受けして、日本中が興味本位で注目。
ブルドーザーが押し寄せる中、家を守ろうとする父と母。
本当にやめられない面白さです。

この日本中隅から隅まで誰かの土地、何で勝手にそんなこと決めたのだ・・・と、思いますね。それはイコール税金対象ですし。誰のものでもない、自由な土地、そんなのがあってもいいと、ほんとに思ってしまいました。
徒党を組まず、あくまでも個人として国家と立ち向かう。
それはとてつもなく無謀なことではありますが、その強さに、二郎だけでなく読者も圧倒されるのです。かっこいいです。
自然ばかりで他には何もなく、家族で力を合わせなければどうにもならない、そんな生活の中で、絆を深めていく家族。わくわくさせられました。

さて、この本はまもなく映画として公開されますね。
父一郎はトヨエツ!母が天海祐希らしい。これは見逃せません。

満足度★★★★★


ライアー・ライアー

2007年09月14日 | 映画(ら行)

(DVD)

時々は、肩の凝らないお気楽なものが見たくなります。
そういうのはわざわざ劇場で見ることはあまりないので、これこそ、レンタル向きですよね。
ということで、コメディーとくればこの人、ジム・キャリー。
ジム・キャリー演じるフレッチャーは、弁護士。
ライアーは「うそつき」の意味ですが、彼の職業「弁護士(ロウヤー)」と掛けてあるわけです。
口八丁・手八丁。
多少の事実無視、誇張は承知の上で、被告人の弁護。
一応有能とされています。
彼の生活もそんな調子で、どこまでが冗談なのか本気なのか分からないほど。
妻とは離婚しているけれども、その妻と一緒に暮らす一人息子マックスはかわいがっていて、好かれたい、尊敬されたいと思っている。
けれども、いつも仕事が忙しく、なかなか合う時間が取れない、というのも実情。

マックスの誕生日、約束していたのにフレッチャーは誕生会に行くことができませんでした。
マックスはケーキのろうそくを吹き消すときに「パパが一日うそがつけなくなるように・・・」とお祈りしてしまいました。
さて大変。
ここからがストーリーとしての面白いところですが、なぜかその願いがかなって、それから24時間、フレッチャーは事実と自分が本当に思っていることしか話せなくなってしまうのです。
上司におべんちゃらもいえないし、あろうことか本人に向かって、悪口まで言ってしまう。
このあたりの、ジムキャリーの表情のおかしいこと!!
そんなことはいいたくない、けれども口が勝手に動いて言ってしまう。
そのもどかしい百面相に、思わず吹き出してしまいます。
ジム・キャリーって、黙ってればハンサムなのに、まるで顔がゴムでできてるみたいに変幻自在。
あきれてしまうほどに・・・・。

さて、なんとその日は大きな裁判が一つあって、なんとしても勝ちたいところなのだけれど、もともと相当無理ないんちきくさい弁護の作戦。
「本当のこと」しかいえない、今の自分ではとても無理・・・・。
苦悩する(苦悩していてもおかしい!)フレッチャー。
さて、守備はいかに・・・・と。

とにかく終わった裁判の後、今度は妻が再婚を決めた男と、よその地へマックスを連れて行ってしまうという危機。
なんと、すでに離陸のため動き出した飛行機を追いかけ、とめてしまうという大立ち回り!
飛行機の窓から、必死の顔した男がこちらを向いて何か叫んでたら、それはおどろきますよね~。
まことに楽しい作品でした。

それにしても、特にアメリカでは父子関係というか絆というか、日本のそれよりすごく重要視している気がします。
父親は子供から尊敬されなければならない。
子供から絶対的信頼を得ていて、正義と勇気を示す見本でなければならない・・・、何かそんな使命感でがんじがらめではないかと思えるほど・・・・。
やはり今もそうなのでしょうか。
日本では、もうそんなことをすっかり放棄してしまったかのようにも思いますが。

1997年/アメリカ/86分
監督:トム・シャドヤック
出演:ジム・キャリー、モーラ・ティアニー、ジャスティン・クーパー、ケリー・エルウェス


「メサイア・コード 上・下」 マイクル・コーディ

2007年09月13日 | 本(その他)

「メサイア・コード 上・下」 マイクル・コーディ/内田昌之訳 ハヤカワ文庫

この本はなぜが買ってからすぐに手がつけられないまま、しばらく本棚に眠っていました。
翻訳モノなので、若干後回しにしているうちに忘れられていた・・・のですがこのたび、無事発掘。
もっと早く読めばよかったのに・・・、と思ってしまうくらい、楽しめる作品でした。
イエス・キリストの遺伝子の謎・・・。
これは例の、ダヴィンチ・コード以後のはやりもの・・・?と思ったのですが、1998年の作で、ダヴィンチ・コード以前にかかれたものでした!

人の遺伝子をすべて解読する装置を開発したトム・カーター。
このようなことは、神を冒涜するものだとし、彼を狙う秘密組織ブラザー・フッド。
ブラザーフッドは、代々受け継がれている秘密、第二の救世主が現代に現れていることを知るのですが、それが誰なのか、見つけ出せずにいる。
皮肉なことに、彼らの敵、トム・カーターの遺伝子の研究とデータを活用しなければならない。

トムはブラザー・フッドによりもたらされた現存したキリストの歯から、遺伝子を取り出し解析に成功。
それはやはり普通のヒトとは異なる部分がある。
そのころ、彼の最愛の娘ホリーが脳腫瘍に犯され、治療法もなく余命わずかということになっている。
トムは何とかこのキリストの遺伝子を用いて、ホリーに遺伝子治療を試みようとするのだが・・・・。
また、執拗にトムの命を付けねらうブラサー・フッドの刺客、マリア。

トムに差し迫る危機は避けられるのか。
そしてまた、ブラザー・フットが捜し求める新たな救世主の意外な正体は・・・!?
ホリーの生死の行方は・・・?!

・・・ということで、ドキドキ・ハラハラに加えて、遺伝子の解析という医学と情報技術の最先端の興味、一気読みの物語です。

先日読んだ「聖なる遺骨」とよく似た部分もあります。
実際のキリストの遺伝子を入手し、そこから本人の生前の容姿をコンピューターグラフィックにあらわす。
また、その遺伝子には病気を治癒する力が潜んでいる。というもの。
そこが、やはり、神は神、と、信じたいところなのでしょうね。
実際現在は遺伝子を解析し、この本に近いかなりのことまで実現できているといいます。

後は、本物のキリストの遺伝子を見つけるだけ。
・・・これができれば苦労しません。
2000年近く人々は血眼でそれを捜しているのですから・・・。
まあ、伝説めいたものはありますが・・・真偽のほどを確かめるすべもありません。
だからこそ、今後も、また、いろいろな想像の物語が期待できるので、わからないままのほうがよさそうですね。

類した本で、「イエスのビデオ」(同じくハヤカワ文庫)というのがありまして、これも、超おススメです!

満足度 ★★★★


「ぐるりのこと」 梨木香歩

2007年09月11日 | 本(エッセイ)

「ぐるりのこと」 梨木香歩 新潮文庫

通勤バスの中では、たいていさらっと読めるエッセイなどを読みます。
梨木香歩は、「村田エフェンディ滞土録」という本で、すっかりファンになりまして、でも、このたびは軽く読めそうなエッセイをバッグに忍ばせたのですが。
ところがこれがまた、そうさらっと読めるようなものではなく、一文一文を抱きしめながら心して読むべき本であると思いました。

「ぐるりのこと」とは、自分を取り囲むもろもろのこと、ということですが、その対象となる万物の話をしているのではなく、自分と自分を取り巻くものの境界について考えをめぐらせています。
自己と他者の境界。
それはさりげなく九州の山小屋のこちらとお隣の境界の話から始まるのですが、
ある時はイギリスのドーバー海峡を望む断崖絶壁で、
またあるときは旅先のトルコで、
時には愛犬との散歩の道すがら、折にふれ、考える。
折にふれ、食べ物とお酒のことなど考えてる私とは大違い。
それは作家という職業からのこともあるでしょうが、見習うべき生き方であると感じ入りました。

自己と他者。
それは拡大すれば自分たちの群れと対する相手側の群れ、
また、自国と他国の関係でもあります。
人類のそれは対立関係、戦争の歴史でもあります。
でも、人類は行きつ戻りつしながらも、ほんの少しづつその境界を埋めようとして前進しているのではないか。
梨木さんはその方向性を信じようとしているように思えます。

また、群れの中の個という問題もあります。
群れを重視するがために、個が押しつぶされることがしばしばある。
本来群れは個が所属し、安定を得るためのものだけれど、その群れが逆に個から安定を奪い命をも奪うようなものだったら、群れなど必要ない。
国家と個人を考え合わせる時、この考えは痛烈です。

結局は、群れ対群れではなく、個とそのぐるりの境界の問題なのだろう。
一人ひとりがまず、自分のぐるりに心を開き、うんと垣根を低くしてみればいい。
あるいはイギリスの生垣のように、うんと幅広く、緩衝地帯を持った境界とすればいい。
ただ、個はやはりなくしてはいけないのだ。
いつしかその個をとりまく境界があいまいで、行き来自由になるといい。
そんなことを私もつらつらと考えたのでした。

満足度 ★★★★